ピンクのチーク顔を合わせるなり怪訝な目を向けられる。紫色の瞳が見つめる先には一体何が映っているのか、郭嘉には知り尽くせないが相手が何かを感じ取っていることは把握できた。少し忙しないその目の動きに柔らかく微笑む。
「どうかしたのかな。どこか、変?」
紫鸞の頭が僅かに揺れる。肯定でも否定でもない曖昧な返答は彼自身どう表現すればいいのかわかっていないのだろう。口元を煩わしそうに動かしたかと思えば考える素振りを見せて、次の瞬間には郭嘉の手を取った。左右の手が彼の両手の中へと収められる。
「匂い……」
「匂い?」
「いつもと、違う匂いがする」
ぐっと顔を寄せられて絡み合う視線が短くなる。間近で鳴る紫鸞の鼻は遠慮など知らない様子で幾度も郭嘉の纏う香りを嗅いでいた。すんすん、と音を立てて大袈裟に匂いを吸い込まれる。
正直、恥ずかしい。大して動いていないから汗は掻いていないがそれでも全くの無臭という訳ではない。現に「違う」と言われてしまったのだから少なくとも一定の匂いは存在している。
「特に何もしていないのだけれど」
「色んな場所に行ってきたんだろう?その匂いが移ってきている」
「確かに貴方と会う前に何人かと会ってきた、けど……」
そこまでわかるものなのか。郭嘉の唇の端は小さく痙攣した。
まず今日最初に出会ったのは荀彧である。少し手狭な部屋で話し込んでしまったから、香にこだわりのある彼から移ってしまうことは十分有り得る。次いで、甄姫と張郃に出くわした。大きな花束を抱えた二人はこれから活けるのだと優雅に立ち去っていったがもしかするとその花の匂いも付着している可能性がある。その後は元化を訪ね、薬を服用させてもらった。医師の作業する場所には生薬やら試作品の香やらで溢れているからそれが染みついてしまうのも理解できる。しかしどれもこれも強い香りを放つものではなかった。
「自分ではわからないな。そんなにいつもと違う?」
「違う。郭嘉なのに、郭嘉じゃない、ような……」
たどたどしく言葉を紡ぐ紫鸞は少々落ち着きを失い、周囲を見回し始めた。立ち止まり、手を取り、向かい合っているがここは自室でも何でもない回廊である。今は人通りがなく郭嘉ら以外の気配はない。早めに離れて二人きりになれる場所へ移動したいのだと、悟った瞬間に両手が解放された。代わりに腕を引かれ緩く抱擁され、頬と頬が密着する。
「紫鸞殿」
「……」
「ねぇ、少し、痛いよ」
頬擦りと呼ぶには力が強過ぎる。子供が精一杯、力任せに甘えるような仕草だった。引っ張られる肌は痛みを覚え、同時に熱っぽさを与えられた。下手に唇を重ねるよりも恥じらいが大きい。
郭嘉の言葉ですぐに離れた紫鸞はまた鼻先を近付けて匂いを嗅いできた。
「……戻った。郭嘉の匂いだ」
「そう?なら、良かった」
満足そうに頷く紫鸞へ郭嘉は苦笑いを浮かべる。それは紫鸞自身の匂いであると、彼は気付いていないのだろうか。抱き締めて頬を擦り付けた後の匂いに安心したのか、今度は片手だけを取られる。
「部屋、行こう」
まるで縄張りを見回って主張する猫だ。そして連れて行かれる己は獲物に等しい。そう考えた郭嘉だがとっくに彼と交わっている身なのだから正しくは番であると、繋がれた手を握り返してやった。