【花怜】雪花の情「……ああ、寒いと思ったら道理で」
菩薺観の扉を開けそう呟くと、白い息が上って灰白色の空にふわりと溶けた。
上空からはいつから降り始めたのか、ちらちらと花びらめいた雪が落ちてきている。
大地もうっすらと白色に覆われ始めているから、恐らくこれは積もるだろう。
「もう雪の季節か。今年の初雪かな? ずっと中の掃除をしていたから気付かなかったなあ」
底冷えする寒さが衣の裾から入り込み、思わずぶるりと体が震える。
今夜の食事は温かいものにしよう――そんなことを考えながら三郎の姿を探す。
「あれ? さっき外に行った気がしたのだけれど……どこに行ったんだろう」
自分を置いてどこかに行くとも思えないが、少しずつ雪の勢いも強くなる中で姿が見えないのは心配だ。
探しに行こうとそのまま外に出ようとしたが、ふと以前三郎に言われたことを思い出して足を止める。
“哥哥、寒いときに外に行く場合は必ず外套を着てね。絶対ですよ”
いつだったかひどく冷え込んだとき、いつものように軽装で外に出ようとしたら真剣な表情でそう言われたのだ。
(そうだった。ちゃんと着ておかないとまた三郎に心配をかけてしまう)
そうして改めて外套をまとい一歩外へ踏み出したところで、探していた人がこちらに戻ってくるのが見えた。その両手は重そうな桶で埋まっている。
「三郎!」
「哥哥。どうしたの? 外は寒いよ、そこにいて」
三郎は駆け寄ろうとしたこちらを優しい声音で止めて微笑む。
けれどそう言う彼の方はといえば雪の中だというのに外套も羽織らず薄着で、片側で結ばれた艶やかな髪にもいくらか雪が乗っている。
「それはこちらの言うことだよ。どこに行っていたの?」
「ああ、水瓶に水が少なくなってきたから足しておこうと思って。雪がひどくなったら汲みに行くのも大変でしょう」
「それなら私も一緒に行ったのに。すまない、重かっただろう」
「このくらい何てことないよ。それに哥哥は掃除をしてくれていたし。こんな寒い中外に出て、哥哥が風邪を引いてしまったら大変だから。……ああ、でもよかった、ちゃんと外套は着てくれたんだ」
「以前君に言われたからね。でも、それなら三郎だってちゃんと温かくしてくれ。こんな気温のときにそんな薄着で……随分冷えてしまったんじゃないか?」
両手を伸ばし、近寄ってきた三郎の頬を包み込むようにして触れる。
途端彼の体がびくりと跳ね、少し困ったような瞳がこちらを向いた。
「ほらやっぱり、こんなに冷たい」
「だめだよ哥哥、哥哥の手が冷えてしまう」
「私は平気だよ。君の方が心配だ」
「でも……」
三郎の両手は水をいっぱいに湛えた水桶で埋まってしまっているから、頬に触れているこちらの手を外すことができない。
彼はますます困った様子で眉根を下げたが、手を離すことはしなかった。
「僕は大丈夫、この体は冷えたって平気だよ。哥哥も知っているでしょう?」
鬼だから――言外にそう含ませて三郎が微笑む。
けれどその笑顔はどこか寂しく見えて、触れたままの手で軽く彼の柔らかい頬を押す。
「それでも、私が嫌なんだ。……そうだな、じゃあ言い方を変えよう」
「え?」
「君がちゃんと温かくしていないと私に心配をかけてしまうよ。それでもいいの?」
「……それは困る」
「でしょう? なら大人しく言うことを聞きなさい。年上の言うことは聞くものだよ」
わざと眉を怒らせてたしなめるように言うと、三郎は二、三度目を瞬かせた後ふわりと瞳を細めた。
舞い落ちる雪すら溶かしてしまいそうな、春のような温かい微笑みだ。
「はい、哥哥。分かった、いい子にします」
「よし。じゃあまずその桶の片方を私に貸しなさい。それから中に入ってお湯を沸かそう。沸いたら一緒にお茶を飲むんだ。いいね?」
「うん。お茶菓子も作ろうか?」
「うーん……いや、今はいい。そのかわり、お湯が沸くまで私のすぐ傍で一緒にいること。二人でくっついていればきっと雪が深くなっても温かいからね」
「……じゃあ、このままもっと雪が強くなったらいいな。そうしたらここに信徒は訪ねてはこないし、誰にも邪魔されず哥哥と一緒にくっついていられるでしょう」
ふと、愛らしく従順な少年の顔の中に艶めいた別の姿の微笑みが乗る。
思いがけない返答にわずかに頬が熱くなるのを感じたが、視線は逸らさずじっと彼を見返す。
「……こら、三郎。いい子にするってさっき言わなかったかい?」
「言いましたよ。だからちゃんと哥哥の言うことも聞きます。……ねえ哥哥、三郎はいい子でしょう?」
少年の顔でするには甘すぎる微笑みを浮かべ、聞き心地のよい声がそう囁く。
負けた――なんとなく敗北感を覚えたが、嫌な気分ではない。
「……とりあえず、中に入ろう。ここは寒いよ」
「はい、哥哥」
もう片方の桶を受け取り、空いた方の手をつないで道観の中に入る。
降り続ける雪は地面に残っていた三郎の足跡も覆い隠し、まだまだ降り止む気配はなかった。