エスプレッソが冷えた時アップルパイも冷えていた「お前老けたな」
そう言う先生の方がボクよりだいぶお年を召しているわけだけど。
齢70になろうとしている先生は、それでもとてもセクシーだ。
黒髪よりも白髪の方が増えた髪を一つにまとめて結い、いく筋かのほつれたおくれ毛がとても色気があり、少し色の入ったシニアグラスはまるでお洒落の為に誂えたようにとても似合っている。
体型だって美意識の高い先生は若い頃と変わらぬスタイルを保ち続けている。
本日は少し着崩したジャケットにスキニーなジーンズを履きこなして、60歳目前のボクよりもよっぽど若々しく周囲の視線を集めていた。
ボクはと言えば最近は加齢もあって出歩くのが億劫になり、若干脇腹の肉が気になりつつあるわけだが。
先生は、そんな出歩くのが億劫と言うこともなく…そのお歳とは思えない位に、今もアクティブでボクを連れては外出を楽しんでいる。
今日も今日とて「カフェでデート」という名目でこのオープンテラスのある老舗のカフェで過ごしている。
「先生がお若いんですよ」
「そんなことは無いだろう、髪は白髪がほとんどで手はしわくちゃのジジィだぞ」
嬉しそうに先生はテーブルの上に自分の手を乗せて、その皺の増えた手を見せてくる。お前はまだまだ年季が足りないと、ボクの手を握って愛おしそうに撫でた。
互いの左手の薬指にはそろいの指輪が光っている。
ここは日本ではないので、ジジィ同志のゲイカップルでもそうそう変な目で見られることはないのが有難い。
「ジジィの坊やがこんなに愛しいなんてな」
「…同感です。先生の皺だらけの手に触れてもらえる日がくるなんて」
ボクらには昔々の記憶があって、それはこの世界とは違う世界で、種族が違って寿命が違って、それでも互いに惹かれて…そしてボクは先生のお歳を召した姿を見ることはなく先生を残して死んでしまい、先生はその後長い人生を一人で歩まれた…らしい。
先に死んでしまったボクには本当のところは分からない。
でも先生が嘘をつくとも思えないし。
だからボクは先生のお歳を召した姿を今初めて目にしているし、先生も初めてボクと同じ時間の流れの中を同じように生きている。
同じ時を過ごした分だけ、同じように加齢し老け、どちらが先に死んでも、時を待たずに同じように生涯を終えられる人生を二人で歩んでいる。
「坊や、出来るだけ長生きしてくれよ」
「先生こそ長生きしてもらわないと嫌ですよ?最近またお酒が増えてませんか?」
「年寄りの楽しみを奪う気か?」
楽しそうに笑う先生の目尻の皺が深くなる。
「…あまり早くおいて逝かれたらボク寂しくて早く死んじゃいそうです」
ボクは貴方ほど強くはないのだから。
「出来ればボクより長生きしてくださいよ」
そう言ってしまった。
言ってしまってから、しまったと思ったが後の祭りだ。
バツが悪くて先生の顔を見れずにいたら、握ったままだったボクの、その手を先生は口元に運び口づけた。
思わず顔を上げると、両手でボクの左手を包み込むようにして握り込む。
その姿はまるでドラマや映画のように様になっている先生の仕草に周りの人がチラチラとこちらを見ているような気がして、思わず手を引こうしたけど
「俺は坊やに看取られて死ぬのが今から楽しみなんだ」
その言葉に固まった。
「だけど寂しい思いをさせたい訳じゃないからな…出来るだけ長く一緒に生きてやるとするさ。」
また先に死んでほしいと言ったも同然なのに、そんな事をいってくれる。
その言葉の裏にある、長く一人で生きた記憶のある先生の気持ちが痛いほど伝わってくる。どこまでも弟子に甘い優しい人だ。
「お前こそ、あんまり早くにくたばるなよ?」
最近、血糖値が高いらしいじゃないか?甘い物の食いすぎなんじゃないか?
言葉の外で、最近出てきた腹の肉を指摘されたとは分ってはいる。
分ってはいるが。
「ここのカフェのアップルパイは名物なんですよね…」
ボクの名残り惜しそうな言い訳に先生が声を上げて笑っていた。
アイスクリームの添えられたアツアツのアップルパイの香りと先生のエスプレッソの香り、そんな僕らの間に流れる愛おしい時間と幸せを噛みしめている。
ともに歳を重ねらる幸せを感じている。
なお後日、互いに酒量と甘いものを少々減らそうという事になった。
死ぬことは怖くはない。
が、出来るだけ長く一緒に居たいからね。