紫に緑が混じるとき紫鸞を挟んで座っていた荀彧、荀攸の両名は疲労と酔いのおかげで眠ってしまった。二人は中心にいる彼の肩へそれぞれ寄りかかりそのまま静かに目を閉じている。少し席を外していた間に随分と愉快な並びになったと、郭嘉は笑いながら腰を下ろす。
「荀彧殿も荀攸殿も器用だね」
「いやぁ一番器用なのは紫鸞殿だね、よく体勢を保っていられるもんだ」
賈詡の言う通り、左右から同時に寄りかかられているのにも関わらず紫鸞は微動だにしない。上手い具合に維持して眠る人らを支えていた。
「そのまま体を引いたら『人』の字みたいになるんじゃないか」
「違うよ賈詡、きっと『入』の方だ。多分荀攸殿の方がこういう感じに倒れて」
冗談を言う隣へ郭嘉はさらに冗談を重ね実際に自分の手で解説してやった。酒も入って陽気な空気のせいか賈詡は吹き出し己の膝を軽く叩くと杯を呷る。
「まぁ、それは置いといて……そろそろ起こしたらどうだ?ずっとそれじゃ辛いだろ、紫鸞殿」
「疲れているだろうから、もう少し」
日頃の疲れは皆同様にあるのだが中でも多忙な二人は限界が来たらしい。彼らの状況を知る紫鸞だから起こすのは忍びないと思ったのか、しばらくは寝かせてやりたいと言う。頑健な身はまだ余裕があるようだ。
「優しいね」
素直に思ったことを口にする。動かない、動けない紫鸞は郭嘉と視線を合わすと戸惑いを滲ませた。微笑んでやれば目を僅かに見開き何か言いたそうに唇を動かしたが結局言葉は出てこない。
言われずとも分かる。夜な夜な共に過ごすことの多い紫鸞は今の状態を気まずく思っているのだろう。同僚であり友人であるとはいえ至近距離で密着し過ぎかと、心配していそうな表情だ。
一方で郭嘉は特に不快な感情は抱いていなかった。どちらかと言えば微笑ましいくらいである。友の無防備な姿を眺めるのは楽しいし、困った様子で縮こまる紫鸞には愛らしささえ覚える。戦場や軍議の場では拝めない各々の一面が愉快でたまらない。
「いい枕だね、ほんと」
「うん、羨ましい」
賈詡はこちらの関係に気付いているのか、ちらりと郭嘉を見てから呟いた。しかし揶揄い甲斐が無いと悟ったのか片手を緩く振って引き攣った笑みを浮かべられる。
「眠たくなる気持ちも分かるよ。丁度今くらいが微睡むのにいい頃合いだもんね」
窓の向こうでは月が見える。店の中はまだまだ静まることを知らないが比較的穏やかに飲んでいるこの場は気を抜けば簡単に眠ってしまいそうであった。安心し切っている証拠だ。例え刺客に狙われようが幾らでも対処が出来る。
そう考えると途端に郭嘉も頼りたくなってしまった。生憎、欲しい席は埋まっている。
「それじゃあ、私は賈詡の肩で我慢しようか」
「おいおい、あんたは」
「駄目だっ」
「ぅわ」
「わっ!」
首を傾けた郭嘉は隣に座る賈詡へとしな垂れかかる、ふりをした。ふざけて揶揄うつもりで、賈詡は呆れた声を出したがそれを遮るように紫鸞の制止が飛ぶ。思わず立ち上がったものだから当然両肩の荀家は驚いて飛び起きてしまった。瞬時に我に返った紫鸞によって大事には至らなかったが色々な事象が一度に起きたせいで卓の上の食器たちは音を立てる。
「え、あぁ……すみません、私としたことがつい転寝を……」
「俺も……いや俺は一体……」
「す、すまない、起こしてしまった」
今ひとつ現状を把握し切れていない荀彧たちと謝る紫鸞の図に郭嘉は口元を押さえて笑う。それを見た賈詡はまた引き攣った顔をしていた。
「あんたら、今度からちゃんと隣に座りなよ」
「うん?」
「俺たちを巻き込むんじゃないよ」
向かいの席では謝罪が飛び交う。その真ん中でじっと郭嘉を見る紫鸞と目が合った。もう動揺はなく、いじけたような、若干寂しさを感じる瞳で郭嘉を見ていた。
「どうせ後で一緒に寝るのに、ね」
横から聞こえるため息に笑い、向かいから飛んでくる強めの眼差しに郭嘉は器用に片目を一度だけ閉じて合図をする。すると彼の鋭さが和らいだような気がした。