イェラグの男たち/アークナイツ「クーリエ」
呼び止められることはそう珍しいことではなかった。ロドスに在艦している時間は短いが、それを有効に使い、他のオペレーターとは友好な関係を築いている。頼まれごとも多いが、それは彼が優秀なトランスポーターの証だった。
「ケルシーさん」
ただ今回は、相手が予想外であった。クーリエは彼女の名前を呼んだ。ロドスで知らない者はいない、上層部管理者の一員だ。派遣社員であり、配達員として外回りの多いクーリエには、会話をする機会は少ない。しかし、彼女が一切笑顔を見せないことくらいは知っている。こうやって面と向き合うと、少し緊張する。主であるエンシオディス――シルバーアッシュと同じ、人の上に立つ者特有の威圧感があった。
「久しぶりだな」
「はい。ご無沙汰しています」
クーリエは丁寧に答え、居住まいを正した。
「何か御用でしょうか。配達でしたらスケジュール次第で承れますが――」
「いや、そうではない。少し聞きたいことがあるのだが」
ケルシーはクーリエの言葉を遮ったが、不快感はなかった。彼女は効率的なだけだ。
「何でしょうか。僕にお答えできることでしたらいいんですが」
「ノーシスとは同郷だったな」
「そうですが……彼が何か?」
クーリエは背筋を伸ばした。
*
「ヴァイス」
「ヤーカの兄貴」
マッターホルンは部屋を訪ねてきた後輩を迎え入れ、椅子に座らせた。
「どうした、疲れた顔をしているぞ」
「ええ。天災でずいぶん回り道をしてしまって——」
顔に出したつもりはなかったが、昔からの兄貴分にはお見通しのようだ。クーリエは気を抜き、背もたれによりかかった。
「この後の予定は?」
「クルビアにとんぼ返りです。そちらでまた旦那様と合流します」
「忙しないな。それでも茶を飲むくらいの時間はあるだろう」
「それはもちろん」
それが目当てでここに寄ったのだ。弟分のことをよく分かっているマッターホルンは、ヴィクトリアの菓子を出してくれた。
彼は茶を入れるために、簡易キッチンに立った。
「エンシアお嬢様は任務でここを離れている。手紙を預かっているから、旦那様にお渡ししてくれ。一番上の引き出しだ」
「わかりました」
木が擦れる音がする。クーリエが引き出しを開け、手紙を鞄にしまったのだろう。
「エンヤお嬢様は息災か」
「僕ごときが知れることではないですが、便りがないのできっと問題なく過ごしていると思われます」
マッターホルンはお茶をなみなみと注いだカップを両手に持ち、テーブルに置いた。クーリエと向かい合って座る。
「ノーシスには会ったか」
「はい。旦那様からの届け物があったので……でもこちらを見もしませんでしたよ。よっぽどロドスでの研究が楽しいようです」
「お前より顔を合わせる機会の多い俺ともそんな感じだ。気にすることはない」
「気にしているわけではないんです。ただ……」
クーリエは顔を曇らせ、口ごもった。
「どうした」
「さっきケルシーさんに呼び止められたんです」
「ケルシーさんが?」
マッターホルンは主に重装兵としての戦闘任務に立つか、キッチンで持ち回りの仕事をしている。研究部で活動する彼女とはあまり関わりがない。
「研究室を管理する方ですから、もちろんノーシスさんとも関わることが多いようなんですが――」
「何か問題を起こしたのか」
クーリエの歯切れの悪さに、マッターホルンは焦りを覚えた。ノーシスは研究者としては優秀だが、人間性にはかなりの欠点がある。彼は表向き、既にカランド貿易とは無関係となってはいるが、自分がもっと気を配るべきだった。
「いえ、そうではないです。ただ……」
クーリエは恥じ入るように身を縮こまらせた。
「たまに彼、研究室でいきなり目を閉じて『メンヒ……』って呟いたりするらしいんです。『メンヒとは誰だ?』って聞かれて僕、顔真っ赤になっちゃいましたよ」
予想外の返答にマッターホルンは呆気にとられるしかなかった。
「そ、それは……災難だったな」
「本当ですよ! 走って逃げようかと思いました。そんなに引きずるような人間性があるなら、もっと上手くやればいいのに——」
顔を手で覆ったクーリエは、よほど恥ずかしかったのだろう——今にも泣き出しそうだった。興奮のあまり、普段の彼ならけして言わないような失礼なことを口走っている。
「まあまあ落ち着け。で、彼女の消息は掴めたのか」
マッターホルンが尋ねると、クーリエはまた別の形で憂鬱そうな表情を見せた。
「いいえ。旦那様の方でも手は打ってくれているようですけど……」
「旦那様が?」
それは意外なことだった。彼らの主はけして非情ではないが、それ故に、去る者を追う人ではない。
「ノーシスさんがあんなんなっちゃってるのも分かっているのかもしれません。もちろん、彼女の意思は尊重してくれるでしょうが……」
でも——呟き、クーリエは茶を啜った。
「寂しいですけど、もう戻ってこない方がいいとも思ったりしますよ。あんな男なんか、もう忘れた方がいいです」
「……お前も苦労しているな」
マッターホルンが苦笑すると、クーリエは弾かれたように顔を上げた。
「そうですよ。兄貴が離れてから、僕の負担がどれだけ増えたか! この前だって――」
「待て待て。どうせ長くなるのだろう。茶を淹れ直すから」
マッターホルンは弟分を宥めながら、新たに湯を沸かすために立ち上がった。