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    カエル

    @mamemaki83

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    カエル

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    兎赤版ワンドロワンライ
    お題:お月見 21.10.02

    付き合っていない、アラフォーの二人。木兎さんが赤葦くんの家に押し掛けて、そのまま住み着いて一緒に住んでる。
    2LDK庭付き、駐車場有り、ペット可の続き。

    3LDK、庭付き、駐車場有、お月見可 太陽みたいなその人はバックパック一つ背負って日本から世界へと旅立った六年後、突然仕事上がりの俺の前に現れ、何の前触れもなく俺に求婚した。俺の職場の目の前で。
     お陰で翌日以降色々と大変だったし、暫くは本気で珍獣にでもなった気分だった。漸く最近落ち着いて来て、ホッとしている。
     で、その元凶とも言える、六年ぶりに日本に帰って来た木兎さんは何故かそのまま俺の家に上がり込んで、そのまま住み着いている。1DKと言う慎ましい我が家に。お陰で、一人の時にはまるで感じなかった狭さを日々感じている。

    「木兎さん。こんな狭いところにわざわざいないで、ご自分の家に帰ったらどうですか」

     木兎さんが居座り始めて一週間経った頃、まるで出ていく気配のない彼にそう申し出たところ、予想外の返事が返って来た。

    「え? 俺、家なんてないよ」
    「……は?」
    「いや、だから。日本出る時に住んでた家は引き払ったし」
    「……ご実家はあるじゃないですか」
    「えぇーー。この年で実家はちょっと」
    「その年で後輩の家に転がり込んでるのも、どうかと思いますけど」
    「俺と赤葦の仲じゃん」
    「どんな仲だ」
    「あかぁーし、冷たい」
    「家、決まるまでは仕方ないですけど、早く決めてくださいよ」
    「じゃあ、この家は?」

     ペラリと中古物件のチラシを突き出される。2LDK庭付き、駐車場有。木兎さん曰く、ペット可のレトロな平屋。それを眺めながら、俺はもうお決まりになった返事をする。

    「……俺は住みませんよ」
    「じゃあ、俺もまだ出ていけないな!」

     なんでだよ。出ていけよ。と言うのは思わず憚られるほどの笑顔だった。昔から、この笑顔に弱い気がするし、この先も強くなれるイメージは全く湧かない。俺は諦めるしかなくて、この話は終わった。
     それから凡そ、三週間。月が変わって、秋の気配も深まりつつある。晴れていれば日中は暖かいものの、日が暮れれば肌寒さを感じるようにもなった。
     木兎さんは、と言えば。帰国後間も無くはこんがり小麦色だった肌の色が少し薄くなった。とは言え、まだ俺よりも黒いけど。
     そして、何より完全に我が家に馴染んでる。おまけに家の事を率先してやってくれるものだから、居座られて困る……なんて感覚は、恐ろしい事になくなりつつある。と言うか、既に、ない。困った。
     一番の問題点は、俺の予定を聞いて家で食べられる日には必ず作ってくれる、木兎さんの手料理が想像以上に美味しいことだ。野菜炒め、肉じゃが、生姜焼き、唐揚げ、ピーマンの肉詰め、麻婆豆腐、ゴーヤチャンプルー……他にも色々作ってくれて、どれも美味しかった。
     週に二回くらい定食屋に行ったりしていたのが、ここ最近は行ってない。すっかり胃袋を掴まれている。この状況に幾分かの危機感を抱かない訳ではなかったけれど、ここまで快適な暮らしをしてしまうと木兎さんと一緒に暮らすのも無しではないのかもしれないな、なんて揺らぎつつもある。
     やばいなぁ、と危機感の欠片も無く思いながら、今日も今日とて木兎さんが用意してくれた夕飯を食べている訳で。少し酸味の強めの酢豚は今まで食べた酢豚の中で一番好みの味だった。なんで、こんなドンピシャな味を作れるんだろうか。不思議だ。そして、箸が止まらない。
     何だか、まんまと彼の策略にハマりつつあるような気がしなくもない。が、そもそも、この人。なんでそんなに俺と住む事に拘っているのだろうか。
     そんな疑問がふと脳裏を過った時、不意に木兎さんが週末の予定を聞いてきた。日中は出掛ける用があるけれど、夕方以降は特にないと言えば、料理もお酒も俺が用意するから飲もうと言われた。
     すでに一回、木兎さんの手料理と木兎さんチョイスの酒で酒盛りをしている。普段の夕飯時とは違う、手の込んだ異国の料理は食べた事のないものだったけれど、これが、物凄く美味かった訳で。
     思い出して、思わず、ごくりと喉を鳴らしてしまう。木兎さんは満足そうに目を眇めた。

    「決定な!」

     それに首を横に振る理由はなかった。

     週末は天気に恵まれて、外出先でも過ごしやすかった。全ての用事を済ませて、家路につく頃には空も街もすっかり夕焼けに染まって、綺麗だった。見慣れた街並みが少しだけ違って見えて、気分が良い。おまけに帰れば木兎さんの手料理で酒は飲めるとなっては、テンションが上がらない訳が無い。自然と家に向かう足が速まった。
     ガチャリ、と鍵が開く音が響く。次いで戸を開ければ、魚の焼ける匂いと焦げた醤油の香ばしい匂い、そして華やかなだしの香りが俺を出迎えた。今日は和食らしい。
     焼いているのは絶対秋刀魚だ。醤油は何だろう。照り焼き、とか。んん、難しい。だしは、香りの華やかさが土瓶蒸しの時に似ている気がする。舞茸のせいかな。あ、ダメだ。腹が鳴る。
     脱いだ靴を片付けていると低く腹が鳴って、同じタイミングで背後から木兎さんの声がした。
     
    「お帰りー」

     振り返ると、エプロン姿の木兎さんが顔を覗かせた。もうすっかり主夫だ。

    「ただいま、です」
    「まだちょっと準備にかかるから、赤葦、先風呂入っちゃいなよ。飲んだ後入るの面倒だろ?」

     色々と見透かされている。風呂もすでに準備が出来ているようで、手際があまりにも良い。バレーボールの他に、主夫の才能まであったんだな、この人。
     感心しつつ、お言葉に甘えて風呂に入らせてもらった。着替えを取る為に居間を素通りして、奥の寝室に向かう。ちらりとキッチンを覗いたけれど、今日の献立がわかるものは見えなかった。ただ、一層香りが濃くなって、腹の虫も一層五月蝿くなった。

    「ゆっくり、どうぞ!」

     なんて、木兎さんは言ってくれたけれど、俺の腹具合はゆっくり風呂に入っていられる状態ではなくて、だけど折角木兎さんが沸かしてくれたお湯に浸からないのも悪いから、体が温まる程度には浸かって出た。部屋着に袖を通して、湿った頭にタオルを被せたまま、いそいそと脱衣所を出て居間に向かうと、座卓の上いっぱいに料理が並んでいた。
     余談だけど、木兎さんが住み着くようになって、座卓は一回り……二回りくらい大きい折り畳みのものを買った。筈なのだけども、それに殆ど隙間なく、料理が並んでいた。
     予想以上の品数に圧倒されていると、キッチンの方からやって来た木兎さんが、ペットボトルに活けられたススキと綺麗にピラミッドになった団子を出窓に飾る。あぁ、なるほど。これは、つまり。

    「今日って、もしかして」
    「そう! お月見! だから、今日はぜーんぶ秋の味覚! 秋刀魚の塩焼きと、茄子のお浸しと、レンコンの金平と、里芋のだし煮と、蕪のあんかけに、おにぎりは鳥とごぼうの炊き込みご飯な! 後はきのこの土瓶蒸し風!」
    「土瓶蒸し、風」
    「そう。土瓶の代わりに鍋を使ったから、土瓶蒸し、風!」
    「……なるほど」

     何がなるほどなのかは、自分でもわからないけれど、そんな言葉しか出てこない。改めて、座卓の上の料理を見る。もう、感嘆する以外になかった。

    「……すごい。どれも美味しそうです」
    「赤葦、和食好きだもんな」
    「はい。あ、でも。木兎さんの手料理は和食に限らず、どれもすごい好みの味ですけど」
    「そりゃあ、あかあしの事考えて作ってるもん」
    「へぇ、そんなもんなんスね」
    「あかぁーし、適当に流さない!」
    「あ、もしかして。あのお団子も木兎さんが作ったんですか?」
    「話変えやがったな! まぁ、良いけど! そ、お団子も俺が作った!」
    「……和菓子もいけるんですね」
    「え? でもこれ、捏ねて丸めて茹でるだけだし」

     出た、作れる人特有の「するだけ」発言。大抵その言葉通りで無い事を、俺はもう嫌と言う程知っている。

    「俺はそんな風には作れる自信ないです」
    「じゃあ、今度一緒に作る? 結構面白ぇよ」
    「ちょっと、興味あります」

     話しつつ、ごそごそと定位置に座る。箸と取り皿と、見慣れない陶器の器が一つ。お茶碗よりは幾分か小振りで丸っこい。なんだろうと思っていると、一度キッチンの方に行った木兎さんが一升瓶を手に戻って来た。

    「お月見だし、今日は日本酒!」
    「これ、その為に?」
    「ふっふー。正解! とっくりとおちょこも良いなって思ったんだけど、ぐい吞みの方が使いやすいって聞いてさ」
    「お店の人ですか?」
    「そう!」
    「サイズも、その方のおすすめですか? 少し大きいですよね?」
    「そう! これくらいだったら、日本酒以外でも使えそうだし、良いかなって思って!」

     確かにこのサイズなら、氷を入れて焼酎やウィスキーをノックで飲むのもありかもしれない。さすが、プロのお勧めだ。
     木兎さんに促されるまま、ぐい吞みを差し出すと日本酒が注がれた。ふわりと香りが漂う。一升瓶を木兎さんから受け取って、彼の分の酒も注ぐと、揃いの陶器で控えめに乾杯をした。
     料理はどれも美味しかった。空腹を満たしたくて、真っ先に手にした鳥ごぼうの炊き込みご飯のおにぎりは黙って二つ食べてしまったし、汁物としていただいた土瓶蒸し風も舞茸の香りがぎゅっと凝縮されていて贅沢な味わいに思わず舌鼓を打った。本人曰く混ぜて炊くだけとか、鍋に入れて蓋して火にかけただけらしい。失礼を承知で言いたい。そんな馬鹿な話あるか。
     秋刀魚の塩焼きも塩振って焼くだけと言っていけれど、塩加減、焼き加減ともに絶妙で、大根おろしにカボスを添えてくる辺りは、もうプロなんじゃないかと思った。
     レンジでチンして混ぜるだけらしい茄子のお浸しも柔らかい茄子にだしが良く染みてて、噛む度に染み出して美味しかったし、レンコンの金平もピリッと具合が丁度よく、他と比べて味が濃い目で酒のおともには最適だった。レンコンのシャキッとした食感でも愉しめて、切って炒めるだけなんて、絶対嘘だ。
     里芋のだし煮も煮るだけとか、蕪のあんかけも火を通してあんをかけるだけとか。それで作れたら苦労しない。煮崩さず、ほくほく且つとろっとした里芋独特の食感を残しつつ、だしが仄かに香るだし煮はずっと食べていられるんじゃないかと思うくらい、飽きの来ない美味しさだったし、柔らかすぎずホクっとしつつ瑞々しい蕪に薄味のだしの効いたあんをかけて、柚を添えたそれは、とても上品な味わいで、一瞬我が家である事を忘れるところだった。いや、本当、何を食べても美味しかった。
     一頻り食べて落ち着いたところで、残り僅かなぐい吞みの中身を飲み干して、一息つく。

    「月が見えないのが、残念ですね」

     思わず、ぽつりと零す。ススキとお団子が飾られた出窓の向こうは隣のマンションの壁が見えるだけだ。ベランダも外に出て、身を乗り出さないと見えない。美味しい秋の味覚と酒を味わいながら、月だけが見えないのは何だか少し勿体ない気もして。すると、木兎さんが至極真面目な顔をした。

    「そんな赤葦に是非、見てもらいたいものがあります」

     そっと床を滑らせて、何かを差し出した。一体何処からと思わなくもないけれど、反射的に視線を落とす。A4の紙の一番上には中古物件と大きく書いてある。……デジャブかな。
     見なかった事にしたいけど、そうすると後が面倒そうで、仕方なくそれを拾い上げる。3LDK庭付き、駐車場有。間取りを見ると屋根の上に何かがあるのはわかった。

    「屋根のヤツ、物干し台って言うんだってさ」
    「物干し台……あぁ、何となくわかりました。これ、多分後付けですよね」
    「そう、後から付けたんだって。二階の窓から階段に出て、上に上がれるようになってんの」
    「扉じゃなくて、窓なんスね」
    「不動産屋で写真見せてもらったけど、窓だった」
    「すごいっスね。で、今回の物件の売りはなんなんですか」
    「今回のはね、なんと。屋根の上でお月見が出来ます」
    「お引き取りください」

     そっと、差し出された時と同じように床を滑らせてチラシを木兎さんにお返しした。予想通り木兎さんからは抗議の声があがる。

    「なんで!? 今残念って言ったじゃん!」
    「確かに言いましたけど、家を買う決め手になる程ではないと言いますか」
    「でも、高校ん時も屋根の上でお月見良いなって言ってたじゃん」
    「……言いましたっけ?」
    「言ってたよ! 縁側も良いけど、屋根の上で月見って憧れるって! うちはマンションだから、絶対無理だしって。だから、屋根でお月見出来る家も探したんだもん」

     言われてみれば、確かに言ったような気はする。多分、そう言うイラストだか、何だかを目にして、不意に羨ましくなって「良いな」って零したように思う。
     実家のマンションでは何にも邪魔されない夜空を見上げてお月見なんて出来なかったから、特等席みたいで子供心に憧れたんだろうな、と過去の己の心情を分析してみる。あり得そうだ。

    「良く覚えてましたね、そんなこと」
    「こないださ、もうすぐ月見だなぁって思って。そしたら、ふと思い出したんだ。前の物件見つけた時も、あ、ここならデッカイ犬飼えるなって思って、そう言えば赤葦飼いたいって言ってたな、みたいな感じで」
    「唐突っスね」
    「んーー。どうだろ。俺、ずっとそんな感じだったから、それが当たり前って言うか、普通? みてぇな」
    「ずっと?」
    「そう。旅先でも良く、赤葦好きそうとか、赤葦に似合いそうとか。そう言うのあって、特に何か食べてる時は多かったかな。この味、赤葦好きそうって。もう少しこうした方がより好みかも、とか良く考えてた」
    「なんですか、それ」

     思わず笑ってしまった。遠い異国の地で、何を考えて食事をしているのか。もっと考える事は幾らでもあるだろうに。

    「笑うなよ」
    「いや、だって。折角旅に出たのに、旅先の食事中に俺の好みを考えてるの、可笑しいでしょ」
    「けど、そうすると驚くくらい味を覚えられたんだから、間違ってはねぇもん」
    「間違いも正解も無い気がしますけど。でも」
    「うん?」
    「何だか、木兎さんが一緒に俺を連れ歩いてくれていたみたいで、満更でも無いです」
    「お前、それは……」

     木兎さんが変なところで言葉を切った。何だか珍しく小難しい顔をしている。どうかしたのだろうか。ジッと続きを待ちながら、何時の間にか木兎さんが注いでくれたらしい酒を飲む。
     口に入れた瞬間はまろやかで香り高く、芳醇な味わいだが、後口はすっきりとして、変に引かないのが良い。飲み過ぎないように注意しないとと思ったそばから、空になってしまう。木兎さんの横にある一升瓶を取って、注いでいると、「俺もちょうだい」と木兎さんのぐい吞みを差し出された。

    「さっき、何を言おうとしたんですか」
    「んーー。なんでもない」
    「え、気になるんですけど」
    「えぇーー、じゃあ。俺と一緒に、ここに住もう?」

     とん、と。木兎さんは床の上で忘れ去られてた中古物件のチラシを指さした。釣られて、視線を落とす。いや、って言うか。何が「じゃあ」なんだ。

    「……じゃあ、の意味がわからないんスけど」
    「赤葦、考えるんじゃなくて、感じて」
    「もっと意味わかんねぇです」
    「あかぁーし、お口悪い」
    「誰のせいですか」
    「えぇーー、俺?」
    「あなた以外いないでしょうね」
    「案外口の悪い赤葦も嫌いじゃないから良いけどさぁ。って、そうじゃなくてさ。あかぁーしがもっと協力してくんないと、家見つかんないんだけど」

     幼稚園児かな。幼稚園児だろうな。アラフォーはぷっくり頬を膨らませたりしないもんな。しかし、違和感が無くて怖い。って言うか。
     そもそも協力ってなんだ。あれかな、物件探して持ってくれば良いのだろうか。前回と今回の兆候的には昭和レトロ的な家だろうか。

    「ちなみに、どんな物件をご所望ですか」
    「寧ろ、赤葦はどんな家なら良いの。これだってさ、カンセイな住宅街で、周りに高い建物もないから、何にも邪魔されないでお月見出来るんだぞ。縁側もあるから、気分によってはそっちでも良いし。赤葦の希望にめっちゃあってるのに」

     閑静な住宅街。漢字は思い浮かんで無さそうな発音だった。きっと不動産屋さんの受け売りだろうなと推理している俺の鼻先に、拾い上げたチラシをズイっと突き立てて、木兎さんは唇を尖らせた。本当、あなた何歳児だ。

    「ちなみに、ペットだって飼えるし」
    「いや、ペットはもう良いです」
    「なんでだよっ」
    「あの、俺のこと考えて探して来てくれているのはわかりますし、嬉しいなとは思うんですけどね」
    「じゃあ、ここに住もう」
    「そうは言ってないです」
    「じゃあ、どうしたら一緒に住んでくれるんだよ」
    「いや、て言うか。そもそも、なんでそんなに俺と住みたがるんスか」
    「え? そんなの決まってるじゃん」
    「何がですか?」
    「赤葦が好きだから」
    「それはどうも」
    「なんか軽い」
    「そう言われましても。俺だって、木兎さんの事はちゃんとお慕いしてはいますけど」
    「おしたい……」
    「非常ベルは鳴らさないでくださいよ」
    「もうやんねーよ!」
    「なら、良いんですけど。……好意を持っていますって事です」
    「……マジ?」
    「だって、木兎さんは俺にとって、スターですからね」

     今だって、変わらず、この人はスターのままだ。嘘じゃない。木兎さんの大きく見開いた目がゆっくりと細くなって、眉間には皺が寄る。
     何だか、また、複雑な顔だ。残念がるような、だけど嬉しそうでもあって、これはどんな顔なんだ。わからない。あの頃……高校生の俺なら、わかったのだろうか。少しだけ、何かが寂しく感じて、視線を木兎さんから逸らす。必然的に出窓が目に入って、そこにあるススキとお団子を思い出した。

    「あの、木兎さん」
    「んー……、なに?」
    「お団子、いただいても良いですか?」
    「あ、忘れてた。うん、食お」

     よいしょと立ち上がって、出窓のお団子を持ってくる。ちょうど一口サイズのそれは、良く見るとうっすら色が透けていて。

    「中身はさつまいもの餡!」
    「こんなところにも、秋の味覚」
    「どうせなら、全部に、と思って」
    「流石です」

     一つ、摘み取る。ちょうど一口サイズだ。ぱくんと頬張って、もっちりとした団子生地に歯を立てる。中からさつまいもの甘さが出てきて、だけど甘すぎず、ほのかなバターの香りがして、美味しかった。

    「おいひぃ」

     もっちもっちと咀嚼しながら、思わず溢れた呟きに木兎さんは嬉しそうに笑う。太陽みたいな人だ。もう一つ、摘まみ取ったお団子を口に放り込む。もちもちで、中の餡はまろやかで、美味しい。飲み込んで、酒を煽る。
     ツマミが甘味もありかもしれない。芋羊羹とか栗羊羹で日本酒も、いけるかもしれない。新たな境地を切り開きかける俺を、木兎さんはジッと見ていた。
     柔らかな、眼光。太陽みたいな人、だけど。目だけはまるで、反対の印象の、それ。
     
    「思ったんですけど」
    「なにを?」
    「木兎さんいたら、わざわざお月見出来る家探さなくても、良いんじゃないかって」
    「なんで?」

     きょとん、とした木兎さんの目はまん丸くなって、黄金色の満月が俺を見る。

    「だって、月なら、ほら。そこにあるじゃないっスか」

     考えてみれば、随分と贅沢な月見酒だ。満足げに笑って、ぐい吞みを唇に押し当てる。一層風味が増した気がする日本酒を堪能する俺とは反対に、木兎さんはしかめっ面になる。何かが気に障ったらしく、怒らせてしまったみたいだ。顔を赤くする程腹を立てさせるような事を言ったつもりはなかったけど、申し訳ない。

    「……お前、それは、だめだろ」

     低音に叱られた。それがどれかはわからないけれど、折角のお月様は欠けてしまって、半月のような咎めの視線が向けられる。
     何に怒っているんだろう。首を傾げてみるも、原因に心当たりはないし、そんな事よりも、勿体ないなぁ、なんて。欠けてしまった月に想いを馳せてしまって、木兎さんの目をじぃっと見た。木兎さんは相変わらず、赤い顔でご立腹のようだ。

    「……あかあし、酔ってんな」
    「いえ、そんなには、酔ってないです」
    「うそ。ぜったい酔ってる。もう、酒は終わり」
    「え、やです。まだ、ぜんぜんあるじゃないですか。飲みます」
    「お前、明日どうなっても、しんないぞ」
    「明日はお休みなので、ちょっとくらい、平気です」

     左手で体を支えつつ、木兎さんが取り上げた一升瓶へと右手を伸ばす。木兎さんは奮闘の末、一升瓶を守りつつ背中を床につけた。その木兎さんの手から、思ったよりもずっと軽くなっていた酒瓶を奪い取って、ふと、下を見た。なんて言うんだったか。昔流行ったな、コレ。あぁ、そうだ。

    「床ドン、でしたっけ」
    「似てるけど、ぜったい違うだろ」
    「そうですか? 似てるなら、それで良くないですか?」
    「俺の沽券にかかわるから、ダメ」

     木兎さんにしては随分と難しい言葉を持ち出して来たな、と失礼な事を思いながら、笑ってしまった。一体、どんな沽券があるのか。よくわからない。けど、一つ、気付いた事がある。

    「月を見上げるのも良いですけど、月に見上げられるのも、悪くないですね」

     屋根の上なんかより、よっぽど特等席かもしれない。万人が平等に見上げられる月ではなくて、自分だけを見上げてくる月だ。独り占めしてるみたいで、ほんの少し気分が良い、だなんて。思わず口元が緩んでしまう。俺は思ったよりも、性格が悪いのかもしれない。それを感じ取ったのかどうかはわからないけれど、木兎さんの眼光が鋭くなって、彼は低く唸った。

    「あかぁーし、ぜってぇ、おぼえてろよ」

     また、怒らせてしまったらしい。数年会わない内にこの人の沸点は以前以上にわからなくなったな。

    「すいません、悪ふざけが過ぎました」

     謝って身を引けば、もそりと起き上がった木兎さんは「怒ってはない」と言ってくれたけど、その割にはまだ顔は赤くて、何だったら耳まで赤い。そんなに怒らせてしまうとは。やっぱり、今日は飲み過ぎているのかもしれない。
     酒も料理も、美味すぎるのも考えものだな。なんて、とんだ責任転嫁をしながら、俺はぐい飲みに酒を注いで喉へと流し込む。
     思考も行動も完全に酔っ払いのそれだったけれど、もはやそんな事には気付く事はなくて。なんせ、酔っ払いなので。口の中に広がる香りを楽しんで、じっくりと味わって。もう一口。それから、酒精交じりの吐息が一つ。
     横で木兎さんが、また何か、呻いていた気がするけれど、何だったか。わからない。けど。その後、俺に飲み過ぎだと苦言を呈していた木兎さんも結局また飲み始めたのは、辛うじて記憶には残って、いる。が、後は、もう、ない。




     当たり前のように翌日、俺は人生で一番ひどい二日酔いを経験し、死ぬほど後悔をした。トイレに籠ったり、ベッドで呻く様は到底四十路手前の良い大人のする事ではない。あんまりな惨状に、自分自身がどうしようもなく情けなくて、自己嫌悪を抱く中、同じくらい飲んでいた筈の木兎さんは何故か元気で、甲斐甲斐しく俺の世話を焼いてくれていた。申し訳なさ過ぎて、爆発しそうな俺は、なのに、木兎さんが始終嬉しそうな、幸せそうな、優しく穏やかな顔をしているのに気付いてしまって。
     割れそうな頭を抱えながら、激しくなる動機も上昇する体温も、奥の方から込み上げる、ふわふわとした得体の知れない、だけど決して嫌な感じのしないこの感情も、何もかも、全部。まだ残っている昨夜の酒のせいって事にして、目を閉じた。
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