恋人と三十秒ハグするだけで、一日のストレスが三分の一回復するそうだ。ストレス云々が本当かどうか、オレにはわからない。けれど、靖友と抱き合うのが気持ちいいのは知っている。
抱き合った時に伝わるぬくもりや安心感。何より言わなくても、訊かなくても気持ちが伝わるようで、ジワジワと幸せに包まれる。キスしたり、セックスするのも好きだけど、オレは靖友の優しい腕に抱きしめてもらうのが一番好きなのかもしれない。
おはよう、朝の挨拶を交わしながらいつものように寿一の隣に座る。返ってきた挨拶は二つだけで、不思議に思いながら向かいの席へ目をやった。そこに、いつもは先に座っているはずの人物の姿がない。
「靖友は?」
「今日はまだだ」
目玉焼きへ箸を伸ばしながら寿一が答えてくれた。寝起きのいい靖友がオレより遅いなんて珍しくて、もしかして具合でも悪いのかと心配になってしまう。部屋へ様子を見に行こうか、そう思い立ち上がろうとした後ろから声が聞こえてきた。
「はよー」
振り返るとまだ眠そうに、くぁ、とあくびした靖友が歩いてきて向かいへ座る。
「遅かったな」
「んー、昨日寝んの遅かったからなァ」
寿一の問いかけに返事して、靖友はまたひとつあくびした。ごしごしと目を擦る靖友にうっすらと隈が出来ていて、遅くまで勉強していたのだとわかる。
「あんまり根を詰め過ぎても逆効果だぞ」
「へーへー、わかってますゥ」
忠告する尽八をあしらうようにして、靖友はこっちを見た。
「どした?」
表情を緩め柔らかく尋ねてくる声に、胸がキュンとなる。今二人きりなら確実に抱きついていた。でもここは食堂で、周りにはたくさん人がいて、そんなこと出来ないってわかっている。なんとなく胸の奥がもやっとした気がするけれど、すぐに気のせいだと思い直し靖友へ笑いかけた。
「頑張った靖友にご褒美な。これやるよ」
「……そりゃ、どーも」
自分の皿から、靖友の皿へとウインナーを移す。それに靖友は怪訝そうに眉を寄せていて、何か変なことしたのかと首を傾げる。じっと窺うように見つめられ、ガジガシと頭を掻いてから靖友は小さく息を吐く。どうした? 尋ねる前にいただきます、そう言いなに食わぬ顔で靖友は朝飯を食べ始めていて、何も訊くことは出来なくなってしまった。
朝食後、一緒に部屋へ戻る最中も靖友はずっと無言だ。本当に何かしてしまったのかと、横目で様子を窺ってみるけれど表情からは全く読み取れない。いつもはくるくる表情を変えてわかりやすいのに、こういう時は一切顔に出さなくなるのが困りものだ。
まさかウインナーが余計だったのか、でも靖友ちゃんと食ってたよな。いらないなら、いらないってハッキリ言うはずだし……マジでなんなのかわからない。
「新開」
考えながら歩いていると、急に呼ばれ慌てて足を止める。横にいたはずの靖友がいなくて、振り返ると扉の前で立ち止まっていた。そこは靖友の部屋の前で、無言で手招きされる。怒ってたわけじゃないのかと、ほっとしながら近づくと手を握られ部屋の中へ連れられた。
「どうしたの?」
パタリと扉が閉まるのと同時に、こちらへ振り返った靖友を見つめてくる。けれど一向に返事はなくて戸惑い始めたところで、靖友はすっと両手を広げて柔らかく微笑んだ。
「新開、来いヨ」
「え、靖友?」
「いいから、はやく来いって」
頭の中は疑問でいっぱいだったけれど、一歩靖友へと踏み出す。すぐに触れあえるほど、近くに寄った体を靖友はふわりと包んでくれた。
「わりィ、最近あんまかまってやれなかったもんなァ」
抱きしめたまま靖友はそっと囁いて、頭を撫でてくれる。その優しい手つきに、やっと自分が寂しかったんだって理解できた。
「……うん」
靖友の肩に顔を埋め、ぎゅっと抱きしめ返すと耳元にふっと笑う音が響く。
「おまえ、ほんと変なとこで甘えんの下手だよなァ」
「靖友が甘やかすの上手すぎなんだって」
「なんだそれ?」
「でもさ、オレが甘えんのは靖友だけだぜ」
顔を上げ真っ黒な瞳を覗くと、すっと細められる。そして柔らかな口づけをして、もう一度キツく抱きしめてくれた。
「あたり前だろ! ほかのヤツに甘えられてもオレが困る」
その言葉にも、暖かな腕の中にいることも、嬉しくて足りなかったものが満たされていく。
自分でも気づいていなかったことを気づいてくれて、最高のタイミングで甘やかしてくれる。こんなことしてくれるのは靖友だけだ。
心の中のもやもやも、寂しさもこの腕に包まれたら全部ふっ飛ぶ。やっぱりオレは靖友に抱きしめてもらうのが一番好きで、安心出来る場所なんだ。