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    yowailobster

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    yowailobster

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    20211211 5話後(自カプ用語) 舞台ありがとう記念
    この作業中書きかけの続きが出て来てうわーとなりました うわー

    ##暗い
    ##全年齢

    焦がれて、おちる 暗闇に走る七色。虹の内側へ入ったかのような不可思議な景色は数週経った今でも頭から離れてくれない。眠る一瞬前。太陽に眩んだ視界の中。そして――。
     
     行く。
     口に出せば言葉がすうっと身体に馴染んでいく。筋肉と神経を伝いクリアな感覚は足元まで、そしてその下のボードにさえ届いたように思えた時。世界はほんの少し下にあった。
     世界の高さが元通りになった途端知らない声が次々に叫ぶ。また決めた。何てやつだ。抽象的な言葉の群れに混じって自分のSネームも聞こえたような気がした。
     うん。跳んだんだ。分かってる。分かってやったし無事成功、着地もばっちり文句無し。
     それなのに何故だろう。ひどく落ち着かない。確かにボードを踏めている筈の足元に空白を感じる。失敗というよりは間違い。まるでこうしたかった訳じゃないと身体が不満がっているかのようだ。
     そんなことない。望んでいたのはこれだ。重力からの解放。意識を研ぎ澄まし刹那決めるトリック。ボード無しでは叶わない高さと。
    「あ」
     そっか。速度。足りなかったのは速さだ。あの時のような身を刃にして空気を裂くスピード。あれを欲しいのに自分がくれないものだから、きっと身体は満足できなくて怒っているのだ。
     しかし分かったところでその怒りを宥められそうにはなかった。だってアレはあの時だけの特別だ。その後何度か試したけどあの速度を出すことは出来なかった。それどころか動き方もコース取りも、やり方さえ未だハッキリと掴めていない。
     分からない事だらけの中理解できているのはたったひとつ。
     自分一人ではまだあの速度に届かない。その先のあの景色にも。おそらくもう一人、あの人が居なければ。
    「……愛抱夢」
     僅かに掛けた加速にあの日見た背中との差を思い知った瞬間。いつものように暗がりが七色を薄く走らせた。何かを訴えかけるように光るそれを追う。上体を屈め吐く息は深くどことなくため息に似ていた。あのときと違いこの虹は幻でしかないと心が知っているからかもしれない。
     これでは無い。欲しいのはこれじゃない。
     身体がまた不満を訴える。それでもやはり、今夜も叶えてやれそうにはなかった。
     
     
     一度帰って荷物を取ってくるのだという暦と別れ辿り着いた集合場所には、ひたすらスマホへメッセージを送り自分を急かしてきたMIYAの姿はどこにも無かった。代わりにもう一つ彼からメッセージが届く。短い謝罪だった。
     液晶に見たことの無い番号が表示されたのはそれからすぐのこと。挨拶もせずに知らない声は言った。
     ――愛抱夢が君を呼んでいる。
     心臓が一度、痛いほど強く鳴った。
     返答を思い付かない内から何度も開閉していた口を必死で動かしようやく吐き出そうとした言葉をしかしすんでのところで止める。思い出したのだ。約束。二度と愛抱夢とは関わるなと願う友人の顔を。
     吸い込んだ空気が喉をじっとり湿らすなか、今度言葉を吐き出すには先ほどとはまた別の努力が必要だった。これを言いたくないと、本当は真逆の返答がしたいのだと叫ぶ心を押さえつけ口を開く。
    「できない。俺は、愛抱夢には会わない」
    『何故?』
     迷っていた時間はたった十数秒の筈だ。けれどその短い間で、通話の相手はまるきり変わっていた。この声なら知っている。少しだけだけど、話したから。
    『僕に会いたくないの?』
    「……会わない」
    『ああそういうこと……誰かに会うなと言われたんだね。可哀想に』
    「っな、何で」
    『分かるさ。君が僕と会いたくない訳がないんだ』
     くつくつと響く笑い声。鼓膜をくすぐられるような感覚に思わず耳からスマホを遠ざけた。
    『ジョーかな? それともチェリー?』
    「暦」
    『へえ……』
    「愛抱夢と関わらないって約束したから会えない」
    『その約束が僕と会うより大事なの?』
     そうだとどうしてすぐに返せなかったのだろう。
    「……この前別のを破ったばかりだから」
    『別の?』
    「無茶な真似はしない。……そう、暦と決めたのに」
     あの夜。悲痛な声で叫ばれるまで気付けなかった。無茶な真似をしたこと、約束を破ったこと。理由があったとしても傷つけたことに変わりはない。
     その理由も大概だ。
     あまりにも夢中になっていたから。
    「全部忘れてた。愛抱夢に勝ちたい、速く滑りたい。そればっかりで」
    『……』
    「だからもう……愛抱夢?」
     向こうから声が呼吸音すら聞こえなくなったのを不審に思い音量を上げ顔に寄せる。その途端鼓膜を貫くような大音量が耳に浴びせられた。
    『ハハ、アハハ……!』
     次はこちらが黙る番だった。何がそんなにおかしいのか愛抱夢は笑い続ける。そういえばこの人のこんな声を聞くのは初めてだ。笑うのか。こんな普通に。それでいて奇妙に。
    「どうして笑うの?」
    『愛しいからだよ。もしくは可笑しいから』
    「二つあるのか」
    『ああ。君と、君以外だ。スノー。君は――』
     告げられた言葉に、息が詰まる。
     ――君は悪くない。
    「違う」
    『違わない。僕等が行ったのはビーフだよ。より速く滑った者が勝つゲーム。君はただ当たり前にゲームをしただけだ。何も間違ってなどいない、だろう?』
    「そういう事じゃない! 俺は無茶して」
    『無茶、ねえ……』
     やけに優しい声が名を呼んだ。Sネームではなく、ランガくん、と。それだけでじっと見つめられているかのように身が強張る。
    『僕はあの日の君が無茶していたとは思えないんだけど』
    「え」
    『ランガくんもその彼のように思っているの? アレは有り得ない奇跡か何かで本来君は大怪我を負っていた筈なのだと、君が僕へ見せた物を君自身で否定するのかな?』
    「あ、えっと……俺は……」
     愛抱夢の話は難しくて噛み砕こうにも何処に歯を立てて良いか分からず困ってしまう。けれどこんなに心臓がうるさいのはそのせいだけでも無いのだろう。
     危ない賭けだった。しかし出来たなら勝てる可能性がかすかだとしても生まれるのだから止めるなんて思いつかなかった。そしてそれ以上に、何となく思っていたのだ。
    『良いんだよランガくん、素直になっても。僕なら受け止められる。君の気持ちをちゃんと分かっているから』
    「俺の気持ち?」
    『うん』
     出来る。きっとこれで愛抱夢を超えられる。
    『僕と愛し合うためなら君は何も躊躇わない。きっと何度だって、同じように選択する。僕以外の誰かなど捨てて僕にアレを見せてくれる』
    「……ち、ちが」
    『いいや。それが運命だ』
     スマホを持っていない方の手で身体を強く抱き締めた。こうしないと立っていられなさそうだ。それほどにひどい眩暈がする。
    『こんな簡単な事を一人で気付けなかったからといってどうか気に病まないで。まだ君は可愛らしい雛鳥だ、多少の鈍さは許してあげよう』
     相変わらず愛抱夢の話は全然理解出来ない。けれど彼の言葉が耳に入る度少しずつ身体が冷えていくのは感じられていた。
    『けれど。自覚していなくとも君はもう選ばれている。楽園へと続くこの運命から逃れることなど出来ない。勿論僕を求めるのもね』
     ここは暑いはずなのになんでかな、今はすこし、さむい。
    『我慢したって苦しくなるだけだ。君には僕が必要なんだよ。僕の愛のみが君の渇きを潤せる』
     寒くてぼんやりした頭でも愛抱夢の声はよく響く。むしろぼんやりして何も考えられないからだろうか。自分の頭なのにあるのは彼の言葉ばかりだ。
    『ランガくん。僕に会いたい?』
     愛抱夢は幾度も良いのだと言った。
    『言ってごらん。僕に会いたい、愛して欲しいと。君のハートはそれを望んでいる』
    「……俺が……愛抱夢に……」
     愛されたいなんてそんなふうに思った事は無い。けれど彼にとってのビーフが愛の儀式であるのなら、望んでいないとも言い切れなかった。愛抱夢と会いたい。会って、ビーフして、またあの光景を。
     うまく呼吸できないなか何とか空気を肺へ入れた。そして。
    「おれは」
     言い訳はしない。言うつもりだった。許されたとしても言ってはいけないそれを口に出そうとしていた。
     そこまで自分を惑わせたのが愛抱夢の言葉なら。
     正気に戻したのもまた愛抱夢の言葉だった。
    『そう。つまらない奴らなんて捨てて僕の元へおいで』
     驚いた。あんまり変な事言うから。ついこちらもそれまでの会話全て放って暦は面白いよと言ってしまった。愛抱夢はどうもそれが嫌だったらしい。受話口からの声が少し大きくなる。
    『君を縛ろうとする邪魔者を庇うの』
    「暦は俺を縛ったりしない。邪魔でもない。友達だ」
    『向こうはそう思っていないかもしれないよ。凡俗のプレーヤーなら君の才能に必ず嫉妬する。君を僕から引き離そうとしたのはその為なんじゃないの』
    「暦はそんな奴じゃない」
    『どうかな。人は変わる。今君の周りに居る仲間もお友達もやがて君を裏切るだろう。彼等の脳では僕等を真に理解出来ないから。くだらない考えで断罪しようとしてくるんだ。君もいつか思い知るよ、君の愛など──』
    「愛抱夢!」
     折角吸った息は結局彼の名前を叫ぶのに全て費やされる事となったけれど、言葉を止められたので良い。
    「悪いけど俺には愛抱夢が何を言いたいのか分からない。でも皆をすごく悪い奴みたいに言うのは止めて欲しい。これ以上されると俺は愛抱夢を」
    『……僕を?』
    「……ちょっと嫌な人だなって思う。っていうか、今少し思ってる」
     正直な気持ちを伝えれば、しばらく途切れた後声はふふ、と以前聞いたものに近い比較的穏やかな笑いをこぼした。
    『じゃあ止めようかな』
    「うん、そうして」
     愛抱夢へ直接言いはしないが、彼にさっきのような物言いをしてほしくない理由はもう一つある。息継ぎもせずまくしたててくる声にはこちらの反応や返事を気にしている様子が一切なかった。自分が居るにも関わらずまるで独り言のように話されるのはさみしい。ろくに話したことの無い相手でも、むしろ今までこうして話したことなど一度も無い、けれど今こうして長いこと話せている愛抱夢だからこそ、急に置いて行かれたようで少し心細かった。
    『……ん』
     また自分宛てでは無い声だ。なんだか気分が良くなくて早口気味で何かと訊いた。いかにも残念そうな声が返ってくる。
    『すまない。時間だ。また今度ゆっくり話そう』
    「そう……あの、会えなくてごめん」
    『良いよ。君が出来ないのなら僕が代わりにやってあげる』
     何を。二つ目の問いには答えず、遠ざかりながら一言。
    『待っていて』
     それだけ告げ愛抱夢は通話を切った。
     最後まで分からない人に困惑したのはしかしほんの数分のことだった。すぐやって来た暦の両腕に抱えられた喜屋武家からのオスソワケ。そして続いて来たMIYAが何故か申し訳なさそうにくれたモライモノノチョットイイオカシでたいへんいっぱいになった気持ちは、おいしいとうれしい以外全部をどこかへ追いやってしまったのだ。だからなのか、この日の練習はただただ楽しかった。自分達二人より先に帰ったMIYAに言わせると今日遊びすぎ、気合い入れなさすぎ、とのことだったけど、その顔に不機嫌の色は全く無かったから彼も楽しかったのだと思う。
     またいつの間にか温く戻っていた空気を心地好く感じて目を閉じる。
     こけた。
     大丈夫かと暦が尋ねてくるのに頷き立ち上がった。咄嗟についた手は思い切り擦りむいてじんと痛み少量ながら血も付いていたが始めたての頃と比べ全く気にならない。今はスケートをしていればこうなる事もあると知ったうえで、自分の意志で選んでいるからだろう。
     そうなってもいい。そして同じくらい、そうはならないのだと。確信がある。
     
     
     少しだけ楽になった気分。そんなものは再びSへ行くまでの話だった。傾斜と距離が叩きだす速度を浴びせられてしまえば心が勝手に逸りだす。先週ならばこの高ぶりに抵抗感なく身を委ねていただろうが数日前の通話を思い出すと多少躊躇いがあった。けれど引き返し中途でトリックの練習に励んでいるだろう皆の元へ合流しようとも思えない。
     瞬きの度瞼の裏で点滅する光と耳の内側で延々反響する囁き、どちらもを振り払うように首を振ったその時。コーナーの先から跳び出すように合流してきたのは。
    「──あ」
     名前を呼ぶ間もなく片手を取られる。強引に、彼の周囲を巡るように回されたボードは手が離れれば自然とそのすぐ後方へ。それなりの距離下って来たこちらとそう変わりない速度を出しながら、目の前のプレーヤーにはこちらを振り返る余裕さえあった。ニッと笑い取り出すのは以前見たケース。中身は確か煙草の筈だ。よく分からないが、おそらく挑発されている。無視は出来ない。
    「……は、……っ、――――」
     一呼吸ごとに面白い程体内は熱く、頭の中は冷たくクリアに。暗がりが光だけでなく白く細かな何かで埋まっていく。それが一瞬途切れある一点を目が捉えた。コース外一歩手前、ボード全ても乗らない程わずかだが、確かに張り出た箇所。そこへ向け速度を上げテールを叩いた。勢いで跳べる距離などたかが知れている。ノーズは例の張り出た一点に落ち、それ以外は一瞬空へと。落ちる前に手を伸ばした。当然のように握り返してくる手を感じた瞬間ボードをコースへ蹴飛ばす。その着地先を確認するより速く、跳んだことで横に並んだプレーヤーに投げ飛ばされ自分もコースへ。しかし足はぴたりとあるべき位置。先に戻っていたボードへ降りた。前には誰一人居ない。どうだ!思わず振り向けば、さっきの自分もきっとそうだっただろう、愛抱夢はどこか不機嫌そうに、しかし頬を紅潮させ笑っていた。その足元。こつこつと靴が鳴らすリズムに心臓が同調していく。
    「いい。いいよ。ランガくん」
     もう届かない手がこちらへ伸びしきりに指を動かす。この手が無ければさっき自分はあんなところへ跳んだ時点で失敗、転落していた。向こう側は崖ではない筈だがそれなりの怪我は負っていただろう。けれど躊躇わなかったのは覚悟があったからではない。そうすれば愛抱夢が手を伸ばすと何故か自分は知っていたのだ。
     そして今、こうも思う。自分だけではなく愛抱夢も。自分がそうする事を知っていたのだと。
    「やはり僕等は求めあっている……!」
     一瞬感じた怖気につられ身体を回せば先程自分が居た位置に愛抱夢が迫っていた。あのまま居たなら捕らえられていたに違いない。危なかった。
    「おや、残念……照れているのかな」
     ぐっと詰まった差を再び広げるべく、身を屈める。
    「ああ。僕に追いかけてほしいんだね?」
     一層背後の圧が強まった。ぞくぞくと身が震えるほどの存在感は間違いなく他のプレーヤー相手では味わえないだろう。愛抱夢だからここまで恐ろしい。そしてきっと愛抱夢だから、彼が傍に居るからこの身体は何度一人で挑戦しても辿り着けなかった速度への一歩を踏み出そうとしているのだ。
    「いいとも。付き合ってあげる。けれどどうか、あまり僕を挑発しないで。君はまだ狩るには惜しい。もっと時間を掛けてじっくり味わうつもりだから」
    「わかった!」
     多分簡単に捕まるなと言われたのだろう。分かったので胸を張って返す。勿論こちらにもその気は一切無かった。
     捕まったらこの楽しい時間が終わってしまう。そんなのはつまらない。
     愛抱夢は唐突に離れたかと思えばその間を一気に縮めてくるなど奇妙な動きをみせた。抜く気が無いようにも思えるが時折鋭く刺しても来る。その度こちらが避けるなり反撃するなりすれば喜ぶのだからもしかすると遊ばれているのかもしれない。しかしそうだとして、一向に構わなかった。
     身体のどこかで点いた火が燃えている。絶えず風に散らされようと燃え上がるそれの欠片が刺さった心臓がひりひりと痛い。ずっと、ずっと痛いままだ。自分には紛らわす事しか出来ず、その方法だってひとつしか知らない。滑る。それだけしか。そしてこの男が相手なら、紛らわすどころかより強くなる痛みを。
    「まだだ。もっと魅せてくれるだろう!?」
     楽しいと。そう思う事さえ。
    「――っ、ぐ、あッ!」
     コーナー。全身に力を掛け岩壁ギリギリのところを一息で曲がり切る。反動か突き飛ばされるように身体は外側近くへ。それさえ楽しめていた。暗く底のない恐怖が目の前にあるからこそ震える唇はある形をとろうとする。
     世界に引きずられ上体を逸らす一秒未満手前確かに見た。自分の選んだ道筋と同じギリギリをより小さな回転で愛抱夢が通っていくのを。やられた。速く追いかけなくてはと思いながら身を起こす。知らず息を呑んだ。
     愛抱夢はすぐそこ、真向いに居た。そうして自分を待っていた。
     名を呼ばれる。
    「ほら、ね」
     仮面の下。あるのだろう目と視線が交わったような気がした。
    「僕と会って良かっただろ」
     あの後、ずっと会いたかった。でもそれはいけないことだった。だから会いたくて、会いたくなかった。会えば我慢なんて出来ないことを分かっていたから。
     見ないで欲しい。気づかされる。何故火が内を焼くのか。この人の見せてくるもののせいでずっと消えないのだと。
     肌に触れる空気は鋭い。かなりの速度が出ているようだが恐怖も無ければもう興味も無い。彼と同じスピードで、隣で滑る以外はどうでもよかった。
     近づいてくる手にも何も感じはしない。
    「ねえ。君は――」
     愛抱夢の言葉が曖昧に止まったのは続く言葉が言い辛かったのか、そういう曖昧な部分だけで彼の言葉は完成されていたのか。どちらとも分からない。それともあるいは、こちらのスマホが鳴ったからかもしれない。
     いつもの癖で取り自然と速度を抑えていた。しまった。前を見ればしかし相手の姿は見当たらず、まさかと横を見れば何喰わぬ顔でそこに居た。彼もまた速度を落としている。
    「ちょ、ちょっと待ってて!」
     急いで耳に当てたスマホからは良く知った声が。
    『ランガ? 今どこだ?』
     尋ねる声音には何故か焦りが滲んでいた。
    「どうしたの」
    『何って……坂封鎖されただろ。それなのに、いつまで経ってもお前が帰って来ないから』
    「封鎖? いや……滑れてるけど……」
    『……滑ってんの? 今も?』
    「うん」
    『どこらへん?』
     答えようと一旦スマホを耳から離し周辺、すっかりゆっくりになった景色から目印になりそうな物体を探す。
    「ええと……え? あ――」
     スマホを持っている方の手首がふいに強く掴まれた。不意打ち過ぎて抵抗が間に合わず、ボードから足が落ちる。けれど転倒はしなかった。手首だけでなく身体ごと捕らえられていたから。
     顔が近いなと思い。近いどころの話ではないと気付く。鼻がかるく触れあっている。いやそれを言うなら余程口の方が問題か。これ。唇と唇。絶対ついてるだろ。
    「……?」
     何が何だか分からないがこの態勢は変だ。軽く動いてみる。離れない。おそらく腰を抱き寄せてくる腕の力が強すぎるのだろう。胸を叩いてみる。気づいているだろうに反応は無かった。
    「ん、む」
     押すように唇を動かせば離れるどころか、何故かそれに呼応するように愛抱夢の唇が添う。少々状況はまずい。このままでは息が。
    「……つ、んん!?」
     苦しさに閉じかけていた目がぐっと大きく開いたのを感じた。わずかに離れた唇の代わりに感じた温い物の正体を数秒遅れて脳が理解する。
     舌だ。今、舐められたんだ。
     何で、と問うつもりで開きかけた口が塞がれる。そういえば手首も腰も腕は離れないままだったのだと気付いた頭がぶわりと理解出来ない色に染まりそして真っ白になった。また舐められてる。しかも外じゃなくて中だ。口内で彼の舌が動いている。
    「ん、、つ……ッ!」
     こうなるといよいよ全く意味が分からない。なにこれ。なにされてるんだ。
     後で謝るからと言い訳し自由な手足で何度も愛抱夢の身体を強く叩いた。それでも唇は離れずむしろますます、嘘だろと思うところまで舌を這わせてくる。思わず歯を当て、仮面越しの目を睨んだ。これ以上したら噛む。そう理解させることは出来なかったらしい。むしろ歯にまで舌は触れだす。知らない感覚に遂に手足が強張り動かなくなった。
     目の縁にじわりとしみる熱さ。涙は多分出ていない。けれどそう錯覚してしまう程心は怯えていた。さっきまで楽しく滑っていた相手がどうして。こんな、ひどいこと。
    「ふ、ぅう」
     分からなくて何だかおかしい。身体全部を包む寒気に似た感覚の中に時折痺れるような何かが混じる。その他幾つもの刺激に頭の中が乱されていく。そうすると怖いとかやだとかが何だか薄れていくようで、こんな意味の分からない状況に身を委ねてしまいそうで。
     感じてはいけないそれを完璧に見つけてしまう前に身体を離されたのは、きっと良いことだった。その筈だ。
    「っは、はあ、は、……はぁ……」
     止めることも出来ず、崩れ落ちた身体が目の前の支えへと倒れる。頬に張り付く冷たさも荒れた呼吸を整えられはしない。どれくらいああされていたのだろう。
    「……そうだ、暦……! スマホ……あれ、無い。どこだ」
    「探し物はこれ?」
    「あ、うん。ありがとう」
     手の中に無いと思えば愛抱夢が持っていたようだ。しゃがみこんだ彼にひらひら振られるスマホを慌てて掴む。ずいぶん待たせたからか既に通話は切れていた。
     もう一度。今度はこちらからかけようと動きかけた手が強制的に止められた。
    「……何するんだ。愛抱夢」
    「ええ?」
     何がそんなに面白いのか愛抱夢は唇をにやにやと歪めている。思わず見た後目を逸らした。今さっきされた事は流石にまだ忘れていない。
    「君こそどうするんだい?さっきのそれ、お友達からだろう?」
    「そうだけど」
    「折り返して何を言うの?ここに居るから迎えに来てくれって?それともこれが終わってからそちらへ行くと?」
     まあそのどちらかにはなるだろう。言えば愛抱夢は口を覆いくふくふと笑いをこぼした。
    「いいの?僕は構わないけど」
    「……何の話」
    「やだなあ。君が言ったんじゃないか。……関わらない約束、なんだろう」
     ──あ。
    「ランガくん」
    「……」
    「約束。破っちゃったね」
    「……あ、う」
    「あんなに大事だと言っていたのに。どうしたの? もしかして忘れていた?」
     そんなこと無いと言えれば良かったのに。何も返せない。愛抱夢が身を寄せてくる気配を感じずるずると後ろへ下がっては近づかれを繰り返すばかりだ。
    「良いよ。呼べば、そのお友達。僕も一緒に待ってあげよう。君が今僕としていたこと全て、君に代わってお友達に説明してあげる」
    「いらない」
    「じゃあ君が話す?出来ないよね」
    「……できる」
     ちゃんと謝る。たまたま会っただけだとも説明する。そしたら暦もまたしょうがないなって許してくれるはずだ。
    「言う。愛抱夢に言わせるくらいなら、俺が……!」
     思わず上げた顔に冷たい手がそっと添えられた。しかしその指先は逃げられないと思い知らせるかのように肌へ食い込んでくる。
    「ねえ、ランガくん。思った事があるんだけど、言ってもいいかな」
     何をかは分からない。けれど自然と口からはいやだ、と言葉が漏れていた。それなのに愛抱夢は話すのを止めてくれない。
    「関わるって何を指すんだろう。滑る? 話す? それとも……」
    「ひ」
    「こうして君に触れることかな。どれだと思う?」
     湿らされた頬が空気に触れ、背筋を嫌な感覚が伝う。
    「ぜ、ぜんぶ、だと思う……」
    「そう。それじゃあきっと通話も駄目だね」
    「……え?」
     何を言われているのか、言いたいのか。分かってしまったかもしれない。頭がさあっと冷えていく。
    「それも伝えてあげなくちゃな。ランガくんは僕と通話した事を黙っていました、秘密にして君達と滑っていました、ってさあ」
     ひどく息がし辛い。
    「もしかしたら少し大袈裟に話してしまうかもしれないけど良いよね?」
    「……やめて」
    「ふふ。やだ」
     衣装の内側から愛抱夢はスマホを取りだすと何回か操作したのち顔を再びこちらへ向けた。それまでの時間自分は彼の片手を強引に跳ねのけ逃げる事も出来たのかもしれない。けれどしなかった。足を、手を、それ以外沢山の物を放り出して彼の言葉を待っていた。
    「封鎖を解いた。じきに此処へも人が来る。……で、どう?ランガくんは、そのお友達に何て言って欲しい?」
     暦は。自分を見つけたらまず、通話途中で居なくなるなって言って。でもそれから心配するなり、改めて話を聞くなりしてくれる。そして最後には笑って肩を叩いて。滑ろうと声を掛けてくれるだろう。
     何も知らなければ。
    「君を心配して駆けつけたのにその君はとっくに自分を裏切っていたのだと知ったなら。可哀そうな彼は君へどんな顔を見せるのだろうね」
    「……あ。ああ、あぁ……!」
     うずくまるのは許されなかった。意識なく暴れかけた身体はきつく抱きこまれ動きを封じられる。手だけが逃れただ一人地面を何度も擦ったがしかし、それさえ短い間だった。
    「こら。駄目だよ。まだ傷が治っていないだろう?」
     手のひらに付いた細かな砂利を払った愛抱夢が代わってこちらのスマホを握らせる。そして耳元で小さく囁いた。
    「今なら間に合うよ」
    「……ほんとう?」
    「ああ」
     愛抱夢は教えてくれた。どうしたら暦をこの場に近づかせないで済むか。自分が何と話せば暦は信じるのか。露呈しない情報の出し方。気づかせない誤魔化し方。嘘の付き方を。
     してはいけない事だと当たり前に分かった。けれどしてはいけない事ならもうこんなに自分は。だから、迷う事も。
     通話を切った自分の前から台本の記されたスマホが遠ざかる。よくできました。子供へ向けるような優しい響きだった。両肩に置かれた手から伝わる温度にざわりと身体が騒ぐ。それでももう離れることは出来ない。
    「これで僕達、共犯だね」
     選んでしまったのだ。この男を頼り、それ以外を裏切り続ける道を。
    「行こうか」
     手を引かれのろのろと立ち上がれば近くに車が停まっていた。いつの間に現れたのだろう。知らない車体に戸惑うこちらを、開かれた扉へ愛抱夢はいざなう。
    「もう数時間は帰らない方が良い。ご家族の許可は?」
    「あ……たぶん、言えば平気」
    「それなら後で。言い訳は一緒に考えよう」
     車内はよく冷えていた。心地好い筈のそれが今は無性に落ち着かずつい腕をさすった途端愛抱夢に引き寄せられる。腕の中は少しだけ温かい。思わず目を閉じた。すると唇にふにと感覚が。
    「……何するんだ」
    「え?」
     目を開き言えば愛抱夢は首を傾げ誘われているのかと思ったと告げ悪びれず再び顔を寄せてきた。唇を強く閉じるこちらへ焦らさないでと告げる声はころころと楽しげに弾む。転がるそれにあてられたかのように、気づけば口を開いていた。入ってくる物の熱さに脳がくらむ。これに乱される事は恐ろしく、しかし今はどこか望んでいる自分も居るような気がした。
     忘れてしまいそうだ。何を。おそらくはもう忘れていい事を。
     だったら、良いか。
     仮面の奥。細く弓描く赤い目が告げる。
     君は何も――。
     そうだろうか。分からなくて、分かりたくもなくて、逃げるように閉じた目の奥で何かが光りそして消えた。
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