その唾液すら甘いことその唾液すら甘いこと
ラテラーノに暮らすサンクタは、その瞳まで甘くなるのだろうか。
否、もう一つ追加する箇所があった。瞳だけではなく、声まで甘くなるのだろうか、とロドスのドクターはラテラーノにおわすであろう教皇殿に抱いてしまった疑問をぶつけたくて仕方がなかった。何故かと言われれば、自身の背後に居るサンクタ──イグゼキュターの視線もその声色も、入職当初とは比べ物にならない位に、それこそ砂糖が煮詰められているのか? と言えそうな程に熱が込められているからなのだけれど。
教皇に問い合わせれば執行官とかのクーリングオフとかって受け付けてるのかしら。若しくはバグ修正。他の子達に聞かれたら大不敬とかでぶん殴られそうだな。なんて余計な事を考えながら、手元の端末を弄っていれば後ろから「ドクター」と名前を呼ばれたので振り返る。
ドクターの視界には、イグゼキュターの機械のような表情が、普段通りの冷静極まりない様子が間違いのない情報として届けられるのだが。氷のように見えるペールブルーの瞳には、誰が見ても解る程の好意が詰まっているし、形の良い整った唇からは咽せ返りそうな熱量が乗せられている。
ドクターはデスク上のコーヒーを一度啜って、何故か味として感じる甘さを喉奥に押し込めてから「何かな」と冷静に返事をした。だって少しでも苦味を摂取しないと胸焼けを起こしそうなんだもの。見えないのを良い事に遠い目をする。
「そろそろ休憩にした方が宜しいかと。このまま仕事を続けるのであれば、明らかに効率が落ちると予測されます。三十分程であれば、作業効率も一定以上回復できつつ、業務終了時間までに今日のノルマを終わらせる事が出来るかと」
「うーん。そうだねぇ……君も休憩に付き合ってくれる? 丁度聞きたい事もあるし」
「了解しました、ドクター。では休憩に最適なお茶菓子を持ってまいりますので、少々お待ち下さい」
「あーいや、お菓子は良いよ。口ん中甘ったるいんだ」
「甘ったるい…? それは何故でしょうか。見る限り、スイーツの類は摂取していないようですが」
眉だけを顰めて怪訝そうな顔をするイグゼキュターに、ドクターはとうとう困ってしまった。
果たして彼に自覚があるのかないのか。あったとして、問いただして良いものか。とんとん、と顎先を指で叩きながらドクターは考える。与えられるその好意に、悪い気がしないのが何とも恐ろしいのだ。何たってこのサンクタは、顔の造形美が素晴らしすぎる。世のどんな女性で口説き落とせそうな顔面に甘い言葉を吐かれては、どんな人間でも意識はしてしまうだろう。
正直な所藪蛇になりそうな気もするけれど、下手に放っておいてこっちが気まずくなってしまうのは良くない事だ。そして、彼は回りくどい言い方は好まないという事も、ずっと共に仕事をしてきた関係上知っている。ではもう、直球に切り出すしかないのでは? と頭を抱える。
額に手を当て、ふう、と呼吸を整えてから、ドクターはイグゼキュターを真正面に見据えて緊張した面持ちで問いかけた。
「イグゼキュター」
「はい。如何されましたか」
「君は……私の事が好きなのか? その、恋愛的な意味で」
「ええ。そうですが、それが何か?」
「それが何か?????」
曇りのない目で頷く男に、ドクターは自分が間違った事を聞いたような気になってしまった。なんでそう、当たり前ですが、みたいな表情をしているのか。
自身の、特に秘めてはいなかったようだが、その想いがバレたとしても何の問題もない、と言うような態度にドクターは唖然としてしまう。そんなドクターを瞬きを繰り返しながら見ていたイグゼキュターは、「…成程、状況は理解出来ました」と呟いて、座っているドクターの前に立った。そうして、フードに隠された瞳で自分を見上げる人と目を合わせ、一度見つめ合ってから。誰しもが認めるであろう美しさを持つサンクタは、無機質な椅子に腰掛けた痩躯の前に跪いた。
「ドクター。私は貴方から、私と同じ想いを返して頂けるとは思っておりません」
「……そうなの?」
「ええ。今のところは、ですが」
「うん? 何やら不穏な言葉が聞こえてきたな」
「別に不穏と呼ばれるような事は何もありません。ただ…貴方が私の目や声から掬い取ったこの想いが、いつの日か貴方に伝染し、その内に。私に好意を持って貰えれば僥倖だ、と思っているだけです」
今度は見上げるようになった天使の瞳があまりにも眩しくて、ドクターは目を細めた。
ああ、その瞳の、何と甘い事か! 見ている此方が恥入りそうな程、真っ直ぐに愛を伝えてくる男を見て、くらりと目眩のような感覚に陥りながら、ドクターは直感する。
──そう遠くない未来に、私はこの子に溺れてしまうのだろう、と。
けど、もし落ちるのならば。
そうなるのならもう少し甘さが欲しいので。簡単に落とされてはやらないよ。そんな言葉を頭に浮かべて、ドクターは心の中だけでイグゼキュターにベッと舌を出した。
「イグゼキュター」
「何でしょうか、ドクター」
「…もう休憩時間が終わってしまいそうだよ」
「は? ……失礼しました。自身の胸の内を明かす事に慣れていないので、時間の配分を見誤りました。次からは気をつけます」
「ふ、はは! うん、次からは気をつけてね」
ね、フェデリコ。
囁くように紡がれたその名前に、ペールブルーが大きく開かれる。
目も口もまあるくなった可愛い天使に、ドクターは大口を開けて笑ってしまう。骨ばった背をくの字にしながら、困ったなぁ、と眉を下げていく。
実はもう、落ちてしまったのかもしれない。だって彼がこんなに、可愛く見えてしまうのだから!
⬛︎
可愛いかわいい執行者の、今にも滴たたり落ちるようなその甘さに手酷くやられてしまったドクターは、例え同じ熱や量は無理でもそれなりには、と彼なりにイグゼキュターへ想いを返そうと尽力していた。
何せあのサンクタは、想いが通じたと言うのに必要以上の触れ合いをしてこないのだ。あの熱量はどうした、と言いたくなる程彼は手を出してこない。多分きっと恐らく、無体は働くまいと鉄の理性を持ってしてどうにか堪えているのであろう、とドクターは推測していた。故にならば、とドクターも気合を入れてイグゼキュターと向きあって。
かねての思惑通りに、晴れて恋人となった美しいサンクタを真似て、己の声にそっと気持ちを乗せてみたり。いつも銃を握っている。色は白いが男らしく骨張った手にそっと触れて、きゅう、と緩急をつけつつ握ってみたり、とドクターなりにスキンシップを増やしてはいたのだが。
全っ然、足りない気がする。返す想いもその思慮も。
デスクに肘をつき手を組みながら、ドクターはフードの奥でそんな事を考えていた。
返そうとすればするだけ、あの子は倍にして戻してくる。それは確かに嬉しいしありがたいけれど、私も無償の愛とやらを。
「君に差し出したいんだけどなぁ」
組んでいた手を頬杖に変えて、静まり返った部屋の中で独りごちる。ついでとばかりに溜息も一つ。
うーん、と唸りながら指で頬を叩いてひたすら悩む。愛しの彼に想いは自体は伝わっているが、意図は伝わらず。で、あるならば、とドクターは立ち上がり、端末に少しの単語を入力した。幾つも出てくる検索結果に頷いて、扉へと向かっていく。
「贈り物と一緒に、私からも告白してみようか」
サンクタは総じて甘い物が好きな傾向にある、と言うのを、フィアメッタやモスティマなどのラテラーノを知っているオペレーターから聞いた事があった。例えばクッキー、例えばマドレーヌ。シンプルな物だとしても、彼は喜んでくれるだろうか。
薄暗い部屋に、端末による明かりがぼんやりと広がって、うっすら辺りを照らし出す。画面には焼き菓子の作り方がずらっと並んでいて、サイトの上部にあるタイトルには、ラテラーノ人が喜ぶスイーツの作り方! と、丸みのあるフォントでそう書かれていた。
ふんふん鼻を鳴らしながら、ドクターは部屋を出ていく。自分には何の心得もないけれど、焼き菓子くらいなら何とかなるんじゃないかしら。材料だって、クロージャに端末見せりゃあ丸分かりでしょ、と。
己の失敗も疑わず、端末片手に身一つで購買部へ。ステップでも踏みながら歩きそうなドクターを止める者が誰も居なかったのが、ドクターの最大の敗因だった。
「……完全に舐めてたね、菓子作りってやつを」
天板の上には均等に並んだ炭が幾つか。炭も炭、真っ黒だ。「ドウシテ…?」と肩をガックリ落としながら、ドクターは自身の作業を振り返る。まぁ然し、料理初心者だけで反省した所で何処が悪かったのかも解らずに、背を丸めたままただ首を捻るだけと相成った。
とは言えどうしたものか。
材料はまだあるとしても、時間はそこまで残されていない。しかし、こんな炭の中の炭、キングオブ炭を愛しい人にあげるのは論外に決まっているだろう。今日はもう諦めて後日また挑戦するとして、とりあえず証拠隠滅しなくては。
焦げと甘さが混じる室内を換気して、クッキーと言う名の炭を捨て。ああ、使ったボウルや細々とした物も片付けなくちゃね、とガチャガチャバンバン後片付けをして、作業の締め括りに自身の作った出来損ないを一つ手に取った。粗熱どころかすっかり冷め切ったその塊を口へ運んで、ガジ、とそのまま齧り付く。
「ふふ、苦! 幾ら私の舌でも駄目だな、これ。」
それとも、私の舌が肥えてしまったのだろうか。
黒い板に並ぶ黒をジッと見つめてから、天板ごと抱えてダストボックスへと足を向ける。流れのままに蓋を開け、中身を全て突っ込む為に傾けようとした所に、「ドクター?」と最近ようやっと聞き慣れた声が聞こえた。
「イグゼ──いや、フェデリコか。どうしたの?」
「はい、貴方のフェデリコ・ジアロです。本日の職務が全て終わり、残りの時間をドクターと共に過ごしたくなりましたので、そのまま貴方の元へと参りました」
「あー、それは…ありがとう……?」
「それで、ドクター。貴方は何を捨てようとしているのですか? 手に持っている天板とキッチンにある材料から察するにクッキー…でしょうか」
「ち、違うよ。えーっと…炭だよ……」
「…何故此処で炭とやらを作成しているのか理由をお伺いしても?」
「……食べたくなっちゃって」
「やはりクッキーなのでは?」
「クッキーに見える炭です…。あ、こら確かに君の言う通りクッキーだけど! 失敗だから食べられないよ!」
苦いんだからやめなさい! とドクターが静止する前にイグゼキュターは、甘い菓子とは思えない色をしたクッキーを口へと運ぶ。バキ、ゴリンとやはり焼き菓子とは言い難い音を鳴らしながら数回咀嚼して、そのままごくん、と表情を変えずに嚥下した。そして考え込むように数秒置いてから、感想を告げる為に口を開く。
「美味しい……とは、言えませんね」
「そりゃそう、どう見たって失敗作だもの」
「然し不思議と、これが捨てられたり他者に食べられる位ならば私が全て食べ尽くしてしまいたい。そんな欲求に駆られます」
「…それは、喜んでるのかい? うーん、動機としては君への贈り物として焼こうと思った物だから、一応全部は君の物だよ。失敗作で悪いけどね」
“君への贈り物”と言う言葉にイグゼキュターは目を見開いて、そしてゆっくりとその表情を綻ばせた。職務中や普段の彼からは想像も出来ない春風のような微笑みに、ドクターの方が面を食らってしまって、ぎくりと高鳴る心臓を何とか手のひらで抑えつけた。
たかだか手作りの贈り物一つ、それもすっかりまる焦げになってしまった物にそこまで喜ばれるとは。うっとりとした顔で贈り物と此方を交互に見つめる天使の顔を、ドクターはドキマギしながら見つめ返して言葉を待った。
「嬉しいです、ドクター。……本当に」
「そう? 喜んでくれたなら、私も嬉しいよ。いつも君に与えられてばかりだから…私からも何か返したかったのだけど」
「私がしたくてやっていた事なので、気にする必要は無いと思います──いえ、思っていましたが。…目に見える形で返されるのは、中々良い物ですね」
「そうだろう? 君にもちゃんと知って欲しかったんだ。私も君が大好きだってね」
「勿論知っています。普段のスキンシップや声色からもそれは読み取れていたので、私が不安等に駆られると言う事態になる事はまずありません。それでも、嬉しい事に変わりは無い。……ありがとうございます」
「…ああ、気づいてたのね、君」
それならそうと言っておくれよ。ぷしゅう、と音が鳴りそうな程真っ赤になりながら、ドクターは顔を覆ってしゃがみ込む。だって余りにも恥ずかしいじゃないか。
火照る頬をムイムイ両の手で押して、そろりと下も下からイグゼキュターを見上げると、彼はキッチンの上にある材料達に視線を向けていた。欲しい物でもあったのだろうか、と見上げたままドクターは彼の名前を呼ぶ。
「フェデリコ?」
「何でしょう、ドクター」
「君の方こそどうしたの? 材料ずっと見てたようだけど」
「……私の贈り物が失敗した、とドクターが気にしていたので、二人で一緒に作成してはどうかと思いまして。失敗する確率はかなり低くなりますし、私も貴方と作業できるのは嬉しいです。基本的なクッキーのレシピも一通りは記憶しています、勿論ドクターの好きそうな味の物も」
「…君は何でも知ってるねえ。材料もまだあるし、君が手伝ってくれるなら時間も問題なさそうだし…いいよ、一緒に作ろっか」
ドクターの返答に一つ頷いたイグゼキュターは、早々と上着を脱いでそそくさと腕まくりをする。どこか忙しなく見えるサンクタを、少し落ち着いたドクターはよっこらせ、と立ち上がりながら見つめてにこやかに笑う。何だか楽しくなってきたぞ、と隣のイグゼキュターの真似をするように自分も腕まくりをして調理台の前に立った。
「では調理を開始します。よろしくお願いします、ドクター」
「アはい、どうぞよろしくお願いします」
⬛︎
先生ではないとしても、先達がいるだけでこんなにも手際も出来栄えも違うんだなあ。
粗熱を取るために置いてある見るからに美味しそうなホカホカのクッキーを、ドクターはかぱ、と口を開きながら見下ろしていた。甘い香りに釣られたのか、開いた口から涎が溢れてきて慌ててじゅるりと垂らさぬように口を閉じる。その隣ではイグゼキュターが満足そうにドクターを見つめている──かと思いきや、何やらせっせと他の作業をしていた。一体何を準備しているのか、と彼の手元を覗き込むと、ガシャガシャと泡立て器で一心不乱に何かを泡立てている。
「それなあに?」
「トッピング用のアイシングです。クッキー自体の甘さを控えめにしたので、これで調整しようかと」
「ああ砂糖のアレかあ。アイシングも出来るなんて、本当器用だね君」
「慣れです」
「慣れる程にクッキー作らんよ……」
「それで、どうしますかドクター。程良い甘さにするか、更に甘くするか。好きな方を選べますが?」
ガッショガッショと音を立てボウルの中身をかき混ぜながら、イグゼキュターはジッとドクターを見る。視線に晒されたドクターはクッキーとボウルを繰り返し見比べて、「うーん」と唸っている。指でコツコツと作業台の縁を叩きつつ出した答えは、折角だから限界に挑戦しようと言う嫌な方向に寄ってしまった。
「何もつけない方は控えめなんだろう? それならこっちは甘みの暴力にしようっと。砂糖を足せば良いの?」
「そうですが、その量でいいのですか? 甘いですね」
「あらら、甘すぎるか」
「いいえ。真の暴力とはこうやります、ドクター」
イグゼキュターは言いながら、立った今砂糖が投げ入れられた銀色のボウルの中へ、何処から出したか解らないボトルを傾ける。水の代わりなのか、とろりとした液体が砂糖の塊へと沈んで混ざり合っていく。一連の動作を見守っていた不思議そうにドクターは、暴力と呼ばれる所以は何なのか、それはボトルの中身に由来するのかを尋ねる事にした。
「…んん? 何、なに入れたの今」
「これですか? リケーレ・コロンボ監修特製シロップ。通称、“俺のシロップ”です」
「俺のシロップ…インサイダーの……?」
「歯に染みる程の糖分を感じられるでしょうね」
シロップを入れながらも上手く硬さを調整したアイシングを手に、それぞれが装飾へと勤しんでいく。
黙々と好きな模様や色をつけて、二人が漸く顔を上げた頃には不格好ながらも綺麗な色合いのクッキーと、もはや店売りと遜色が無いと言っても過言ではない程の出来栄えのクッキーがポツポツと並んでいた。
色がつくと華やかで、何だかとってもウキウキする、とドクターは小躍りしながらイグゼキュターに礼を言う。イグゼキュターも優しい顔をしてそんなドクターを見下ろしつつ、満足そうに頷いていた。
さて、アイシングは本来半日から一日ほど乾かす物である。
乾燥させている間にガチャガチャ洗い物なりお喋りなどを済ませはしたが、そんなちっぽけな時間で乾く物ではない事をイグゼキュターは勿論知っていたし、ドクターもしっかりと聞いていた。
だから、アイシングをしていない方のクッキーを一緒に食べようとお茶の準備をしていたのだが、やはりどうやっても気になってしまうのが、人というものでありまして。
テーブルに移動させたアイシングクッキーを、ソワソワしたドクターが人差し指の爪先でツン、と突くのをイグゼキュターは瞬きをしながらただ見守る。熱い視線を受けながらもツンツン弄って、それからそろ、とイグゼキュターを見上げてから、「…食べちゃダメ?」と小さく呟いた。暴力と呼ばれる程の甘みを目の前にして、“待て”をしていられる程、ドクターの好奇心は腐っていなかったのだ。
「美味しいかどうかは解りませんが、気になるのでしたらどうぞ」
「本当? 味、味が気になっちゃって……あまみ……」
そろ、と指を伸ばして手にアイシングがつかないよう気をつけながら、クッキーを口にする。さく、と簡単に割れる特有の脆さと共に、乾ききっていないクリーム状の砂糖の甘さがダイレクトに口内へと広がって──いやこれは甘いで済ませて良いものなのか?
口に含んだ瞬間にとんでもない速さで広がっていく甘みに、ドクターは声にならない叫びをあげた。甘い。とんでもなく甘い。歯痛どころか頭痛すら感じられる程の味だった。私の歯は大丈夫だろうか、溶けてないかな、と唸りながら悶えるドクターの姿を、イグゼキュターは美味しくなかっただろうか、と首を傾げながら眺めていた。
そんな自分を見つめるサンクタの名前を、ノロノロ顔を上げつつ甘さの消えない口を何とか動かして呼んでみた。途端に姿勢を正して返事をするイグゼキュターを見たドクターの心中に、ちょっとした悪戯心が湧いてくる。
「ふぇ、フェデリコくんやい」
「はい。“くんやい”とは何かは解りませんが、間違い無く貴方のフェデリコです」
「ああごめんそこは気にしないで、ふざけただけだよ。…君、甘いのは平気?」
「ええ。先程のシロップの作成者程では無いにしろ、好ましいとは思っています」
「それじゃあ、この甘さをどうにかするのを手伝ってもらおうかな」
「甘さをどうにかする? それは一体、どういう──」
イグゼキュターが言い切る前に、テーブルに乗り上げたドクターがその唇を塞いだ。急すぎるその行動に美しい瞳が大きく見開かれる。初めて名を呼んだ時のように開かれた目とは裏腹に、すっかり閉じてしまった唇をドクターはツン、と舌で優しくノックして、さっさと開くように促した。
ドクターに従順なイグゼキュターは促されるままにゆっくり口を開いて、己のものよりも小さく柔らかな舌を迎え入れる。ぴとり、と舌同士を擦り合わせ、口腔に残る甘さをじっくり溶かしてからどちらともなく溢れた唾液を飲み下した。唇を離して、名残惜しむようにドクターはペロリ、とイグゼキュターの下唇を舐め上げる。
「……嗚呼、これは確かに」
甘いですね。
静かに呟かれたその言葉に、ドクターの唇が弧を描く。「でしょ?」と返す彼の口は唾液の所為で艶めいて、やけに甘ったるいと感じた鮮やかな舌も、口の中で動いてはちらりちらり、とその姿を覗かせる。イグゼキュターの視線はドクターの唇ただ一点へと注がれていた。色々な欲が込められた眼差しを知ってか知らずか、ドクターは自身の唇を一度指で拭いとって、己が愛しい天使に再度要求を試みる。
「サンクタの君でも甘いと感じる物のようだからさ。このアイシング全部を消費しきるまで、その素敵なお口を貸してくれる?フェデリコ」
「勿論です、ドクター。口だけと言わず私のどの部位でも好きなだけ、好きなようにお使い下さい」
哀れにも愛の奴隷になってしまった、ドクターの可愛いかわいい天使は、先程まで菓子を摘んでいた指を掬い取ってからそっとその指先にキスをした。それから己と比べて華奢な手のひらにも迷わず唇を落とす。
指先へのキスは感謝。手のひらへのキスは、懇願。
想いの返礼への感謝と、彼から出された要求への己の全てを使って欲しいと言う懇願。それら全てを纏めて乗せて、イグゼキュターはキスをする。
それから愛しい人の求めに応える為に、固まるにはまだ当分時間がかかるであろうアイシングクッキーを自分の口へと放り込んだ。
その唾液すら甘いこと
(インサイダーにお礼言わないとダメだね)
(今日の出来事全てを彼に話すのですか?)
(おや、駄目かい?)
(私からリケーレ・コロンボに感謝を伝えますのでドクターからは不要です)
(ええー?彼のお陰で君とキスできたのに?)
(…私と貴方だけの秘密にしたいので)