からちゃんがっこうへいくへし切長谷部は頭を抱えたかった。いや、心のうちではとっくに頭を抱えていた。
ここはちいさな大倶利伽羅が通っている小学校の一室である。
部屋の入り口を、時折副校長が通りががかる。
時刻は9:20。始業時間の8:20はとっくに過ぎていた。
「どうするんだ、俺も本丸に戻って仕事があるんだが」
そう声をかけると、部屋の片隅の椅子の上に乗っていた塊がぴくりと動いた。ちいさな大倶利伽羅である。
「…あと10分。で長谷部とお別れする…」
視線が合わないまま絞り出された頼りなげな声に、長谷部は罪悪感でいっぱいになった。
だが、近侍である己が戻らねば職務が滞る。すぐにさぼりたがる何某がたくさんいるのだ、幣本丸には。
心を鬼にして10分後に部屋を出ると、やり取りが聞こえていたのか、副校長が現れた。長谷部が暇を告げると、
副校長は穏やかな笑顔で、
「大丈夫。焦らず行きましょう」
と長谷部に挨拶を返した。
暦が弥生から卯月に変わって2週間。目下のところの長谷部の悩みは小さな大倶利伽羅のことだった。
なんと大倶利伽羅、入学式でたくさんの保護者のいる会場を目にすると、怖気づいたのか、
「慣れ合うつもりはない」
と一言告げ、会場の体育館とは反対方向にある校舎へ一目散に走り去ったのである。
たった一度のことだったが、ちいさなプライドは大層傷ついた。光忠をはじめとする伊達組の慰めも聞かず、翌日から
「しょうがっこうにはいかない」
と、玄関から梃子でも動かなくなった。
騒然としたのは、ちいさな大倶利伽羅を可愛がる男士たちだ。
基本的に彼らは大倶利伽羅に甘い。
「伽羅ちゃんが行きたくないなら無理はよくないよ」
「大倶利伽羅は在宅学習でもいいんじゃないか」
「なーなー!学校じゃなくてひと狩り行こうぜ!」
などと無責任な発言をしだした。
近侍である長谷部は頭痛の種が尽きぬ日々である。
「お前たち!大倶利伽羅が友達の一人もいない寂しい奴になってもよいのか!」
と一喝すれば、
「え、でも長谷部も友達いないんじゃ?」
返ってきた言葉は、鋭い刃となって近侍の痛いところをつくのである。
「俺は子どもではないからいいのだ!」
それでいいのか?そして認めるのか?
皆が揃って甘やかしては為にならぬと、長谷部は毎朝のお勤めとして、玄関から動かぬちいさな大倶利伽羅を担ぎ上げ、学校まで連れていくことに決めた。
ちいさな大倶利伽羅は、顕現した際のバグの影響で、刀剣男士ではあるものの、人の子のような速度で成長している。同様のバグが各本丸で見つかっており、この小学校はそんなちいさな男士たちが集まる学び舎となっていた。
長谷部は本丸内の限られた者ばかりでなく、同じような境遇の男士とも交流をしてこそ、バグの改善にも繋がり、ひいてはちいさな大倶利伽羅のためになると考えていた。大倶利伽羅が、部屋で配布された教科書をこっそり読んでいたのは、鶴丸から報告を受けている。本心から嫌ではないはずなのだ。
それから2週間。長谷部による特訓を重ねた結果、ちいさな大倶利伽羅はようやく始業時間までに教室に近づけるようになった。そのまま教室に入れる日もあれば、担任に授業の時間だと促されて渋々入る日もある。
毎日厳しい面持ちで大倶利伽羅を送迎する長谷部だが、大倶利伽羅が本気で嫌がるときには無理強いはせず、ちいさな大倶利伽羅が自発的に動くまで辛抱強く待ってくれるという意外な一面もあった。(これには本丸の男士たちがいたく感動していた)
「やーだ!!離してよー!安定は帰れー!!」
大倶利伽羅が教室に入ろうとしたとき、隣の教室前で、ちいさな男士と上級生とみられる少年が言い合いをしているのが目に入った。
少年も刀剣男士のようだ。困り顔で暴れるちいさな男士を宥めている。
大倶利伽羅ははじめて、自分以外にも教室に入らない1年生がいることを知った。
「な、なんだよお前」
ジッと見すぎていたようだ。
薔薇柘榴石の瞳で大倶利伽羅を睨みつけたのは、ちいさな加州清光であった。おそらく他の本丸での顕現時にバグにあったのだろう。
「大倶利伽羅だ。慣れ合うつもりはない」
その一言で、ちいさな加州は瞳に涙を溜めた。
慌てたのは大倶利伽羅だ。まるで自分がいじめたかのようではないか。
「……ひぃ……っく………」
「な、泣くな」
「べ、べつに泣いてなんかないし!だいたい俺は、こんなとこ来なくても、ひとりでやれるんだし!」
明らかに涙声で言い返す加州に、困った大倶利伽羅はとっておきのハンカチを手渡した。光忠が入学祝にとプレゼントしてくれた、ポケモンのハンカチである。
「拭け」
「ナニコレかわ!」
素直に受け取った加州は涙も引っ込み、ハンカチをキラキラした眼で見つめている。
「なぁ、お前ポケモン好きなのー?」
「スマホロトムは持ってるぞ」
幾分得意げな声音で大倶利伽羅が答える。
「マジでー?俺なんてスイッチ持ってるんだからなー」
スイッチ?ちいさな大倶利伽羅は謎の言葉に固まったが、
「今度見せてやるよ」
と、これまた加州が得意げな声で言ったので、「ああ」と短く返した。
「たのしそうなところ、もうしわけないな。きみたちじゅぎょうのじかんだぞ」
なおも話したい素振りのちいさな加州であったが、大倶利伽羅のクラス担任である小豆長光が現れ、二人をそれぞれの教室へと誘導した。
その日の夜ー
帰宅したちいさな大倶利伽羅は終始ふわふわした面持ちで、何を話しかけても生返事だ。
鶴丸が悪戯で辛口カレーの皿と交換しても、気づかず食べようとし、慌てた光忠に鶴丸が叱られる。
デザートを食べ忘れて、貞宗が慌てて呼び止めてもいた。
様子を見守っていた男士たちは、いよいよ学校が嫌なのではないか、体調でも悪いのではないか、と、こっそり気をもんでいた。
就寝準備のできた大倶利伽羅は、光忠の部屋を訪ねた。『おやすみなさい』のご挨拶の時間だ。
「光忠」
いつものハグのあと、ちいさな大倶利伽羅は、おずおずと長身の男を見上げる。
「なあに、伽羅ちゃん。」
本心では『もう学校なんて行かなくもいいよ。僕がずっと一緒にいるから』と言ってしまいたい光忠であったが、グッと堪えて、いつもの微笑みを浮かべた。
「と」
「と?」
はて。今日はトマトの手入れはしたが、実がなるのは先だが。
「ともだちが、できた。今日」
素っ頓狂なことを考えていた光忠であったが、ちいさな大倶利伽羅の言葉が耳に届いた途端、安堵の涙を目に浮かべた。
「み、みつただ?」
本日二度目の、大倶利伽羅の狼狽ぶりである。しかし、ハンカチは洗濯に出してしまった。
「そっか。伽羅ちゃん、よかったねぇぇぇ!」
涙ながらに自分を抱きしめる伊達男に困惑する大倶利伽羅だったが、そのちいさな手を大きな背中に伸ばし、ポンポンと叩いた。
「あしたは、ひとりでがっこうにいく」
頼もしいその言葉に、隻眼の伊達男はさらに嬉し涙を流すのであった。
物陰に潜み、大倶利伽羅と光忠を見守っていた鶴丸国永と太鼓鐘貞宗は、すぐさま大広間に伝令として走り、男士たちは大いに安心し、喜んだのである。(平日のため、長谷部により厳重に宴は禁止された)
翌日ーー
「長谷部」
ひとりで行く、と言ったのに。
へし切長谷部の引率のもと登校する大倶利伽羅は、横に並ぶ男を静かに呼んだ。
「なんだ大倶利伽羅」
ちらりと一瞥をくれた長谷部はそっけなく続きを促す。
「友達がいるのは、たのしい」
「そうか。よかったな」
鬼の近侍の笑顔に、ちいさな大倶利伽羅は思わず足を止める。
「長谷部の」
「うん?」
大倶利伽羅に合わせて立ち止まった長谷部は、
「長谷部の友達になってやってもいい」
自尊心に盛大な不意打ちを食らった。
「余計なお世話だ!」
せっかくの申し出を、真っ赤な顔で断る長谷部が理解できぬといった面持ちで、大倶利伽羅は何が長谷部の怒りに触れたのかわからぬまま、校門前で別れた。
そうして今日も、ちいさな大倶利伽羅は学校へ行く。
ポケットにはもちろん、とっておきのハンカチを入れて。
教室のあるフロアまで来ると、廊下の向こうからちいさな加州清光が、笑顔でこちらに走ってくる。
慣れ合うつもりはないが、悪くはない。
加州と挨拶を交わしたちいさな大倶利伽羅の背後で、薄紅色の花弁が舞った。