精神的主高な高主を捻出したい 常ならば、任意の時分に目を覚ますことが出来る。あるいは、害意を静穏に包んだ足音一つでも身体が反応する。
そんな『刀』が、雀の囀りを聞くまで起きずに寝入るのは、宿で睦言を交わした時だけだ。
「……」
屡叩きの先、差し込む薄日が、穏やかに寝息を立てる高杉の頬に当たる。病の影響で以前より痩せはしたが血色は良く、毎度それに安堵している。 気怠さの残る身体を静かに起こし、喉の渇きを自覚した。身体を捻り、枕元の先の福梅盆に用意された鉄瓶を目指し、膝を滑らせる。
間もなく手が届く―
「っ」
というところで、襟肩明きが、くんと後ろに強く引かれる。浴衣の造りから息苦しさは無いものの、完全に油断していた身体は簡単に転がった。
「う」
軽い衝撃で強制的に吐き出た息ごと捉えるように身体が包まれる。腕ではなく脚も回され、これ以上無いほどにしっかりと抑え込まれていた。
「どこ行くつもりだ」
「……」
小言を言おうと吸った空気が、何も紡げずに滞る。その間に、高杉は『刀』の肩口に顔を埋めていた。
「…どこも、なにも」
乾いた喉に唾を通した。
「白湯を飲もうとしただけだ」
「……」
返答を聞き何事か考えたのち、拘束する力が強まった。
「ははっ、声掠れてんな、あんた」
「…誰のせいだと思っている」
「俺だな」
「わかっているなら、放してくれ」
「はいはい」
軽い口調で答え解放される。圧迫されていた名残りを抱きつつ、『刀』はようやく鉄瓶の元に辿り着いた。 二人分の湯飲みに注ぎながら不可思議な行動を取った情人を盗み見る。いつの間にか背を向けていた。
その姿から、時折発揮する子供じみたちょっかいではないと確信した。その場ですぐには聞かず『刀』は湯飲みの片方を差し出してから
「夢見でも悪かったのか」
と問うた。白湯を受け取る手が一瞬止まる。その後すぐに飲み干した。
「……最悪だった。あんたとの逢引きが過ぎた贅で、その罰だとしても、釣り合わん」
「……」
男の大きな手から器を抜き取り、『刀』も自身の湯飲みを傾け、咽頭に流した。 音を立てないようにそれらを置いてから、そっと肩に身を預けた。
「…話して楽になるなら話せば良い。話したくないなら、もう何口か白湯を飲んで、休め、私もそうする。私は、どちらでも構わない」
「……あんたの気分を害するかもしれんぞ」
「構わない」
念を押して言うと、苦笑したのが音でわかった。寄りかかってきた『刀』の腰に手を回し、軽く撫でさする。
「……戦場に向かうあんたの背を見送ってから、待てど暮らせどあんたが帰ってこない。便りの一つもない」
男はぽつぽつと語り始めた。天井を見上げる視線は、しかしそれ以外を写しているようだった。
「あらゆる手を尽くして、方々探し回って」
語りが続くにつれて、回された腕に力が入る。
「ようやく見つけたのが、血まみれになった、あんたにやった翡翠の賽一つ」
「それは……」
決して聞いたことを後悔したわけではない、と伝わるように『刀』は普段より慎重に言葉を選んだ。
「縁起は、良くない夢だな」
「まったくだ」
―よりにもよって、まもなくあんたが田原坂に向かう、その出立前の最後の逢瀬という時に
西郷が起こそうとしている戦争で、もっとも激戦が予想される地。そこに、高杉を含めた新政府軍は『刀』の出征を依頼した。
個人的な感情で言えば、当然是が非でも反対したかった。しかし、政の視点からすれば『刀』は未だ最前線の戦力として頼みにすべき存在だったのだ。 何より『刀』が請け負うと返答した以上、口を挟めるわけもない。
「高杉」
「……ん?」
続ける前に『刀』は意識的に大きく息を吸い、腰を摩る高杉の手に自身のそれを重ねた。
「…会津、庄内、函館から、私は帰ってきて、ここに居る。だから今度も、戻る」
相変わらず宥め方は不器用だった。その不変の部分が、今は康寧を呼ぶ一助となった。
「…当たり前だ、正夢にでもしてみろ。地獄の果てまで追いかけてぶん殴ってやる」
軽く笑いながら放った声音は『刀』が良く知るそれだった。無意識に口角が緩む。
「斬るのではなく、殴るのか」
「その方が俺がどれだけ腹を立てているか伝わるからな」
「それは、御免を蒙りたいな」
茶化しているのか、真に言っているのか判別がつかない抑揚に高杉はまた一つ笑い、『刀』を見た。
「なら、帰ってこい。…必ずだ、いいな?」
「あぁ」
「……」
―誰も知り得ぬ籠を拵え とってしまうか 風切羽根
「どうした」
「…いや、急に一節思い浮かんでな。…だが、あんたには聞かせてやらん」
「な、なんだそれは」
「はは」
珍しく不服を露わにする『刀』の頬に指を滑らせる。その瞳に微かに見えた潤いの艶の源泉を探られる前に、高杉は口を吸った。