悪魔が来たりて服頼む 天気は客を呼ぶ。私はそう思っていた。
雲ひとつない晴れた空は「そろそろ暑くなってきたね」と馴染みの老紳士を。雪が降る夕暮れは「オーダーメイドって初めてなんです」とはにかむ青年を。数日続くような曇り空は厄介だ。仕立てなおせとかやっぱり別の柄がいいとか……そういった注文が増える。こんな時、「天気がこれだからなあ」と呟けば客を恨まずにすむ。私にとって天気は何より役に立つ言い訳だった。
だからあの日も「ああ天気が悪いからなあ」とまず一番に思った。きつい風と共に開いた扉からずぶ濡れで土まみれの悪魔が現れて衣装を仕立てろと言い出すなんて、大嵐の夜が私を化かしているのだと信じこまなければとても正気を保てなかったのだ。
悪天候の客に相応しく悪魔は大変注文が多かった。やれあれをしろ、これをするな。 あれがいい、これは嫌だ……ひとつひとつ聞いているうちに何やら作るどころか見たことすらないデザインになったが、悪魔がそれを見て小さくけたけた笑うので今更できませんとも言えない。死に物狂いで作品を生むのはきっとこれが生涯最後だとそれから完成まで毎夜生きた心地がしなかったのを覚えている。完成品を試した悪魔は「これでいい」「ようやく終われる」とぶつぶつ言葉を繰り返し気前良く支払いを終えてどこかへ消えた。
すわ本当に自分は悪魔にスーツを売ったのだと思い始めた頃、再び悪魔が店を訪れた。今度は自分が着ているようなのが欲しい、今度は、今度は……悪魔が注文する日は大体ろくな天気ではない。客を憎まないための後づけは今や反転し、うちの窓には内装に似合わないてるてる坊主が常に吊られるようになった。
一度だけ悪魔が仲間を連れてきたことがあった。とても珍しかったあの日のことは微細に覚えている。
まず大変機嫌のいい悪魔が軽く靴先でステップを刻みながら入ってきた。私がいつものように声をかけようとすると首を横に振り、
「今日は僕じゃないんだ。彼に一着どうかと思ってね」
背後から出てきた青年を私は一目見て悪魔の仲間だと理解した。悪魔達は美しい風貌で他人を魅了するという。青年の見た目はどうしたって間違いなく悪魔のそれだった。
青年が「ねえ」と悪魔に話しかけた。
「やっぱりいいよ。こんな……」
「なんでも貰うと言ったのは君じゃないか」
青年もまたスーツ姿ではあったが悪魔が稀に着てくる物と比べると悲しいほどに似合っておらず、確かにこれでは人間一人も魅了できまい。悪魔より十は下であろう青年に誰しもが通る新米の頃を重ね合わせ私は俄然張り切った。色々と構想を練っていたらしい悪魔が青年より余程情熱的にぶつけてくる冗談か本気かもつかぬ提案を何とかして形にするべく私達は討論を繰り返した。
一方で青年がほとんど口を出さないことに実は私は不満を抱いていた。なので悪魔が、悪魔だろうと最近はするらしい、突然の電話に店の外へ出たとき、私は青年に訪ねた。どんなスーツが欲しい。それを着てどうしたい。青年は外の悪魔と、悪魔が先程まで立っていたあたりをじっと見つめるとただ一言言った。
「あの人の隣にいたい」
聞かなければよかったと僅かに後悔した。悪魔の途方もない提案全てを形にするよりも青年の願いひとつのほうが余程困難だ。
戻ってきた悪魔が私と青年の顔を見比べて「聞かないほうがよかっただろう」と何もかもを見透かした顔であの日のようにけたけたと声をあげる。人間が無理難題に直面した時悪魔は笑うのだと私は知った。
奇しくも晴天、予報は花粉と突風注意。愛を求める大嵐にまたもや私は化かされたのだ。
あれから季節が数度巡り悪魔も姿を見せることが減った。もう会うことはないのだろうと胸を撫で下ろしたのが昨日のこと。そして今夜。悪魔は何も変わらず私の前に現れた。傍らに少しだけスーツが似合うようになった青年を連れていた。彼と僕に一着ずつ頼みたいと悪魔が言うのではい赤ですか青ですかそれとも黒がよろしいでしょうか……そう受けたところ、なんと今度は白だという。揃いの白を纏い悪魔の結婚式を開くんだとか。愉快そうに広げられたデザイン案のまさに悪魔的な難易度にうちで頼まず悪魔の仕立屋なんかに任せたほうがいいのではと弱音を吐いた私に悪魔は指を立て片目をつぶった。
「あの日入ったこの店がいいんだ。もし何かが違っていれば僕等は今ここに居ないのだから」
うちはどうやら悪魔御用達の店になってしまったらしい。注文が入るのはありがたいし、結婚もおめでたい。だが参列者の悪魔達がうちに押し寄せるのではないかと、このごろ私は気が気でない。