雑渡昆奈門は失礼する、と低く告げて、文机に向かう山田伝蔵の膝に頭を滑り込ませた。
「始まりましたかな?」
「ええ」
諸泉尊昆奈門と土井半助の果し合いは、あの一件があってから、タソガレドキ忍軍の立ち会いのもと忍術学園で行われることになった。立ち会いには誰が行っても良かったが、任務の具合を考えると、自然と昆奈門がついて行く事になるのであった。
最初は昆奈門も戦忍びであった伝蔵に手合わせを申し込んでいたが、最近はそれも諦めた。伝蔵と話すだけでも楽しかったからである。果し合いをする半助の代わりに伝蔵が追試の答案の丸付けをしたり、補習授業のプリントを作成しているので、それを邪魔すれば半助が仕事を理由に尊奈門の果し合いを受けてくれなくなるだろう。いつしか伝蔵との逢瀬を心地よいものに感じていた昆奈門は、そう考えて手合わせを申し込むのをやめたのである。
伝蔵の邪魔をせぬよう、いつもなら離れて座る。伝蔵が文机に向かう背中に色々と話しかけるのである。伝蔵の知識と知見は思った以上に深い。世間の動きにも敏感なようだ。忍術の話であったり、各城の動きであったり、お互いの話せる範囲の話とはいえ、重要な情報交換の時間だ。それ以上に自分と互角に渡り合える存在が嬉しかった。一つ情報をもたらせば、呼応するように同程度の情報を出してくる。その情報の範囲と優劣の判断について、お前は間違っていないと認めてくれているようで、昆奈門は不思議な安堵を感じていた。
そんな伝蔵の顔が、今日はなんだか見たくなったのである。急な接近に少しだけ伝蔵は驚いたようだが、昆奈門に攻撃の意思なしと見るや、そのままにさせてくれた。
伝蔵の喉や顎髭をまじまじと見つめる。視線は顎の線から耳の付け根を辿る。頭巾に隠された生え際、額。整ってはいるが、普通の男性だ。ここまで視線を奪われるのはなぜだろう。不思議に思いながら、昆奈門は思うまま伝蔵を見続けた。
伝蔵が左手で昆奈門を目隠しした。
「お邪魔ですか」
「そうも見られては落ち着きません」
そうは言うが、伝蔵の声音は笑っている。退けとも言われないので、昆奈門はそのまま膝の上を占領し続けることにした。
「貴方の目にはどう見えておりますでしょうか。未熟の証でしょうか?愚か者へをの当然の報いでありましょうか?」
「希望の証に見えますな」
「なんと」
「それ必ず救うの軍あるもの必ず守るの城あり、必ず救うの軍なきもの必ず守るの城なし」
「尉繚子ですか」
昆奈門の問いに伝蔵が軽く頷く。
「貴方も諸泉殿のお父上を諦めず、諸泉殿も貴方の復帰を信じていた。それが伝わってきます」
自分はこの人に認めて欲しかったのだと理解した。
「よくぞ、戻られた」
伝蔵の言葉と手が温かい。昆奈門は温もりを味わおうと目を閉じる。
「実は、私もこの姿を嫌いではないのです。伝子殿の夫役には目を引きすぎるところが残念ではありますが」
伝蔵の手に昆奈門も手を重ねる。昆奈門の言葉に伝蔵がふっと微笑んだ気配がした。
「伝子は気にはしないと思いますが、どうしても気になるようであれば五年の鉢屋三郎に相談なさるといい」
「それでは土井殿が役を断られた際は是非ご用命を」
「ダメですダメです。そんな時はきません!」
がらり、と障子が開いて半助が入ってくると、伝蔵の体を昆奈門から引き剥がした。
「終わったのか」
呑気にもそう問いかける伝蔵に、半助は頷くと、昆奈門を警戒した姿勢をとる。昆奈門は膝枕をとられて残念そうに身を起こした。
「雑渡殿、尊奈門君の見張りというなら一緒に外にいてください!」
「寒さが古傷に堪えてねぇ」
伝蔵を後ろ手に庇い、吠える半助を昆奈門は面白そうに見る。
「早く、尊奈門君を連れて帰って下さい」