元日本代表/灼カバ　カラン、と涼やかにベルが鳴る。ドアが開いて夜と夜の匂いが混じる。バーテンダーの制服に身を包んだ久納は来訪者に笑みを向けた。
「いらっしゃいませ」
「遅くなっちまった。まだやってるか？」
「ええ、もちろん」
　元日本代表の先輩である水堀は、まず入り口に立ったまま店内を見渡した。広くはないが雰囲気のある内装に、低く響くジャズの音が心地よい。
「なかなかいい店じゃねえか。いくらかかったんだ？」
「そういうことを言っているとモテませんよ」
　久納の嘆息混じりの声に笑い返し、カウンターに座る——そこで水堀は、奥の席で突っ伏して微かにいびきを立てる男の姿に気付いた。久納の同期の亜川だった。
「どうした、こいつは」
「甘いお酒を作ってあげたら飲みすぎちゃったみたい」
「情けねぇなあ」
　水堀は、真っ赤になった亜川の顔の中心を指で弾く。が、起きる気配はない。
「アタシがいけないのよ。酔った姿が面白くて、たくさん飲ませちゃったから」
「張り合ったんだろ、こいつも」
　鼻を摘んでみると、ふが、と変な声を出す。思わず二人で顔を見合わせ、同時に吹き出した。
「今日はもうダメね。寝かせてあげましょう」
　そう言って、久納は一度裏に引っ込み、すぐに紙袋を持って戻ってきた。そして、カウンター越しに水堀へと差し出す。
「本当は二人で渡したかったんだけど」
　それは誰もが知っている百貨店のものだ。中を覗くと、綺麗にラッピングされた細長い包みが入っている。
「なんだこれ」
「開けてみてくださいよ」
　久納に促されるままに包装を解く。開けている途中でなんとなく予想はしたが、中から出てきたのはまさしくネクタイだった。こういったものに詳しくなかったが、触れた感触で、高価なものだとすぐに分かった。
「裏方に回るなら、ネクタイくらいはちゃんと締めないとって亜川ちゃんが」
　選んだのはアタシだけど——と久納は続ける。
「はぁ」
　濃い青のネクタイを手に取って、水掘は感嘆の声を漏らした。
「おまえらは本当に、何か企むときだけは仲がいいなぁ」
「なんですか、それ」
　褒めているのかけなしているのか分からない台詞に、久納は苦笑する。水堀は丁寧な手つきで、後輩からのプレゼントをしまった。
「ありがとな。開店祝いに来たっていうのに、こっちがもらっちまった」
「お花を贈ってくださったじゃないですか。後はたくさん飲んでもらいますから。水堀先輩が好きそうなもの、たくさん仕入れてありますよ」
「そうだな。じゃあボトルでも入れるか」
「ふふ、ならオススメは——」
　その時、再び入り口のベルが響く。久納は営業用の笑みを作って顔を上げ——すぐに惚けたように目を見開き、数度瞬きをした。振り向いた水堀も、同じような顔をしていただろう。驚いていいのか、喜んでいいのか、曖昧な表情になってしまう。けれども、こぼれ落ちた言葉は本物の感動だった。
「まさか、来ていただけるなんて」
「まだやっているか？」
「ええ、もちろん。バーですもの」
　不破一心はいつも通り、夜の街に似つかわしくない厳しい顔でそこに立っていた。
「下のお子さん、まだ小学校に上がったばっかりでしょう？　大丈夫ですか？」
「酒くらい好きに飲む」
　相変わらずの鉄仮面で答え、水堀の隣に座る。久納は思わず苦笑した。
「奥様も苦労なさるわ」
「後輩の祝い事だ。文句は言わんさ」
　素っ気ない物言いだったが、その中には分かりにくい優しさが混じっている。久納は破顔し、同輩の肩を思い切り叩いた。
「なら今日は、朝まで付き合ってもらいますよ。ほら、亜川ちゃん！　せっかくだから起きて、飲み直しましょ——」