みすだて/🔥🦛 仰向けのまま伸びをする。手だけであたりを探り、指先にぶつかったものを手繰り寄せる。いつのものか分からないその漫画雑誌を開けば、見覚えのある絵が意味をなさないまま頭を通り過ぎてゆく。
「水澄」
名を呼ばれ、水澄は本を胸に下ろした。
「いつまで休憩してるんだ」
顔を上げると、テーブルを挟んだ向こう側に伊達の姿がある。シャーペンを片手に問題集から顔を上げ、しかめ面でこちらを見ている。広げたノートには、きっと几帳面に数字や記号が並んでいるのだろう。
水澄は大袈裟にため息をついて見せた。
「そんな真面目にやらなくてよくねー? 数学なんか将来使わねーじゃん」
「俺はそうでもない」
「えっ!?」
伊達の言葉に、水澄は飛び起きた。
「もしかして真て理系選択なの!?」
「一応な」
当然のように――しかし少し得意げに、彼は頷いた。
「筋肉の成長だって化学反応だ」
「えー……」
ぐっと膨らませた二の腕を見せつけてくる伊達とは対照的に、水澄は顔をしかめて呻いた。くちびるを尖らせ、つま先で彼をつつく。テーブルの下であぐらをかく彼の太い脚も、今はぐにぐにと柔らかい。
「もう進路決めてんのかよ。俺を置いていくなよー」
「そんなはっきりと決めてるわけじゃないぞ。それに、まだ時間はあるだろ」
「でも焦るわー」
実際、部活に最低限の勉強と、日々の生活に追われ、まだ就職か進学かすらも決めていなかった。だからいまいち、今日のようなテスト勉強も身が入らない。赤点を取ると悪魔のような先輩に何をされるか分からないので、一応こうやって無駄なあがきくらいはするが。
伊達は参考書に視線を戻した。
「ちょっと集中するぞ。お前もテスト範囲の練習問題くらいは解いた方がいい」
「へいへい」
水澄も渋々教科書を開いた。
しかしすぐに集中は切れる。教師に言われて赤線を引いた定理の名前も、その下に書かれた数式も、まったく覚えがない。あれ、俺ってこんなに馬鹿だったっけ。
「なあ、真〜」
「ああ」
「氷もらっていい?」
「ああ」
水澄は立ち上がり、冷凍庫を開け、麦茶の入ったコップに氷を足した。
席に戻って、再び伊達に尋ねる。
「なあ、真。正弦定理ってどういうこと?」
「ああ」
あれ、と思った水澄はじっくりと伊達を観察した。彼は真剣な顔で問題を解いている。どうやら、集中しすぎてこちらの台詞をちゃんと聞いていないようだ。不器用な彼らしいといえば彼らしい。
「やっぱプロテインで一番美味いのはマグロ味だよな」
「ああ」
面白くなってきた。水澄は口元をにやつかせながらテーブルに上体を寝そべらせた。伊達を下から見つめ、しばらく考え込む彼の表情を楽しむ。
そして、おもむろに口を開いた。
「……俺のこと好き?」
「ああ」
こちらを見もせずに、再び頷く伊達。水澄はすぐに我に返って頬を染めた。頭を振って気を取り直し、それからは真面目に勉強に取り組んだ。
「もうこんな時間か」
伊達の言葉に時計を見ると、既にいつもの夕食の時間を大幅に過ぎていた。
「うわまじだ。腹減ったー」
途端に空腹を自覚する。現金な腹が、急に音を立て出した。
「水澄は終わったか?」
「んー、ようやくどこが分からねーのか分かってきた……」
つまり、ほとんど全部なんだけど——胸中で呟く。
「なら明日、井浦さんに教えてもらえ」
「今更こんなとこ聞くのこえーよ」
「何もしないまま悪い点取る方が怖いだろ」
「うっ……それはそうだけど……」
諦めと共に覚悟を決め、水澄は勉強道具を片付けた。
冷蔵庫を開ける伊達は、夕食の献立を考えているようだ。
「どうする飯、うちで食ってくか?」
「あー、だいじょぶ。野菜がそろそろやべーからなんか作んねーと」
「そうか」
伊達は頷き、食材をいくつか取り出してキッチンに並べた。
「じゃあテストが終わったら、何か食べに行くか」
「おう」
すぐそこの自分の部屋に戻るだけだというのに、伊達はいつも玄関で水澄を見送る。こういうところが、彼の育ちの良さを感じさせる。
「水澄」
扉を閉める直前、呼びかけられて手を止める。
「……本当に、好きだからな」
「へ?」
間の抜けた声と共に、思わず呆然とする。
「あっ……えっ? お前、もしかして――」
「じゃあ、また明日な」
伊達が無理やりドアを閉めるのと、顔を真っ赤にした水澄が叫び声をあげるのは、ちょうど同時だった。