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    ボのハロウィンネタ。嬬武器烈風刀(つまぶきれふと)君と学園初等部の皆様方他同級生数名。ほんのりNL風味。
    キャラが気になったら公式キャラ紹介ページ(https://p.eagate.573.jp/game/sdvx/ii/p/chara/index.html)見てください。ついでにゲーセン行ってゲームやってください。頼む。頼む。

    お菓子だ!いたずらだ!ハロウィンだ! カサ、と手にした紙袋が音をたてる。中に詰まった小さな袋、その中に詰まった菓子を見やり、烈風刀はふ、と息を吐いた。
     今日は十月三十一日、ハロウィンである。毎年子どもたちがお菓子といたずらを求めてやってくる日だ。
     もちろん、いたずらをされてはたまらない。子どもとはいえ、否、子どもだからこそ皆容赦のないいたずらを仕掛けてくるのだ。一人相手ならまだいい。しかし、何人もが相手となると正面から受け止めるのはかなり厳しいものである。連続でやってくることを考えると尚更だ。 それに、菓子をもらえず悲しい顔をする子どもたちの姿はできれば見たくはない。子どもたちはいつだって元気で笑顔であってほしいのだ。
     だからこそ、少年は毎年この日に菓子を用意していた。生徒の自由を尊重し、イベント事に全力を注ぐこの学園は、校則が他に比べて緩い。菓子の持ち込みは許されていた。今日のような日は尚更である。
     今年のお菓子は、カボチャパウダーを練り込んだ生地とココア生地を合わせたアイスボックスクッキーだ。薄い橙と焦げ茶の市松模様はハロウィンらしい色合いだろう。味に関してもかぼちゃとココアの組み合わせは相性が悪くない。量産もしやすいから、こういうイベントにはもってこいの品だ。
     さて、今年は誰が一番に来るだろう。やはり業務で真っ先に会うレイシスと雷刀だろうか。そんなことを考えながら、作戦会議室を目指し廊下を歩く。足音が広い空間に響いた。
    「れふとおにーちゃん!」
     元気な声と足音が後ろから飛んでくる。パタパタパタと軽やかなそれがどんどんと近づいてくる。耳慣れた可愛らしい声に、碧はくるりと振り返った。
     視界に飛び込んできたのは、白い塊三つだった。真っ白な何かの中央には、黒い丸が二つある。頂点は少し膨れ上がり、三角形のような形が二つ浮き上がっていた。そんな不思議な物体が、素早く駆け寄ってくる。さながらホラー映画の一場面だ。異様な光景に、少年はびくりと肩を震わせる。一体何だ、と戦きながらもよく見ると、裾がひらひらと揺れている。大きな布を被っているようだ。
     布を被った小さき者たちは、少年の前でピタリと止まった。頭に三角耳の形が浮かぶ真っ白な生地の端からは青、桃、黄の三色の尻尾が覗いていた。布の中央辺りでくり抜かれた穴から、キラリと鮮やかな目が三対光った。
    「トリック……」
    「オア!」
    「トリート、です!」
     三つの愛らしい声が一つの単語を作り上げる。中でばんざいするように手を上げたのか、布の両端が持ち上がりひらめいた。上がった裾からカラフルな靴下が覗く。
     元気な声に――バタフライキャットとひとまとめにして呼ばれる初等部の子猫、蒼、雛、桃の弾んだ声に、少年は頬を緩める。どうやら、今年はお化けの仮装のようだ。遠目ではただの白い塊にしか見えなかったそれには面食らったが、こうやって近くで見てみればとても可愛らしいものである。
     烈風刀は屈みこみ、少女たちと視線を――彼女らの目は穴の奥に隠れてしっかりとは見えないが――合わせる。穴の奥、夜闇の中の猫のように目を輝かせる子猫たちを見て、彼は首を傾げた。
    「三人とも、そんな小さな穴でちゃんと前が見えているのですか?」
    「見えてるよ!」
    「大丈夫……」
    「きちんと見えています!」
     少年の問いに、少女たちは元気に答える。こちらまでまっすぐに駆け寄ってきたのがその証拠だろうが、見ている分にはどうにも危なっかしい。ひらひらはためく布をどこかに引っかけてしまうのではないか。長い裾を踏んで転んでしまうのではないか。少しの不安が碧の胸をよぎる。
    「そうですか。でも、足下には気を付けてくださいね。踏んで転んでは大変ですから」
     少年の言葉に、はーい、と三人合唱が返される。中で片手を上げたのだろう、小さなお化けたちの頭の横に小さな山ができあがった。
    「それより! れふとおにーちゃん!」
    「お菓子くれなきゃいたずらしちゃいますよ!」
    「するよー……」
     バサバサと布をはためかせ、少女らは声をあげる。ハロウィンでよく聞く言葉だ。元気盛り、いたずら盛りの年頃だ、本当にいたずらする気満々なのだろう。布の裾から覗く三色の尻尾は獲物を狙う猫のそれのようにゆらゆら揺らめいていた。白い布地に包まれた耳が期待するようにぴょこぴょこと動く。
    「それは困りますね。はい、どうぞ」
     紙袋から包みを三つ取り出し、子猫たちに差し出す。甘い香りを上げるそれを目の前に、目出し穴の奥で三色三対の瞳が輝くのが分かった。
     お化けたちの裾がばっと上がり、小さな手三つ露わになる。紅葉のようなたなごころが、クッキーの入った袋を一つずつ掴んだ。
    「クッキーだ!」
    「ハロウィン色だ……!」
    「可愛いです!」
     袋の中に並ぶ市松模様を見て、三人はきゃいきゃいと可愛らしい声をあげる。頭から布を被っている故表情は全く見えないが、声の調子から喜んでいることがありありと分かった。はしゃぐお化け猫たちの様子に、碧は口元を綻ばせる。こうやって喜んでくれる姿を見ると、作ってよかったと毎年思うのだ。
    「お菓子くれたからいたずらはなしですね」
    「それは助かります」
     桃の言葉に、烈風刀は柔らかに返す。どこか残念そうな響きをしているのは気のせいではないだろう。菓子をもらえて嬉しいのは彼女らの本心だろうが、いたずらをしたいのも本心なのだ。そのことは、日頃のはしゃぐ姿からよく見て取れた。
    「……だめ?」
    「駄目ですね」
     クッキー片手に首を傾げる蒼に、少年は苦笑する。日頃から面倒を見ている愛しい子猫たちではあるが、さすがにお菓子といたずらいっぺんに選ぶのは反則だ。きちんと菓子をあげたのだから、いたずらをされては困る。相手が何をしてくるか分からない子どもならば尚更である。
     えー、と唇を尖らせる蒼と雛を、だめですよ、と桃が窘める。クッキーで許してくださいね、と念を押すと、はーい、とお化け猫たちは素直に手を上げて答えた。
    「ありがとね!」
    「れふとおにーちゃん、ありがとう……」
    「ありがとうございました」
     布の中に包みをしまい、猫たちは三者三様に礼を述べる。さよならー、とまた合唱。くるりと一斉にターンし、少女らは廊下を駆けていった。ひらひらとはためく白いお化けたちが、初等部に続く廊下の角を曲がって消えていく。
     立ち上がり、烈風刀は小さく息を吐く。真っ白なお化けという三人の仮装には驚かされたが、大きな布をひらめかせ大きく動く彼女らの姿は可愛らしいものだった。渡したお菓子も、狙い通りハロウィンらしい部分を喜んでもらえたようで何よりである。いたずらまで欲張られたのは少し困ったが。
     さて、次は誰が現れるだろう。そんなことを考えながら、少年はまた廊下を歩こうと一歩踏み出す。
     ぱたぱたと軽い足音。前方から誰かが駆けてきているのが見えた。小さな点だったそれが、どんどんと近づいて大きくなっていく。オレンジ色と白色の小さな影は、碧い少年の前でぴたりと立ち止まった。
    「お菓子ちょうだい!」
     元気な声にワン、と可愛らしい鳴き声が続く。初等部のリボンと、その愛犬のわたがしだ。普段は大きなリボンで飾られた黄金色の頭は、今は真っ白な三角耳のカチューシャで彩られていた。もこもことした素材が可愛らしい。まるで愛犬とお揃いのそれは、月色の頭によく似合っていた。
     彼女らしいまっすぐすぎる言葉に、少年は小さく笑みをこぼす。お菓子が大好きなリボンにとっては、いたずらよりもお菓子が何よりも重要なのだろう。いたずらの『い』の字すら出てこないのが実に正直で、いっそ好感すら持てた。
    「はい、どうぞ」
     少年は屈み、紙袋からクッキーが入った袋を取り出し、菓子を愛する少女に手渡す。透明なラッピング袋の中に詰まった焼き菓子を見て、まあるくふくふくとしたかんばせがぱぁと輝いた。やったー、と喜びの声と、ぴょんぴょんと跳ねる音。隣に寄り添う愛犬も、飼い主の嬉しそうな様子にワン、と一鳴きした。
     すぐさまねじられたラッピングタイを外し、少女は袋の中に手を入れる。紅葉手が中身を一枚取りだし、いただきまーす、と口に放り込んだ。サクン、とよく焼けた生地が割れる音。柔らかな頬がもごもごと動く。次第に、星光る夕焼け色の瞳がキラキラと輝きだした。
    「おいしい!」
    「それはよかった」
     菓子好きの少女の言葉に、作り手の少年は口元を綻ばせる。やはり、『美味しい』と喜んでもらえるのは嬉しい。菓子をこよなく愛し食べてきた彼女にも満足のいく出来だというのも嬉しいことだ。もしゃもしゃと笑顔でクッキーを頬張る少女を、碧い瞳が愛おしげに眺めた。
    「ほら、わたがしも食べて!」
     ほらほら、と飼い主は愛犬へと一枚差し出す。キューン、と不安げな声をあげ、わたがしは小さく一歩退いた。丸くもこもことした身体が動き、つぶらな黒い瞳が少年の方へ向けられる。本当に食べていいのか、と問うように潤んでいた。
     自分の知識が確かであれば、犬が食べていけないような材料は使っていない。しかし、人間の食物の味付けは動物たちには濃すぎるため良くないという話は度々聞いている。動物用ではないものを食べさせるのは、わたがしの身体のことを考えると控えるべきだろう。
     ストップ、と少女と犬の間に手を割り込ませる。突然のことに、夕陽色の目がぱちりと瞬いた。
    「これは犬用のものではないので食べられない……というより、食べさせない方がいいですね。ごめんなさい」
    「そっかー……」
     諭す少年の言葉に、星色の目をした少女はしょんぼりとした顔で俯く。きっと、愛犬と菓子を食べるという幸せを分け合いたかったのだろう。落ち込んだ飼い主を慰めるように、リボンでおめかしをした愛犬がすりすりと足下に擦りつく。ワン、とまた一鳴き。まるで気にするな、と励ましているようだ。
    「また今度、わたがしも食べられる物を作ってきますね」
    「ほんと?」
     烈風刀の言葉に、リボンは顔をあげる。そこには、まだほんのりと悲しみがにじんでいた。それを振り払うように、はい、と力強く返事をする。待っていてくださいね、と足下のふわふわとした白い身体を撫でた。ワン、と元気な鳴き声が一つ廊下に響く。蒲公英の瞳が、柔らかな白と澄んだ浅葱を往復する。輝きを取り戻したその色が、元気よくぱちりと瞬いた。
    「約束だよ!」
    「はい、約束です」
     少女は小指をピンと立てた手をこちらに伸ばす。少年も同じように小指を立て、手を差し出した。指と指が絡み合う。ゆーびきーりげーんまーん、と可愛らしい声とともに繋がった手が揺れた。
     お菓子ありがとー。ワン。一言ずつ言い残し、一人と一匹は廊下を駆けていった。小さな背が初等部棟へと続く廊下に消えたことを確認し、碧は立ち上がる。帰ったら犬用クッキーのレシピを調べねば、と考えながら、再び廊下を歩き出した。
    「れーふとー!」
    「れふとー!」
     また後ろから声。そして、タン、タン、とリズミカルに地を叩く音。少し特殊な足音に眉をひそめながらも、名を呼ばれた少年は振り返る。そこには、黒いマントをはためかせた二人の兎がいた。ライムグリーンの靴が床を踏みしめ、宙を飛ぶ。マントが羽のようにひらひらと舞った。
    「トリック・オア・トリート!」
    「お菓子くれなきゃいたずらしちゃうよー!」
     ぴょん、と器用に烈風刀の目の前に着地し、ニアとノアはお決まりの文言を口にする。大きく開いた口からは、普段は見えない八重歯が覗いていた。きっと、仮装用の小道具だろう。丈の長い真っ黒なマントを見るに、吸血鬼の仮装だろうか。小さな両の手には、お菓子が顔を覗かせる紙袋が握られている。もう各所でたくさんお菓子をもらってきたらしい。
    「二人とも、廊下を飛んではいけないと言っているでしょう」
    「……トリックオアトリート!」
    「おっ、お菓子!」
     険しい面持ちでいつも通り注意する少年に、少女らはもう一度ハロウィンの挨拶を繰り返す。どうやらそれで誤魔化す気らしい。イベント事で浮ついているのは分かるが、やはり危ないのだから注意してほしいものだ。楽しいイベントだというのに、狭い空間で跳んで跳ねて怪我をしては台無しになってしまうのだから。
     ふぅん、と翡翠の瞳が細められる。そこには日頃子どもたちと相対する彼らしからぬ少し冷たい色が宿っていた。
    「悪い子にあげるお菓子はありませんよ」
    「飛びません!」
    「ちゃんと歩きます!」
     はっきりと通る声に、双子兎はビシリと額に揃えた手を当て必死な声で叫ぶ。良い子にするからお菓子ください、と兎たちは合唱する。こちらを見つめる瑠璃の瞳はうるうると揺らめいていた。普通ならば、菓子をくれないならばいたずらをするところだろうに、よほど菓子が食べたいらしい。いたずらのことなどもう忘れてしまったようだ。きちんと言いつけを守ろうとする姿勢といい、素直なのはよろしいことである。
    「良い子にしているならあげましょう。どうぞ」
    「やったー!」
    「ありがとう、れふと!」
     はい、と小さな手に包みを乗せてやる。瞬間、悲しげに歪んでいた顔がぱぁと明るくなった。クッキー片手にぴょんぴょんと元気に跳ね、二人は礼の言葉を口にする。あ、と気まずげな音がこぼれ、地面を蹴る足音がピタリと止む。本当に言いつけを遵守するつもりのようだ。素直で微笑ましい姿に、少年は小さく笑みをこぼした。
     チラリ、と青兎たちは碧を見上げる。星空色の視線が、手に持った袋と少年を往復する。何か言いたげな様子に、どうしたのだろうか、と小さく首を傾げる。もしや、もう一つ欲しいと言い出すのだろうか。
    「一人一個ですよ」
    「わ、分かってるよ!」
    「そうじゃなくてー……」
     うー、と不満げに呻きをあげ、少女たちは再び烈風刀を見上げる。ゆらゆら揺れる二対のアズライトが、エメラルドを見上げる。カサ、と小さな手に握られた紙袋が音をたてた。
    「れふとはハロウィンやらないのー……?」
     頭を寄せるように首を傾げ、兎たちは声を揃えて問う。予想外の言葉に、若草色の目がぱちりと瞬きをした。
     ハロウィンならきちんと楽しんでいる。今まであってきた少女らのように仮装こそしていないが、子どもたちに渡すためにわざわざ菓子を作る程度には自分もハロウィンを満喫していた。二人にもきちんと菓子を渡したのだから、それは伝わっているはずだ。だのに、何故そのようなことを問うのだろう。
     しばしの思考。あ、と小さな音が薄い唇からこぼれ落ちる。そういうことか、と頷き、少年は屈みこむ。蒼天のような瞳をまっすぐに見つめ、彼は手を差し出した。
    「トリック・オア・トリート」
     お菓子くれなきゃいたずらしちゃいますよ、といたずらげな調子でお決まりの文言を口にする。薄い唇の端は、ゆるりと持ち上がっていた。
     ぴこん、と二人の頭に付けられたリボンカチューシャが揺れる。見つめた先、紺碧の瞳がキラキラと輝き出す。待っていました、とばかりにノアは持っていた紙袋に急いで手を突っ込む。長い袖を器用に操り、中から一つの袋を取りだした。
    「お菓子あげるよ!」
    「いたずらしないでー!」
     きゃいきゃいとはしゃぎながら、双子は伸ばされた手に小さな袋を乗せる。白い英字が書かれた透明な袋の中には、クッキーが入っていた。溶けてしまったように輪郭が少しひしゃげ少し濃い焼き色をしたそれは、手作りだと一目で分かるものだ。きっと、彼女らも自分と同じようにハロウィンで皆に配る菓子を作ってきたのだ。そわそわとした様子を見るに、それを自分にも渡したくて仕方無かったらしい。それはそうだ、せっかく用意してきたのならば食べてもらいたい。それは、料理を作る者として当たり前の欲求だ。
    「ありがとうございます」
    「こちらこそ!」
    「れふともお菓子ありがとう! 大切に食べるね!」
     少年はふわりと笑って礼を言う。ニアとノアの二人ももらった袋を大事そうに両の手で包み込み、ニコリと笑う。青空色の睫で縁取られた目が、虹のように大きな弧を描いた。
     また明日ねー。ハッピーハロウィーン。双子兎はそう言って、玄関へと早足で歩いて行った。ちゃんと言いつけ通り歩いているあたり、彼女らは根は素直で良い子なのだ。いつも楽しい気持ちがそれを上回ってしまうのが問題なのだけれど、それはまだ幼い故だろう。
     さて、と少年は袋の中を見る。クラスの友人たちに渡したのもあって、大きな紙袋の中身は朝よりだいぶ減っていた。それでも、まだ訪れていない子どもたちに配る分はあるはずだ。そして、愛しいレイシスにも。
     彼女もハロウィンを楽しんでいるだろうか。菓子を渡したら喜んでくれるだろうか。そんなことを考え、少年は再び歩き出そうとした。
     瞬間、視界が紫に染まる。目の前が一色に塗り潰され、ビクン、とクリーム色のジャケットに包まれた肩が跳ねた。突然の異常から逃げるように、反射的に一歩後退る。少し広くなった視界に、今度はオレンジが映り込んだ。ぱたぱたと羽がはためく音が静かな廊下に落ちる。
    「菓子ヨコセー!」
    「ジャナイトイタズラシチャウヨ?」
     勢いの良い声とクスクスと高い笑い声が耳をくすぐる。目の前に突如現れたのは、学園の理科室に住み着いている小さな悪魔、カヲルとアシタだ。姉妹たちも、ハロウィンを楽しもうとしているらしい。学園内でも随一のいたずらっ子――今までの所業を考えるとそんな可愛らしい言葉で済ませていいのか疑問だが――の彼女らにはもってこいのイベントなのだ、普段よりも増して元気に見えた。
     八重歯覗く口がサッサトシロヨ、ハヤクハヤク、と少し乱暴な調子で言葉を紡ぎ出す。先の尖った尻尾がゆらゆらと振られていた。
    「いたずらされては困ります。はい、どうぞ」
     袋から包みを二つ取り出し、小さな手に乗せてやる。シンプルなラッピングが施された小袋を見て、少女らは二マリと笑う。そこにはまだいたずらの色が宿っていた。
    「コレッポッチジャ足リナイヨー?」
    「モットヨコセー!」
     菓子の袋を掴んだまま、双子は怒りを表すように両手を掲げる。八重歯覗く口からはケタケタと意地悪げな笑い声が漏れていた。どうやら、意地でもいたずらがしたいようだ。
    「一人一つですよ」
    「知ルカ!」
    「クレナイナライタズラダネー」
     眉を寄せ、烈風刀は小さな悪魔たちを眇目で見つめる。そんなことはお構いなしとばかりに、二人はわがままを叫んだ。クスクスとまた笑い声。こんなに幼いのに、とても悪魔らしい響きをしていた。
     ホラホラ、と少女らは小さな三つ編みを揺らしにじり寄る。その手には、いつの間にか緑色の小瓶が握られていた。きっと、彼女ら謹製の香水だ。それも、ほぼ確実にただの香水ではない。怪しい効能付きのものである。ただでさえろくなことを起こさないのだ、『ハロウィン』といういたずらっ子の祭典のために用意されたそれがどんな効能を持つかなど考えたくもない。
     きゅぽん、と蓋が抜かれる音。同時に、少年ははぁ、と溜め息一つ吐いた。投げやりに袋に手を突っ込み、もう一袋取り出す。今にも瓶を傾けんとする双子の前に、それを掲げて差し出した。
    「特別ですよ。半分こしてくださいね」
     他の子どもたちのいたずらなら甘んじて受け入れただろう。しかし、カヲルとアシタはただの幼い子どもでなく悪魔である。そんな何が起こるか全く分からない、実害を伴う彼女らのいたずらを受けるのはごめんである。菓子一個で回避できるなら素直にしておくべきだ。
    「エー」
    「モウ一個クレレバイイジャン」
    「二人だけ特別なのですよ? わがまま言わない」
     毅然とした碧の言葉に、双子悪魔は顔を見合わせる。不満げにぷくりと頬を膨らます姿は年相応の可愛らしいものだ。その手に握られた怪しい香水の瓶が全てを台無しにしているのだけれど。
     チェー、と二人はいじけた声を発する。どうやら、この一袋で手を打ってくれるようだ。内心、ほっと胸を撫で下ろす。二人だけを特別扱いするのは少し気が引けるが、謎の香水の餌食になるとなれば話は別だ。菓子一個で己の身を守れるのならば安いものである。
     カサカサとビニールが擦れる音。真っ先に袋を開け、少女らは白い手袋に包まれた手を袋の中に入れる。細く小さな指がクッキーを一枚掴み、口に運ぶ。サクリ、と軽い生地が割れる音がした。
    「ウメー!」
    「オイシイネ、カヲルタン!」
     目の前に浮かぶブラッドレッドの瞳がキラキラと輝き出す。どうやら、お気に召したようだ。ウメー。オイシー。楽しげに声をあげながら、少女らは袋の中身をひょいひょいと口に放り込んでいく。頬を膨らませもぐもぐと食べる姿は、小動物的愛らしさがあった。この姿だけ見れば、ただの可愛らしい子どもなのだから困る。
     食べれば無くなる。それは必然だ。二人で半分こ、それもハイペースで食べたため、袋はあっという間に空になってしまった。同じ色した二対の瞳が、名残惜しげに空になった袋を見つめる。しばしして、期待で彩られた顔がこちらに向けられた。
    「ダメです」
    「チェー」
    「ケチー」
    「特別だと言ったでしょう」
     唇を尖らせる悪魔たちに、烈風刀は袋を後ろ手で隠しながら言う。これ以上食べられてはキリが無い。悪質ないたずらを盾にわがままを突き通させるのも、教育上よろしくない。ここできちんと終わらせなければいけないのだ。
    「……マァ、勘弁シテヤンヨ。ネ、アシタタン」
    「仕方ナイネー。カヲルタン」
     姉妹は顔を見合わせケラケラと笑う。悪魔じみた響きが廊下にこだました。瞬間、目の前の小さな躯体が消える。どういう原理かは知らないが、どうやら満足して帰ったようだ。最初から最後まで心臓に悪い少女らだ。
     高い笑い声が未だ耳に残る中、少年は歩き出す。度々子どもたちに引き留められるため、作戦会議室までの道のりはまだ遠い。アップデート作業は一昨日の時点で終わらせており、正常に動いていることは昨日確認済みである。ハロウィンを楽しみたいレイシスの望みを叶えるため、この一週間調節に調節を重ね、今日行うべき業務はできるだけ減らした。慌てる必要はないが、それでもあまり遅くなるのもよくないだろう。手早く済ませ、彼女が長くハロウィンを楽しめるようにしてやらねばならないのだ。それが今自分が何よりもやるべき事である。
     作戦会議室目指し、少年はまた一歩踏み出す。タタタ、と軽快な足音が近づいてくる。また子どもたちだろうか。今度は誰が来るだろう、と考え、碧い少年はふと目を細め振り返った。
    「烈風刀ー!」
     耳に飛び込んできた耳慣れた声と視界に映った朱に、碧は眉を寄せる。これでもかというほど露骨に顔がしかめられた。
     そんな彼の様子など毛ほども気にせず、走り寄ってきた少年――雷刀はキラキラと輝く目で弟を見つめる。大きな手をこれでもかと広げ、ずいと碧の目の前に差し出した。
    「トリックオアトリート! 菓子くれ!」
    「もうあげたでしょうが」
     弾む声を冷たい声が切り捨てる。明らかにうんざりとした、機嫌の悪さを露わにした声だ。子どもたちの前ではまず見せない様子である。相手が血を分けた兄だからこそ、取り繕うことなく感情をさらけ出しているのだ。そして、こんな感情を抱くのも相手が兄だからである。
     昨晩クッキーをラッピングしている最中、雷刀は突然言ってきたのだ。『トリック・オア・トリート』と一日早い挨拶を。明日まで待て、と拒否したが、彼はいたずらげな笑みで時計を指差した。よく見れば、壁掛け時計の短針は十二を指していた。どうやら、ラッピングしている内に日付を超えてしまったらしい。お決まりの文言が再び紡がれるより先に、脇に積み重なっていたクッキー一枚を引っ掴みその口に放り込んだのが今日の夜中の話である。これで彼の分は終わりだ、と思っていたのだが、また要求してくるとは。何とも図々しい兄を持ったものである。
    「それはそれ、これはこれだろ? てかオレだけクッキー一枚とかさすがにひでーだろ」
     ほら、と朱は広げた手をひらひらと振る。幼い子どもであれば可愛らしい光景であるが、相手は同い年の双子の兄である。可愛らしさなど欠片も感じない。ふてぶてしさだけがそこにあった。
    「何? それとも烈風刀はいたずらがいい?」
     ニヤ、と口角を吊り上げ、雷刀は笑う。差し出された手が顔の横まで持ち上がり、指が曲がり伸ばされを繰り返す。明らかに何かよからぬことを働こうとする動きだ。じり、と朱い少年は一歩にじり寄る。ほらほらー、と煽る声は腹立たしいものだ。
     はぁ、とこれ見よがしに嘆息する。彼の考えるいたずらなど大したものではないだろうが、そんなものに構ってやる暇などない。紙袋の中に手を入れ、引っ掴んだそれを投げ渡す。宙を舞ったそれを、目の前の朱はきっちりと受け止めた。カサ、と手の内に収まった透明な袋が声をあげる。
    「さんきゅ。いたずらは勘弁してやんよ」
    「図々しいにも程があるでしょう」
     ニコニコと楽しげな笑みを浮かべる雷刀に、烈風刀は酷く渋い顔で返す。何が『勘弁』だ、二度ももらうなどと卑怯なことをしているというのに。何とも身勝手で面倒な兄を持ったものである。
     ふと頭に疑問がよぎる。これだけ人に菓子をねだる彼だが、その手には先ほど渡した菓子以外何も持っていない。ぱっと見たかぎりでは、ポケットに何かを入れている様子もないようだ。ふむ、と頷く。そのまま、少年はずいと手を差し出した。
    「……トリック・オア・トリート」
     碧は冷たい声と視線を浴びせる。え、と目の前の紅緋がきょとりと丸くなる。八重歯覗く口が間抜けに開かれた。
    「人にねだっておいて、貴方は何も持っていないなんてことありませんよね?」
     小首を傾げ、碧の少年はニコリと笑う。花浅葱の睫に彩られた目は柔らかな弧を描いているが、その表情は笑顔からは程遠い冷たさを孕んでいた。どこか気迫のあるそれは恐ろしさすら感じるものだ。
     弟の言葉に、兄の身体がギクリと固まる。あ、え、と意味を持たない音が気まずげに開いた口から漏れ出る。真紅の瞳はうろうろと宙を泳ぎ、定まらない。ザリ、と音をたてて一歩後退ったのが見えた。踏み出し、離れた分の距離を詰める。ほら、と一言催促すると、びくんと目の前の身体が大袈裟なほど跳ねた。
    「えーっと……」
     濁った声を漏らしながら、朱はきょろきょろと視線を彷徨わせる。呻き声がいくらか漏れた後、彼は今しがたもらったばかりのクッキーをそろそろと差し出した。
    「駄目に決まっているでしょうが」
     ふざけた行動を冷え切った声が切り捨てる。だよなぁ、と諦めきった声が響いた。分かっているなら最初からやるな、と眉間に更に皺が刻まれる。よほど凄まじい形相をしているのだろう、うぇ、と目の前の朱が小さく苦い声を漏らしたのが見えた。
    「お菓子がないのでしたら、いたずらしますね?」
     一言放ち、烈風刀は一歩踏み出す。同時に、雷刀は一歩後退る。踏み出す。後退る。踏み出す。後退る。何度も繰り返されるそれに、一向に二人の距離は縮まらない。往生際が悪いにも程というものがある。
    「…………やだ!」
     子どもめいた声をあげ、雷刀は急いで踵を返す。ダン、と強く足を踏み出す。力強い足音ととも、片割れは廊下の奥へと消えていった。
     一人だけの廊下に溜め息が一つ落ちる。呆れと疲労を滲ませた重苦しいものだった。鈍く痛む頭に手を添える。秋も終盤の空気でほんのりと冷えたそれが心地良く思えた。
     人にしつこく菓子を要求しておいて、いざ自分が同じ文言を言われては逃げるなど、どれだけふざけているのだ。まさか小さい子相手にもやっているのではないか、と疑念が浮かび上がる。否、さすがにないだろう。彼も子どもたちが好きで、なかなかに面倒見が良いのだ。おそらく大人しくいたずらを受けているだろう。それが双子の弟相手となったら逃げるというのは何とも情けないが。
     彼は自分だけクッキー一枚で済まされるのは酷い、と主張していた。それくらい分かっている。だから、家に帰ったら残った生地を焼いて、夕食後に一緒に食べようと考えていたのだ。けれども、こんなことをされてはさすがにそんな甘いことをする気は起こらない。冷凍したままにして、今度の休みに自分一人だけで食べてしまおう。そんなことを考えながら、少年はまた歩みを再開する。軽い足音が廊下に響いた。
    「烈風刀!」
     可憐な声とともに、ぱたぱたと軽やかな足音。前方、広がる視界に桃色が揺れる。紫色の三角帽がふわっと浮いた。
    「烈風刀! トリック・オア・トリート! デス!」
     落ちてしまいそうになった帽子を手で押さえつつ、走り寄ってきたレイシスは声高にハロウィンの挨拶をした。桃色の目と桜色の唇はにっこりと弧を描いており、彼女のテンションをよく表している。
     レイシスはイベント事が大好きだ。しかし、イベントとアップデートは重なるもので、当日は運営業務に追われ満足にイベントを楽しむことはあまりできなかった。しかし、今年は少しだけ早めのハロウィン関連アップデートを行い、当日の業務を極力減らしたのだ。少なくとも、レイシスへの負担は最小限にしている。だからこそ、今年は楽しんできてください、と放課後彼女を友人たちの元へ送り出したのだ。あの時見せた、いっそ泣き出してしまいそうなほどの満面の笑みは、まだ瞼の裏に焼き付いている。
     今年こそはとことん楽しむと決めたらしい。彼女の服装は、クリーム色の学園指定制服から変わっていた。濃紫のパフスリーブワンピースには、そこかしこをオレンジと黒の大ぶりなリボンが彩っている。丈は短いが、ふんだんにあしらわれたフリルからボリューミーな印象を与えられる。普段は高い位置でツインテールにしているピンク色の髪は、今日は太くゆるい三つ編みのお下げにアレンジされていた。頭にはワンピースと同じ色をした大きな三角帽子が被されている。先日、別世界と繋がった際に撮影したハロウィンドレスだ。今日という日にぴったりな衣装である。肩に掛けられたトートバッグは膨らんでいる。きっと、友人らに菓子をたくさんもらったのだろう。彼女の交友関係の広さと人望が窺える。
     愛しい少女の可愛らしい姿に、烈風刀は口元を綻ばせる。魔女らしくも少女然としたデザインは、愛らしい彼女によく似合っていた。二つ結びになった三つ編みが、普段よりも幼く純朴とした印象を与える。楚々とした彼女のために作られた衣装は、その魅力を何倍にも膨らませていた。
    「はい、お菓子あげますから――」
     だらしなく緩みそうになる頬に力を入れつつ、少年は紙袋に手を入れる。掴んで取り出したのは、先ほどニアとノアにもらったクッキーだった。想定外のものに、碧い目が丸くなる。一度しまい、改めて袋の中を覗き込む。あれだけあったクッキーの包みは、綺麗に無くなっていた。
     あれ、と思わず疑問符が多分に含まれた声が漏れる。何度袋の中を手で引っ掻き回しても、あるのは二人にもらったクッキーだけだ。自分で作ったものは一つも見当たらない。どうやら、先ほど雷刀に渡したものが最後だったようだ。あの兄め、と弟は眉を寄せる。せっかくたくさん作ってきた――愛しいレイシスにも食べて喜んでもらうために作ってきたというのに、無くなっては意味がないではないか。きちんと計算して用意しなかった自分にも非はあるが、直接の原因となった兄へ恨みを向けてしまう。白い眉間に皺が刻まれた。
    「アレ? 烈風刀?」
     ずっと紙袋の中を探る少年の姿に違和感を覚えたのだろう、少女は不思議そうに首を傾げ、彼の名を呼ぶ。野の花が風にそよぐように、撫子の髪がふわりと揺れた。
    「えっと……その……」
    「もしかシテ、お菓子ないんデスカ?」
    「…………はい」
     少女の問いに、少年は消沈した声で答える。もらったお菓子が入った紙袋を丁寧に地面に置き、両手を頭の横まで上げる。降参のポーズだ。好きにしてくれ、と全身で語っていた。
     はわ、とレイシスはこぼす。その声は悲しみと喜びがない交ぜになった不思議な色をしていた。お菓子がもらえない悲嘆と、いたずらができる歓喜が同時に湧き起こってきているのだろう。菓子好きでイベント好きな彼女としては複雑であろう。
    「……ジャア、いたずらしちゃいマス!」
     しばしの沈黙の後、キラン、と紅水晶の瞳が輝く。温厚な彼女には珍しい、いたずらっ子の光が宿っていた。せっかくのハロウィンだ、お菓子だけでなくいたずらも楽しみだったであろうことはよく分かる。それが堪能できる今に目を輝かせるのは必然だ。
     一体どんないたずらをされるのだろう、と少年は楽しげな少女を目の前に考える。清楚で元気な彼女は、どちらかというといたずらをされる側だ。年相応にお茶目な部分はあれど、いたずらをすることなど滅多にない。そんな彼女のいたずら、それもハロウィンというはっきりとした名目のある本気のものなど、想像が付かなかった。
     薔薇色の少女は、じりじりと碧の少年に近づく。距離が縮まる度に、鼓動が速くなっていく。何をされるか分からない緊張もあるが、それ以上に好きな女の子が自分のすぐ近くまで来ているという事実が心臓を力いっぱい動かした。こくり、と息を呑む。口の中は二つの緊張でどんどんと乾いていった。
    「コチョコチョー!」
     元気な声とともに、少女は少年へと飛びかかる。好きな女の子がすぐ近くまで――しかも、己の胸に飛び込んでくるように迫ってきた事実に、烈風刀の頬にぶわっと紅が刷かれた。天河石の目が怯えたように、逃げるようにぎゅっと閉じられる。
     抱きつくように大きく開かれた細い腕は、少年の脇腹へと伸ばされた。たおやかな指が曲げられ、伸ばされ、制服の上から薄い肌をくすぐる。白い指は何度も蠢き、少年の横腹を細かくなぞった。
     敏感な部分に触れられ、肌が粟立つ。瞬間、身体中にくすぐったさが広がっていく。は、と呼気にも似た音が開かれた口から漏れた。
    「ぁっ、は、ははッ!」
     容赦ない手の動きに、烈風刀は大きな笑い声をあげる。物静かな彼らしくもない、腹の底から出すような大声だ。くすぐられているのだ、そんな声もあげてしまうのも仕方が無いだろう。我慢しろと言う方が難しい。
    「ッ、あ、はは! れいし、す! あは、やめ、やめてくだ、ははは!」
    「逃げちゃダメデスヨー?」
     コチョコチョー、と楽しげな声を奏でながら、少女の細く美しい指が少年の脇腹をくすぐる。容赦など全くない、本気の動きだ。何にでもまっすぐ全力を出す彼女だ、いたずらも例外では無いのだろう。された側はたまったものではないが。
     ははは、と少年はらしくもない大笑声をあげ続ける。あげるしかないのだ。全身を支配するくすぐったさに何もできなくなってしまっていた。距離を取ろうにも、愛するレイシスに『逃げないで』だなんて言われては、動くことなど本能が拒否する。結果、ただただその場に立ち尽くし、少女のいたずらを一身に受けるばかりだ。
    「は、ぁっ、はは! あ、は! れい、しす! も、や、ぁっ、はははは!」
     涙すら浮かべ笑う碧の姿に、桃はふふ、と笑みをこぼす。小悪魔めいた、いたずらっ子な響きだ。白魚のような手は止まることなく、こちょこちょと少年の脇腹をなぞる。その度に、彼は普段よりも少し高い笑い声をあげた。人のいない廊下に、いたずらっ子の楽しげな声と被害者の笑い声が響いた。
     どれほど経っただろうか、ようやく少女の手が退いていく。ようやく全身を襲うくすぐったさから解放され、烈風刀は思わずその場に崩折れた。腹を抱えるように脇腹を押さえて蹲り、ぜーはーと大きく息を吐く。あまりにも大きく長く笑ったため、呼吸するのもままならない。そういえばくすぐりは拷問に使われるとどこかで聞いたな、と酸素が足りていない脳味噌が余計なことを思い出した。
    「大丈夫デスカ?」
     ワタシのせいデスケド、と言いながら、レイシスは蹲った少年の顔を覗き込む。その目からはいたずらっ子の光は消え失せ、常通りの優しい色が戻っていた。心配げの声には、どこか満足感が滲んでいる。やはり、盛大に全力でいたずらできたのが嬉しいようだ。彼女が喜んでくれたならば、と少年の献身的な部分が満たされていく。未だ息が整わない身体は、もう少し加減してくれ、と泣き言を吐いた。
     だいじょうぶです、と息も絶え絶えに答える。すー、はー、と意識的に深呼吸をする。長い間くすぐられていたためか、まだ脇腹がぞわぞわとした感覚に陥る。ひ、と時折引きつった笑い声が名残のように漏れ出た。バクバクと心臓が大きく鼓動する。くすぐられていた名残もだが、好きな女の子に触れそうなほど近く、否、実際に触れられたことに小さな心が反応しているのだ。上気した頬は、いたずらによる笑みだけでなく恋の色がふわりと浮かんでいた。
    「らい、ねん、は、ちゃんと、用意、します、の、で……、勘弁、して、くださいね……」
    「もちろんデス! お菓子くれたらいたずらなんかしマセンヨ」
     笑い疲れもはや虫の息の烈風刀の言葉に、レイシスは笑顔で答える。大輪の花のように華やかな笑顔は可愛らしいものだ。けれども、碧にはそのかんばせがどこか恐ろしいものに見えた。
     降ってきた声に、少年は安堵の息を吐く。素直できちんとした彼女がトリックもトリートもいっぺんにやるとは思えないが、いたずらを受けたばかりの脳味噌にはその保証の言葉は何よりも染み入った。
     懸命な深呼吸の末、ようやく息が整ってきた。はー、と一度大きく息を吐き、烈風刀は立ち上がる。まだ脇がそわそわとする感覚があるが、笑いも息も大方収まった。もう動けるだろう。
     ニコニコと人好きする笑みを浮かべる桃を見やる。菓子という彼女が一番求めていたものを差し出すことができなかった悔やみはあれど、最終的にいたずらで満足してくれたのはいい。しかし、やられっぱなしというのも己の性にあわない。少しのいたずら心が、少年の胸に芽生えた。
    「……とりっく、おあ、とりーと」
     笑い疲れた声で碧は言葉を紡ぐ。どこか拙い響きをしていた。急くように差し出された手に、桃ははわっ、と声をあげる。驚きに開かれたラズベリルは、すぐにどこか得意げに細まった。
    「もちろん、用意してありマスヨ!」
     ふふん、と楽しげに鼻を鳴らし、少女は肩に掛けたトートバックに手を入れる。中を掻き回してしばらく、なめらかな手が透明な袋を掴んで取り出した。小さなそれの中には、小ぶりなマフィンが収められていた。カボチャを練り込んだのだろう、オレンジ色の生地はドーム状に丸く膨らみ、その斜面には三角形が三つチョコレートで描かれていた。二つの逆三角形の間に小さな三角形がある様は、ジャック・オ・ランタンを思わせる。ハロウィンらしい可愛らしい菓子だ。
     手渡された愛らしいデザインの菓子に、少年はふわりと笑みをこぼす。彼女の料理の腕前は高い。このような見目の美しさ、そこから想像できる美味しさは確かに保証されている。何より、好きな女の子の手作りお菓子をもらえたのが大きい。密かながらも多大な恋心を抱える碧にとって、それは何よりも嬉しく喜ばしいことだ。表情が緩むのも仕方の無いことだろう。
    「ダカラ、いたずらしちゃダメデスヨ?」
    「お菓子をもらえたのですからしませんよ」
     顎に人差し指を当て、レイシスは茶目っ気たっぷりに言う。烈風刀も軽い口調で真面目な言葉を返した。ふふ、と笑声が二つこぼれ落ちる。
    「ハロウィン、楽しいデスネ!」
     そう言って、薔薇色の少女はニコリと笑った。お菓子にいたずら、どちらも堪能できた今年のハロウィンは、彼女にとって良い思い出となったようだ。今まで業務を最優先にし、イベント事を楽しむ機会を失っていた彼女が、これほどまでハロウィンを楽しんでいる。愛する人が喜びに溢れ笑う様に、碧の少年の胸に幸福が広がっていく。彼女の幸せが、彼にとっての最大の幸せだった。
     それはよかった、と烈風刀は微笑む。ハイ、と少女はにっこりとした笑顔で頷いた。
     カボチャ色の陽が、二人の横顔を照らした。
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