個人面談:無自覚な愛着「あれ、ミスラ。こんなところで何してるんだ」
朝食後の腹ごなしに中庭を歩いていたフィガロは、木陰のベンチにどっかりと腰を下ろしている赤毛の魔法使いを見つけて、思わず声をかけた。
「おはようございます、フィガロ」
ぼんやりとした声で、それでも律儀に朝の挨拶を寄越すミスラ。朝食の席に現れなかったので、てっきり寝坊しているのだと思っていたが、気分屋の彼のことだ。単に朝食を取る気になれなかっただけかもしれない。
「夕べ、賢者様とバーにいたんだって? 賢者様、二日酔いは大丈夫そうだった?」
先ほどラスティカとクロエが語っていた様子を思い出しながら問いかけてみるが、ミスラは「さあ」と気のない返事をするのみだった。
「あれ、昨晩は一緒じゃなかったのか」
「酔っ払って訳の分からないことを言っていたので、さっさと寝かしつけましたよ。その後は自室に戻ったので、二日酔いがどうこうは知りません」
「そうなの? 心配だから後で様子を見に行くとするかな」
事故とはいえ、飲めない酒を摂取してしまったのだ、へたをすると今頃、自室でのたうち回っている可能性がある。
確かミチルが酔い覚ましの薬を持っていたはずだから、先にもらってから部屋を覗きに行こうか、などと考えていると、ミスラがはあ、と溜息を吐いた。
「あれのどこがいいのか、分からないんですよね」
そうぼやく視線の先には、日頃から魔法舎に出入りしている猫達の姿。ファウストと賢者がこぞって構っているからか、日に日に数が増えているようだ。
「ああ。賢者様、猫について朗々と語ってたんだって? 聞いたよ。『そこにいるだけで尊い』って、若いのに達観してるよねえ」
しみじみと語るフィガロ。
「でもって、お前はそれを聞いて苛ついてたらしいね。何が気に食わなかったんだ?」
「苛ついてなんかいませんよ」
ただ、何だかモヤッとして、胸の奥で何かが燻るような、そんな感じがしたんです。そう答えるミスラに、フィガロはパチパチと目を瞬かせた後、なあんだと笑ってみせた。
「お前、それは独占欲だよ」
「は? 何ですかそれ」
「賢者様が猫ばっかり構うから、いじけてるんだろ」
端的に表現されて、ムッとした顔をするミスラ。
「あなたまで俺を幼児扱いするんですか」
「俺からしたら、お前も賢者様も小さい子供みたいなものだよ。ましてお前は人と関わらずに生きてきた分、情緒がろくに育っていないからね」
他者に興味や関心を抱かず、悠久の時を漫然と過ごしてきたミスラは、常人には理解しがたい感性の持ち主だ。他者との距離感も独特で、それ故に『けだもの』と評される。
「失礼な人だな」
ムッとしたように言い返してきたものの、反論できるほどの材料もなかったらしい。そのくらいには自覚があるんだな、と思いつつ、わざと軽い口調で断言してやる。
「俺にはお前が、好きな子に構って欲しくてごねているようにしか見えないよ。『自分のことを見てくれなきゃイヤだ』「自分だけ構ってくれなきゃイヤだ』ってね」
それはまさしく、独占欲だ。今までミスラがほとんど抱かなかった、それどころか理解すらしようとしなかったであろう感情。
「――俺は、あの人を独り占めしたいんですか?」
「違うの? 毎晩のように添い寝を要求してるくせに」
「あの人がいないと眠れないんだから当たり前でしょう」
「必ずしも成功するわけじゃないだろ。良くて四割って聞いてるけど」
それでもミスラは賢者を責めることも、逆に愛想を尽かすこともなく、日毎夜毎、賢者の元を訪れる。任務で離れている時まで空間の扉を使って押しかけようとするから、止めるのが大変なほどだ。
「最初は眠れない辛さが矜持を上回った結果だと思ってたけど、不眠症と関係ないところでも賢者に絡んでるのは、お前が彼を気に入っていて、自分だけを見て欲しいからだろ」
か弱い人間でありながら魔法使い達を怖れず、さりとて侮ることもなく、親しい友人のように接してくる賢者。そういった存在は極めて貴重で、だからこそ魔法舎に集う魔法使い達は、みな彼のことを気に入っている。
「愛着、と言い換えてもいいかな。お前にだって『お気に入り』の一つや二つはあるだろう。例えばお前の水晶髑髏、あれをルチルやミチルが欲しいといったらどうする?」
「嫌ですよ。あれは俺のものです」
反射的に答えて、それでようやく腑に落ちた様子で「ああ……なるほど」と呟くミスラ。
「お前のそれがどういう感情から来ているのかは置いておくとして、まずは自分の心にちゃんと向き合うことだよ。俺達は心で魔法を使う。迷いや戸惑いがあれば、いざという時に大切なものを守れなくなる」
「……大切なものなんて、俺にはありませんけど」
「そうかな? 気づいていないだけで、失って後悔するものが、お前にもたくさんあるよ。きっとね」
失って後悔するもの、という言葉に反応して、ミスラが顔を上げる。その時、開け放たれた談話室の窓から、何やら賑やかな声が聞こえてきた。クロエやブラッドリーの声に混じって、呻くような晶の声がする。
「おや、どうやら賢者様が起きてきたみたいだね」
顔を見に行こうかな、と歩き出そうとして、勢いよく立ち上がったミスラに先を越されたフィガロは、思わず抗議の声を上げた。
「あ、こらミスラ!」
「あなたは南の優しいお医者さんなんでしょう。医者は医務室に詰めていたらいいと思いますよ」
必要があれば後で連れて行きます、と言い残し、足早に去って行くミスラ。その背中を見送って、フィガロは「あーあ」と肩をすくめてみせた。
「自分だけの大切なものに巡り会えるなんて、数千年生きてきたって稀なんだよ」
お前はそれを分かっているのかな、と呟いて、乾いた笑みを零す。
そうしてフィガロは静かに踵を返すと、医務室へ向かって歩き始めた。