ベッドに腰掛け、いつの間にか日課となってしまったメールを送信する。毎日送っても筆無精なあいつからの返信は、ほとんどきたことがない。というか電話しても無視されることも多いし、もしかしたら読んでいないということもありうる。今度会った時には、その辺りも確認しないとダメだな。
本当、巻ちゃんには困ったもんだ。
腕組みしながらライバルの顔を思い浮かべたところに、控えめなノックの音が響いた。
「はい」
「尽八、入ってもいい?」
視線を扉へ向け返事すると、向こう側から小さく声をかけられる。
「どうぞ」
こんな時間に隼人がオレのところへ来るなんて珍しい。ゆっくり開く扉を見つめながら、そんなことを思う。
「どうした?」
現れた隼人の顔はいつも通り、片手にビニール袋を引っかけにっこり笑っている。
「んー、とくに用はねぇな」
「用もないのに来たのか」
笑みを浮かべたまま近づき、隼人はオレの目の前に持っていた袋を差し出してきた。
「なんか尽八と話したい気分でさ」
「これは?」
「おみやげ」
受け取った袋の中を覗いていると、隼人はベッドに座るオレの足元へ腰を下ろす。
「おすすめは新発売のあまおうトリュフな」
オレの持つ袋を漁り、隼人はそこから取り出した箱を見せてくる。いつもの調子で話す隼人に、オレは密かに胸を撫でおろしていた。いつも荒北と過ごしているだろう時間に、隼人がここへ来る時はだいたい相談か愚痴だからだ。もしかしたら、荒北とケンカでもしたのかと勘ぐってしまった。
荒北が絡んだ時の隼人は、基本面倒だ。怒っていても、落ちこんでいても、泣きそうになっていても……とにかくどのパターンでも面倒くさくてしかたない。それでも放っておけない自分がいて、結局いつも二人のごたごたに巻き込まれてしまう。
「この時間にそんな物食べたら太るぞ」
「このくらいへーきだって」
カサカサ音を立て箱を開けた隼人が、チョコを一粒摘み包装を解いていく。その小さなチョコをぱくりと食べ、隼人はもぐもぐ口を動かしている。
「ん、やっぱうまい! 尽八は食わねぇの?」
「オレはいい」
「こないだ靖友とも一緒に食ったんだけどさぁ、そん時にも二人でうまいって言ってたんだぜ」
荒北の名前を口にしたとたん、隼人の顔はふにゃりと綻ぶ。この表情を見るだけで、隼人がどれだけ荒北に惚れているのか伝わってくる。
「そうか、ならひとつだけ頂くとするか」
「うん」
隼人に倣い、チョコの包装を開け口の中へと放りこむ。イチゴの酸味とチョコの甘さ、そして中には予想外にもナッツが入っていた。確かにうまいが、カロリーも糖分もすごいことになっていそうだ。
「あれ、おいしくない?」
知らず渋い顔をしていたのか、隼人がわずかに首を傾げ尋ねてくる。
「いや、うまい。けどやはりこの時間に食べる物じゃないな」
「ん~、尽八は細かいな」
「おまえらが考えなさすぎなんだ」
「そんなことねぇよ! オレだって色々考えてる」
珍しく食い気味に返ってきた言葉に、驚きで一瞬だけオレは動きを止めた。
「あ、ごめん。べつにムカついたとかじゃないんだ」
ふっと逸らされた隼人の瞳が、少しだけゆらりと揺れる。これは、やはり荒北と何かあったのか? 黙って窺っていたら、ゆっくり戻ってきた隼人の瞳に戸惑いの色が浮かんでいた。
「荒北と何かあったか?」
なるべく穏やかな口調で尋ねると、隼人の視線はあちこち彷徨い始める。何度か口を開けては閉じてを繰り返し、意を決したように唇が動く。
「その、あのさ、尽八に訊くのも変なんだけど」
「かまわない言ってみろ」
「えっと、靖友ってさ、やきもち、とかやかないのかなって」
………………は? いまなんて言った。荒北が、やかない……えーと、餅をか? 確かに餅を焼いているところは見たことないな。餅なんて正月以外、食べる機会そうそうないものだ。正月はここは完全に閉まっているし、いや開いてたとしてもあいつは餅など焼かないだろう。うん、隼人が言いたいことはこういうことだな。それならわかる。けど、一応確認だけはしておかないと。
「隼人、念のためなんだか……荒北が餅を焼く話なんだよな」
「もち? えっとやきもちの話だけど、もちを焼くとも言うの?」
マジか……これは面倒くさいやつじゃないか。きょとんとしている隼人が、冗談で言っていないことはわかる。しかし何があったか知らないけど、どうしたらあいつが妬かないとか思えるのだろう。あいつほど独占欲の強いやつはいないというのに。
真実を伝えて、突っぱねてしまえるならかなり楽だ。しかし、こいつ相手にそれが通じないのもわかっている。まずは、話を聞くことから始めないとダメだろう。
「隼人はなんで荒北が妬かないと思ったんだ」
漏れそうになるため息を抑え尋ねると、隼人は小さな声で話し出す。
「昼にさ、靖友とウサ吉んとこ行こうとしたんだ。そしたら、知らない子に急に呼び止められて……」
「告白か」
オレほどではないが、隼人はモテる。告白されることも珍しくないし、いまさら驚くようなことでもない。案の定コクリと頷いた隼人が、さらに言葉を続けていく。
「そういうのって雰囲気でわかるだろ。そしたら靖友がオレの頭軽く小突いてさ……先行ってるって言い残してさっさと行っちまったんだ」
「隼人はそれが嫌だったのか?」
ふるふると首を横に振り、隼人は小さなため息をつく。
「その子の前で変な態度とれるわけねぇし、それはしょうがないと思ってる」
「なら何が気になったんだ」
「……その後も靖友、なんも変わんねぇんだよ」
「変わらないって何が?」
「全部……話すことも、態度も、全部いつも通りなんだ。告白のこと聞いてもこないんだぜ」
拗ねているのか唇を尖らせ始めた隼人に、少し笑ってしまいそうになった。なるほどな、自分だったら確実に妬いてしまう場面で、荒北の態度が変わらなかったことが面白くないのか。本人が気づいてないだけで、隼人も荒北に負けず劣らず独占欲が強い。
「それで隼人は荒北が妬いてくれないって思ったのか」
「だって、恋人が他のやつに告白されて気にならないやついるか?」
こいつは本当に何もわかっていないんだな。荒北がそこで妬かないのはただの慣れなのに、あとは隼人が他には靡かないっていう自信だ。
「隼人は荒北に嫉妬してほしかったのか?」
「え?」
質問の意図がわからないのか、隼人は不思議そうにこちらを見つめている。
「だから、嫉妬してほしかったんだろ」
もう一度同じ言葉を繰り返すと、隼人は何か考えるように視線を上に向けた。腕組みし頭を捻る隼人を黙って見ていると、何かに気づいたようにはっとする。次にはほのかに頬を染め、顔をうつむかせた。
――この一連の流れ、荒北なら堪らないだろうな。
いつもあいつが喚くあざといってやつだ。あいにくオレは隼人に対して友人以上の感情は持ち合わせていないので、トキメキも何もないが。
「あー、その、……なんていうか」
「妬いてほしかったんだな。そして愛されてる実感がほしかったと」
ボンッと音が出そうなくらい真っ赤な顔になった隼人が、口をパクパクと動かしている。変なところで初心だよなこいつ。ふぅと息を漏らし、オレは携帯を手に持った。素早く文字を打ち込み、メールを一通送る。そして隼人に向き直り、ふっと口角を上げた。
「あいつに嫉妬させるなんて簡単だぞ」
「はい?」
「隼人、いまからオレがすることで嫌なことあったら言えよ」
事態がのみ込めないのか、ポカンと口を開ける隼人に手を伸ばし優しく頭を撫でる。そのまま顔を近づけ軽く額を合わせた。
「尽八?」
目の前に見える隼人の顔に、戸惑いは見えるが嫌そうではない。ならばこれはどうだと、そっと隼人の背中へ手を回し抱きしめた。
「えっと、尽八どうしたの?」
抵抗することなく、されるがままの隼人に苦笑いが浮かんだ。確かにこれじゃ苦労するな、渋い顔した荒北を思い浮かべ少しだけ同情してしまう。
「なぁ、隼人。いまのオレ達を荒北が見たらどうすると思う?」
「は? いや、どうもしないだろ」
「そうか?」
「仲いいなーって思うだけじゃねぇの」
「オレはそうは思わないぞ」
静かに答えたオレの声をかき消すように、ドタドタと大きな足音が廊下に響く。近づくそれを聞きながら、やっと来たかと内心ため息をついた。
「東堂ォ! 新開がどうしたって、んだ、ヨ」
勢い込んで扉を開けた荒北は、抱き合うオレたちを見て動きを止めた。驚いたように見開いた目が、次にはスッと細くなり眉間にはシワが寄っていく。同時に伸びてきた手がオレから隼人を引き剥がし、自分の腕の中に閉じ込めてしまった。
「おい、どーいうことだ。説明しろ」
「え、靖友?」
一人だけ状況をまったく理解できていない隼人が、気の抜けた声で荒北を呼んでも荒北の手は緩むことはない。それどころか鋭くこちらを睨む荒北は、不機嫌を通り越してあと少しでキレてしまいそうだ。
そりゃ恋人が大変だとメールで呼ばれ、急いで来てみたらこれだもんな。警戒心むき出しで恋人を守ろうとする、荒北の判断は正しい。しかしオレもいまさらこいつに睨まれるくらい、どうってことないんだがな。
「どうもこうもないだろ」
「あァッ!」
「ただ隼人に教えていただけだ」
「抱きしめながら教えることなんざ、てめェにはねーヨ!」
「なんだ、オレが隼人を抱きしめたらダメなのか?」
「たりめェだろ、こいつはオレんだ! てめェが勝手に触んな!」
荒北の腕の中で、呆然とオレ達のやり取りを見ていた隼人の顔がどんどん赤く染まっていく。これが荒北の嫉妬からくる言動だと、ようやくわかったらしい。
「やすとも」
「んだヨ」
怒りを滲ませ返事する荒北に、今度は隼人から首に手を回し抱きついた。なぜ急に抱きつかれたのか、わけなどわかっていないだろうに荒北はちゃんと抱きしめ返している。
「靖友、好きだ!」
「はぁ? 急になに言ってんのォ」
へにゃへにゃと嬉しそうに笑う隼人と、戸惑いながらもどこか嬉しそうな荒北。そんな二人を見ながら、オレは盛大にため息をつく。今回も見事にこいつらの痴話喧嘩……今回はケンカじゃないか。とにかく、巻き込まれたことだけは事実だ。それでも、こいつらが幸せそうならそれでもいいかと思ってしまうオレはどこまでも甘いな。
しかし、ここはオレの部屋だ。イチャつくなら他へ行け、そう言葉にすることくらいは許されるだろう。よし、キスしだす前に言おう! 心に決め口を開いたのは言うまでもないことだな。