良い夫婦の日 蜂蜜色をした瞳が愛おしそうに笑う。
細い指先が男の手を取って、ぎゅっと握り締める。
それをぼんやり眺めていた。
―――私と結婚してください!
オマエは、その男と契るのか。
靄が段々濃くなって二人の姿をかき消していく。
「オマエはもしこの戦いが終わって生存したとして、誰かと婚姻を結ぶのか」
目の前の男からとんでもない発言が飛び出して立香は寸前に頬張っていたツナサンドを危うく喉に詰まらせる所だった。
げほげほと咳き込む立香に、原因である男は「戦士たるものこんなくだらない理由で死ぬな」などと如何にも呆れた顔で宣い、水を渡してくる。
有り難く受け取りつつ誰の所為だととじとりとした目で見やるも、何だかよく分からないが不機嫌そうな様相の男にこれ以上の刺激は与えてはならないと黙って喉に流し込む。
「…どうしたんですか、急にそんな事言い出して。テスカトリポカ」
胡乱な眼差しで問いかけるも、やはり不機嫌な様子で何なら視線まで外し出した。
これ以上多くを語る気はどうやら無いらしい。
そもそも戦いにおいて死ねと普段から公言して憚らない戦神がこんな事を言い出すとは、立香にとっても青天の霹靂だ。
「うーん…。まぁ、うーん…。好き、なひとは…います…けど」
「…ほぅ」
ぴくり、と指先が動いたがすげない返事をするテスカトリポカの表情は相変わらず固い。
いつもこちらを射抜くように見つめるスカイブルーの瞳は立香を映さない。
それが寂しくて立香は少し俯いた。
分かっているのに。テスカトリポカは戦士である自分を好ましく思っているだけ。
分かっているけど。自分の気持ちに嘘をつきたくなくて立香は視線をもう一度テスカトリポカに向けた。
「でも、多分私の好きなひとは私の事好きにはならないのかなって思うので。そのひとでなければ、結婚とかも別にいいかなぁ、なんて。それに、そのひと、お嫁さんいるって何かそう言う情報もあるから」
ちらり、とテスカトリポカの視線が立香に向く。
「…諦めるのか」
怒っているような、でも何となく喜んでいるような、変な音声。
変なテスカトリポカ。いつもだったら叱咤してくるだろうに、そもそも何でこんな話になったんだろう。
「私は好きなひとと結婚したいんです。テスカトリポカにしてみたら甘いかもですけど」
「…想いを告げないのか」
「告げていいものなんですかね?私、初恋だから良く分からなくて。お嫁さんいても女の子に告白されるのは迷惑じゃないものですか?」
「当世の価値観はオレにはあまり分からんがね。男としては可愛いお嬢さんに好かれるのは悪い気はせんだろう。オレなら奪ってやる所だが」
―――だが、オマエには笑顔が似合うだろう。
テスカトリポカが呟いた一言はどうやら立香は届いていないようで、アステカ感覚ぅ…と遠い目をしていたかと思えばぱっとその目に光が煌めき出す。
「…でも、そうですね!どうせ叶わないなら当たって砕けるのも良いのかもしれないですね!今日何の日か知ってますか?」
立香の唐突な問いにテスカトリポカは答えを持たない。
そんなテスカトリポカを他所に立香は続けて喋り出す。
「今日は『良い夫婦の日』なんです!語呂合わせで当世ではこの日にプロポーズしたりとか結婚記念日にしたりとか流行っているんです!」
蜂蜜色をした瞳が愛おしそうに笑う。
細い指先がテスカトリポカの手を取って、ぎゅっと握り締める。
「テスカトリポカ、私と結婚してください!」
「―――………」
未来視で視えた光景がそこにあってテスカトリポカは絶句する。
そして今この瞬間、また未来視で視えた世界。
純黒のウェディングドレスに身を包んだ輝かんばかりの笑顔の立香と、それを抱き留める自分の姿。
―――テスカトリポカに人間のお嫁さんが出来るいつかの日。
自分の事なのに分からなかったとは。この娘といるようになってからエラーばかりこの身は出力する。
「…やっぱりだめですか?」
しゅん、としたように見つめる立香が可愛くて愛しくてテスカトリポカは大声で笑う。
「いいや?さすがクソ度胸だな!」
握られた手を掬い上げて指先に口付けを一つ。
「―――幸せにしてくれよ?ダーリン」