宵越と人見 春の陽気の中、真新しい制服に身を包んだ少年少女たちがひしめいている。そんな人混みをかけ分けて、ジャージ姿の一人の在校生がふらふらと姿を表した。
「宵越君、チラシ分けて〜」
疲れ切った顔をした人見は、チームメイトに声をかける。
「なぜかどんどん人が寄ってきてすぐなくなっちゃって……」
そんな彼に、宵越は渋い顔を向けた。
「どうしたの?」
こちらを睨みつけたまま動かない彼に首を傾げ、人見はその手元を見やった。
「まだ余ってるよね?」
「なんでお前ばっかり……」
「えっ?」
食い縛った歯の隙間から漏れ出す呻き声。宵越の手に力が篭り、『カバディ部、新入部員募集中!』と書かれた勧誘チラシに皺が寄る。
「なぜだ……俺のチラシの何が気に食わねえっていうんだよ!?」
「ああ〜……」
人見は眉根を寄せてため息をついた。仏頂面のまま無言でチラシを突き出す宵越の姿は、容易に想像できた。
「駄目だよ、もっと愛想良くしないと」
「愛想ってなんだよ! 俺なんか脅されて入ったんだぞ!?」
「ちょっと、そういうこと大声で言わないで——」
慌てて宵越を宥める人見。そんな二人に、近寄ってくる新入生の姿があった。
「あのー、なんの部活ですかぁ?」
女子の二人組である。新入生にしてはスカートが短く、バッチリと化粧をしている。視線は宵越の顔に注がれ、狙いは分かりやすい。
それを知ってか知らずか、宵越はそっけなく答えた。
「カバディだよ。わりーけど、女子は募集してねーんだ」
「カバディ?」
「ウケる〜。カバディってなんですか〜?」
女子はキャッキャっと騒ぎながら、不意に宵越の隣の人見に気づく。
途端、彼女たちの笑みが消えた。
「うわ、もう女いるじゃん」
「はぁ〜? なんだよ」
すぐに去っていくその背を、宵越は苦虫を噛み潰したような表情で見送る。
「ああいう冷やかしばっかなんだよ」
「はは……」
人見は、乾いた笑いを浮かべた。彼を見下ろし、宵越は耳を隠す長さのその髪に、桜の花びらがついていることに気づく。
「おい、ついてんぞ」
「あ、ありがとう——」
宵越はそれを指で摘み上げ、軽く息を吹きかける。地面にひらひらと落ちる薄紅色のそれ見て、人見は視線を上に向けた。数日前まで満開だった桜も、だいぶ寂しい姿になってしまっている。
「桜ももう散っちゃうね。全然見る暇もなかったなぁ」
「新年度がこんなに忙しいとは思ってなかったぜ……」
「来年は——」
言いかけた人見は、表情を暗くして肩を落とした。
「……きっともっと忙しいよね」
瞬間、大きな音が鳴った。人見に倣って顔を上げていた、宵越の腹からだった。
「なんか桜見てたら、腹減ってきたな」
「いくらなんでも花より団子すぎない?」
「休憩して飯食いに行くか」
「まだこんなにチラシ余ってるのに!?」
人見は叫ぶが、宵越は聞かずに校舎に戻り始める。
「腹が減っては戰はできねーって言うだろ」
「ノルマって言い出したのは宵越君でしょー!?」
連れ戻そうと服を引っ張るも、逆に引きずられながら人見は叫ぶ。
また季節が巡って、慌ただしい日々が始まる。