勘違いの巧妙?エレンが入社してから初の参加プロジェクトが無事に終わり慰労会が開かれた。
慰労会の開催場所へ向かうとスーツ姿の集団に目を丸くする。
新人のエレンはプロジェクトに参加といってもほぼ下っ端の役回りで指示の通りキーボードを打つ日々。
自分の作ったデータや資料がプロジェクトのどこを担っていて貢献していたかなどよく分かっていない。
当然プロジェクトの規模も把握しておらず、慰労会当日やっと大規模なプロジェクトだったのだと認識した。
プロジェクトリーダーの挨拶から始まった畏まった慰労会ではあったが宴も酣となると賑やかになっていく。
割り当てられていた席から移動し、仲の良いメンツがアルコールを片手に集うともう止まらない。
幹事が予約した居酒屋はお洒落なバルで宴会個室が宛がわれている訳ではなく、広くはない店内の中央に椅子とテーブルが寄せ集められていた。
新人だからと最初はいじられていたエレンも終盤では放置され、まだ覚えていない顔ぶれの先輩方の話が盛り上がれば輪から自然と外れてしまう。
エレンはグラスを持ってカウンター席にこっそりと避難した。その隣にはすでに先客。
パソコンを広げて業務メールをチェックしているスーツの男がひとり。
面長の精悍な顔つき、整えられた顎鬚は同じく刈り整えられたもみあげへと繋がる。
年上に見えるが肌のハリから老け顔なだけで意外と歳は近いのかもしれない。
自分と同じように居心地の悪い酔っ払いの輪から避難してきたのかと思うと不思議な親近感が湧いた。
「お疲れ様です。こんな騒がしいのによく仕事やろうなんて思えますね」
お開きまでまだ時間もある。このまま最後までひとりというのはあまりに空しい。
考えるよりも先にエレンはグラスを傾けて男に話しかけていた。
ギロリと音がしそうな切れ長の瞳がエレンを捉えてからグラスに向かう。
エレンもたいがい目つきが悪く悪人面と言われるがこの男も相当だ。
瞳の大きいエレンが視線を不躾に寄越すと迫力があるらしい。
この男の場合は鋭利な刃物の切っ先のようだ。
乾杯のために差し出されたそれを男は少し考えるようなそぶりをしてから自分のグラスも同じように傾けた。
カツンッと音が鳴り、男とエレンのグラスは接触した。
「まあ打ち上げなんてこんなもんだろ、ずっとキッチリカッチリじゃ士気が下がる」
「俺、今年入社したばっかでプロジェクトの打ち上げ初めてなんですよ」
「へー、馴染めなくて同じボッチの俺に話しかけてきたってわけね」
「やな言い方しますねー、てか酒呑みながら会社PCとかいいんですかー?」
引っ掛かる物言いに言われっぱなしでは気のすまない性格であるエレンはあえて触れないようにしていた部分を突く。
企業ルールのセキュリティ違反に該当するであろう現状は大問題のはずだ。
しかし男はグラスを揺らすと口角をあげて笑った。
「ウーロン茶だから問題ない」
してやったりと口角を上げニッと笑う。それがなんだかさまになっていてそれ以上腹が立つ事はなかった。
これが新入社員と先輩の経験の差か。
もしかしたら男は違う部署の新入社員かもしれないという淡い期待は今のやり取りで潰えた。
まわりは先輩と上司ばかり。慣れない敬語と愛想よい表情の仮面を貼り付ける日々。
正直肩身が狭く肩が凝る。タメで話せる相手がひとりでも欲しかったのだ。
「目に見えて落ち込むなよ、俺のことチクるつもりだったのかよ」
「…っ違いますよ!俺同期とは配属先違くてタメで話せる相手いなくてアンタ…あ、すみません…えーっと」
「ああ、ジャンだ。ジャン・キルシュタインだ」
そういえば名前すら知らなかった。エレンが言いよどむと男はすぐに名を明かした。
察しの良さのおかげで会話がスムーズに進む。そこでもまた社会人の経験の差を見せ付けられる。
「キリュシュ…す、すみません、キルシュタインさんも」
「ジャンでいいよ」
「あ、じゃあお言葉に甘えて…ジャンさんもボッチだったから同じ新人なのかなーってアテが外れました」
「ふーん、そりゃ申し訳ない。な、ちょっとタメで話してみ?」
「えっ」
「就業時間外なんだし誰も聞いてねーよ、それとも他にもチクたがりがいるのか?」
「ちょ、しつこい!」
「いいね~、その調子その調子」
ジャンとの会話は思いのほか居心地がよく弾んだ。
タメで話すつもりはなかったエレンがまんまとペースに乗せられるほどには巧みであった。
気付けばあっという間にお開きの時間だ。
上司の締めの挨拶があるので指定の席に戻らなくては。
もともと二次会の参加は辞退するつもりだったが彼は参加するのだろうか。
そんなことが気になるほどにはもう少し話をしていたかった。
名残惜しくて一度振り返ると彼もまたエレンを見ており目が合うと小さく手を振ってくれた。
慰労会解散後、名刺を片手にエレンはジャンを探した。
聞きそびれてしまった所属部署を確認しておこうと思ったのだ。
次に社内のフロアでばったり出くわした際、何も知りませんではあまりに失礼だ。
そんなエレンを二次会メンバーを募る女性の先輩社員が冷やかす。
「エレンさっきナンパしてたよね!」
酔っているのかオフィスで聞くよりもだいぶ声量がでかい。
なんのことだ?身に覚えのないエレンはすぐさま問おうにも彼女のまわりの同僚が騒ぎ立てて声が届かない。
「会社の打ち上げ中にナンパって今年の新人やるな~」
「なりふり構わないとかよっぽど好みのタイプだったんだ」
「可愛い系?美人系?連絡先聞けたか?」
「ちがうちがう!カウンターにいた背の高い男の人!びっくりしちゃった!」
「男?!お前ホモなの!?」
「古いな~古いよお前!今の若い奴らそういうの関係ないのよっ」
「ちょっと!からかわないでくださいよ!それジャンさんですよ!」
遠慮のない酔っ払いからの好奇の眼差し、居心地の悪いエレンはすぐさま訂正を入れる。
これ以上根も葉もない憶測が膨れ上がり一人歩きされてはたまったものではない。
いじられてなんぼの新人の自分ならともかく親切にしてくれたジャンを巻き込みたくはない。
これでこの話は終わり!切り上げようとしたが先輩社員が首を傾げる。
「”ジャンさん”…て誰?」
一瞬でエレンの背筋がスッと冷える。アルコールも吹っ飛ぶ勢いだ。
ちょっと腕にぷつぷつと鳥肌が立った。
「こ、怖いこと言わないでくださいよ!ジャン・キルシュタインですよ!」
フルネームを出したがどの社員もピンとこないようだ。
どこの部署だ?知ってるヤツいる?技術開発の?それはジョンだろ?
ざわつく会話から聞き取れる内容ひとつひとつにエレンは血の気が引いていく。
全員揃ってエレンをからかっているという雰囲気ではない。
そして否が応でもひとつの結論へと到達する。
ジャン・キルシュタインは自社の人間ではない
そして自分は勘違いにせよ先輩社員の指摘の通り自社の打ち上げの最中にまったく関係のない人物へナンパをしたのだと。男相手に。
それでも一抹の希望に縋らずにはいられなかった。
「でも!今日の居酒屋って貸切ですよね!?関係者以外がいるわけ…」
「貸し切ってないよ」と男性社員が食い気味に告げる。
彼は慰労会の幹事だ。これを覆すほどの手札を新人のエレンが持っているはずもなかった。
「よ~っぽど相性の良い相手じゃなきゃそうはならないわよ」
「相手もよ~っぽど相性良くなきゃ律儀に相手なんてしてくれるわけないわよ」
放心するエレンはすかさず両側から先輩社員に包囲されずるずると二次会の店へと連行された。
色恋沙汰に耳聡い先輩社員から根掘り葉掘り聞き出されイジられるのだろう新人の背へ同情的な視線が集まる。
それでも「じゃあ帰るか」と切り出す者はおらずぞろぞろとスーツの集団がその後に続き週末の繁華街へと消えていった。
end
(22/11/18)