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    仁川にかわ

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    仁川にかわ

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    ドラマパロの続き
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    #ブラネロ
    branello

     お前が悪いんだ、と言われたので、ああ自分が悪いのか、と思った。
     ネロの髪と瞳の色は、実の母親とそっくりらしい。お前はあの女によく似ている、と。夜毎うっとり囁いて、粘ついた視線で幼いネロの身体を弄った。父親にいいようにされているネロを、血の繋がらない歳の離れた兄弟は見て見ぬ振りをしていた。興味がないのだ。互いに同じ家に住んでいるだけの他人。ネロとて目の形も肌の色も似つかぬ兄弟にさして関心はなかった。
     女のように肩の下まで伸ばした髪。着古した丈の長いシャツ。歪んで骨張った、硬い大人の掌が肌をべたべたと触るのは気持ちが悪かった。けれども、父親が言うには、ネロが悪いらしい。それならば仕方がないか、と、抵抗する気にもならなかった。拒んだところで代わりにやってくるのは暴力だ。痛いのも気持ちが悪いのもどちらも嫌だったが、後者は我慢していれば終わりが訪れる。比べて少しでもマシな方を選んでただひたすら玩具として黙っていた。
     昼も夜も問わず家族は女を家に連れ込んだ。それぞれ香水の違う、布地の少ないドレスを纏った女たち。壁一枚の向こうで行われる行為の詳細は知らずとも、音や声を聞くと何だか吐き気がした。夜は綿の少ない布団を被ってやり過ごす。昼は、外へ飛び出して夕暮れまで時間を潰す。それがネロの日常であった。
     ──その建物へ訪れたのは偶然だった。たまたま、足を向けた先にあったのは小さな劇場。色とりどりのポスターは煌びやかで、眩しくて、目を惹かれる。入り口付近でぼうっとしていると、背後から声をかけられた。
    「なあ」
    「……えっ、あ、何……」
    「入んねえの?」
     振り返ると、ネロよりやや背の高い少年が入り口を指差していた。真っ直ぐ伸びた背筋は堂々としていて、何故だか時代錯誤な古びたデザインの衣服を身につけている。それも妙に似合っていて、果たしてこの少年は本当にこの世のものなのだろうかだなんて疑問を抱いた。
     格好も白と黒の入り混じった髪も印象的だが、何よりその下の宝石みたいな瞳。赤い陽光が、夕暮れの空を照らすような色。目が焼けそうな、熱い色。その瞳に見つめられると焼け焦げてしまいそうだった。
     少年が顎をしゃくる方、矢印の書かれた看板は中へと誘導しているけれど、ネロのポケットには小銭一つもない。劇場に入ったことはないが金がいることはわかる。
    「お金、ない、から」
    「金? あー……お前、いくつ?」
    「え、と……」
     年齢を聞かれているのは理解している。が、しかし、正確な歳は自分自身もよく知らなかった。記憶がある限りロクデナシの父の元で暮らして数年経つ。学校へもまともに通ったことのないネロが何歳なのかって、恐らく誰もわからないだろう。
     日々生きていくだけの飯を腹に詰め込むだけでは背も伸びない。肉もつかない。壊れかけのテレビを時折つけて見るだけでは、知識もつかない。頭も良くならない。言葉に詰まるネロを見て、少年はポケットから紙を一枚差し出した。
    「ま、いいか。おら、受け取れ」
    「わっ」
    「金はいらねえよ。ここで俺様に出会ったことを幸運に思えよな」
    「でも……」
     押し付けられた紙……チケットを見て先の質問の意図を悟った。金額設定の下に小学生以下無料の文字が踊っている。しかし見目で判別がきかず問われるも無料の恩恵を受けられる歳ではないことは確かだ。五つ、六つよりは長く生きている自覚がある。
     受け取るか受け取るまいかまごつく。それでも少年はぐいぐいとネロの掌に押し付け無理矢理握らせた。仕方なしに若干皺のついたチケットを広げる。本当にいいのか、と無言で訴える。不安そうなネロに、少年は自信満々に言い放った。
    「俺様の舞台を見ねえと、後悔すんぞ。せっかくの幸運なんだ。ありがたく貰っておけ」
    「ぶた、い」
    「そう。俺が主役の物語だ。まだ全部席が埋まるほどじゃねえが……絶対、俺はスポットライトが似合う男になる。だから、タダで見る機会なんざこれを逃したら二度はねえぞ。俺の……ブラッドリー様の姿を目に焼き付けろ!」
     少年──ブラッドリーは、両手を広げて胸を逸らした。その様は美しい鳥が翼を広げ飛び立つようにも見えて。咄嗟に目を瞑った。光が虹彩に、直に飛び込む気配がしたからだ。
     その自信に満ち溢れた物言いは、ネロが持っていないものだった。ここはまだ舞台上でなく、入り口の外だというのに、言葉に、振る舞いに魅了される。眩しい日差しが、スポットライトのように彼を照らす。
     気付けば、中に足を踏み入れていた。赤い絨毯が敷かれた廊下を、少年の後ろを着いて歩く。平坦だった胸が、初めてばくんばくんと高鳴っている。見たことのない景色を見せてくれるのだという期待に打ち震えている。それはどんな色をしているのだろうか。どんな空気の匂いがするのだろうか。今まで感じたことのない感覚が、そわそわと背を後押しした。
     ふかふかの椅子に腰掛けて。両手を膝の上で握って。帳が蓋をするステージの上。その幕が上がるのを、今か今かと待ち望む。
     諦めてばかりの短い人生の、初めての期待。初めての希望。それが、今訪れようとしていた。



    「どうだった?」
    「すごかった!」
    「うわっ……お前、でかい声出せたんだな」
     殆どの観客が去った客席で、舞台を降りたブラッドリーが肩を叩く。弾かれて立ち上がったネロはゼロ距離に詰め寄って歓声を上げた。
     物語はオリジナルの脚本のようで、寂れた街の片隅に住む少年たちが、子供を抑圧する大人と闘い未来を勝ち取る単純明快なストーリーだった。
     少年たちのリーダー役を務めていたのがブラッドリーだ。壇上に立つ彼とは数メートルも距離が離れていたのに台詞はよく通り、すぐ隣で語られていた錯覚がした。演技で、作られた台詞なのに本物の心を感じた。闘う少年の中にネロも入っているかのようで、彼らが剣を取るシーンではずっと前のめりに拳を握っていた。
     ブラッドリーは誰よりも自然体だった。ボス、と呼ばれた姿と今目の前にいる姿に差異はない。虚構の世界の中で、ずっと生身の人間であり続けた。すごい、すごい、とはしゃぐことしかできないのが苦しいが、それ以外の言葉が出てこない。
     無邪気に両手を飛び跳ねるネロに気を良くしたのか、ブラッドリーは口の端を吊り上げて鼻の頭を擦った。
    「そうだろ、そうだろ。また見に来いよ。チケットならくれてやる」
    「いいの?」
    「お前は俺様のファン一号だからな! 特別だ」
    「とくべつ……」
     何てことない風に与えられた特別、という単語。騒ぎっぱなしの心臓が、更に大きく脈打った。
     居てもいなくても変わらないネロではない。知らぬ女の身代わりのネロでもない。ブラッドリーのファンの、ネロ。特別なネロ。それはひどく甘美な響きをしていた。未完成で未熟な器には合わぬほど。硝子より繊細な心には毒になるほど。そのことを、まだ、ネロは知らない。
     ぐう、きゅるるる。
     間の抜けたタイミングで、ネロの腹の虫が暴れた。劇場内では特に大きく反響し、しかと聞いたであろうブラッドリーが目を見開いている。恥ずかしくなって、腹を押さえて俯いた。いつもは誰かの食べ残しや缶詰などを拝借して空腹を満たすのだが、昨夜は棚を漁っても机の下を覗いてもどこも空っぽだった。故に胃袋には水道の水しか入れていない。
     ブラッドリーはしばし黙り込み、耳まで赤くしたネロの手を引いて歩き出した。
    「こっち」
    「あっ、えっ、え?」
    「これも何かの縁だ。弁当が余ってるだろうから、食ってけよ。舞台に立つと腹が減るからよ、いっつも多めに買ってんだ」
     すたすたと歩くのに追いつこうと、足をもたつかせつつ、関係者用と張り紙のある一室へ連れて行かれた。我が物顔で勢いよく扉を開けたブラッドリーは大声で誰かを呼んでいる。関係者、と書いてあるのだから中には見知らぬ大人と舞台上で見た役者たちがちらほらとパイプ椅子に腰掛けており、明らかに無関係であるネロを物珍しそうに観察していた。
     自然と、皆の視線が自分に集まってくる。後ろめたくてブラッドリーの背中に慌てて隠れた。凝った作りの衣装の裾を握って肩口から様子を窺う。
    「何だ、ブラッド。その歳でナンパか? 悪い男だな」
    「うるせえよ、ナンパじゃねえし。弁当寄越せ。二つな」
    「はいはい。全く、わがままな坊ちゃんだ」
     口髭を蓄えた、すらりとした色男がブラッドリーの頭をぐしゃぐしゃと掻き乱した。唇を尖らせて不満げにするも弁当を受け取れば大人しくなる。机の上に並べられたペットボトルのお茶も二本手にして、大人用の椅子に座って、隣の椅子をぽんぽんと叩いた。
    「ほら、ここ」
     座れ、と暗に命じられて背の高いパイプをよじ登ってネロは腰掛けた。膝の上に乗せられた弁当は食べたことのない品々ばかりだ。黄色いソースのかかった肉。真っ赤なプチトマトにポテトサラダは緑が鮮やかなレタスが敷いてあって、カットされたオレンジや大きな苺まで敷き詰められている。四角い枠の中、真っ白なご飯はネロなら三日はかけて食べ進める量が盛ってあった。
     ブラッドリーが手を合わせていただきます、と言うのに倣って同じ動作をする。蓋を開けて、箸を割る。見様見真似で、続いてネロも箸を割ろうとする。力が弱くうまくできないでいると、ひょい、と隣から取り上げられて綺麗に真っ二つになった箸が戻された。
     恐る恐る、肉を小さく千切って、口に運ぶ。箸なんか数える程度しか使ったことがないのでどうにも下手くそだ。
     パサパサに乾いていない。冷えて固くなってもいない。適温に温められたおかずは、今まで食べたどれよりも美味しかった。顎の下がきゅう、と縮まって痛い。いつまでも味わっていたくて何度も何度も咀嚼する。ネロが一品一品をちょびっとずつ食べ進めている間に、ブラッドリーは肉と白米の器を空にしていた。野菜は手付かずである。
     先程の口髭の男が、けらけらと揶揄ってブラッドリーの頭を小突いた。
    「こら、野菜も食えよ。お隣の可愛い子ちゃんに示しがつかねえぞ」
    「だから、ナンパじゃねえっつの」
     ふてぶてしく鬱陶しそうにブラッドリーは腕を跳ね除ける。ネロはといえば何だか誤解をされている気がするなあ、どうしようかなあ、と思案していた。髪を伸ばして、中性的な服を着ているからややこしいのはこちらの方である。今更本当のことを言っても、何故と聞かれると答えづらい。父親のことを話さねばならなくなるからだ。世間ではあまりよろしくない扱いをされていることは自覚していた。あまり面倒事に巻き込みたくはない。
     ブラッドリーも、ネロを女と思って話しかけたのだろうか。じいっと隣を見上げる。他意はなかったが、ぐぅ、と喉を詰まらせたブラッドリーは渋々ポテトサラダを頬張った。
    「まじぃ……」
    「偉いぞ〜」
    「うるせえうるせえ。黙ってろ」
     男がまたケタケタと笑う。やや離れたところから見守っていた美人の役者らしき女もくすくすと笑みを漏らしている。あんなに格好良くて凛々しかったブラッドリーが裏では子供扱いをされていて不思議な気分だ。
     その傍ら、半分も、三分の一も食べないでネロは蓋を閉じた。意地汚い真似かもしれないが、残りはまた明日明後日に取っておきたい。いつ食べられなくなるかわからないのだ。
    「何、腹一杯なの?」
    「違う……明日、食べようと思って。明日もご飯あるかわかんないから」
     顔を覗き込んだブラッドリーにうっかり正直に答えてしまって、はっとした。まずい、変な子供だと思われたかもしれない。ブラッドリーも、名も知らぬ大人も、気の良い人間だとわかっていた。だから、家の事情は知られたくない。掘り下げられて善意から介入されては初めて手にした「特別」すら奪われてしまう。
     どうしよう。どうやって言い訳しよう。途端青くなって汗をかいたネロに沈黙が降り注いだ。顔を上げられない。気性の荒い父親の機嫌を読み取るのが得意になっていたネロは、自分がどう思われているかを既に把握していた。
    「なあ、お嬢ちゃん。君……」
    「待て」
    「……ブラッド」
     ああ、可哀想な子供を案じる声がする。今すぐに逃げ出して、ネロのことなど忘れて欲しかった。何か言いかけた男の台詞を遮って、ブラッドリーがネロの頬を撫でる。温かい、手だった。
    「腹減ってんなら、それ、食っちまえ。誰も取らねえから。そんで、明日も食いに来い」
    「……っ、そんなの、だめだ。悪いよ……」
    「ただし、タダじゃねえぞ。明日から俺様の稽古に付き合え。その報酬として、だ」
     提示された条件に、ぽかん、とした。何も聞かない。施しをしない。逃げようとしていた足が、踏み止まった。
     数時間前まで見知らぬ相手だった人間には破格の条件だ。
    「腹一杯食う代わりに、俺様の相棒として付き添うんだ。光栄だろ?」
     太陽みたいに、白い歯を見せてブラッドリーが笑う。芝居の中で見た、誰かを勇気づける笑顔だ。消えそうな灯火を、止まりそうな足を、惑う手を、救う輝き。どうせ手に入らないからと、欲しがることがなかった心がその手を取りたがっている。我慢されすれば良くもならなく悪くもならない安定を捨てて、未知の世界へ踏み出そうとしている。
     もっとここにいたい。もっと、見ていたい。
     ネロは、ゆっくりと頷いた。誰かのためではなく、自分のための意思表示。火がついて燃えそうに熱くなる胸を永遠だと、その瞬間は、無意識に信じていた。
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    SPOILERイベスト読了!ブラネロ妄想込み感想!最高でした。スカーフのエピソードからの今回の…クロエの大きな一歩、そしてクロエを見守り、そっと支えるラスティカの気配。優しくて繊細なヒースと、元気で前向きなルチルがクロエに寄り添うような、素敵なお話でした。

    そして何より、特筆したいのはリケの腕を振り解けないボスですよね…なんだかんだ言いつつ、ちっちゃいの、に甘いボスとても好きです。
    リケが、お勤めを最後まで果たさせるために、なのかもしれませんがブラと最後まで一緒にいたみたいなのがとてもニコニコしました。
    「帰ったらネロにもチョコをあげるんです!」と目をキラキラさせて言っているリケを眩しそうにみて、無造作に頭を撫でて「そうかよ」ってほんの少し柔らかい微笑みを浮かべるブラ。
    そんな表情をみて少し考えてから、きらきら真っ直ぐな目でリケが「ブラッドリーも一緒に渡しましょう!」て言うよね…どきっとしつつ、なんで俺様が、っていうブラに「きっとネロも喜びます。日頃たくさんおいしいものを作ってもらっているのだから、お祭りの夜くらい感謝を伝えてもいいでしょう?」って正論を突きつけるリケいませんか?
    ボス、リケの言葉に背中を押されて、深夜、ネロの部屋に 523

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    SPOILERイベスト中編のブラネロ絡み傷つけたくないのにドレスを割いて、次は体を傷つけると脅しにかかったネロをさりげなく、「直接」シアンをネロが傷つけないで済むようバジリスクの上に飛び乗れ!と誘導したように思えてならないのだが私の都合の良い解釈ですかね…?

    あと、普段は名前をなかなか言わないけどいざという時にちゃんと「シャイロック!」などと名前でしっかり呼ぶブラが本当に好きです。解釈一致すぎる。
    明らかにノーヴァの時より足並み揃ってるし、ネロもブラッドリーを信頼して動いているように見える。

    そしてシャイロックの、ネロに女の子を殺させるなという取引について…

     ブラ、シャイロックに感謝すらしてるようにみえる。多分ブラはわかってる。何なまっちょろいこと言ってやがる、と口にすることがあるとしても、ネロがそう言う優しい男なのだと、「今の」ブラッドリーは理解してるし尊重してる気がする。
     だから、「やる時は俺がやる」と答えた。
     シャイロックに言われなくても元々そのつもりだったんじゃない?ブラッドリー。
     じゃなかったら、何言ってやがるそんなこと言ってる場合か!殺せ!!くらいは言いそうだし。
     
     一方で、「陽動する!」に「了 676