からぼうのこいぼのり「どうしたの⁉」
「大したことじゃない」
帰宅の挨拶もなく、憮然とした表情で目も合わせようとしないちいさな大倶利伽羅に、光忠は慌てた様子で駆け寄る。けがの状況を一瞥するや、まるで米俵のように抱え上げ、光忠は玄関から一目散に走り出す。
「手入れ!手入れ部屋あいてるよね!」
藤の花も見ごろな本丸の連休は、左頬に引っかき傷をつけたちいさな龍の帰還で幕を開けた。
もぐもぐもぐもぐ…
つんつんつん。
むぐむぐむぐ…ごくん。
ぷす。
もぐもぐもぐもぐ…
つんつんつん。
むぐむぐ…
ぷす。
「いひゃい」
黙々と手にした甘味を食べ進めていたちいさな大倶利伽羅は、先ほどから不遠慮に右頬を突く手の持ち主をじろりとねめつけた。左頬には可愛らしい絆創膏が貼られている。
「おお、すまんすまん。坊の頬は愛いのうと思うて」
ねめつけられた相手である三日月宗近は、大して申し訳なさそうな素振りもなく、にこにこと大倶利伽羅を見つめている。
「ひとが食べてるときに、邪魔するのはだめだと光忠が言っていた」
「うむ。燭台切は正しいな」
穏やかな昼下がり。世間では大型連休の真っ只中だ。
本日は『端午の節句』ということで、厨はいつも以上に晴れやかな献立を提供していた。
『みんなで食べようね。今日はたくさん作るよ!』
自他ともに認める料理好き、本日の厨番の燭台切光忠が、粟田口の短刀たちに、柏餅の作り方の手順を丁寧に指南していたのは今朝ほどのことだ。
調理台の対面では、歌仙兼定が昼の献立の下準備に取り掛かるところで、こちらも大層気合の入った様子だった。
『男士の健やかな成長を祝う日さ。僕らに似合いの日じゃないか』
そんなわけで、お八つは柏餅である。
大広間に次々と運ばれる、つやつやの柏の葉に包まれたふくりとした餅が鎮座する大皿を、ちいさな大倶利伽羅はきらきらした瞳で見つめていた。
餅の色も、白・蓬色・クチナシ色と三種類ある。聞けば餡の味ごとに色を分けたという。料理好きの伊達男のこだわりである。
「伽羅ちゃん」
追加の皿を運んできた光忠が、大皿に目を奪われているちいさな大倶利伽羅に声をかけた。途端に身構えた大倶利伽羅は、
「別に。怒ってなんかない」
と、問われてもいないのにそう答えた。
連休が始まってから、万事こんな調子である。
そうして、まるで興味がない、といった素振りで大広間を出て行ってしまった。
光忠はため息をついた。
「困ったな…」
大倶利伽羅が傷を作って帰宅した日、しつこく事の経緯を問い詰めてしまった光忠は、それから今日まで避けられている。
頬の傷は、バグの影響か戦闘での怪我ではないからなのか、手入れ部屋に入れても治らず、まるで人の子のように時間とともに薄くなるのを待たねばならなかった。
学校で何かあったのは間違いない。だが、ちいさな大倶利伽羅は頑として事の詳細を話そうとしなかった。どうやら同級生と喧嘩をしたようなのだが…詳細がはっきりしない。
学校からの電話連絡を、初期刀である山姥切国広が受けたのも災いした。話を聞いていたのかいないのか、電話に出られなかった近侍の長谷部に彼が要約した言伝は「怪我をしたと連絡がきた」とだけだった。
「そんなものだれが見てもわかるだろう‼」
近侍の怒号が本丸に響いたことは想像に難くないだろう。
「ひぃふぅみぃ、、、光坊、これ貰ってくぜ」
奥で大倶利伽羅と光忠のやり取りを見ていた鶴丸国永が、光忠が運んできた皿を一つ手に取る。
「いいけど、鶴さん?」
「なぁに心配はいらんさ。ちょっとジジイたちに坊を可愛がらせてくれるかい?」
ニヤリと笑うと、鼻唄交じりに大倶利伽羅の出て行った方へと足を向けた。
勢いで大広間から出てきてしまったちいさな大倶利伽羅は、喧噪から少し離れた庭の縁側に、三日月宗近を見つけた。
「なんだ?お八つの時間なのにどうした」
藤の花見と決め込んだのか、そこには座布団まで用意されていた。
「…別に」
お八つ、の言葉に先ほどの柏餅を思い出し、大倶利伽羅の心が沈む。今更戻るのも己の矜持が許さなかった。
「ちょうどいい。ちょっとジジイの花見に付き合ってくれぬか」
「慣れあうつもりは…」
「鶴丸が柏餅を持ってきてくれるところなんだが?」
「……」
たっぷり十秒迷って、大倶利伽羅は三日月の左に敷かれた座布団の上にちょこんと腰を下ろした。
ほどなくして鶴丸が柏餅の載った皿と、 湯呑みを載せた盆を運んでくる。
「お。伽羅坊もきたのか。いいねぇ、一緒に頂こうぜ」
小ぶりな湯呑みに薄めの緑茶を注がれ、さて食べようというところで、鶴丸を呼ぶ声が聞こえた。
「おや、どうしたんだい?物吉」
声の主は物吉貞宗であった。
「すみませーん!鶴丸さんにお客様です!」
走らぬように、だが極力急いできたのか、少々息が弾んでいる。
「こんな日にかい?」
鶴丸は不思議そうに聞き返す。本丸に来客など、基本ない。
「はい!主さんもご承知です!鶴丸さんにご対応いただきたいと」
「そうかい?何の驚きだろうな。三日月、伽羅坊、悪いが先に食べていてくれ」
鶴丸はそう言うと、物吉に案内を乞う。
「三日月さんも大倶利伽羅くんも、お邪魔しました。失礼します!」
物吉は笑顔で暇を告げ、鶴丸を玄関の方へ案内していった。
そして冒頭に戻る。
「ふむ。坊のほっぺは何でできているのかのぅ。餅よりふくふくしておる」
「別に」
「斜め後ろから見ると、ほほぅ。ぷっくりだな」
上機嫌で笑う三日月には構わず、ちいさな大倶利伽羅は柏餅を咀嚼する。
粒あん、こしあん、味噌あん。どれも美味だった。さすがは光忠である。
「「あ」」
最後のひとつに手を伸ばせば、三日月も同じだったようで、声が重なる。
「…坊はこしあん、さっき食べたのでは?」
「三日月は粒あん、二つ食べただろう」
「「……」」
しばし膠着状態が続く。
「はんぶんこ、だ」
「あい、わかった」
大倶利伽羅の提案に三日月も頷き、こしあんは仲良く半分に分けられた。
鶴丸が戻ってきたのは、二振りが柏餅を完食し、緑茶のお代わりを注いだ頃であった。
「遅かったな」
「……」
緑茶を飲みながら三日月がにこやかに、大倶利伽羅は眼だけで出迎えた。
「悪い悪い、珍客だったもんでな」
そう言いながら、菓子折りと思しき包みを手にしている。
皿を一瞥したあとキョロリと周囲を見渡し、鶴丸が言った。
「…きみら、柏餅どうした?」
満足そうな二振りの笑顔に、鶴丸もつられて笑顔を浮かべ、答えを待つ。
「「全部食べた」」
予想外、いや予想通りの内容に鶴丸が肩を落とす。
「味噌あんは…」
「美味かった」
「悪くないが、俺はやはり粒あんが好きだなぁ」
いや、だれも感想など聞いてはいない。
「俺の、味噌あん……!!!」
ガクリと項垂れる鶴丸を見て、三日月とちいさな大倶利伽羅は顔を見合わせ、声を合わせて問う。
「「だめだったか?」」
コテン、と音のなりそうな仕草に、鶴丸が呆れて返す。
「きみらな。柏餅、何個あった?」
もう一度三日月と顔を見合わせ、ちいさな大倶利伽羅は盆の端に積まれた柏の葉を見る。
「十...いや九個だ」
「三種類三個ずつだったな。最後のひとつが分けられんと悩んだからな」
「こういう場合、一人一種類ずつと思うもんじゃないのか?俺たち三人分のつもりだったんだがなぁ」
はぁぁぁ、と長い溜息をつく鶴丸だったが、食べた張本人たちはあまり悪びれた様子もない。
「きみら、そういうところは息ぴったりだな」
まったく、とブツブツ言いながら、鶴丸は大倶利伽羅の左に腰を下ろし、冷めてしまった緑茶を一息に飲んだ。
「国永、それ」
詫びる気持ちなど微塵も見えない大倶利伽羅は、鶴丸の手にした菓子折りが気になっていた。
「なんだい伽羅坊、まだ食べる気かい?」
是とも非とも答えぬ大倶利伽羅だったが、このちいさな龍が甘いものに目がないことを知らぬ男士は本丸内にはいない。鶴丸は包装を丁寧にはずし、中身を大倶利伽羅と三日月に見えるように箱の角度を傾けた。
箱の中には、白と薄紅色の滑らかな餅菓子が収まっていた。
「まぁ、いわゆる『すあま』だ。鶴の卵の形をしているこれは、鶴の子餅と言ってな。祝い事で食べるのさ」
三日月が不思議そうな面持ちで問う。
「わざわざ買いに行っておったのか?燭台切たちがあんなに柏餅を作っておったのに」
「いやいや、きみ。人の分まで食べておいて何を言う…」
呆れ気味の鶴丸だったが、ニヤリと笑った。
「大層謙虚な長曽祢虎徹に頂戴した。伽羅坊の学友の保護者のようだな」
来客はちいさな加州清光と同じ本丸の、長曽祢虎徹であった。
詫びの品だとわざわざ持参し、鶴丸に頭を下げていた。
鶴丸も驚きはしたが、おかげで大倶利伽羅の不機嫌の原因が見えてきた。
ちいさな大倶利伽羅の眉間にうっすらと皺が寄る。
「で?仲違いの原因は?」
「………」
眉間の皺が深くなる。
「伽羅坊?」
鶴丸のダメ押しで、ぽそりと答えが返って来た。
「俺はチビじゃない…」
いや、十分にちいさいなぁ。
囲む太刀の心の声は思わず重なった。口にしなかっただけ、この二振りにしてはよく耐えたであろう。
「向こうの加州に言われたのかい?」
俯いたままのちいさな頭が上下して肯定した。
事の次第はこうだ。
連休の数日前、身体測定があった。ちいさな男士たちが、受け取った結果を見せ合うと、加州の方が1㎝程高かったのだ。
『おーくりから、チビじゃん!』
加州がふざけて放った一言が、ちいさな大倶利伽羅にはおおきなショックだった。思わず加州に見せた健康診断表をひっぱり、加州と揉みあいになってしまった。
「別に俺は悪くない。清光の爪が当たっただけだ」
最後にそう告げると、大倶利伽羅は貝になったかのように口を噤んだ。
三日月と鶴丸は顔を見合わせる。
さて、どうしたものか。身長など些細な問題だ。だが、このちいさな龍はなかなか素直になれない子だ。果たして仲直りができるであろうか。
「なんだよ伽羅!カッコよさは身長じゃ測れないぜ!」
「貞」
平安刀たちがなんと声をかけようかと思案していたところに、縁側の先に続く生垣の向こうから太鼓鐘貞宗が現れ出た。
「貞坊!どこにいたんだ?」
「へへへっ!鶴さんの好きな驚きを与えに来たんだぜ!」
ほらよ!と貞宗が示した先を目で追う。見上げる空にはためくのは、大きな鯉のぼりであった。
黒地の鯉は真鯉であろう。そこにちいさな少年がしがみつく図案だ。
「あのこどもの絵…」
本丸の誰かが別注したのだろうか。少年の絵は大倶利伽羅にそっくりであった。
「伽羅の坊かのぅ」
鶴丸の呟きを三日月が引き継ぐ。
「そうだぜ!自分よりも大きい鯉も捕まえちまうんだ、ド派手にカッコイイだろう!」
ちいさな大倶利伽羅はしばしの間、じっと空を泳ぐ鯉のぼりを見つめていた。風にたなびく姿は大きく雄大だ。鯉のぼりを映す瞳が、きらきらと輝く。
「身長なんて大した問題じゃないぜ。伽羅坊」
「男士は器の大きさで勝負だな」
「きみはちょっと大きすぎるけどな!」
鶴丸と三日月の言葉に、大倶利伽羅は静かに頷く。
ちいさな大倶利伽羅はしっかりとした口調で言った。
「学校に行ったら、清光と仲直りする」
だから、と言った後に一呼吸おいて、
「すあま、食べたい」
真剣な瞳の光は、先ほどまで鯉のぼりを見つめていた時よりも一層力強い。
「きみなぁ、やっぱり食べ足りないのかい?」
「あ!鶴さん俺も欲しいぜ!」
笑う鶴丸の手から薄紅色の鶴の子餅を受け取ると、ちいさな大倶利伽羅と貞宗はぱくり、と口いっぱいに頬張った。
「そうだ、伽羅坊、ちゃんと光坊とも仲直りしろよ。このままだと泣いちゃうからな、光坊」
ぷくりと膨らんだ頬が動く。
「べふに、なかたがいなんてひてない」
「伽羅!話すときはちゃんと飲み込んでからだろー」
もぐもぐもぐもぐ…
つんつんつん。
むぐむぐむぐ…ごくん。
ぷす。
「三日月…」
「はっはっは。すまんすまん。ついなぁ」
懲りずにちいさな大倶利伽羅の頬をつつく三日月に、鶴丸は本日幾度目かのため息を吐く。
鯉のぼりは悠然と空を泳ぐ。吹き抜ける風はいつの間にか夏の気配を乗せ、ちいさな大倶利伽羅の本丸に初夏の訪れを告げるのであった。