氷枕を引き剥がしたくて 夏日。熱がこもった蒸し暑い道場で立ち尽くしていた山姥切は、額から流れる汗を手の甲で拭ってため息をついた。手合わせの時間だというのに三日月宗近の姿が見えない。
汗で額にへばりつく前髪を払った。修行を終えた身ではあるが、日本の夏の異様な暑さと湿気は堪える。仕方なく探しに行くと、三日月は自室にいた。鮮やかな青い狩衣を着崩し、畳の上にだらしなく横たわっていた。山姥切がおいと声をかけるとほんの僅かに足をピクっと動かした。腕に氷枕を抱きかかえながら、小さな声で何用かなと山姥切の表情を窺ってくる。山姥切の来訪理由に察しがついているのではなかろうか。語気を強めた。
「今日は俺と手合わせだぞ。忘れたのか」
苦笑いした三日月は、氷枕をますます自分の胸元に寄せ、めんどうくさい……と呟いた。そんなこと言われても困る。いいから行くぞと山姥切は力付くで三日月から氷枕を取り上げようとしたが、思いの外強い力で抵抗された。氷枕を引っ張ると、三日月がおまけについてくる。振り落とそうと力を込めれば、三日月の腕力も比例して強まる。ただでさえ暑いのに、新しい汗が滲んだ。なんとか敷居の前まで引きずったが、熱風が顔に吹き付けた。こんな中三日月を道場に連れて行くのは骨が折れる。諦めて手を離した。
うつ伏せになった三日月は、氷枕を頬に当てて気持ちよさそうに目を細めると大きく息を吐いた。
「まだ昼間ではないか……。一番暑い時間に手合わせをすることはなかろう。それより山姥切も涼もうではないか。共に昼寝をしよう」
「……いい」
三日月はころころと転がり、部屋の中央に戻ってしまった。着崩されていた狩衣がますますぐちゃぐちゃになる。
「行こうとは思ったのだ。だがな、氷枕が俺を離してくれぬ」
氷枕に頬擦りする三日月を見ていると、なんだかむかむかした。冬の寒い時期は山姥切に近寄り、子ども体温で温かいなとベタベタしてきてかわいかったのに。夏場は氷枕に浮気か。暑さで頭が茹っているのも相まって、山姥切のむかむかのボルテージが上がっていく。
三日月はすっかり油断している。山姥切は三日月の足元にそっと回り込んだ。脱げかかった白い足袋を引き抜くと、蒸れた三日月の香りがむわっと漂った。ゆっくりと三日月が振り向いて、脱がしてくれるのかと嬉しそうに笑った。
山姥切はニヤリと微笑み、三日月の足首を片手で掴んだ。怪しい雲行きに気づいた三日月が困惑の声を上げたがもう遅い。もう片方の手を足裏に這わせ、つうっ、となぞった。
ビクン、と三日月の身体が震えた。やめろ、と足をバタバタされたが構わずくすぐり続けた。甲高く笑い始めた三日月は、足裏が非常に弱い。特に土踏まずのあたりが弱い。悪戯心が芽生え、土踏まずに舌先を這わせた。笑い声は喘ぎ声に近くなり、三日月の顔も真っ赤で、他の者に聞かれるとまずくなってきた。
ああ、暑い。こんなに暑い昼間から、俺たちはなにをやっているのだろう。三日月がくったりした頃を見計らい、山姥切は氷枕を奪い取った。山姥切の、あほう、と息の切れた声がした。三日月は涙に濡れた瞳でこちらを睨んできているが、全く怖くない。氷枕に浮気するからだ。熱烈に抱き締めるのは俺にしろと言えば、山姥切が冷たければなと返された。それは難しいかもしれない。子ども体温なもので。
ふと、燭台切の声が聞こえてきた。今日のおやつはスイカだよー……。
手合わせはおやつを食べてからにしようと言えば、三日月は渋い顔で頷いた。山姥切は三日月を立ち上がらせ、着崩された狩衣を慣れた手つきで着付けていった。