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    桜道明寺

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    桜道明寺

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    七夕にふたたび巡り合う諦玄の話

    二つ星 したたか酔って、草を枕に寝転がる。
     よく晴れた宵、日中は激しく照りつけた陽も西の果てに隠れて、涼しい風が吹き抜けるようになった頃、心地よい気候に誘われるようにして、ひとり、酒を呷った。まだ生まれたての夏、鳴く虫もそう多くはなく、ジィ、という微かな声は夏草を揺らす風に流されてゆく。他に何の音もしないし、傍に誰もいない。俺は、妙に解き放たれたような心持ちになって、ぐいぐいと酒を流し込んだ。酒は弱い方じゃないけれど、それでも強い酒をふた瓷も飲めば、頭は朧になってゆく。そうして酒精に絡め取られて、目の上がぼんやりと熱くなった頃、俺は大きく息を吐き、大の字になって草の上に倒れ込んだ。
     見上げる空は雲の一片もなく、まだ夏の熱気に揺らぐ前の星々は、一粒一粒がくっきりと輝いて見えた。視界の端から端まで、遮るものなく広がる星空をずっと見ていると、だんだんと天地が逆転しているような錯覚に陥る。まるで夜空を見下ろしているような——否、そもそもこの大地は、突き詰めれば途方もなく大きな玉なのだ。そこにはきっと上も下もない。見上げているのか見下ろしているのか、そんなことは、考えるまでもなく曖昧だ。老君に連れられて、初めて月宮へ行った時のことを思い出す。あの時は、砂だらけの黒白の世界から、色鮮やかなこの世を、ただぽかんとして見上げていた。俺たちが何気なく暮らしているこの星も、ひとたび外に出てみれば、漆黒の空に浮かぶ光のひとつとなる。それがどうにも不思議で、そして遠ざかったからこそ、俺たちの暮らすこの大地が、妙に愛しく見えた。その時は、その愛しさの源は、一体なんだろうと思っていたけれど、今にして思えば、それは、笑ってしまうほど単純な理由だった。
     遠いからだ。遠くにあるからこそ——手が届かないからこそ、愛しい。
     瞳の先には、白い星の大河が流れている。伝説によれば、年に一度、あの河を超えて巡り合う夫婦が居ると言う。きっと、向こうが霞んで見えない星の大河、その両岸に隔てられている間、募る想いは、いかほどのものだろう。
     ふふ、と吐息のような笑いが漏れる。
     まさか、この俺が、そんなことを思うようになるなんて。
     自嘲めいた可笑しさと、僅かな胸の痛み。
     身体を取り戻して、阿根と離れ、ひとり気ままに旅する途上で、こんな風に夜空を眺めながら、俺はまだ、お前のことを思っている。
     諦聴。
     身体を重ねたのは、大昔にたった一度きり。それも、戯れの延長のようなものだった。互いに交わす情もなく、次に取り交わす約束もなく、その場限りの——そう思って褥を共にした。あの時は、それで良いと思っていた。今なら分かる。あれは臆病がゆえの自己防衛、深みに嵌らないがために撒いた煙幕のようなもの。認めてしまえば、きっと離れられない——本能がそう警告していて、俺は無意識のうちに心の距離を受け入れた。戯れならば躱すこともできよう。けれどひとたび本気になってしまえば、俺はきっと雁字搦めになる。何者にも縛られず、自由を是として生きてきた自分にとって、それは許されざることだった。乞う想いに気づいてしまえば、それはその瞬間から激しい痛みに変わる。だから離れた。心も身体も遠くに在ろうとして、事実、それは成功していた。俺は阿根と同化し、遠く離れた地で安寧を手に入れた。なのに、お前はやってきた。お前が再び俺の前に現れた時、地中深く埋めた種子の罅割れる音を聞いた。眠っていた想いが、凍土を突き抜けて一気に芽吹くさまを見た。あの絶望にも似た想いを、お前は到底理解できまい。
     それでも俺が阿根でいるうちは良かった。所詮は妖と人、肉体が異なってしまえば、接しようもそれなりに変わる。あわよくば、このまま旧知として、良い関係を築けるかもしれない。——そんな夢を抱いたこともある。
     しかし、今。俺は阿根と分離し、在るべき本来の肉体に収まってしまった。自分の中で、お前を隔てる理由が無くなってしまったからには、もう、物理的に離れるしかなかった。以来数年、俺は各地を転々とし、そして現在はこうして、草原に寝転がって、ひとり夜空を見上げている。大河に隔てられた二つの星に、もう届かぬ想いを重ねながら。
     つんと鼻の奥が痛み、星々が霞むように滲む。
     ああ、本当に呑み過ぎてしまった。この俺としたことが、こうも感傷的になるなんて。
     それでも構いやしない。どうせ此処には誰も居ないのだから。
     水の膜は盛り上がり、やがて溢れて目尻から流れ落ちる。拭うことはせず、ただ瞬きのたび流れるに任せる。
     心の箍が緩む。抑えていた想いが涙と共に溢れ出す。
     逢いたい。いま、途轍もなく、お前に逢いたい。
     微かに唇が動いた。言葉にならない言葉。禁じられた名、愛しさの代名詞を、唇だけが形作る。
     ごう、と風が吹いた。一瞬遅れて気配が届く。
     はっと身体を起こす。揺れる草原の向こうに、四つ脚の獣が居た。豊かなたてがみを靡かせ、眇たる星の光を鱗で弾いて。
    「どう、して」
     喉が詰まって、それだけしか言えなかった。
     獣は、さく、さくと草を踏むと、俺の傍まで来て、ぺろりと涙の跡を舐めた。そのまま猫のように顔を擦り付ける。たてがみが頬に触れて、くすぐったかった。
     腕を伸ばして、ぎゅっと獣の首を抱きしめる。
     ——ああ。
     見つかってしまった悔しさと諦めと、わずかな安堵が心に満ちる。
     ずっと隠れていた。痕跡を残さないよう、細心の注意を払いながら。心の奥底でお前を乞いながら、それでも見つけないでくれ、と祈るように願って生きてきた。
     けれど見つかってしまった。もう、隠れ鬼は終わりだ。
     いつの間にか獣は姿を解いて、人の腕が背に回っている。
     互いに強く抱きしめる。離れていた時間を、心を埋めるように。
     そうして言葉もないまま、瞳を合わせて、ゆっくりと口づける。
     時の大河に隔てられた二つ星が、いま、静かに重なった。
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