比翼高主「よお、やっと捕まえたぜ」
長屋の戸を開けた瞬間、腕を組み立ち塞がる高杉の姿。斜め立ちして笑う男の額には、絵に描いたかのようなはっきりとした青筋。
思い当たる節しかない『刀』は咄嗟に閉めようとするも、 やや行儀悪く足を割り込まれ、差し入れられた手で強引に開かれするりと侵入されてしまう。器用に後ろ手で戸を閉め、そのまま心張り棒を宛がわれた。
半歩下がるが、それ以上は許さないと言わんばかりに、腕を強く掴まれる。
「この七日間、随分見事に逃げ回ってくれたなぁ?」
「……なぜ、この刻限に私が外出すると」
「山縣がわざわざ教えてくれたんだよ。あんたがなんらかの依頼を受けて、一度長屋に戻ってから出かけるってな」
笑みを浮かべながらもずんずんと迫られ、元から狭い三和土の柱に背がつくまで寸刻だった。
「あちこち飛び回っているのはいいさ、自在不羈でこそのあんただからな。問題はそこじゃない。……てのは、あんた自身がわかってるよな」
「……あぁ」
「よりにもよって逢引きの翌朝に姿を晦ますとは。加えて」
『刀』の前髪を手の平で掻き上げる。露わになった額に、赤く擦れた傷が目に留まる。
「この怪我は?どこで、誰にやられた。黙って俺から遁走しなけりゃならんほどの事情があったんだろ」
「これは、その…」
宛がわれた手と男の視線から逃れるように顔を逸らすも、下顎を捕らわれ叶わない。
「お……」
「『お』?」
「……お前の、髭が、擦れて出来た」
「……」
一寸の間。無言の無音を遮るかのように、庭で猫が一鳴きした。
「は、…ちょっと待て、なんだ、俺の……?」
止まった思考が少しずつ動き出す。顔を掴んでいた手を離し、そのまま自身の額を覆った。
「あの日か?…悪い、まったく覚えがねぇ」
「あぁ…こ、行為の最中でなく、その後寝ている間に」
―つまり少なくとも傷なるほどに強く抱きすくめていた、と、しかも無意識に。
意図的に、自ら勧んですることには何もためらいはないが、夢路を辿りながらもそうしてしまうのは、話しが違う。
一定の執着は愛情の内ではあるが、子供じみたそれは羞恥を呼ぶ。
「……それで、どうして姿を消すことに繋がるんだ」
悪あがきのような追及である自覚はあった。
「…気恥ずかしくなった。……それに、お前が変に気にしてしまうんじゃないかと、これはただの言い訳だが…。 それで、せめて赤味が引いて目立たなくなるまで、時間を空けようと思ったんだ」
「……」
独特が過ぎる感性に思わず溜め息を漏らしそうになる。ぐっと堪えて飲み込むも、顔を合わせられなかった。
「山縣には会っていたのにか」
「あ、あれは、まったくの偶然だ。廃寺を塒にしている破落戸退治の依頼を受けて向かった先で、同じ目的だった伊藤と山縣に会ったんだ。 始末している最中に、額の痕が視界に入ったようで手傷を負ったのかと聞かれた」
「で、あんたはなんて答えたんだ」
「猫に、引っかかれたと。山縣には『修練が足りん』と言われたが、納得していると思う」
「伊藤は」
情景を思い出しているのか、少し間が空いた。
「…『や、やんちゃな猫っすね』と、いかんとも表現しがたい顔で」
「あの野郎あとで締める」
「ど、どういう意図で言ったのかわからないから、やめてやってくれ…」