展示② Moodに合わせて
かつかつと、硬い石の上で踵が鳴る。歩行している足音に続くように影は追いかけ、程よく湿った土の上に靴跡が点点と。日がよく当たる土の上では雑草が生えているが、手入れが行き届いている道には殆どなく。それも数日経てば雑草だらけだ。
用があるのはこの先の木に陰る薄暗い森の中。森の入り口から数メートルはよく人が通るため、土が剥き出しだ。道に沿うのではなく、茂みと茂みの隙間を見つけてはすり抜けた。制服に着いた葉っぱは払い落とし、道から逸れた先を進む。人が来ない場所ではないが、表と比べれば一目瞭然。湿った土においと、生い茂った緑のにおいにすんと鼻を鳴らした。
木の枝に巻き付かせて垂らしているかのような、まるで縄のような房付きの尻尾に腕を組む。スタンドライトのように引っ張ってやろうかと睨んだ。
「よお」
頭上から声がかかり、見上げれば木に登っているレオナが見下ろしていた。バランスを崩さず脚まで組んでいる。
「起きてらしたんですか」
「お前の匂いは目立つ」
「残念。眠っていたのなら垂れ下がった尻尾を引っ張り落としてやろうと思ったのに」
訪れたアズールのにおいは爽やかなコロンを振りかけている。魔力を嗅ぎ分けることができるレオナだ、コロンよりも近づいてくる魔力に気づいたのかも。
一歩後ろへ退き、飛び降りたレオナはアズールがいた位置に着地する。強靭な脚力ならある程度の高さをもっても、衝撃を和らげるために膝を曲げて難なく着地することができる。よく飛び降りれるな、と獣人の肉体がいかに丈夫か窺い知る。
「またこのようなところで一人で……。サボりですか?」
「昼寝だ」
それをサボりというのだ。言い方を変えたところで意味は同じであるとため息をこぼして呆れもする。
立ち上がった彼の顔は自分の目線より高い。深みある焦げ茶色の前髪を後ろへ流し、下目の緑は空を見つめる。顎を引かずに見るからいつどうみても見下ろしていた。それが彼の佇まいであり、態度の悪い生徒だと指摘されるが彼は王子である。ついでに留年を繰り返しているが、こんな彼でも王子である。
それはさておき。
くんと鼻を鳴らして鼻先が近づく。ぶつかることなくすんすんと嗅いでいるレオナは正面から徐除にずれていき、肩口にたどり着いては鼻先を埋めて擦り寄ってくる。頭を押し付けるように頭突きする猫みたいだ。
「本当に猫みたいだ。ライオンではなく、猫と名乗ってみては?」
「猫みたいなライオンに惚れている男はどいつだ?」
「さあ、そのようなお方がいたでしょうか。キスが大好きなライオンさんなら知っておりますよ」
頭横にあるふわふわの鬣に擦り寄れば、グゥゥ、と不満げな唸りにくすくすと笑いが。
彼の髪はダークブラウンに寄った黒髪だが、夕日に差されると燃えるような夕陽色になるのだ。それもサヴァナの太陽に限る。今はまだ燃える太陽は沈んでいないため見ることは叶わないが、このまま過ごしていれば見られるかもしれない。
肩に伏せていた顔が上がり、こつんと額を合わせるとレンズ越しに見える緑色はなんだか熱がこもっていて、ぶつかる吐息も熱い。
このままなら、キスをする。
初めは悪戯するみたいに吐息ごと唇を吸って、甘味に満足するどころか空腹となり、お腹を空かせたライオンは余裕も無くなって蕩けるまで食らいつくのだ、この唇を。
腹の底でずぅんと重くなりかねないキスだが、余裕のなくなる男が夢中になって食らいついてくるのは眼前で見れるアズールだけだから、キスは好きだ。
けれど、あれ、おかしいな……。
「……?」
一向に重ならない唇に、「しないのですか?」とゆるりと傾げる。返ってくる言葉もないが、撓うサマーグリーンは何を求めているのか。揶揄いではない、愉快と嗜虐性に満ちたサマーグリーンはもっと濃い色して笑ってくる。キスしたいのはレオナも同じだろうに、何を期待しているのやら―――期待?
「……!」
腰に這う感触に肩が弾んだ。目には見えない後ろに回っている手が湾曲した腰を撫でている。スラックスを留めるベルトより下へ降りないのは褒めよう。臀部を這うのなら「すけべ」とその尊顔を引っ叩くのに。服越しとはいえ、この感触は未だ慣れずにいる。
「……わざとですか?」
「さあ?」
「さあ、て……」
なら、これはどう説明するのだ? 太ももに蛇みたいに巻き付いている尻尾は。足元を見下ろさずとも這う感触はわかっているのだ。言葉で示さず伝えてくる男にわざとらしくため息をこぼした。
期待の色を滲ませているサマーグリーンから視線を合わせられない気分で目を逸らし、ほんのり染まる頬。いつもはレオナからのキスなのだ。キスしたくなったら向き合って重ねてくるし、それも突然だし、「おい、タコ」と呼びながら不機嫌そうな顔して頭を掴んで強引なキスもある。甘い声して「アズール」と呼んで甘噛みすることもあるし、お腹を空かせた顔をしていたら刺激的なキスと肉厚な舌で腰が砕ける。
ここで「あ」とコーラル色の唇を開ければ、エキゾチックな艶やかな唇が重なるだろう。
それもなんだか癪だな、と行き着いた一考に口を『ム』とさせながら、とても近い距離にある頬に触れる。
呼吸を整え、自然と視界の幕が閉じる。お互いに瞼越しの暗闇で―――ぱち、と目を開けてはキスを待つ男の唇ではなく、頭を傾けて甘い色した頬を吸った。
「は?」
予期せぬ出来事に間抜けな声ににやり。仕返しだこの猫野郎。
「唇だと思いました? ああ、その顔面白いですね。写真に撮りたいくらいです」
スマホはポケットの中で、体をくっつけていては取り出すことも叶わず、残念だ。それでも眼前で見れた拍子抜けた顔が見れたため満足だ。悪戯成功したようににやにや笑ってやれば、その後に迫り来る唇によって翻弄される。
「グルルル……ムードがねえな」
「そうですか? 柔らかくてお好きですけどね、頬」
腰を抱かれ手近な木に背を押し付けられる。逃げ場を塞ぐように密着する男は予想よりも強情だった。これでは腰が砕けてしまうかな、そうなってしまった時に備えてレオナに伝える文句の一つや二つ考えておかなければ。
逃げ場がない状況、迫るギラギラの双眸にぎゅっと目を瞑る。吐息が口元に吹きかかり、強引に開かれば口腔内を知り尽くした熱い舌に擽られる……ことはなく、代わりに額に伝わるふにふにの感触とリップ音。口と目のどちらが開くのが早かったか。
「仕返しだ、タコ」
味わい尽くしていない唇を舌舐めずり、むしろこれからいただくところでにんまり顔だ。
しかし、額を押さえてぽけんと口を開けているアズールに少し怪訝そうに眇める。じわじわ、ふつふつ、すっかり赤くなってしまった顔で「……思ったより、優しい感触だったもので」と不意を突かれたことで小さく縮こまる恋人に、してやられた。
このままでは終われない。今すぐにかぶりつきたい、キスしたい、好物を残さず食べたがっている理性と葛藤中のレオナの項と頭部に触れて引き寄せる。近い距離にあるから少し引き寄せるだけで額が重なった。重なったのは額だけではなく、わずかに掠れる程度であるが鼻と鼻ですりすりと撫ぜる。
彼はこっちのキスの方が好きだ。ムードに合わせて―――今はしたいようにキスをしているだけでムードの欠片もないが、ぱかりと開けた口と口が重なると鼻から抜ける甘い声と、背中がびりびりと痺れが走った。
◇ ◇ ◇