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    shichihachi

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    shichihachi

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    ぎゆしの版創作お題様@GYSNsousaku
    第33回お題「苺」をぎいしので書かせていただきました。

    いつまでいじっていても誤字達治脱線その他なくならないので、えいやっと上げてしまいます~
    いろいろとご容赦下さい。



     苺色の月の輝く、甘い匂いのする夜だった。


     冨岡義一はとにかくモテる。
     小学校内外で待ち伏せをされての「好きです」に「ごめんなさい」は日常茶飯事、親友たちと通うスイミングスクールでは上下級生に保護者にコーチにと全方位からお気に入りにされ、上半身を脱いでいるからちょっと困ることもあり、その他にもあれやらこれやらどこでもいつでも、年齢性別職業既知未知に見境のないオールラウンダーは、成長につれて重たくなっていく、他人から一方的に向けられる感情から逃げ回っている。
    「義一はさ、ダダもれなんだよね」
     というのが、ちょっと不思議なことを時々口にする真菰の見立てである。
    「本来なら開いていないはずのところが全開になってる、っていうか」
    「義一の『光』はすごく綺麗な青だから、訳も判らず惹きつけられちゃうんだろうな。閉められるといいんだが」
     錆兎にまで困ったように同意されると、義一だって困ってしまう。
    「義一は、誰かを探してるんじゃないかな」
     真菰が義一の顔を覗き込みながら、その更に奥を透かし見る。
    「探す? ……誰を」
    「義一と初めて会った時だけね、目が真っ青に見えたんだ」
    「なんでだろ。ご先祖に外人がいたとか、聞いたこともないよ」
    「誰かになら判る目印なのかも。『ここにいるよ』って、気づいてもらうために義一の『青』を全開にしてる、ような気がする」

    ◇ ◇ ◇

     その日も、スイミングスクールで、顔も名前も朧気な、年上年下混在の女子グループに「クッキーを焼いたの、一緒に食べよう?」と取り囲まれて断って謝って走って逃げて、……辿り着いた誰もいないバス停のベンチに、ぐったりと座り込んでいた。
     青い光、なんて言われてインターネットで検索したら、青い光の画像は確かにあったが、ちぇれんこふ放射とかいう、なんだろこれ、……えええええ。
     はあ。義一は嘆息する。誰かを探してるとか、目が青いとか、真菰のやつ、漫画とかラノベの読みすぎじゃないのかな。
     勇者の錆兎、特級魔術師の真菰と比べたら、自分なんぞ台詞なしのモブ役だ。そんな特殊設定を持っているはずがないのに。
    「もしもし」
     判ってる。錆兎と真菰、本当はさ。なのに二人はいつも俺と一緒にいてくれて、相手も傷付かないように俺を守ってくれる。自分でなんとかしなくちゃいけないのに、今日だって逃げるだけで。未熟でごめん。
    「もしもし」
     鼻の奥がつんとして、ぐ、と息を詰めた時だった。
     甘い。
     甘い甘いにおい。
     あまいあまいあまいあまい。
    「大丈夫ですか?」
     柔らかくて甘いその声は、匂いと共に、頭の芯にじゅぷりと沁み込んできた。
     甘くて甘くて切なくて。くらり、世界が揺れる。
    「ふぇ?」
     驚いて見上げれば、紅い月と濃紺の夜空が混じり合う、淡い藤色の澄んだ光に輪郭をぼやかす少女が居た。義一はまん丸に目を見開く。それからまばたき。ぱちぱち。星が散る。
     可愛い、綺麗、美人、言葉に当てはめると凡庸に沈み、それ自体が極められた調和の証でもあった。理想の女の子なんて考えたこともなく、正直、苦手のきらいがあるのに、あ、このひとだ、と見定めている。
     しばし至近距離で見詰め合っていた気がする。我に返り、はっと逸らした目尻がしめっていた。咄嗟にフーディーの袖口でぐいと拭おうとするのを、白くなめらかな手がするりと上がるだけで押し留められ、そっとハンカチを押し当てられた。
    「Can I help you」
    「え? えっと、あの?」
     英語。なんで?
    「あら」
     ハンカチを回収しながら少女が小首を傾げた。
    「ごめんなさい、瞳が青く視えたので」
    「……あお」
     ほら見ろほら見ろ! 頭の中で真菰サンが勝ち誇り始めた。
    「坊や、そろそろおうちに帰った方が宜しいお時間ですよ。それとも、迷子ですか?」
     坊や。耳慣れない呼ばれ方に面食らう。
     義一も知っている名門女子学園の制服。女子大付属の中等部と高等部があるはずで、恐らく中学生であろう、華奢な少女。
    「どうかなさいましたか?」
     呆けたように自分を見上げるべそかき少年に、美少女が柔らかく微笑みかける。蜂蜜みたいなとろとろの笑み。やばい、自分が蜂蜜をたっぷりとかけられたホットケーキになって、美味しく召し上がられてしまいそう。
    「あ、えっと、つ、月が」
    「月」
    「まんまるで、ピンク、なので、……」
    「ああ、――」
     少女が月を追う身動ぎだけで甘い匂いが広がって、包まれていく。
    「今日は月が綺麗ですね」
    「――」
     ぞくん、と。
     背筋が薄ら寒いのに、腹の奥がじくじくと熱く震える。なんだろう。裡に在る何かが暴れだしそうな。
    「あれは、ストロベリー・ムーンというそうです」
    「すとろべりぃ」
    「苺の収穫月の満月だけが持つ名前。なるほど、確かに苺色」
    「じゃあ、この、すごく甘いのも、月の匂いかな」
    「月の匂い。素敵ですね」
     楽しげに、学園指定のバッグの中からラッピングを取り出した。
    「もしかすると、甘い匂い、これかも」
     ラベンダー色のリボンで封をされた袋を差し出され、なんとなく受け取ってしまう。
    「課外授業で焼いたクッキーです」
     ぐううううっ。
    「わぁ!」
    「あらあら」
     盛大にお腹が鳴って、片手でクッキーを死守しながら片手で腹を押さえるのに、まったく収まってくれず、首筋まで熱くなる。
    「たくさん泳いで疲れちゃってたんですね」
     ランドセルとスイミングスクールのロゴ入りスポーツバッグを見比べて、少女はそう推論してから、そうです、とぽんと両手のひらを合わせた。
    「もしもお厭でなければ、そのクッキー、食べて下さいません?」
    「え」
    「学校の名誉に賭けて、質と安全は保証いたします」
     ぐぅきゅるる。腹が鳴って催促してくる。そう、空腹なのだ、とても。でも、これは違う、この空腹は何かが違う。
     戸惑っているのは自身に潜む乖離感なのだが、少女はかたんと眉を下げた。
    「ごめんなさい、迷惑でしたね」
    「あ、あああのっ、そんなっ、ことないですっ、食べたい、ものすごくっ、ですけどっ、……でも、こんなに丁寧に包んであるし、誰かに……?」
     ああ、そこ。少女はほっとして、リボンをするりと撫ぜた。
    「ラッピングまでが課題なのです。焼き上がりをみんなでたらふく食べて、余った分を家に持ち帰るところ。お菓子はまた作ればよいので、今はあなたのお腹の虫さんに、どうぞ」
    「……ありがとう、ございます」
     クッキーから逃げ出して、クッキーでこんなに喜んでいる。あのひとたちに悪いことしちゃったな。また今度、ちゃんと謝ろう。
     義一に断ってから、少女は隣に腰を下ろした。紅茶もどうぞ、コップは洗ってあります、はい除菌ウエットティッシュ、いろんなものが通学バッグから出てきて、バス停での即席お茶会が始まった。
     不思議な宵の入りだった。ひとりぽつんと座る少年を拾った少女。疾うに夕刻は過ぎ去り、月も紅く甘く輝く頃合いなのに、周りがひどく明るく視えた。帰宅ラッシュの時間帯に、人や車までまばら。まるでふたりきりの世界、不思議な、不思議な、苺月の夜。
     そうだ、クッキーをいただく前に。
     義一は体を捻り、真正面を少女に据えた。軽く頭を傾けて応じてくれると、まとめあげた髪を結わえる頭のリボンがふわりと揺れた。細い首、肌理のなめらかな皓い肌、すべてが精緻な硝子細工のよう。人の造形そのものに見惚れるなど初めてだった。
    「僕は、冨岡義一といいます」
     ぺこん、と頭を下げる。
    「とみおか、ぎいち、さん」
     と、み、お、か、ぎ、い、ち。音のひとつひとつがましろい手のひらに乗せられて、ころころと転がされると、特別な言葉になる。
    「私は、胡蝶しのぶです」
    「こちょう、しのぶ、さん」
     スマートフォンで漢字を教えてくれた。胡蝶。
    「ちょうちょ、さん?」
    「そうです、私、蟲さんなんです」
     胡蝶しのぶは、初夏のゆるやかな風に、ふわふわと吹かれている。
    「冨岡さんの青い光に誘われて、つい寄ってしまいました。うっかりです」
     てへ、と右の拳を軽く頭に当てている。
    「……、どうかなさいました?」
     ひょい、と鼻先で顔を覗き込まれて、固まっていたと気づいた義一は頬を紅潮させた。
    「と、友だちにも、そう、言われてて、……本当は閉めてる何かを俺は開けっぱなしにしてるから青い光が洩れ出てるとか、誰かを探してる合図じゃないか、とか、……俺にはよくわかんないけど」
     言い募るほどに現実味に欠けて、言い訳がましい口調になっていく。この大人びた美少女に、子供の空想と笑われたら、何もかもが信じられなくなりそうで、両手で支えるクッキーの袋が、不安と共にかさかさと揺れる。
     すべて聞き終えたしのぶは、視るとはなしに義一を眼差しでなぞった。ふむ、と人差し指をあごに押し当てる。
    「確かにこれは、もう開けておく必要がないですものね」
    「……え」
    「クッキーを食べて下さるお礼に、閉じるおまじないをしてあげます」
     苺色の月の影で、しのぶの瞳に、藤色がゆらりと滲む。
    「少しだけ、私にお付き合い下さいな。まずは『呼吸』をいたしましょう、ゆっくりと。はい、吸って、……吐いて」
     甘い声は媚薬、言葉は魅了の魔法か。優しく導かれるまま、抵抗もなく深呼吸を重ねるうちに、心のもぞもぞが落ち着いてきた。瞳を閉じて何回目かの『吸って』に合わせて、全身にたっぷりと酸素を供給していた義一は、とん、と額に指先を置かれて、ばちんとまぶたを押し上げた。
     藤色に輝くしのぶの瞳の中に映り込む、自分に肖て自分ではない誰かの瞳が、青い。
    「集中」
     心臓が、ばんっと跳ねた。肺胞のひとつひとつが大きく膨らみ、通常の数倍の酸素を捕らえた感覚。体が内側から弾け飛びそうで、慌てて息を吐き出そうとするが、額に置かれたままの指先が、もう少し強く押し付けられて、止まる。
    「集中」
     ぐっ。腹に力を込めて踏ん張る。毛細血管がものすごい勢いで大量の酸素を全身に運び、巡り、……爪先から髪の先まで熱がみなぎる錯覚を受け入れると、ようやく、指先が外された。はっ。大量の息を吐く。
    「……あれ?」
     なんだか体がひどく軽い、月まで飛んで行けそうな。
    「はい、おしまい」
    「――」
     呆けている間に持たされた、水筒のふた兼用のコップ。とぽぽ。カラカラ。音がして、氷入り、アイスティー。
    「どうぞ」
     日常にいつの間にか立ち戻っていて、でも、ひどく深い安堵に浸されていく。
    「あ、ありがと、ございます、――わ」
     急いでアイスティーを飲んだ目が丸まった。
    「おいしい……」
     造りが上質なひとは、つくるものも上質なのか。紅茶が美味しいと感じるのも初めてだ。遠慮を脇に置いて、空腹に素直に従い、アイスティーを飲み、クッキーをかじる義一を、しのぶが楽しげに見守る。
    「――プロですか?」
    「まあ、嬉しい。一緒に作ったお友だちにも伝えておきますね」
     厚みのある四角いクッキーはショートブレッドというそうだ。バターのコクとさっくりとした食感の濃淡が小気味好い。丸いクッキーはオレンジの風味爽やか、チーズと黒胡椒のサブレには程よい塩味と辛味。美味しいです、と三種類を満遍なく平らげながらも、大量の酸素と共に、苺に似たあの甘い匂いが全身に沁みたのか、味覚でもなく嗅覚でもないところで甘酸っぱさを感じ続けている。
     遅まきながら自己紹介。住まいは近所、家族は両親と姉、近隣の区立小学校に通う五年生、歳は二月生まれなのでまだ十歳、あら、私も誕生日が二月なんですよ、三つ年上なんですね、鶺鴒女学院中等部の二年生です、住んでいるのは――
    「用事があって、こっちに?」
     思わず訊ねたくらいには生活圏が異なる住所だ。と、今まで年上らしく鷹揚に構えていたしのぶの目がちょっと泳いだ。
    「……いつもは電車通学なのですが、今日はたまたま家の近所まで行く系統のバスが来て、飛び乗ったんです。そうしたら」
     一日に数本の、途中で営業所に向かうルートに入るバスだったのだ。
    「……もしかして、胡蝶さん、ちょっとドジっ子?」
    「冨岡さんに言われるだなんて、心外です」
     ぷぅ、とほっぺたをふくらませると、年相応でますます可愛い。バスの中でやらかしたと気づき、慌てて検索した帰宅ルートに従って、少し先の幹線道路沿いのバス停で降り、冨岡家最寄りの私鉄駅に向かう途中だったそうだ。
    「そうしたら、小学生が黄昏たそがれて座り込んでいるでしょう、どうしたのかしらと思って」
    「すみません……」
     なんだかすっかり舞い上がっていて忘れていたが、そうだった。こんなに現金なやつだったのか、俺は。
    「うん、顔色もよくなりましたね。そろそろ帰りましょう、おうちまで送っていきますよ」
     ざわざわざわ、ブロロロロッ。不意に雑音を耳が拾った。はっと周囲を見回すと、自動車が行き交い、通行人もいる、当たり前の日常の中にいる。
     からの袋と水筒を片付けたしのぶが立ち上がる。義一も慌ててそれに倣う。
     ……あれ。
     自分よりも上背があり、少し見上げているしのぶを、どうしてこんなにも、華奢だ、小柄だ、と思っているのだろう。
    「何か?」
    「あ、いえ」
     必死にランドセルを背負っている間にしのぶがスポーツバッグを持ってくれた。恐縮しながら並んで歩き出し、ふと見上げた月は、いつの間にかずっと遠く、小さくまるい。
     しのぶもつられて月を見上げた、その芙蓉の横顔にこいねがうのは、義一の中で、息をするのと同じくらい、当然だった。
    「胡蝶、……しのぶ、さん」
    「はい」
     月の精かもしれない佳人に、少年は、真正面から、挑んだ。
    「俺と、付き合って下さい!」

    ◇ ◇ ◇

    「んなっ、なななな」
    「どうしたんだ、義一!」
     翌朝、いつものように通学路で落ち合った錆兎と真菰が飛び上がった。
    「おはよう? なに、どうしたの」
     義一の方こそ吃驚する。慌てふためく二人なんて激レアだ。
    「だって、……完全に閉まっちゃってるよ」
    「どうした、何があったんだ、急に!」
     苺月。甘いにおい。集中。クッキー。きれいなひと。
    「えーと、昨日、おまじない、をしてくれたから、かな?」
     いつもと同じで、全く違う朝だった。
     物心がついた頃から常にあり続けた、全身に絡みつくような視線、気配、そういうものが一切ない。最近は特に腰から下に集中し、辟易していた。
    「おまじない、なんて、誰に」
    「うん、そのひとのこと、錆兎と真菰には一番に紹介したくて」
     もじ、と何ごとかに恥じらって言い淀む義一の、伏せた瞳に掛かる長いまつ毛や、薄い苺色に染まる耳朶や頬や唇や、……そのはないが判らなくもない、よろしくないものごと惹きつけてしまう特有の色気が、目の前でこれだけ溢れ返っているのに、何故かそれを視ようとするほど爽やかな朝に透けていき、捉えどころを失ってしまう。
     これはちょっと大変なことが起きているぞ。錆兎と真菰が目配せをして続きを待った、……のだ、が。
    「彼女が、出来ました」
    「――なんて?」
     それは、余りにも、あんまりにもあんまりな続きではなかろうか。
    「カノジョ?」
    「うん」
    「彼女って、その、……男女交際、をする、アレ?」
    「そう、です」
     両手の指をこねこね組み合わせて照れまくる義一は、そっか、だんじょこーさいなのか、と呟いて、恥じらいと嬉しさを抑えるのに必死で、錆兎と真菰が宇宙猫化していると全く気づかない。
    「昨日、すっごく綺麗なひとと出逢ったんだ」
    「へ」
     彼女というなら女性であろうが、この義一が女性を『すっごく綺麗』と感じたこと自体が、まずは異常事態だ。本人にその自覚がないのがまた危うい。
    「すっごく優しくしてくれて、『付き合って下さい!』ってお願いしてさ」
    「何があって優しくしてくれたのかもわかんないけど、それがどうしてそこにすっ飛ぶのかがもっとワカラナイ」
    「だって、連絡先を教えて欲しいし、連絡が取れるなら、ただの知り合いなんていやじゃん」
    「ただの知り合いから入るだろ、フツーは!」
    「そんなユルい掴みじゃ、逃げられちゃう」
    「知り合いの次で友だちになれば? 『すっごく優しい』ひとなら逃げたりしないでしょうが」
    「そりゃあ胡蝶さんにも『お付き合いとは何をどうすれば成立するのでしょう?』とは訊かれたし、俺だってそうだけど、じゃあ判らないなりにこれから一緒に探してみましょうか、って提案してくれたもん」
    「待て待て待て待て待て」
    「誰って言った? めっちゃ美人でめっちゃ優しい、その、義一が思い込んでるだけかもしれない『カノジョ』さんて」
    「思い込みじゃないよ、うちに送ってくれた時、ちゃんと父さんと母さんと姉さんに『冨岡さんとお付き合いすることになりました、胡蝶しのぶと申します』って挨拶してくれた――」
    「コチョウ」
    「シノブ」
    「……もしかして、胡蝶さんを、知ってるの?」
     思わず窺ってしまう。だとしても、なんだその、二人揃って青ざめて、かたかたかたかた震えているのは。
    「知らっ、いや、存じ上げないけどっ、でも!」
    「義一っ、おまっ、あ、あの青いのっ、そういうことか」
    「つーてもホントに見つけ出すとかっ、それならそうと早く言いなよ、義一」
    「あ、ゴメン?」
     いつの間にか何故か叱られているが、取り敢えず、謝っておこう。

    ◇ ◇ ◇

     小学生と中学生のお外デートは、予定日と日程をそれぞれの家族に報告してから始まる。
     最寄りの私鉄駅よりバス停の方が冨岡家に近いという理由で、帰りは必ずしのぶがバスの始発駅まで一緒に来て、改札口の中から、義一がバス乗り場に向かうのを見届けた後、自身も帰宅の途に着く。自分の安全考慮に偏りすぎると義一は異を唱えたが、にっこり笑ってあっさり却下されてきっちり敗北。無念。
     苺月夜から半年ほど、冬が日ごとに深まっていく。ターミナル駅前の商業施設に出向いた冨岡蔦子がそろそろ弟が帰ってくる頃合いかと駅に向かった夕刻、まさにお分かれの真っ只中だった。
     改札口から出たものの、義一はすぐに立ち止まって振り返り、しのぶが手を振り、もうちょっと歩いて二度目、しのぶが手を振り、結局、走り戻ってしまった。
     あんなに可愛い彼女だものねぇ。小五にしては奥手でうぶだと思い込んでいた弟が、一目惚れして口説いたので今日から僕の彼女になってくれました、と女子中学生を連れ帰ってきたあの夜、両親も姉も唖然としたが、納得から入るしかなかったほどに、その美貌は暴力的ですらあった。後日、改めて招待したしのぶと会話を交わせば、理知と品格が混融した志操は健やかにして伸びやか、年齢にそぐわない規格外の胆力をも感じられ、外見もそうだが、更にその内面で、しのぶは冨岡家の信頼と信用を勝ち得ている。
    「あらあらあら?」
     乞われたらしいしのぶが笑って柵に乗せた左手を、弟のまだ小さな右手がしっかりと握り込む。まだ彼女を軽く見上げる身長しかない弟なりに、そういう気分をすでに持っているらしい。
     そのまましばらく話し込み、いよいよタイムリミットで、名残惜しく放されたしのぶの手が、弟の頭をよしよしと撫でてなだめる。途端にほっぺたがふくれるから、不審者と思われないよう、顔を伏せて笑いを堪えるのが大変だった。
     今度は振り返らずバス停に向かう義一の代わりに見送ろうかとしのぶを探すと、いつの間にか、淡い藤色の翳を宿す瞳は真っ直ぐにこちらに据えられていた。にこり、笑い、ひらり、手を振る。ぎくりとした蔦子も早打ちする鼓動を耳に、笑みと共に手を振り返す。なめらかな会釈の後、少女は構内の雑踏の中に消えていった。
     なんだか嘆息が出る。人生何周目なのかしら。
    「義一」
    「姉さん!」
     乗客列の最後尾で、突然の姉の登場に、義一が目を丸めた。こうして見下ろしている弟に、あと数年もしたら追い抜かれるんだろうなあ。小柄なしのぶは更に早かろう。
    「疲れてなければ一緒に歩いて帰らない?」
    「うん。荷物、俺が持つよ」
    「ありがとう」
     しのぶの信用に関わるからバスに乗るが、徒歩の帰宅も吝かではない距離だ。久しぶりに姉弟で並んで家に向かいながら、姉が訊ねた。
    「改札口でずい分真剣な顔をして胡蝶さんと話し込んでいたけど、何かあったの?」
    「えっ、見てたの」
    「声を掛けたらお邪魔でしょ」
     そんなことないけど。もしょもしょと口の中で恥ずかしがっているのが可笑しい。
    「……そろそろ、呼び方、変えませんか、って」
     ふたことみことの遣り取りだけで、この娘なら大丈夫だ、と初対面で両親と姉の心を鷲掴んだあの日から、十歳の彼氏は『冨岡さん』である。
    「俺だけど俺じゃない誰かを呼んでるみたいでさ。他人ぎょーぎ、ってやつ? そばに居てくれてるのに、時々、ものすごく遠く感じる、というか」
     義一はそれがずっと不満だった。
     ふたりがよく訪れるシネコンとスポーツ施設併設のショッピングモールはしのぶの生活圏寄りなので、ふたりで仲良く遊んでいれば、そりゃあ昔なじみたちに声を掛けられる。初めての遭遇で、弟いたっけ?、と不思議がられ、親戚です、とでも誤魔化されるんだろうな、と覚悟した義一の隣で、しのぶはにこりと笑った。
    「彼氏さんです」
    「ええええっ」
     友人たちは無論として、義一が一番びっくりして、しのぶを振り仰いでいた。
    「小学生でしょ なんでお付き合い」
    「どこで知り合ったの!」
    「んー、草臥れ果てて迷子になっていたところを、拾った……?」
     軽く曲げた人差し指の角を顎に当て、吹き抜けを見上げながらしのぶが当時を思い出す。義一は顔を赤くした。まんまじゃん!
    「声を掛けたのは私の方ですし、……逆ナン?」
     ぶんぶんと義一が必死に首を振る。友人たちもそんな『彼氏』に、デスヨネー、とばかりに同意する。この超絶美少女な友人が、実はちょっと呑気なのを、彼女たちもよく承知していた。
     義一ひとりならば突き抜けた美少年ぶりに目を見張っていたかもしれないが、しのぶがすぐ隣に控えていると、そこに居て当たり前、くらいの据わりの良さで、しのぶの彼氏ならこのくらい顔のいい子でなくちゃね、と納得されるだけで済んでしまう。
    「ところで、これから映画を観る予定なのです」
    「おっとごめん! また詳しく教えてね。彼氏さんも、しのぶをよろしく!」
    「は、はいっ」
     怯みながらも決意も顕わに頷き返す。シネコンに入り、ポップコーンのフレーバーは何にしましょう、飲み物は、といつもと変わらないしのぶの手を、きゅっと握った。
    「あの、……よかったんですか」
    「何がでしょう?」
    「……、嬉しい、けど、……俺のこと、彼氏、って」
     しのぶはきょとんと小首を傾げている。
    「お付き合いをしているのですから、彼氏と彼女、で間違っていないのでは?」
    「それはそう、……ですけど」
     自分からねだったくせに、しのぶの人間関係の中での位置づけに今更ながら尻込みするのは、勝手に過ぎるのだろうが。
    「ねえ、冨岡さん」
     しのぶは、義一の指先を柔らかく握り返した。
    「私と冨岡さんって、お友だちでも、学校の先輩後輩でも、同僚でもないのでしょう?」
    「どうりょう」
     仕事仲間、という意味だったか、それは全然違うから、こっくり頷く。
    「本当はね、彼氏と彼女、ですらなくてもよいのです」
    「え」
    「冨岡さんと私であることが、一等大切」
     自分に降り注ぐ眼差しには深い慈愛があった。胸がぎゅんと縮こまる。
    「せっかく出逢えたのですから、お互いの存在とその価値に慣れていけたらいいな、と思います。そのために必要なら、足がかりとして『彼氏』という型から入るのも有用かと」
    「かた」
     いつでも誰にでも、しのぶは義一を『彼氏さん』と紹介してくれるのに、呼ぶのは『冨岡さん』。冨岡くん、だと同級生みたいだし、名前呼びはまだ早いかと、だなんて、ずるすぎる。必死に陳情して、やっとのことで、
    「では、……ぎーちさん?」
    と承諾してもらえた。棒読みされた気がして仕方がないけど、うん、慣れていくのだ。
    「名前で呼び合うのも『型』だしさ、これから、しのぶさん、って呼ばせてもらってれば、彼氏っぽくなれるよね」
    「そうねえ」
     ついこの間まで、自分の上着を羽織らせたら妹と勘違いされた義一が、しのぶと出逢い、少年らしい凛々しさを得て目覚ましく成長していくのは、姉としても嬉しい限りだが。
    「義一は、胡蝶さんのどこが好き?」
    「好き」
     ぼんっ、と義一が一瞬で指先まで茹で上がる。あーそーかー。
    「お話を聞かせてもらった限りだけど、胡蝶さん、あたしもしのぶさんでいいかしら、しのぶさんには多分、義一が考えるところによる彼氏っぽいふりを頑張ってするよりも、ひとこと『好きだ』と素直に気持ちを伝える方が効くと思うわよ?」
    「そ、そう、かな、……え」
     好き。
    「義一がこだわるなら、『彼氏』という型から入って、ちゃっちゃと慣れてくれ、ってことじゃない?」
    「ちゃっちゃと」
    「もしも義一があたしの彼氏だったら、今の考え方をしている限りは、長くお付き合い出来る自信がないなぁ」
    「えっ――」
     いつでも自分の一番の味方で甘やかしてくれる姉の、初めてかもしれないダメ出しに、義一は血の気の引く思いで立ち竦んだ。
     素直な動揺に、蔦子は苦笑いしながら、弟の癖の強い髪を撫でる。
    「例えばだけど、『義一くんはまだ小学五年生なのですから、せめてあと五年経って、高校生になっても好きだったら改めて交際を申し込んで下さい』、なーんて言われてたら、どうしてた?」
    「ええっ。五年も待つの」
     次のデートまでだって待ち遠しいのに!
    「今日みたいに一緒に遊びに行けないし、お話だってそんなに出来ない間に、義一もそうだけど、しのぶさんも大人になっていくの。やっと逢えた時には、別人に感じちゃうかもしれなくて」
    「そんなの絶対に耐えられないよ……」
    「その可能性だって充分あり得たわよ? でも、しのぶさんは、あの日から一緒に居ようと決めてくれた。なのに義一ってば、彼氏が云々、名前が云々がご不満で」
    「うううううう」
    「あたしだったら、そこがつまんない」
    「うぐ」
    「でも、しのぶさんは違うわ。『型から入るのも有用です』って、ちゃっちゃと慣れてもらうための提案をしてくれた。義一のことをとっても大切にしてくれて、姉さんだけじゃなくて、お父さんもお母さんも嬉しいの。義一はどう?」
    「――そう、だよね」
     身につまされて空を見上げる。空は濃い灰色で、月なんて欠片も見えないのに、甘い匂いがする。想いがくつくつ煮込まれて、いちごジャムになりそうだ。
    「だからね、しのぶさんに何かをもらったら、義一も何かを返していけるといいわね」
    「かえす」
     きょとんとして、義一は姉を見上げた。
    「飴玉のお返しにチョコレートをあげる、とかでもなくて。例えば、しのぶさん、と名前で呼ぶのを許してもらえたのなら、ご両親からもらった大切なものだということを忘れずに、丁寧に呼ぶ、とかね」
    「……うん。そうするよ」
     決意も新たに嬉しそうに笑う弟が、ちょっとまぶしい。
     とても聡いけれど、あなたはまだ十歳の男の子なのよ。そこが蔦子の一番伝えたいキモなのだが、義一にはそれこそがもどかしいので、言葉で諭しても納得しきれない。であれば、しのぶを心底想い、信じてこそ、それが自分なのだと理解していけばよく、しのぶも待ってくれるつもりだ。ゆっくりと。
     さすがに両親も自分も、何が決め手で小学生の男の子と『お付き合い』をするつもりになったのかは確かめた。
    「冨岡さ、……義一さんは、素材なので」
     しのぶは大人たちの眼差しに全く動じない。中学二年生。十三歳。自分はこんなに肝が据わっていたであろうか。
    「まだまだ未熟者の私と、一緒に変わっていってくれるのなら嬉しいな、と思いました」
     それから、くすりと笑う。
    「青田買いですかね?」
     茶目っ気で締めくくられて、お買い得だといいのですが、なんてこちらも笑うしかなかったけれど、義一こそ青田買いをさせてもらった方よねぇ。
    「そうだ、姉さん」
    「なあに?」
    「型、で思い出したんだけどさ。……水の舞いの稽古を、こちょ、しのぶさんに見てもらってもいいと思う?」
     冨岡家は大正の頃より『水の型』と呼ばれる神楽舞を長子に継承している。義一が小学校に入学するまでは、蔦子が跡継ぎ娘として、年に一度の奉納舞を、とある神社の神楽殿で、父と共に捧げていた。
    「そうね、お父さんに訊いてみましょう」
    「うん!」
     歩道を仲良く話しながら進んでいく。と、義一が姉を振り仰いだ。
    「ところで姉さんは、『つたちゃん』って呼ばれるまでにどんなことがあったの?」
    「んんっ」
     蔦子にも交際数年目の恋人がいるが、まさか小学五年生の弟に恋バナをねだられるとは予想外であった。

    ◇ ◇ ◇

    「箔をつけたい」
     それを理由に中学受験を決めた義一は、学習塾を最優先にするため、春休みの大会での新レコードを置き土産に水泳を休止した。超難関校合格を目指す勉強と共に、型の修得の指導をしてくれる鱗滝道場で、剣道と柔術も習い始めている。
     父の了承を得て、道場での定期稽古に招いたしのぶに『水の型』を披露すると、大層喜んで褒め尽くしてくれた。嬉しくて堪らなかった後が衝撃の展開となった。
     しのぶさんもやってみる?、と気軽に誘い、簡単に教えたその場で、父や姉、武道家の鱗滝も息を呑むほど、それはそれは美しく、まさに流麗、蝶の舞い、型の型にぴたりと収まり寸分のブレもなく、百年以上前の初代がこうだったのでは、と思わせられる、洗練された舞いを再現してみせたのだ。
     天女の出現にしばし呆けた後、義一は由々しき事態だと戦慄した。数年の後には次代の冨岡家当主としてひとりで舞台に上がるのに、自分の稽古は甘っちょろ過ぎるのではないか。
     祖父にも相談したところ、義一が産まれる前に鬼籍に入っている曽祖父の舞いを撮影した8ミリフィルムをディスクにダビングしてある、と観せてくれた。画面の前で正座して、食い入るように色褪せた映像の中、生前の曽祖父の舞いを凝視していると、そこにはもっと、鋳物に触れている重厚さがあり、それごと乗せて軽々と舞っている力強さがある。まだ子供で骨格が仕上がっていないとはいえ、自分は芯が弱くて軽いのだ。
    「……『水の型』って、もしかして、最初は剣術だったの?」
    「――」
     しのぶの指先には、優雅に空気を刷きながら、一閃すれば岩をも貫通させるであろう芯の太さと鋭さがあった。曾祖父の舞いもそこに重なる。自分にないものはそれだ。
     受験勉強で忙しいだろうが、鱗滝道場で剣道を学んでみたらどうだ、とその場で提案してくれたのは祖父だった。システマティックな全国規模のスイミングスクールと異なり、個人道場は融通が利く。水泳を休んで半月で運動不足も感じていたのでちょうどよく、両親からも許可をもらい、鱗滝一門の門下に入った。
     柔術も付けたのは、
    「どうしてあんなに綺麗に舞えたんですか?」
    と義一に問われたしのぶが、うーん、と少々考えてから、ぽん、と右のこぶしを左の手のひらに乗せて、
    「カポエイラを続けているからですかね?」
    と答えてくれたからだ。
     しのぶはどれほど乞うても『水の型』を再び舞ってくれない。継承する義一と異なり、素人がなんの知識も気概もなくかたちをなぞったのがたまたま上手くいっただけ、と謙遜ばかりする。あれは体幹を鍛えてこその静と動の表現、そんなはずないよなぁ、と探偵の気持ちで得た答えを調べれば、南米発祥のヒップホップダンスだと思いきや、実は格闘技だというからまた驚いた。学校ではフェンシング部に所属しているというし、姉の助言で自分らしさとしのぶへの想いを大切にしていくべきだと心懸けてはいるけれども、やはり小学生でもオトコノコケンはあるのである、彼女が戦士ならば、彼氏である自分も戦えねば。
     そんなこんなで多忙ではあるが、明確に目標を持つこと自体が初めての内気な義一には、それが決して苦痛ではなかった。

     近隣の観光地一泊に縮小されながらも数年ぶりに復活した修学旅行を、みな大いに楽しんでいる。
     就寝前の自由時間、恋愛成就のご利益があるとかで、宿の庭園内にある小さな社が大にぎわいをしていた。年上の超絶美少女彼女持ち、が肩書きの義一は、冨岡くんには関係ないしね!、と散々かまわれては、そうだねあはは、と余裕で笑い返している。以前だったら放っておいてもらえなかったし、断れなかった。こうやって雑貨屋で土産をのんびりと吟味出来るのもしのぶさんのご利益、と彼女を拝みたくなる。
     その代わり、錆兎と真菰は気を利かせて社に行かせたのに、錆兎が途中で「恥ずかしくて耐えられん!」と爆速で戻ってきた。義一と、後から悠々と戻って来た真菰がらしすぎると大笑いするから、錆兎は顔を真っ赤にして怒っている。
     はいはい、と親友をいなしながら、義一は候補を絞り込んだ。まずは小さな缶入りのリップバーム。デザインも水色と藤色が基調のレトロモダンで愛らしい。香りは睡蓮。テスターに真菰が鼻を寄せる。
    「綺麗な水と綺麗なお花の匂い、って感じで爽やかぁ。しのぶさんに似合いそう。けどこっちの、地元産の緑茶と紅茶セットの方も紫陽花のパケ絵が可愛いし、うーん、迷うね!」
    「じゃあ、こっちはお詫びの品にして、お茶セットをお土産にしようかな」
    「喧嘩でもしたのか?」
     心配された義一はばつが悪そうに、耳朶の付け根辺りをこしょこしょといじっている。
    「この後はしのぶさんの用事が立て込んでてしばらく逢えないから、こないだのデートで、その分も、っていっぱい吸ってきたら、次の日に唇が腫れて大変だった、って怒られちゃってさ」
    「――ちょ」
    「今、なんつった?」
     吸ってきた? いっぱい? 唇が腫れた? つなげるとそれ、まずくない?
     二人してまた宇宙猫になっているから、義一の方が照れ笑いのまま首を傾げる。
    「やだなぁ、今更」
    「今更って言いました?」
    「錆兎と真菰だって、とっくの昔に」
    「するか!」
    「え、そうなの?」
    「まだ小六なんですけどー」
    「ホント、早く大人になりたいよね」
     困り顔で会計を済ませてきた義一を、錆兎と真菰は愕然として眺めていたが。
    「……俺も、義一とおんなじ学校に行こうかな……」
     ぽつりと錆兎が呟くと、義一は瞳を輝かせた。
    「本当に? けど、錆兎が受かっても俺が落ちちゃったりして」
    「俺が受かるならお前も当然受かるだろ、……そばで見てないと心配すぎる」
     想像以上に手が早そうな親友は、絶対何かをやらかしそう。メンテするのに学校が別だと面倒極まりない。
    「それは嬉しいけど、真菰はどうするの」
    「それならあたしは、鶺鴒女学院を受けようかなー」
    「え、セキジョ中等部、偏差値めっちゃ高いじゃん、入れるの、あたっ」
     真菰が失礼な親友にデコピンをお見舞いした。
    「真菰さんの本気を知らないな?」
    「失礼しましたぁ。うん、真菰が同じ構内で遠距離ガードしてくれたら安心だな」
     額をさすりながら、それも妙案だと義一が頷く。
     学園の周囲をうろつく男たちも無論だが、女子校ならではの諸々もあるらしく、しのぶより三つ年上で高等部に在籍する姉のカナエが後ろ盾になってくれている今はいいが、高校三年生のカナエの志望校は都内の国立大だというから、来年から構内に守り手が居なくなってしまうのだ。
    「中等部からでも、真菰なら守ってくれそう」
    「守るってナニを、とは思うけど、しのぶさんも義一ばりにえげつないモテ方をしてそうだもんねぇ」
     と、自由時間の間だけ携帯を許可されているスマートフォンがジャージのポケットの中で振動して、ふたりに断り、画面を覗いた。
    「しのぶさんだ、……庭の恋愛神社の写真を撮ってきて、だって。錆兎、リベンジするか?」
     錆兎はげんなり顔でばらばらと手を振る。
    「俺はもう充分。先に部屋に戻ってるよ」
    「あたしもー。そろそろ就寝時間だよ、早めにね」
    「わかった。おやすみ、真菰」
     ふたりは階段前に陣取る教員にスマートフォンを渡し、上階の客室へと戻っていった。
     ホールから庭に出る。すでに人影はない。ひょい、ひょい、と石畳を抜けて、社の前へ。覗き込む。
    「……よく出来てるけど、飾りだな。空っぽだ」
     それなら安心。ライトアップされた社の写真を、ぱしゃり、ぱしゃり。
     戻ったテラスで空を見上げれば、弓張り月。
     苺月の夜まで、あと少し。

     今年も、あのバス停のベンチに落ちに行こう。何も言わずとも、しのぶが拾いに来てくれるだろう。いや、本人は認めないが実は天然なところもあるから、またバスを乗り間違ってやって来るかもしれない。ちょっと笑いながら、メッセージアプリに画像を添付して送信。「ありがとう。おやすみなさい」とすぐに返信が返ってきた。
     今年の苺月で、ふたつめの苺を拾う。みっつ、よっつ、そして、ここのつ、苺が揃った頃に、もう一度、こいねがおう。
     今度こそ、一緒に生きていきませんか、と。
     心の中に今日も湧く想いを、今宵最後の言葉に添えて、一緒に送る。

     おやすみなさい。
     月が、綺麗ですよ。
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