汚らわしくあれうつくしい君「君がどんな風に呼ばれているか知ってる?」
「知らない」
「だろうねえ……教えようか」
「いい」
短く返答する間もランガは僅かとて愛抱夢を見ようとしなかった。ただ進むべきコースばかりを追いかけるその目には対戦相手の姿も自分自身への興味も存在しない。
こういったランガの冷静と無関心の境にあるような態度は愛抱夢にはひどく奇妙なものとして映っていた。自分を知らずこの世の何を知れる、他人からの視点だろうが軒並み把握しておかなければいつか足元を掬われると何故ランガは理解できないのだろう。本心から愛抱夢はそう思っている。だからこそ非公式戦かつ明らかに互いが本気でないこのタイミングを狙い、軽い雰囲気を装いつつあくまで世間話の延長として他評を教えようと目論んだのだが。
残念だとすくめられた肩は、しかし会話の終わりを意味してはいなかった。
もとより愛抱夢はランガが良い反応を示すと予想していない。ただランガにとってこれは必要な事であると自身が認識した以上遂行するまで止めるつもりも無いだけだ。それは愛抱夢なりの奉仕精神であり、自分は人を導く存在たりえるのだという強固な自負の表れでもあった。
善意を持って押し付けられる侵食さえ厭わない愛を未完成な自我があしらえる筈は無く、愛抱夢が話し出すのを阻止も出来ずどこからか集められた自身への賛辞にランガは露骨に集中を乱す。
「それ、本当に俺の話?」
「もちろん。あますことなく全て君に贈られた言葉だ。どれも良く似合っている、愛されてるね」
「……」
沸き上がる感情の呼び名を探るのに没頭するあまりランガは向けられた眼差しにも気付かない一方で、眼差しを送る側は仮面の下に潜む赤い瞳を通常時より深く、より複雑に入り交じらせていた。
人心の理解に長けた愛抱夢にとってはランガが言語化できなかったランガ自身の感情すら手に取るようだ。贈られた美辞麗句への戸惑いや反発。そして少量の羞恥を堪能した愛抱夢は心の中で協力者たる匿名の人間達に謝意を表したが同時に彼らを嘲笑う。
──可哀想に。
ランガに贈られた賛辞がどれもその見目から受ける曇りの無い清さばかりを取り上げていた事については愛抱夢はむしろ歓待していた。それもまたランガを美しく飾る一側面だ。ランガがまとわす冷たさは無慈悲な吹雪でなく春待ちの雪解けであると並みの人間すら感じている事実もまた愛抱夢を喜ばせる。だがそのうえで愛抱夢は言うだろう、彼らは何ひとつ分かっていないのだと。
──“これ”が清らかだと思っているのは君達だけだ。汚れを知らぬと、ただ無垢であり続ける天衣無縫な子供だと信じているのは彼の傍らで滑ったことがない、彼と共に限界の先を見たことのない者だけ。
愛抱夢がくくる彼らとはランガを称える者だけでなく、言うなれば愛抱夢以外の全てである。愛抱夢にとっては当然の事だ。迫りくる本能的恐怖を受け入れながらなお笑ったランガの心情を、その奥底に眠る物を含め理解し得たのは同種の欲望を秘める己ただ一人だけなのだから。
それは本人さえ知りえない、愛抱夢のみが手にする秘密だった。
「ランガくん」
──君の欲を、僕だけが知っている。
「……なに?」
「いいや、何でも。また集まったら教えてあげよう」
「要らない」
何度拒否されようと愛抱夢はランガを清潔な生き物として扱うことを、ランガが自身と他人から見た自身を完璧に理解するまで止めないだろう。そうして向けられた言葉に僅かでも疑問を持つようになれば必然的にランガは身の内に潜む物と対峙せざるを得なくなる。欲に飲み込まれるか否定し自らの一部ごと封じ込めるか、どちらを選ぶかは分からないがその過程でランガが彼の気持ちへ唯一寄り添える存在に助力を求めるのは間違いない。
依然前ばかり追う横顔が縋るように自分を見つめる、その瞬間を愛抱夢は心待ちにしている。