海は遠くへ桜・樽戸・毒島の三人は、今日も今日とて怪事件に巻き込まれ、海岸沿いの田舎道を車でひた走っていた。窓から見える海を眺めながら、桜がふと口を開く。
「昔、お母さんが言ってた。死んだあと、ニラたまごみたいな名前の場所に行くって」
「ニラ卵ってなんだ!それを言うならニライカナイだろう」
「なんだそれ」
毒島が訊ねると、樽戸は待ってましたと言わんばかりの表情で知識をお披露目する。
「沖縄の言い伝えだ。一種の理想郷だな。海の向こうにあるって言われてるんだよ」
「へえ」
相槌を打つ毒島に気をよくしたのか、樽戸がさらに得意げな顔で続ける。
「沖縄学の父と言われている、言語学者の伊波普猷がこの伝承の研究に熱心でね。面白い話を書いていたよ。まあ、もっとも俺はとっくに気付いていたが……。説明すると、“ニライ”という言葉に似たnirayoという言葉が、パーリ語やサンスクリット語では地獄という意味なんだ。この言葉の原形がnirayaで、ニライカナイの“ニライ”もニルヤ、ニラヤともいうことがあるし、もしかしたら最初は恐ろしい死者の国だったところから、人々の願いによって、次第に常世の国、理想郷として変化していっ」
「あ!海の家!樽戸、焼きそば奢れ」
「聞け!」
死後の世界よりも今の空腹が重要であろう桜は、もうすっかり樽戸の薄っぺらい蘊蓄話に興味をなくしている。
「海か」
「ロマンがあるだろ?そこのセルフ餓鬼道女には理解できない世界だろうが」
「そうだな」
短く答えて、毒島はハンドルを握りながら僅かに視線を伏せた。己の生まれ故郷は海が近かった。幼い頃、いつも耳には低く恐ろしげな海鳴りが聞こえていた。寒々しく荒れるあの波濤に分け入って、いずこかへ流されてゆけば、あの日ニライカナイへ辿り着けたのだろうか。北の暗く冷たい海から、南の青く暖かな海へ。きっと誰も止めなかったろう。
「俺もそのニライカナイとやらに行けるかな」
「毒島……お前、死ぬのか?」
「えっ?」
樽戸が面食らったように、助手席から毒島を見る。バックミラーにはどこか不安げな表情の桜が映っている。毒島は視線を前へ戻した。
「ふふっ……」
「なに笑ってんだ!」
「今はいい」
そう答えた毒島には、もう海鳴りの音は聞こえなかった。