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    20210808 ワンドロお題「夏」お借りして
    愛抱夢、感傷に浸るあまりちょっと視界狭まるときがあるので良くも悪くも無自覚にテンポずらしてくるランガと関われたのはわりと幸運なのでは

    ##明るい
    ##全年齢

    透明にふれる これ以上炙らないでくれと靴裏があげた悲鳴ごとアスファルトを強く踏みつける。待ち合わせ場所を開けた通りにしたことは紛れもない失敗であり、その責任は場所を指定した人間、つまり自分にあった。観光客向けの背の低い建物は何も遮らない。素直で少々ぼんやりしたところのある少年だ、馬鹿正直に日差しを浴び続け今頃真っ赤な顔を晒している可能性もある。そう思うと靴になど構ってはいられなかった。
     スクランブル交差点、絶えず行き交う車の群れ。この長く斜めに通った横断歩道を渡ればいよいよゴールが近く、おあつらえ向きに褒美も既に見えている。対角線上の歩道へ広がる街路樹の下に隠れるよう、しかしやはりぼんやりと立つ遠くともくっきり目立つ影。
     信号が変わるのを待つ僅かな時間も夏は容赦しない。額にあてたハンカチの下、押さえた眉間がシワを寄せたその隙間にすら汗が入り込む。無事渡り終えたとして汗だくの顔で会うのかと思うとうっすら嫌気が、そしてそれ以上に笑いが込み上げた。
     かっこわるいところを見せたくない――そんな、いたいけな子供のような願望を自分が。
     かと言って妥協できるわけもなく、出続ける汗を拭う。その虚しさに湿気の原因と踏んだ横断歩道に広がる水溜まりを思わず睨み、遅れて気づいた。
     昨日のひどい夕立の名残かと思ったが違う。あれは幻、夏の風物詩。蜃気楼の一種。触れようとすれば遠退く姿をかつての人々に逃げと揶揄られた偽物の水。
     信号が切り替わり片足をあげたのと、ひたすら街路樹の幹に向いていた少年の視線がハッキリとこちらを捉えたのは同時だった。
     夏空より澄んだ青い眼差しに射抜かれたかのごとく足が止まる。少年の口が開き、しかしすぐ閉じた。何かをこちらに伝えようとして諦めたらしい。その代わりに、街路樹と別れた身は横断歩道へ。
     スニーカーを履いた足が躊躇なく水に差し込まれた瞬間、どくりと心臓が騒いだ。広がる水を幻だと知っている。だが、一歩また一歩と白線を進む身体を危ぶむのもやめられない。それ程強く叩いては水が跳ねないか、靴や裾が汚れてしまわないかと――馬鹿げている。そう理解しながら、目では爪先を追い続けていた。
     少年が駆ける。飛ぶように地面を、白線を覆う水面を蹴りつける。瞬間狙いすましたかのように本日一番の日光が横断歩道を照り付けた。
     眩む視界。目の裏がじんと痛んだかと思うと、あらゆる物の動きがゆるやかに。
     白い世界にきらきらと弾ける白い光の、もしくは水の粒の中から、跳び出す影がひとつ。晴れ渡る空の髪を、輝く海の目を、赤みをおびた頬を、この場でただ一人色彩を持ちながら何より透明な少年が向かってくる。何故か。自分に会うため――だと思う。多分。おそらく。自分らしくもない曖昧な結論だがこのうえなく妥当な筈だ。
     喜ばしい光景は、ひどく非現実的でもあった。
     逃げ水。その原理が解明された時人々はさぞや安堵したことだろう。あれほどきれいなものに手が届かず自分のものにできずとも決して自分が選ばれなかったわけではなくこの先誰かが選ばれることもない、ただそういうものだからそうなのだと。
     幻であればよかったのだろうか。
     初めから誰にも触れられない存在として出会えていたなら、この想いをひっそりと心のもっともやわい部分にしまいこむことだって余程容易かった。自分だけのものだと誤認し、実際そうではなかったと気付いてしまうことも、そのせいでより厄介に変貌を遂げた感情と向き合わずとも済んだかもしれない。
     近くに居ると知るや否や呼び出してしまうような、ろくに考えず待ち合わせ場所を決めてしまうような、車も待てずこの炎天下に徒歩を選択するような、暑さのせいにもし難い愚かさを知らずに。
     無事信号が赤く切り替わるより先にこちら側へ辿り着いた少年は、心構え無しに走ってしまったのか身を屈めぜいぜいと肩を上下させている。重なりあう枝葉程度では日差しからその身を守り切れなかったようだ。顔や僅かに見える首、はたまた生え際までもがうっすら染まり、けれども。自分さえ止められない身体機能、にじみ流れて当然のそれがどうにも見当たらない。
     じりじりと。蝉が。熱気が。五感を掻き乱す。
     顔をあげた少年がひとつほうと息を吐いた。やはり汗は見えない。そんな事あるだろうか、そんな人間。
     頭の内も外もやかましく思考が鈍る。浮かんだ阿呆らしい発想をいつもなら笑い飛ばす理性も今日は溶けきり使い物にならない。何も考えず手を伸ばした。仕方ない、暑すぎるから――。
     触れかけた指先は、
    「……」
     あと数ミリのところでかわされた。
     不思議そうに斜めに倒れた顔へ再度手を、これもかわされる。さらに数度、これも駄目。両手に変える。すると向こうも首のみ動かしていたのを上半身主体へ。
     良くない。楽しくなってきた。
    「なに」
    「いや……確かめたくてね」
    「何を?」
     問いかけを適当にはぐらかす。君が幻ではないかと疑った――などと、この生命力の塊のような躍動する肉体を前に言うなど恥にも程がある。
     数分後案外あっさり掴めた頬は当たり前に熱かった。もにもにと確かめればほんのり汗らしきものも感じる。何だ、普通じゃないか。ほっとするこちらとは反対に、頬の主はしかめっ面を作っていた。負けたことに納得がいかないらしい。彼に敗因があるとすれば基礎体力駆け引きの甘さ、そして実質のハンデ戦を自ら作り上げてしまったこと。
    「走らなくとも良かったのに」
    「……そっちから来ると思って」
    「来てはまずいことでも?」
    「だって水たまりが……って、あれ」
     ふいに言葉を止め、濡れていない自らの足元と濡れた地面を交互に確認した少年がまつ毛を瞬かせる。不可解そうに揺れる瞳はなんともあどけない。思わず大丈夫だよと背を撫でてしまう程だった。
    「あれはああいうもの。存在しているふりをして、ただ見えているだけ」
    「あなたにも見えてる?」
    「もちろん。ここに居る全員あれを見てる」
     車も熱も日差しも空も。あの透き通る大嘘を目にしている筈だ。暑さに蝕まれた頭でひとつの幻を。
     彼と自分も同じ物を見て、同じように昨日の夕立の記憶と紐づけた。おそらく彼の目には、横断歩道を渡る自分ではなく泥水へ足を入れようとする自分が映っていたのだろう。あの十数秒間偶然とはいえ自分達は互いをひたすら慮っていたわけだ。濡れないように、濡らさないように。まやかし相手で、判断力が低下していただけだとしても、それはまるで純粋な愛のようではないか。
    「だから心配せずとも汚れなかったよ」
     言えば、そっか、と素っ気ない返答が返ってくる。ことさら落胆する様子もなく、そこが愛しい。
    「抱きしめてもいい?」
    「よくない」
    「どうして」
    「暑いし、汗かいてる」
     つまり暑くなく汗をかいていなければ今後抱きしめてもいいのか。都合の良い解釈を脳に刻みつつ、じゃあこれだけと少年の手に指を絡ませた。
     歩き出せば遠のく水をただ逃す。
    これだけでいい。もっともきれいなもの。この指先に選ばれたい。
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