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    nightflightnoc

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    5月28日の高杉プチで配布したフライヤーのテキスト版です。pixivで連載中の『高杉社長すぐ死ぬ』シリーズのエピソード0的なモブ視点の特別編。

    或る奇兵隊士の回顧談──あれは確かに、慶應三年四月十四日の早朝でありました。

     ちょうどその数日前に奇兵隊へ入隊が決まった自分は、下関の櫻山招魂社を訪れたのであります。彼処には吉田松陰先生をはじめ、国事に奔走して命を落とされた方々が御祀りされておりましたので、まだ十四の若輩者であった自分もそういった方々の墓標を拝して、気を引き締めようという心算でした。
     それには朝一番がよかろうと思い、夜明けと同時に隊舎から社へ向かいました。長い石段を登って、碑の建ち並ぶ奥の鳥居の方を見れば、どうやら人の気配がある様子。先を越されたような気分になりましたが、熱心な参拝者であろうかと薄闇のなかを近付いてみると、其の者は玉垣の内側に凭れかかるようにしてぐったりと座り込んで居るではありませんか。
     さては新地の妓楼ででも飲み潰れた酔漢であろうと思い、「貴様、其処で何をしておるか」と誰何しました。男はようやく此方に気付いた様子で、ゆっくりと顔をあげましたが、ひどく驚いたような表情をしておりました。
    「貴様、此処を何処だと心得る。酔って寝るような場所ではないぞ」
    「……ああ、そうだな」
     と、存外素直に立ち上がった男は、酔漢というより病人のようでありました。さらに夜着一枚に裸足という異様な姿です。顔色は紙のように白く、切れ長の目だけはぎらりとして、ざんばらの髪が腰まで届くほどでしたので、もしやどこかの罪人でも脱走してきたのではないかと怪しみました。
     ちょうど境内に朝日の差してくる頃合いで、長い髪に陽の当たった部分が不思議と紅く光って見えるような気がしたものですから、或いは幽鬼の類かとも思いました。
     男は少しふらつきながら玉垣の内から出てくると、鳥居の下で足を止め、建ち並ぶ石碑に向き直って深々と二礼し、柏手を打って、また深々と頭を下げました。その様子があまりに堂々としていたため、自分も思わずそれにならって参拝をしました。
    「ところで、今日は何日だったろうか」
     酔っているわけではなさそうな調子でそう声をかけられ、「十四日だ」と答えますと、また驚いた顔をしている。
    「そうか。君は奇兵隊士だな?」
     諸隊はそれぞれの所属を示す袖印を付けておりましたので、それを見て言ったのでしょう。「いかにも」と返すと、男は人懐こい笑みを浮かべてとんでもない事を言い出したのです。
    「見ての通り僕は不測の事態に陥っていてね。君の持っているその草鞋と上衣を譲ってくれないか? あと幾らか金を借りたいんだが」
     見ず知らずの怪しい輩にそんな施しが出来るはずなかろうと憤慨しますと、何が可笑しいのか男は笑い出しました。
    「そうか、僕を知らないか。それもそうだな」
     と一頻り笑って、終いには咳き込む有様です。
    「僕は隊の上の方に多少顔が利くんだ。なんとか助けてくれないか。礼はするぞ勿論」
     するとまた咳き込む。隊に顔が利くなどというのは方便だとしても、どう見ても病身の怪しい男を社に捨て置くのも良くない気がしてきて、腰に下げていた予備の草鞋と、上衣を脱いで渡しました。
    「草鞋はくれてやる。隊服は誂えたばかりだから貸すだけだ。金はない」
     と言いますと、男は「恩に着る」と言って受け取りました。

     それから男は懐から扇子を一本取り出し、これに借用書を書くから筆を貸せと言う。人に命令するのがさも当然といった雰囲気に圧されて、自分は矢立を差し出しました。
     男は広げた扇子にさらさらと筆を走らせ、こちらに渡します。御座敷遊びにでも使うような、梅の花の絵が描かれた小ぶりの扇子でありました。

    ──隊服一着 草鞋一足 是借用之事
    ──是之者ヘ報奨金御下賜可被下御願申上候
    ──慶應三年四月十四日   焼山葛

    「それを狂介の奴に見せれば悪いようにはしないだろう」
     と言い残して、男はそのままふらふらと石段を降りてどこかへ行ってしまいました。
     狂介というのは、後の陸軍元帥大将山県有朋閣下の若い頃の名で、当時は奇兵隊の総管をしておられました。しかし入隊したばかりの若輩の自分がすぐに目通りできるはずもなく、これはあの奇妙な男にしてやられたと後悔したものであります。

     それから隊舎に帰りますと、上を下への大騒ぎになっておりました。なんでも十三日の深夜に、奇兵隊の開闢総督である高杉東行先生が身罷られたとのことで、自分も大いに嘆き悲しんだものであります。直に御会いしたことはなくとも、その名声は当時の長州で知らぬ者はない御方でありました。
     またその葬儀のため、隊の上の方の人間が本陣からやって来ると聞き、これは山県総管に目通りできる機会があるのではないかと期待もしました。
     葬儀は神式で諸々準備され、十六日の深夜に吉田山に埋葬となりました。
     明けて十七日、山県総管に運良く取り次いでもらい、櫻山の社で出会った男の話をさせて頂きました。山県総管は扇子の借用書を見ると血相を変えて、男の風体や行方をお尋ねになりましたので、覚えている限りの事を申し上げました。これはもしや、本当にあの男は総管の旧知であったのだろうかと驚いたものです。
    「追って沙汰をする。この扇子は隊で預かる」
     と言われ、その日は隊舎に帰されてしまいました。それから二日ほど、報奨金が下賜されるのを密かに期待しておりましたが、なんと半月の謹慎を申し渡されてしまいました。あの男に貸した隊服の袖印を紛失したことがその理由で、全く納得のいかぬ処分でありました。

     ところが謹慎して数日後の深夜に隊から呼び出しがあったのです。ごく内密な会談で、襖障子を閉めきった隊舎の奥の間に、山県総管のほか隊外の方が数名居られ、先日と同じように例の男について委細申し上げることになりました。
     皆様は扇子の筆跡を見て「これは間違いない」「ありえない」「しかし確かにこれは」などと困惑されておりました。
     御一新の後に知ったことですが、その時お集まりだったのは木戸公、伊藤公、井上公といった、藩の錚々たる面々であったのです。
     結局、その翌日に謹慎は解かれましたが、報奨金が下賜されることもなく、あの男から隊服が返ってくることも、隊から扇子が返ってくることもありませんでした。

     明治の御世になってから、高杉総督の何回忌かに合わせて回顧録が出版され、そこに掲載された肖像写真を見て、大いに驚きました。あの櫻山の社で出会った男に瓜二つであったためです。
     しかし総督が亡くなられた時刻よりも、自分とあの男の邂逅が後の刻なのは確かなことでありました。
     ではやはりあれは幽鬼であったのか? しかし確かに文字を書いて遺したし、隊服も着ていった……。この時ばかりは、あの扇子を隊から返還してもらわなかった事を大いに悔やんだ次第です。
     それから時が過ぎまして、維新の元勲の皆様も次々と世を去り、ついに山県閣下がお亡くなりになった時のことです。上野の博物館で閣下秘蔵の書画骨董が特別に展示されることになりました。蒐集家としても知られた方でしたので、大層な有名どころの軸や茶器などがずらりと並んでおりました。その片隅に、あの扇子がひっそりと置かれてあったのです。
    「あれは」
     自分が思わずそう呟いたのを受けて、隣で見ていた若者が声を潜めて笑うように言いました。
    「あれ、高杉晋作の真筆ですよね」
     見れば、後ろ髪を小ざっぱりと刈り上げた青年で、色の入った丸眼鏡を少しずらして、しげしげと展示台の中を覗いております。黒い洋装の上に派手な刺繍の白羽織をひっかけた姿が妙に似合って、役者かなにかのようでありました。
    「内容はただの借用書なのに、山県〈閣下〉が最期まで手放さなかったとか……まったくそういうところだぞ」
     などとぶつぶつ言っている青年に、つい一言申したくなってしまったのです。
    「あの扇子の書付は、ありえない日付になっているのだ」
    「おや、ご存知ですか」
     存じるもなにも、あれは元々は自分が高杉総督に頂いた扇子なのだと、見ず知らずの青年に口を滑らせてしまいました。
     すると彼は「実に面白い。詳しく話を聞かせてほしい」と言いますので、不忍池の畔にあった小料理屋に行き、そこでずいぶんと長い時間話し込んでしまいました。といっても彼は専ら聞き役で、自分が当時の思い出話を色々としたのであります。亡くなったはずの高杉総督と邂逅した話は、特に興味深そうに聞いておりました。
     そのうち彼に迎えが来てお開きになりましたが、それが目の覚めるような美人で、また当時浅草で公演していた旅回りの女役者であったため、二度驚きました。
    「今日は実に面白い話を聞かせていただいた。ここは僕にぜひ」
     と言われ、孫ほどの歳の君に馳走になることは出来ないと断りました。しかし女役者が、「この人は無駄に羽振りがいいんですから遠慮なくどうぞ」と口添えしますので、もしやこれは邪魔者は早く帰れという意味かとも思い、そそくさとその場を辞したのであります。そのため、彼の氏素性などを訊きそびれてしまったことが後々まで悔やまれました。

     その数日後、銀行から小切手が届きました。身に覚えのない大金でありましたので、すぐに問い合わせますと、自分宛てで間違いないという。但し書きには「上着代、履物代、利息」とあり、差出人は谷潜蔵とあります。これは高杉総督の晩年の名前ですから、ひょっとすると上野で語らったあの青年が送ってきたものではないかと思いました。
     洒落や悪戯にしては驚くほどの金額でしたが、金持ちの道楽だったのかもしれません。彼は「面白い事柄を見聞きするのが何よりの生き甲斐だ」と言っておりましたので。

     あの扇子は、残念ながら翌年の大震災で焼失してしまったとのことです。自分も家族も焼け出されて苦労をしましたが、小切手の金を元手になんとか生活を立て直すことができたのであります。


    【続史談会速記録 防長異聞篇より抜粋】


    (昭和98年5月28日刊 埼玉日日新聞 明治維新155周年記念特集号掲載)
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