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    白い桃

    @mochi2828

    @mochi2828

    白桃です。
    リンバス、アクナイ、その他ハマった色々な物

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    白い桃

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    ハズビンホテルほんと沼すぎる……
     いやですね?パイロット版をワーさんに勧められて見てどハマりしてたんですよ……それからこんなとんでもないもん出されたらさあ……狂っちまうよ……
     個人的な推しはアラスター、アダム、ルシファーにペンシャス、ゼスティアルです。でも箱推し。
     いうまでもなくヘルヴァの方も大好きです。クロスオーバーも夢ですよね。

    #アラルシ(radioapple)

    地獄で過ごし幾星霜、注意
     

     捏造に溢れています。苦手な方は注意
     時折アダムの名前が出て来ますが、作者はアダムが滅茶苦茶に好きです。劣情を抱くくらいに大好きです。
     アラルシ(Radioapple)です。誰が何と言おうとアラルシです。
     作者はルシファーの顔も体も全部が可愛いと思っている人間なので、可愛いの気持ちを溢れさせながら書いております。もしかしたら可愛らしく書きすぎたかもしれません。ご注意ください。
     以上、何があっても問題ないよという方はお読みください。


    ***


     王の独白

     ホテルで過ごす度にチラチラと視界に映る、目に痛いという言葉を通り越して文字通り、目に毒なんて言葉がぴったりな全身で血の赤を主張しているあの男の事が、兎に角気に食わなかった。

     私の娘──愛しいチャーリーに対して敬う訳でもなく、あろうことか気安く触れるわ話しかけるわ、あまつさえ私の前で自らを! などと目に余り過ぎる行動を起こしている若造が、マア心底嫌いで。
     仮にも地獄を統べる王であるこの私に、妙に恭しく一礼した時は多少なりとも気分を良くしたものだが、直ぐさま私との身長差で煽り倒して。
     娘に頼まれた視察と顔見せは終わったのだから、向こうも気が合わないと思っている内は近寄らないだろう、なんて油断していればその期待はあっさりと裏切られてしまった。
     接触した当時の出来事を具体的に一つ出すのなら。手ずからの創作物である、可愛いかわいいアヒル達にここぞとばかりにクレーム(あの勢いの言葉達は意見なんて愛らしいモンではない、ただのクレームだ)を勝手に押し付けては、「HAHA!」と嘲るように笑って軽快な足取りで嵐のように去っていく。そんな具合に自分をおちょくるためだけに現れる、あの小鹿がとっても嫌いで!

     そんな負の感情を抱えつつも、危機をどうにか乗り越えた後に新しく建て直し、大分快適になったホテルで適度に時間を潰しているだけで奴のやることなすこと、そしてその痕跡などの全てが気になり。そうしている内に赤いベルボーイが現れたなら、まるでアレルギー反応のようにもにゃりと嫌悪が先に出て、その勢いに任せてアレの行動を全否定するつもりで口出しするくらいには嫌い────であった、筈なんだがなあ。

    『どうしたのです、陛下? 箒で集め終わった埃のように顔のパーツをぎゅう、と寄せて。控えめに言っても不細工ですよ』
    「本当に失礼な男だなオイ。……別に、ただお前の事を考えていたからこうなっただけだ、アラスター」
    『ほう、私の! ならば是非、貴方のその可愛らしいお口から、今、すぐに! その考えとやらを聞かせて頂きたいと思うのですがねぇ。陛下の只今のご機嫌は如何でしょうか? 嗚呼勿論、私はとっても気分が良いですよ、貴方から見た私はどのような人物なのか気になりますのでね!……ほらほら、早く私に話してご覧なさい』
    「いやうるさ……。そんな、大したことを思っていた訳じゃないぞ? 何というか、その、うん。アー……アレルゲン……みたいな男だと思って」
    『……まさか、今の今まで抗原のような扱いしていたんですか? この、私を? 本当に?』
    「うん」

     ニヤニヤと嬉しそうな様子で笑んでいたアラスターは、目の前の真っ白白すけから端的に「お前生きている大体の者から嫌われてる物質みたいだぞ」と言われ、思ってもみなかった言葉に目をきょとりと丸くする。
     よりにもよってアレルゲンのような男と例えられた彼は、放たれた言葉をじっくり噛み締めた後口元に笑みを浮かべたまま、しかし不満そうに目を逸らしてぷこぷこと頬を膨らませていた。どうやら怒ってはいないが、少し拗ねているらしい。
     そんな如何にもな雰囲気を全面に出しているアラスターを見て、ルシファーはふ、と吹き出すようにして表情を綻ばせる。
     地獄には到底似つかわしくない、例えるならじんわりと暖かい陽だまりを思わせるような、そん微笑みだった。

     嗚呼、と。胸底にてひっそりと、誰に知られることもなく地獄の王はポツリと呟く。
     いつから私は、無礼にもほどがあるこの男の挙動を、微笑ましいという感情を抱くくらいの余裕を持って許せるようになったのだろうか。このホテルを盛大に襲った酷い一日の前だったか、それとも後だったか?
     地の底でどうにもならないまま長きを過ごす自分が、最早気にすることすら飽いてしまった緩やかに流れる時間の中で、然れども確かに増えていった、とても小さな積み重ねが──否、最初に出会ってから今日に至るまでの応酬を小さいと表現するには無理があるのだが──それでもその出来事達が、己の脆い心の壁を少しずつでも砕いていったのだろうな、と。
     地獄に居る全ての罪人が、それから自らをこんな風にした張本人であるアラスターが例え今の自分になにを言おうとも、ルシファーは自らの心情の変化をそう判断していた。

     地獄の全てが縄張りといっても過言ではないルシファーに、あのような口を叩く者などそうは居らず。
     マア彼の者も心の内では諸々思う所はあるのだろうが、弧を描く唇から溢れる軽口や苛立ち紛れの言葉は、ルシファーが想像する友人同士の会話という物を彷彿とさせて。聞けば気分が悪くなることはあったものの、アラスターとした会話はいつの間にか彼のとくとくと黄金が流れる胸の内に、ぱちぱち弾けるような楽しみを残していくものになっていた。
     そう。ノイズ混じりの素敵で無敵な地獄随一のラジオスターは知らぬ間に、ルシファーの心中にしっかりと自身の印象を刻み込んだのだ。刻んでしまった、とも言える。
     故にこそ、普段通り「ベルボーイ」などと呼びつける事はあれど、それでもちゃんとアラスターの名前そのものを舌の上で転がすみたいに、ころりと口にするようになったのだから。

     友人、友人か。中々悪くないものだなあ。
     なんて考えてそのやらかい頬をきゅう、と上げくふくふと一人笑うルシファーの姿をアラスターは怪訝そうに見下ろしている。
     そんな不敬で可愛いアレルゲンに向けてルシファーは、コテリと首を傾けながら「久しぶりに紅茶じゃなくてコーヒーが飲みたい」と彼よりもかわゆく、あざとさも意識して強請ってみた。

    『飲めば宜しい。此処は貴方の部屋なのですから』
    「ム、どうせお前も飲むんだろう? 一人分も二人分も変わらんじゃないか。それに、コーヒーはアラスターが淹れた方が美味い。……悔しい事に」
    『……マ、小さくとも貴方に貸しを作るのは悪くない。良いでしょう! とびきりに私好みの物を淹れてきましょうね』
    「は? 待て余り苦いのはヤだぞ私は! おい聞いてるのかバンビこら!」
    『私はバンビじゃありませーん、貴方のは特別にとっても濃いエスプレッソをマグカップに淹れてやります』
    「濃すぎると眉間がニヤニヤするからやめろ!」

     足取り軽く部屋に備え付けてあるキッチンへと向かうアラスター目掛けて、その辺に落ちていた以前作り上げたであろう林檎の置き物をぶん投げる。ぽこ、と軽い音を立てて背中に当たったラバー素材のソレはぷきゅ! なんて可愛らしい鳴き声をあげて存在を主張するが、アラスターが指を鳴らした瞬間に抵抗する間もなく掻き消えた。
     ぐぬ、と歯を噛み締めるフリをして、もにゃりと唇を変な形に動かしながら、ルシファーはキッチンに向かっていった暫定友人について考える。
     アイツの食事の趣味は悪いが、コーヒーの趣味は割と良い。
     欲を言えばパンケーキだとかアップルパイみたいな甘い物が欲しい所だが、甘さが大嫌いな彼にソレを頼めば流石に何をされるか解らないな。
     例え仮に用意された甘味の中に何かを仕込まれたとて、この辺にある毒なんてたかが知れているし、呪いなんてのもこの身には全く脅威になんてなり得ないのだが。それとも頼めば嫌がりながらも用意してくれるのか、それはそれで面白いのかも。

     ニマニマと動いてしまう頬をきゅう、と両手で抑えてルシファーはそっと独りごちる。
     自身の対応の変化に合わせるように、ほんの少しだけ変わったアラスターの態度を、嬉しいと感じてしまうのは仕方がないだろう。
     完全に消えた後ろ姿を思い返しながら、ルシファーはふと自身の中に浮かび上がった疑問を口にした。そう言えば──。
     
     「もし、仮に。仮に彼を友人とするのなら、愛称とやらで呼ぶべきなのだろうか」
     
     例えば、娘のチャーリーを呼ぶ時のように。もしくはその娘が呼ぶのを真似て、彼をと呼んだなら、なんて。
     ヴァギーやハスクが聞けば揃って正気か? と口にしそうな内容を、両手にマグカップを持ったアラスターが生前お気に入りだった曲を口ずさみつつ帰ってくるまで。
     ルシファーはぼけっと部屋の隅、そしてその更に遠くを見つめながら珍しく上の空で座り込んでいた。



     宵に友は居らず

     ハズビンホテルの支配人であるアラスターは実に自由奔放な悪魔だ! なんて話は、この地獄に住み慣れ彼を知る者なら全員が、辺りを怯えるように忙しなく見渡しつつ口を揃えて答えるであろう、周知のだ。
     自身と地獄のプリンセスが座すホテルが掲げる目的、罪人の厚生とやらにそぐわない「この悪魔!」という罵倒がぴったりと、それはもうアパレルショップの店員にすら「本当にお似合いですよ!」と言われそうなほどにその称号が似合う悪魔中の悪魔。それがラジオデーモンこと、アラスターである。
     
     しかし、地獄で第二の生をたっぷりと謳歌しているそんな彼にだって、尽きぬ悩みはあるというもの。
     例えば。エンジェル・ダストから偶に向けられるセクハラもかくや、という言葉の羅列であったり。
     そこそこ楽しめはするものの、流石に唖然としてしまうくらいには突拍子がなく、然れど行動力と元気の良さは山盛りてんこ盛りなチャーリーの更生活動の数々であったり。
     他にもストーカー紛いのつまらない情緒不安定覗き見が趣味であるVoxだとか、未だに冷たい視線を送ってくるヴァギーへの対応だとか諸々考えなければならないことは星の数ほどあれど、今進行形でアラスターを悩ませているのはそんな一つひとつがちっぽけな存在ではない。矮小ではあるが。
     今アラスターが熟考すべきはそれ等ちっぽけな者どもに関してではないので、それらの問題は一度脳内からさっぱり切り取って適当な所に捨て置いた。捨て置くとは言ったが、後できちんと拾ってやるとは言っていないので、彼ら彼女らの問題はずっとずっと後に取り上げられる事だろう。たぶんmaybe
     
     彼のこういった所が、いまいち信用がならないとヴァギーに冷たい目で見られる理由であるのだが、アラスターにとっては文字通り痛くも痒くもない視線なので二人はずっと平行線。交わることなどありはしない。この二人を括って纏めておけるのは、きっと現時点でチャーリーだけなのだろう。
     そんな我らがプリンセスはもう少し歩み寄っても良いのでは? と思っているだろうが、両者にその想いが足りていないのでとても長い時間はこのままの筈だ。アラスターにとっては全くもってどうでも良いことだが。
     ぽん、と脳内から天使だった彼女の事や色々な雑事を追いやって、問題の男のことだけを考える。

     堕天使であり地獄の王。明けの明星にして、チャーリーの父親であり、リリスの元夫である彼。ルシファー・モーニングスター。
     彼こそが、アラスターの胸中に巣食い己だけのその場所をじんわりと時間をかけて食い潰している存在──目下の悩みの種、その名称だった。



     どうにも気安く、且つ容易く呼ばれるようになった己の名に、違和感を抱いたのは此処最近になってから。
     チャーリーに似てくりくりとした瞳──愛らしい淑女である彼女が、しっかりと血が繋がっているルシファーに似ているというのが正しいか──そんな大きな目で下から見上げ、男の容姿に使う表現としては不適切なのかもしれないが、然れど赤く熟れきった瑞々しい林檎を彷彿とさせるふっくらとした頬をゆるゆるにして。
     これまたほど良く低く、鼓膜にとろりと染み入るような声で「アラスター」と己が名を紡がれる度に、自身の耳がふる、と揺れ未知の感覚が落ちて行き、最後にはその落ち着かなくなるが胸に広がっていく。所謂、座りが悪い、と呼べる状態になってしまった。
     じんわり広がるソレに慣れることはなく、誤魔化すように一緒に湧き上がる苛立ちを混ぜてマイク越しに言葉に乗せれば、なにが可笑しいのかくふり、と笑われる。そんな彼が何故だか異様に眩しく見えて、嫌そうに眉を寄せて小さな王様を上から眺めるのがアラスターの小さな日常になっていた。

     そう、嫌だ──嫌いなのだ己は。彼の、そんな姿を見るのが。自分でも解らない、今まで形作って来たなにかが崩れてしまうような心地になるから。
     とはいえ、だ。幾ら自由に理不尽に振る舞うアラスターでも、協力関係にあるチャーリーの父親に直接「貴方の表情が心底不快です」なんてことを突拍子もなく告げる、というのは流石に憚られる。自分がルシファーと見るからに仲違いでもすれば、彼女がとんでもなく落ち込むことなんて簡単に想像がついてしまうからだ。そこそこの労力を使って築いた、チャーリーとの関係性を壊すような真似をしてまでやることではないだろう。
     そんなたわいのないことをアラスターはのんびり呑気に考えて、彼は彼なりに素敵な毎日を過ごしていたのだけれども。想像していた期間より断然早く、我慢の限界が訪れてしまった。
     
     今ではハスクの城になっているバーの小さなチェアにアラスターは座りながら、ウイスキーが入ったグラスを手慰みに弄っている。カロン、と溶け始めていた氷が快い音を立てて琥珀の中で揺れ動いた。
     軽く澄んだその音に大きな耳をピン、と驚いたように伸ばしたハスクは、余りにも気味が悪いとカウンターの向こうに居る己の主人を睨みつける。

    「それで? なんでそんなに気持ち悪い雰囲気を背負ってるんだ」
    『気持ち悪い? 随分と酷いことを言いますねえ』
    「あん? 本当のことを言ったまでだろう。普段のアンタとはかけ離れてるからな。なにをそんなに、ーっと、苛立ってる?」
    『苛立ってる? 私が? ……そのように見えるのなら、きちんと収まっている可愛らしいおめめをすっかり穿り出してしまった方が良いかもしれませんね──手伝ってやろうか?』

     言葉を探しつつも、今のアラスターの状態を指摘するハスクに対してアラスターは、不機嫌を微塵も隠しもせずにノイズ混じりに言い返す。相変わらず人間性が底に付くほど悪すぎる男に引きながら、幾ら治るとはいえ目を抉られては堪らないと猫の悪魔は慌てて「俺にあたるな!」と声を荒げて精一杯に叫んだ。

    「図星突かれてこっちにソレ苛立ちをこっちに向けるんじゃねえ! ……全く。何が原因でそうなって、態々此処にきたんだかさっぱり解らんな」

     オトモダチのロージーの所にでも行きゃあ良いだろう。
     ブツブツ文句を言いながら、瓶のまま酒を呷るハスクにジトリと湿った視線を向けてから、ハァー……と深い息と共に俯いたアラスターは、しぶしぶ観念したように弧を描いている口を開き始めた。

    『流石に、ロージーの前で彼の人のことを話すのは、と思いまして』
    「彼の人ォ? ……オウサマか?」
    その通りBull‘s-eye! ハスカーは賢いですねぇ!』
    「そう呼ぶなと言うに。しかし、アンタがルシファーのなにを話すってんだ。出会った頃ならいざ知らず、最近は仲良くなったんだろう」
    『……仲が良い? 誰と、誰が』
    「アンタと、あのオウサマが。ア? 仲良いよな? 珍しく魔法も使わず、手ずからコーヒーも嫌いな紅茶も淹れてやって、自室じゃなく相手の部屋に入り浸る……そんな風に過ごしてる奴らを仲が良いと言わず何と言うのか。生憎、浅学な俺には他の言葉が見つからねえよ」

     肩をすくめてからまたちびり、と酒を口に含むハスクに『良い訳ないだろうが……』と不貞腐れたように言って、アラスターは己の下僕に認識の訂正を求めた。仲良しなんて言葉が当て嵌まる訳がないだろうに。何故なら、己は──。

    『嫌いなんですから、彼が』
    「…………嫌いィ?」
    『ええ、ええ! それはもう!』
     
     ハスクに聞き返されたアラスターは、水を得た魚のように怒涛の勢いで目の前のに喋り倒していく。
     ルシファーのなにが嫌いで、どこが気に食わないのか。それなのにどうして自分が、彼の側に居て世話を焼くのかを、延々と。
     自身が彼の元へ行くのは勿論、あの男の弱みや諸々を握る為である。それでもやはり全てが気に食わないから、少しでもその飄々とした顔を歪めたくて煽るのだが、小さな背丈に似合わない威勢の良さで飛びつくように向かってくるのがより気に食わないのだ。
     此方が少しでも口籠もり、言い淀めばフフン、と得意気に笑うところなんて憎らしいの一言に尽きる!

    『況してやあの──!』

     カタン、小さな物音がハスクの正面。つまり、アラスターの背後から聞こえてくる。
     途端にピタリと動きを止めたアラスターが。ポン! と新たに瓶の栓を抜いたハスクが、音の方へと目を遣れば、この場での話題の主、ルシファーが何時もは身に付けている純白のコートを脱いで、シャツとベストといった軽装でバーの近くまで訪れていた。
     話途中であったアラスターの半端に開いた口がゆっくりと閉じられて、カチリと鋭い歯同士がぶつかる硬い音が、静かになった空間にそっと響き渡る。
     ハスクは大人しくなった主人の様子を眺めながら、そっと胸の前で十字を切って──己が取った行動で込み上げた生理的嫌悪にヴェ、と吐く真似をして舌を出した。

     二匹の悪魔の視線を全身に浴びたルシファーはキョト、と目をくりくりにして、そのまま流れる動きでへにゃりと表情を変えてから、邪魔をして申し訳ないというように眉を下げて苦く笑っている。
     話を遮ってしまってすまない、とも、会話を聞くつもりは微塵もなかったんだ、とも取れるような。そんな笑みだった。

    「すまない、チャーリーを見なかったか? あの子に話したいことがあったんだが……」
    「あ、あー……チャーリー? 今日はヴァギーと二人でゆっくりデートするんだって言ってなかったか? 最近出来たらしいレストランでディナーだって」
    「そうか! ありがとう、それならまだ二人とも戻ってきていないんだな」
    「……ここで待つか? それとも、戻ってきたら連絡を?」
    「いや、急ぎの用ではないし問題ない。また明日、改めて話すとするさ……ア、飲み過ぎるなよ!」

     ではな。Byeひらりと手を振って来た道を戻るルシファーを、これまた静かに黙って見送ってから。ハスクは、彼に返答した時の状態が嘘のように震える声で、アラスターに向けて言葉を絞り出した。

    「アレ、聞かれてるよな。絶対」
    『……さ、あ』
    「ン、ン! なあ、おい。さっきなにを言いかけたんだ」
    『はい?』
    「“況してや”、の続きだよ。まだ言いたいことがあったんだろ?」

     気になって仕方がないから、どうせなら吐き出しちまえ、と珍しくきちんと客として来ているらしいアラスターのグラスにバーテンダーは、ダバダバと景気をつけるように勢い良く追加のウイスキーを注いでいく。
     中身が増えたグラスを再び手の中で揺らし続けているアラスターは、少しだけ言い淀む素振りを見せてから、それでも、と喉の渇きを誤魔化す為に酒で潤して、しっとりと濡れた唇を動かした。

     聞き逃した話の締め括りを聞き届けてしまったハスクは、ニフティにとてつもなく苦い虫を唐突に口の中へと突っ込まれた、みたいなくしゃくしゃの顔をして。この地獄にそれぞれ存在しているであろう、分厚い階層の壁すらも超えて行きそうなくらいに重い息を吐く。
     アラスターを胡乱気に見遣っているそんな彼の表情は、チャーリーとヴァギーの惚気を直接耳に吹き込まれたような、若しくはかつてペンシャスがぼやいていた甘ったるい、それはもう此方が胸焼けするほどのチェリーボムへ向けた好意をまるっと聞いてしまった時のような、今すぐこの場で死んじまいてぇんだけどな──と、誰が見ても“死”を考えているんだろうと理解しわかってしまう、思い詰めた表情だった。
     それでも、聞いたからには言わねばならない。もしここで口を噤んでしまえば、忘れた頃にどんな仕置きがいつ自身を襲うか解らないのだから。死んでいた表情筋に殆ど気合だけで力を入れて、ハスクはス……と静かに指を一本立てた。

    「一つだけ、言わせて貰いたいんだが」
    『どうぞ? ペットの願いを聞くのも飼い主の責任なのでね』
    「うわだる過ぎる…………。アンタ、ルシファーの側に居るのは弱みを握る為、ってボソボソ話していたな」

    「そんなもん、アレの日常を見れば嫌でも解るってんだ。弱みだけじゃない、好きなものも嫌いなものも。それでも弱い所を突きたい
    って言うなら、その日のオウサマの体調を確認してからアンタの気分で案じてやれば良い。恩着せがましくな。そんなの、アンタなら朝飯前の筈だろう」

     ジジ、ノイズのような耳障りな音が、弓形にまがった唇から漏れ出している。
     常であれば、機嫌を損ねてしまったと急いで謝りボスである彼の命令に従うところであるが──今のハスクは、そのような行動を取ることはしなかった。理由は目の前にいるアラスターの表情が物語っている。
     確かに機嫌こそ良くはないが、その心情は怒っている、苛立っているというよりは戸惑っている、という方が正しいだろうから。
     知らない内に犯していたミスを指摘されて、しかしそれを認めず拗ねたように視線を逸らしている男に「ガキか、」と眉を寄せてハスクは言う。

    「嫌い? 笑わせんなよかまってちゃんNeedy。アンタが今やってるソレは好きな奴の気を引く為の行動、ただの天邪鬼だ。……俺の言ってることがきちんと理解できたなら、とっとと仲直りとやらの為に動くんだな」
    『……余り、調子に乗るなよハスク』
    「ッ?!」

     ぐい、と今まで可視化されていなかった首輪の鎖を手繰られて、ハスクは勢い良くカウンターに顔をぶつける羽目になった。
     アラスターがのそりと立ち上がり、呻いているハスクを自分の身で覆うようにして見下すが──その顔は何処か、罰が悪そうにする子供のようになっている。
     急に与えられた痛みの所為で顔を抑えているハスクの、僅かに見えている額を指でピンと弾いたアラスターは聞こえるか聞こえないか、くらいの小さな声で男に向かって礼を言う。
     普段の彼の様子では中々聞くとは出来ないだろう声量とその言葉に、ハスクは自身の手の中でぱちくりと数回瞬いた。

    『貴方の意見、とりあえずは参考にさせて頂きますよ』
    「……ハッ! 礼ならお高い酒で頼むぜ、ボス」
    『考えておきましょう。──では、また明日!』

     そう言って、ぬるりと影に溶け込み消えていくアラスターを鬱陶しそうに見つめ続けた後。ハスクはマア疲れたと鈍い音を立てながらカウンターにどしりと身を預けた。
     痴話喧嘩なら他所でやれ。心の中だけでぼやき、ほんの少し前までアラスターが手にしていたグラスに視線を向けて、すっかり薄まってしまったその中身をぐい、と飲み干した。

    「まっず……」



    ✳︎✳︎✳︎



     時同じくして、自ら新しく誂えた部屋に戻ったルシファーはというと。

     地獄に居る他の者たちと比べても特に小さく見える、服も肌も真っ白なその体躯に、彼と並べても遜色ないほど真っ白で清潔な掛け布団comforterをぐるぐると巻きつけて、死んでしまったのだろうか? と勘違いされても可笑しくないくらい静かにベッドの上に寝転んでいた。
     シン、と余りの静寂に耳鳴りがしてしまいそうな室内で、その静けさをものともせずに黙してただ一人、ひっそりと柔らかく質の良いマットレスに沈んでいる。
     その身体の下敷きになったマットレスに出来た微かな窪みと、くしゃくしゃになったシーツと掛け布団から少しだけはみ出ている滑らかなブロンドのおかげで、辛うじてルシファーが其処に居ることがわかる、というくらいには彼の存在感が薄れていた。
     もぞ、と小さく身動ぎしてそのままぺたり。もちもちの頬を枕に乗せてどちらも押し潰す。タイミング悪くあの二人が話していたバーへ訪れてしまったルシファーは、しっかりばっちり彼らの会話を聞いてしまっていた。
     
     偶々二人の姿が視界に入って。いつもはエンジェル・ダストと共に居ることが多いハスクとは余り話した覚えもないし、アラスターもゆっくり飲んでいる様子だったから。だから、折角だし珍しい面子とやらで一緒に飲み明かすのも楽しいかもしれないな、なんて考えが頭を擡げたのである。その結果、こうして轟沈しているのだけれど。
     あの時は咄嗟にチャーリーを探している、と答えてしまったがアラスターが居たのだしとっくにその場凌ぎの嘘だとバレているのだろうか。
     ああ全く。余計なことなど考えずに、まっすぐこの部屋へと戻れば良かったのだ。私の馬鹿者め。
     そうしていれば──まだもう少しだけ、夢を見ていられたのかもしれないのに。

     グリグリと顔を枕に押し込んで、ルシファーは「う゛ーー……」と低く唸った。巻き込んだシーツがちょっとだけ湿っているのは気のせいに決まっている。地獄の罪人に期待なんてする訳が──ああ、うん。そうだとも、何時間か前の私よ。期待も馴れ合いもしたいと思ったさ、さっきまでは。
     愛称なんて滅相もない。友と呼べるほどの好感度などありはしないのだ。全てが私の勘違い。勘違いが正しいんだろう? 出会った頃から、多少なりとも穏やかに話すようになったと思っていた、今の今まで。私はずっと嫌われていたらしいのだから。
     
    「まさか。名前で呼ぶことすら、烏滸がましいだなんて」

     思ってもみなかったよ、アラスター。
     ず、と鼻を啜って寝返りをうち、唇の動きだけで此処には居ない男に呼びかける。何度も、幾度も。漸く呼び慣れた筈の名前を、声には出さず吐息だけで紡ぎながら。
     どうか今だけは許しておくれ、と言い訳がましく、思い出とも呼べないような短い残滓に縋り続けている。
     そう、今だけだ。凄惨と呼べるであろうこんな地獄の中に堕ちようと、終わった筈の生をも超えて輝き続けより眩く光るラジオスター明星。お前は嫌うだろうが、この夜の終わりまでは二人で過ごした日々達に思いを馳せるのを許して欲しい。明日になれば、夜明けが来れば。
     きっと、出会った頃のような嫌悪を両手で抱え、嗤って君の名を呼べるだろうから。


     
     酔いをにくみて
     
     カツン、と硬質的な音を立ててアラスターは、手にしているマイクの柄を床へと下ろし、ソファーへゆったり腰掛ける。
     現在、真っ赤な装いをした悪魔の眼前に人は居らず、日頃賑やかなホテルのロビーはただ朝早い時間帯だから、という理由があったとしても、何処か澄んでいるような気配がしている。少なくとも、地獄ではとても珍しい穏やかな静けさがこの空間に広がっていた。

     悪行を為して堕ちた身であれど、ラジオスターとして生前の頃のようにそれなりには規則正しい生活を心がけているアラスターだが、目的があった為に本日は常より幾分か早く自室の扉を潜り抜けて、ホテルの全員が集い好きに過ごすであろうこの場に身を落ち着かせている。
     アラスターがロビーで一人、随分と大人しく過ごしている理由は一つ──否、二つあった。
     小さな王様の様子が此処で一目でも見る事が出来たなら僥倖か、と彼の機嫌や気分を伺いたいというのが一つ。それから、昨夜彼が言っていた通りルシファーと話したチャーリーが、その時の父親の状態を不審に思いやしなかったか。などと、ルシファーではなく娘の方に話を聞く為なのが、一つ。
     どちらにしろ、それなりの収穫にはなるだろう、と昨日の今日でこんな行動に出ているのだった。
     
     指を鳴らし、魔法を行使してコーヒーの入ったマグカップをを出現させる。自分好みの濃さで淹れたソレを冷めない内に一口啜って、嘆息擬きの呼吸を一つカップの中に溢してみた。
     はてさてWell well、望む望まないの差はあるとしても、この場に誰が現れて何が行われるかなんて流石の自分にも予測はし得ない。正しく、神のみぞGod knows what will 知るhappnという訳だ。
     陛下が一人で来てくださるのなら、話が早くて助かるのだが。心の中で賭けてみようか、勿論降りてくる方に。
     なんてことをぼんやり考えていたアラスターの頭上にある耳が何かの音を拾ってぴる、と震える。

     カタン、コツン。何者かが階段を一段ずつ降りる足音。ソレを聞いたアラスターは揺れる耳はそのままに、無意識に伏せていた目をゆっくりとその方向へと遣って──口角をより吊り上げた。
     どうやら、賭けには勝ったらしい。緩慢な足取りで歩いている男を見つめながら、ラジオで大衆に語りかけるよりずっと声を潜めて、そっとマイクに声を乗せる。

    『おはようございます、陛下。随分と早い目覚めかとお見受けしますが、急ぎの用でもおありでしょうか。手伝いは入り用で?』
    「……ああ。おはよう、。いや、なに。ただ寝ているのも億劫でね、朝の風にでも当たれば違うかと思っただけだ。幸い晴れているようだし……マ、地獄の空なぞ永遠に変わり映えせんがな」
    『──ガ、ガガ、ァ、? HAHA、失礼Sorry。……そうですか。そうですねえ。では、折角早く起きて外出するのですから、カフェのモーニングでも如何です? 良い場所を知っています!』

     混ざったノイズに一応謝罪を織り込んで、動揺を見せず友好の証とばかりに誘いの言葉をにこやかに、正面切って告げてみる。アラスターにとっては探りを入れる為の軽いジャブのつもり、されど断られるとは微塵も思っていなかった。
     最近の彼ならば、気分が優れなければ「部屋でゆっくりしないか?」なんて言いながらアラスターの袖を引いて歩いていたし、外せない用があるのなら余程の物でない限りは「そういえば、予定があったな」と話題に出していたものだから。
     自らの感情はさて置いても、バッサリと切り捨てられるような関係性ではなくなったと、良く他人の心を理解していないと軽蔑されたことがある自分なりに理解していたから。それ故に、アラスターは目の前の彼の口から出た言葉にとても驚いたのだ。
     得意気なアラスターの言葉を聞いたルシファーは、側から見ても眠そうな──気怠そうな目付きで朝っぱらから元気なパーソナリティを見る。そして、考えるように二、三度瞬きしてから視線を床へと落として、ゆっくり細い首を横に振った。

    「イヤ、遠慮しよう」
    『────ンン?』
    「食欲もないし、気分でもない。腹が減った時にまた考えるさ、お前はしっかり何か腹に入れると良い。アラ、ん、ーー……マネージャー殿?」

     今日も一日、チャーリーの為業務に励むように!
     そう言い残して、しゅるりと消えたルシファーを碌に動けず目を丸くしたまま見送ってしまったアラスターは、伸ばしかけた手に力を込めてぎゅうと握り締めた。残されたのは、朝特有の雰囲気に包まれている閑静なロビーと自分。それから胸の内に残る些細な違和感のみ。
     
     ここ暫くは聞いていなかった彼からの呼び名が、何故か今更蘇ったのどうにも気に食わない。そう思いながらも、平常心を取り戻す為に息を吐きだして、意図せずVUメーターのように変化していた瞳を目を瞑ることで元に戻し、一先ず心を落ち着かせる。マイクを指で叩きつつ、ただひたすらに考え込んだ。今日のルシファーの、出会っただけで感じた違和感は一体何なのか、と。
     昨夜の気まずさが齎す故の延長戦、という可能性もあるだろうが、如何せん彼のことだ。鬱病による気分の上下、なんてのも否めない。鬱にしてはどうも落ち着いている様子だったが。しかし、ルシファーが酒の席での己の発言にこうも影響されるものか。そんな様々な可能性、考えがアラスターの頭の中でポコポコ泡のように浮かんでは消えていく。

     ──ハスクにはああ言われたが、違和感の正体が明らかになるまでは黙って様子を伺うべきか?

     例えば今日、気分が優れなかったらしいルシファーが散策から戻って来た時。
     例えば明日、彼がたっぷりの睡眠を取ったのち、愛しい娘との会話を終えて目に見えて安らいだであろう瞬間。
     確かめるチャンスも時間も山程ある、と判断したアラスターは多少の楽しみは出来たと目を細め、自らも街中へと繰り出す為にマイクステッキを軽々と回しながら、実に軽快な動きでホテルの玄関口へと体を翻した。



    ✳︎✳︎✳︎



    「なんだ其処にいたのか、ベルボーイ」
    「ああ、もう! いつまでもグチグチ煩いぞラジオデーモン!」
    「こんなことで怒るなんて、バンビちゃんは可愛いでちゅね〜? よちよちしてやろうか? ン、要らない?」

     これらの他に。
     マネージャー、サイコパス、大量殺人機。などなどエトセトラ……。
     ここ数日で様々な呼ばれ方をされたが、幾多の呼び名の中からアラスターの名が選ばれることはなく、二人きりの時ですらAの頭文字が彼の唇から溢れることすらしなかった。
     
     普段との違いを覚えた時の、思わずといった様子で己の名前を呼んでしまったようなそんな素振りは一切見せずに、唯々地獄での通り名や肩書き、身体的特徴などで呼びかけて来る。
     ルシファーの穏やかな声、揶揄いの声で呼ばれる度に心がささくれるような苛立ちが沸き上がり、眉を限界まで寄せてしまう。それがあの日以降のアラスターが陥っている現状だった。彼の誰よりも高い矜持のお陰で、口元は常に弧を描いているのだが。
     しかし笑顔だけ切り取ったところで、ラジオデーモンの機嫌は最悪の辺りを通り越して底辺の位置にずっと留まったまま、その日の出来事によっては少しだけ上がったり、更に下がってしまったりを繰り返している。

     そんな我らがハズビンホテルの誇れる──ところもあるかもしれないマネージャーの底知れない機嫌の悪さと、プリンセスの父であるルシファーの何処か元気のない姿の原因は繋がっているのでは、と気付いたのは誰だっただろうか。仲直りしろ、なんて言っていたハスクが一番に表情を崩したのが発端だったかもしれない。
     兎にも角にも、早く何とかしろ! と怒ったヴァギーと(彼女はいつも恋人以外の者に対して怒ってばかりだが)ちょっぴり困った顔をしたチャーリーに詰められつつアラスターは、ルシファーの部屋の前へと連行されていた。
     余計な世話だ、と吐き捨てたくなるものの、彼の私室の扉が眼前にあるのでその衝動をグッと堪える。 
     どうせ逃げられないのならこの状況は自分にとっては好都合か、とノックをせず許可も取らずスルリと暗い室内へ侵入し中を見渡して、あの真っ白い小さな姿を探してみる。ソファには居らず、浴室を使っている様子もないが、ベッドの上にこんもりとした布団の山が出来ていたので大体は想像通りの姿であった。予想が的中しすぎて、溜息も出ていく始末。
     この場所こそが安全地帯だ、とでも言うように小山の中に閉じこもっている王様に挨拶すべく、アラスターはその掛け布団をもしゃりと鷲掴んだ。

    『陛下。……眠っているのですか? こんな時間に寝てしまったら、生活リズムが崩れてしまいますよ』
    「、ん…………ばんび……?」
    『──ハァ。ええ、そうです。バンビですよ、ルシファー』
    「……ぁ、? く、ふふ」

     寝ぼけているのか、煮詰めたジャムのようにとろとろと柔らかく笑っているルシファーを、ベッドの脇に腰掛けたアラスターは彼のさらさらとしたブロンドに指を通しながら訝しげに見下ろしている。
     指の隙間から流れた髪がルシファーの顔に影を作り、その所為で綻んでいる表情がより儚く映って、アラスターは微妙な心持ちのままギッと睨みつけてしまった。
     気付いていないのか、気にならないのか。アラスターのそんな視線を物ともせずにくふくふと嬉しそうにしている堕天使に対して『何がそんなに面白いんです』と苦言を申せば、手にすり寄っていた男が「珍しく、良い夢を見ていると思ってな」と小さく呟いていて。ゆめ、とその呟きよりもボリュームがなくなった声がアラスターの口から漏れていった。

    「そう、夢だ。久しく見ていない、いつの日か天国で見ていたような、あったかい夢」
    『だから、なにが夢だと言うんです。貴方は娘が経営しているホテル、その自室にあるベッドの上で微睡んでいて、私はそんな貴方に会いに来た。それだけのことでしょう』
    「うん? うん……。そうだな、それだけだなあ。でも……」

    「現実のお前は私に、こんなに優しくは触れないだろうから」

     だって、可愛らしいペットハスクに愚痴を言うほどに私のことが嫌いなんだろ? なあ、ラジオデーモン。
     溢れ落ちてしまったであろう、彼の紛れもない本音に「……は?」と特有の加工すら外れた間抜けな母音が出て、空気中に溶けていった。



     お前の雰囲気とか声色が、少し角が取れたような、丸くなった気がしたから調子に乗った、だとか。
     名前をすんなり呼べるようになったと思ったからちょっとでも仲良くなれたのだと錯覚したんだ、だとか。
     うにゃうにゃと夢なのだから、と頬をアラスターの手のひらに押し付けて、譫言のようにルシファーは話していた。それはもう、ここ最近の寂しさや鬱憤を晴らすかの如く喋るしゃべる。

     彼がこうなっているのは、やはり自分がハスクの前で駄弁っていた会話の所為だとは理解しているアラスターは、彼の頬を指の腹でするするなぞりながら、可愛らしいとも表現できそうな主張を黙って大人しく聞いていたのだが。
     普通に辛抱ならなかった。そも、地獄在住の者が十分ちょっとでも我慢できたのだから、天井に座す我らが主なりかつて共に過ごした優しい母親なりに褒められるべきだろうと開き直るくらいの心持ちで、ベラベラ語る唇をふにふに楽しみつつルシファーの横に座り込んでいる。

     何故かって? 決まっているだろう。
     この男がこれだけ胸の内を曝け出し、喋り倒しているのは今目の前に居て触れているのことを、単に“夢だと思っているから”に他ならない!
     その事実が非常に腹立たしかった。それはそれはびっくりするほど、何なら契約しているハスクに感情の波が伝わっていそうなほどに腹が立っていた。いつまで夢の中の俺とやらに懐いている縋っている? と。
     お前の前に居るのは紛い物なんぞじゃない、自慢のトークスキルもコーヒーを淹れる腕前だって比べ物にならない筈の、のラジオデーモン──アラスターだ。この俺自ら、貴方のバンビだと言ってやっただろう。薄情者め。
     そう心中だけで嘯いて、アラスターは自身の手の中にあるふわふわふにふにのまろい頬を、しっかりと彼の目が覚めるようにギュっと力強く潰してやった。

    「いひゃいいひゃい!!」
    『痛くしてるんですよお馬鹿さん。いつまでも夢見心地でいられては困るのでね!』
    「離せ、もう! 何が夢見心地────うん? 痛い?」
    『ええ、ええ。やっとお目覚めですか? 起きたなら理解なさい、此処に居る私が現実なのだと』
    「は、え? なぜ?」

     痛い、いたいと自身の顔を抑えながらもぽろりと落ちてしまいそうなほど目を開き、そして丸くしているルシファーの手を絡め取ったアラスターは、ニッコリ笑んで宣言する。

    『さあさあ、此処からはオフレコで! “貴方のバンビ”である私とゆったり話し合いをしましょうか。ねえ、ルシファー?』



    ✳︎✳︎✳︎
     

     
    「話し合いもなにも、今言ってしまったことが全てなんだが……」
    『貴方が私の名を一切呼ばなくなったのは? 散々ベルボーイだの何だのと誤魔化していたでしょう』
    「名前? や、それは、その、嫌いな奴に名前を呼ばれるのはイヤだろうな、と勝手に……想像しててェ……」
    『ンーー、なるほど? マァ理解はしましたよ、納得はしませんが』
    「は? 仕方ないだろ友なんてモン出来た経験なぞないんだから、距離感なんて解らんし距離の取り方とやらも知らん! ああいや、そもそも友のようだと思っていたのは私だけだったのだし、なんの問題もなかったなハハ……ハァ」

     私には起こり得ないことPie in the skyだったな、と寂しそうに笑うルシファーを見たアラスターは、その顔に向けて舌打ちを一つ落とす。それから呆れたように息も吐いて、この状況を生んでしまった夜、彼が見た当時の状況をある程度の確信を持って問いただした。
     
    『さては貴方、あの夜会話の全てを聞いた訳ではありませんね? 本当にそのまま立ち去ったんですか』
    「ん? そりゃあ盗み聞きなんて私の趣味ではないしな。お前達と話した後、まっすぐ部屋へと帰ったよ。その時考える余裕がなかったとも言うが」
    「……本当に、仕方のない可愛らしい方だ。 ン、良いですか? あの後、恐らく貴方が聞いていたであろう“況してや”──の続き。ソレを、一言一句違わず教えて差し上げましょう」

     アラスターがパチンと指を鳴らす。
     部屋の片隅に、見慣れたバーと飲んだくれているバーテンダー、それから真っ赤なコートを来た男の後ろ姿が浮かび上がった。
     半透明なところから察するに、あの夜の出来事を幻影として映し出しているのだろう。「なぜ半透明なんだ?」『再現するだけならこれで良いでしょう。魔力も無尽蔵ではありませんので』「大した魔力を使う訳でもないだろうに」『チッッッ』なんて会話の所為でアラスターの口からジジ……と不機嫌な音が漏れ出ることもありつつ、赤と白はついこの間の出来事に目を向けていた。



    「アレ、聞かれてるよな。絶対」
    『……さ、あ』
    「ン! なあ、さっき何を言いかけたんだ」
    『はい?』
    「“況してや”、の続きだよ。まだ言うことがあったんだろ? 気になって仕方がないから、どうせなら吐き出しちまえ」

    『……彼が、嫌いです。彼を構成するものの全部が気に食わない。それに間違いはありませんとも。況してや、あの── アヒルやパンケーキ、好きなものを前にした時にパッと星のように輝く瞳が、熱量が。特にチャーリーに向ける顔! 彼女の存在全てが愛しいと思っているその表情、視線。此方が胸焼けしそうなほどに蕩けるあの声』
    「Ahー、ボス?」
    『そしてこれらの行動全て、何処の誰何処ぞの箱だったりが見てるか解らないところでもやるだろう。その、警戒心の欠片もないような、なにかがあってもどうとでも出来る、と思っている人を甘く見て舐め腐る精神性が大嫌いだ! チャーリーの前でならまだ良いだろう、しかし他の奴らにまで見せてどうするんだ? あんなキラキラした、真っ白で眩いゆるっゆるの姿なんて、』
    「聞いてないな? 此処まで言え、なんて言ってないぞ俺は」

    『────俺の前でだけ、曝け出せば良いんだ。他の有象無象相手に無闇矢鱈と光を振り撒くんじゃない……本当に人が嫌なことをする男だ、アレは。本当に、大っ嫌いです』



    「はえ、」

     後ろ姿しか見えない方のアラスターの言葉を黙って聞いていたルシファーは、耐えられず気が抜けるような声を漏らして、声を出してしまったと直ぐに己の手で口を塞いだ。ちら、と横目でこの幻影を見せている本物を見やる。
     当の本人は口出ししないように物理的に口を閉じたルシファーの耳元で『良い子ですねGood boy』と囁いてから、まだ終わらないぞ、と実に楽しそうに会話の続きを映し出していく。

    「一つだけ、言わせて貰いたいんだが」
    『どうぞ? ペットの願いを聞くのも飼い主の責任なのでね』
    「うわだる過ぎる…………。アンタ、ルシファーの側に居るのは弱みを握る為、ってボソボソ話していたな」

    「そんなもん、アレの日常を見れば嫌でも解るってんだ。弱みだけじゃない、好きなものも嫌いなものも。それでも弱い所を突きたいって言うんなら、その日のオウサマの体調を確認してからアンタの気分で案じてやれば良い。恩着せがましくな。そんなの、アンタなら朝飯前の筈だろう」
     
    「ガキか。嫌い? 笑わせんなよかまってちゃんNeedy。アンタが今やってるソレは好きな奴の気を引く為の行動、ただの天邪鬼だ。……俺の言ってることがきちんと理解できたなら、とっとと仲直りとやらの為に動くんだな」

     ──パチン、ともう一度スナップ音。
     全貌を映し役目を終えた幻影達は、軽い音と共にゆらりと薄れ何事もなかったかのように消えていった。
     幻影があった場所とアラスターの顔に視線を行ったり来たりさせながら、ルシファーは「あ、」だとか「うそだ」と掠れた声で呟いている。
     アラスターは呆然と立ち尽くしている彼の背後に回り、うっとり目を細めながらその姿を見届けて華奢な肩を両手で包み込む。
     そのまま自らの身体で覆うような体勢でルシファーの表情を覗き込んで、すっかり冷え切ってしまった自身のソレより余程やらかい真っ白な頬辺に、熱を分け与えるみたいにして同じ部位を押し付けた。吊り上がっている頬でぐい、と押し込み見せつけるようにゆっくり口を開く。

    『それで、如何でした? 私の作品。勿論、ノンフィクションですよ』
    「……本当か? 私を揶揄う為にお前が即席で作った物ではなく?」
    『今、此処に。ハスクを呼び出して話を聞いても構いませんが』

     ルシファーの身体を片腕でしっかり抱えたまま、空いた手で爪先を弄るアラスターが良い加減にしろ、と言わんばかりにそう口に出せば、やっと事実を受け入れたのかルシファーはぐう、と唸って俯いてしまった。
     真っ赤に染まっているコートに覆われた片腕の中で、指先同士を擦り合わせモジモジと何処か照れたような仕草をしている。

     ──照れたように? ルシファーが?

    『……照れているんですか? 何故?』
    「照れッ──?! いや、そんなこと言ったって、照れるだろう……こんなの……くそFuck…………」
    『ハア? ただ私が抱いていた、貴方に対しての“嫌い”が他人から見れば“好き”に等しいと露わになっただけでしょう。今この時恥ずかしがる権利があるのは、私だけなのでは?』
    「お前、潔いのかどうなのか……。しかし、好き……すき……?」
     
     同じ言葉を繰り返し呟くルシファーに、くいっと器用に片眉を上げたアラスターが『何が言いたい?』と問いかければ、我に返ったのか彼は押し付けられたままだった頬をぐい、と退けて如何にか自身を肩を抱えていた腕の持ち主と向かい合った。
     依然二人の距離は近いまま、しかしその距離の近さにも思うところがあるのか、微妙な表情を保った状態でおずおずと戸惑いがちに質問を投げかけている。

    「その、お前の好意は……私が欲しかった友人としての想い……“友情”で間違いないんだよな…………?」
    『……逆に、ソレ以外に何か思い付くものがお有りで?』
    「ン、あの、アレだよ。えっと…………恋心、とか……」
    『────恋ィ? 私が? 貴方に?』

     何の冗談だ、と思った。またこのパターンか、とも。
     かつてミムジーと踊り、飲み明かした時もそう。ロージーと街を回り食事を共にし、珍しく穏やかに過ごしていた時だってそう。何奴も此奴も意味深に、不躾な眼差しを送ってくるばかりで。
     この地の底では異性と居ようが同性と過ごそうが、大小構わず好意を持つ=恋愛関係にある、若しくはすぐにでもおさらば出来る身体だけの関係だ、という風に話を発展させる輩しかいないのか、と怒鳴り散らしたくなる。頭上の、少し前まで機嫌良くふわふわ揺れていた耳が、萎えきった感情を受け取ってしおしおと倒れてしまっていた。
     生前も現在も、こう言った話題が相手を殺したくなるほど嫌いなアラスターは、ルシファーのその発言に嫌悪を隠しもせず顔をこれでもかと顰めている。
     ルシファーもアラスターの言いたいことが何となくでも解ったのか、数分前の彼と同じように片眉を上げて一旦視線を逸らしてから「申し訳ない。だが質問だけはさせてくれ」と一言謝って万歳をした。取り敢えずは手を出しませんから口だけは許して欲しい、のポーズである。
     アラスターは大きく息を吸って、吐き出すのと一緒に頷いた。綺麗に天井に向かっている手をきゅむきゅむと弄りながら、自分に向けられる言葉を大人しく待っている。

    「うん、ありがとう。ではまず……お前は友人が居たことが?」
    『失礼ですね、ありますよ。今も居ります、数はそう多くはないですがね。地獄らしくとても愉快で最低最高な友人達ですとも』
    「アー、名前などは聞いても?」
    『……マァ、それくらいならば構いません。あの襲撃の時チャーリーに手を貸して下さった人喰いタウンの麗しき領主、上級悪魔のロージーです。彼女とは素敵な食事をする仲で、時間と気が向けば良く共に過ごしています』
    「Oh……類は友Birds of a feather を呼ぶ flock together、だったか。うーん、素敵なオトモダチのようでなにより」
    『貴方と初めて会った時に乱入して来たミムジーだって友ですよ、生前からのね。……HAHA、あとはハスク、それからニフティも!』
    「ああ……そう……。別にお前の交友関係に口は出さんが」

     ごほん、と咳払いをしてルシファーは脳内にアラスターの濃すぎる友人達を並べ、うわあ……となりながらも、自分から始めた質問を再開すべく気を取り直して正面を見据える。
     対したアラスターは、質問内容に思うことはあれども数回ほど受けたことがあるような気がするインタビューを思い出すな、とうっすら朧げに出てくる人であった頃の名残に免じて、何も言わずに彼の質問とやらを受けてやることにした。

    「まず、確認させてくれ」
    『はい』
    「お前、彼女達にも私に抱くような……独占欲? いや執着か? 私には解らんが、そんな感じのモノを想ったりするのか? それがお前の友愛──なんだな?」
    『Hmm……』

     与えられた言葉を噛み締める。
     仮に、地獄で築いた人脈の中でダントツと言って良いくらいに、一番関わりがあるであろうロージーが相手ならば。
     彼女を前にして、そのチャーミングな笑顔を自分の前でだけ晒せば良いなどと。ボスとして治めている人喰いタウンの住人達に挨拶して回る、洗練された彼女の美しい仕草や行動。それら全てに対し“嫌い”と錯覚するほどの不快感を覚えるのか。
     そして、彼女と過ごして来た長い時間の中で一度でもそんな感情が溢れたことがあっただろうか、と。
     そんな“たられば”に心当たりなんてある訳がなかった。アラスターは恐れ知らずと呼ばれる者ではあるかもしれないが、易々と侮られる行動を取る馬鹿ではない。
     もし、己より上級悪魔を務めている彼女にそのような行動をしていたのなら、アラスターの住居は今頃ロージーの素敵な胃袋の中だった筈なので。きっと彼女の夫のように酷評を戴いていたであろうことも簡単に予測できてしまう。それくらいには長い付き合いだった。
     彼女はただの良き隣人であり、戯れるような多少の損得が絡む取引をし、ティータイムを挟みつつ人生相談みたいなくだらなく実りのない話をしたりする。この地獄では中々に得難い、素敵で無敵な友人。決してそれ以上でも、それ以下でもない悪魔である。

     ではこの対象がミムジーなら、どうなのだろう。
     小さくてころんとした、飛ぶように走り回る溌剌とした彼女を思い浮かべて、ありえないな……とアラスターは吹き出してしまった。
     だって、ミムジーと関わったことのある者ならば直ぐに解ることだからだ。
     彼女は嫉妬だったり、粘度の高い──それこそ執着と呼べるような思いを向けられたなら、からりと明るく笑い飛ばして一言「ありがとう」なんて言いながらチークキスの一つでもして施してくれるだろう。それが、一度だけならば。
     二度、そして三度とその行為が続いてしまえばそこで終わり。しつこ過ぎるところころのまるっとした顔を顰めて踵を返す。
     そのように自分のしたいことを好きなだけ、周りにあるものならどんな奴だって使って振り回して生きていく。それがミムジーという愉快な人間であり、そんな生き様だったからこそアラスターは時に寄り添い、稀に手を差し伸べるように助けて。そうやって、数え切れないくらいに目紛しい夜を超えて来たのだから。
     自分と彼女はそんな、偶に遭遇する野良猫のような気安い間柄が丁度良いのだと、少なくともアラスターはそう思っている。

     ならば、ハスクは? それからニフティも。
     嗚呼、考えるまでもない。二人ともそれなりに長い付き合いで、勿論友人でもあるのだが。
     友であることよりも、頭のてっぺんから爪の先、眼球や毛の一本その魂に至るまでが全て自分のモノである、という認識が前提になる。なにをしようと、どんな場所に居ようと。彼らは自分がいる限り、何処までも従い着いて歩くという運命にあるのだ。
     従順とは言い難いが、元が名のある悪魔であった為にそこそこの働きを見せるペット。彼が美味いという酒に余りハズレはなくて、中々に面倒見が良い奴。意外と観察眼に優れ、言い方に腹は立つが的を得た発言をする。
     言いたいことは諸々あるが、幾ら使い潰しておちょくっても特に何も変わらない関係性。それが、アラスターのハスクに対しての心証だった。
     これはニフティにも同じことが言えるが、彼女は少し毛色が異なるし反抗してばかりなハスクとは違って、奉仕精神等々が割と強い。ペットや奴隷というよりかは、ハウスキーパーのように思えてしまう。
     マ、とても凶暴で可愛らしい、そして少々かっ飛んでいる愛しい友の一人であるのは確かなのだけれど。



    ✳︎✳︎✳︎

     
     ここまで考え込んで、ふと気がついてしまったアラスターはぱちくりと子供みたいに可愛らしく瞬いた。
     ルシファーへと向けていた、いつまでも湧き上がる激情のような想いを抱き、あまつさえそれをぶつけることができる、そんな相手なんて未だかつて存在したことなどないな? と。
     
     はてさて、アラスターは困りきってしまった。
     自身が抱いていた感情が、例え如何に屈折し歪んでいたとて。その大元は友情から来るものであると疑わなかった為だった。
     これは、少なくとも友へ向ける情ではないのだろう。では、愛情なのか? などと自身で問うても、初恋を終えるどころか始めたことすらないアラスターには解る筈もなく。
     天下のラジオデーモンは悶々と頭を悩ませながら、達者な口を滑らかに動かすことなく低く唸って、自身のことの癖に信じ難いと言いたげにノイズを混じえてぼやいていた。

    『これが、恋心だと……? まさか、いや……しかし、』
    「うーん、さては私より混乱しているな? えっと、それで……まだ答えを聞いていないんだが?」
    『……抱きませんね。可憐に咲いている花のように慈しむことも、輝く宝石を眺めるように愛おしく思うこともあります。ハスクに関してはその限りではありませんが』
    「それは流石に彼が可哀想じゃないか?」
    『あの仏頂面しかしない毛玉を愛でる趣味はアリマセーン! アレのことは一旦置いておきましょう。──しかし、そのような感情を向ける彼女達にすら、こんな……四六時中苛まれるような想いは覚えませんでした。貴方が初めてです、陛下』
    「お、おお……」

     そうか! と手放しに喜ぶのは、流石のルシファーと言えども憚られた。
     いつも人を食ったような(実際人食いであったし同族食いでもあるのだが)顔をしている目の前の男が、表情こそ笑っていても耳も眉も下げに下げて、困惑しきった迷子のみたいな表情をしていたので。
     自分と向き合うというのは何時如何なる時代、どんな人間でであったとしても難題となるものなのだな。
     覚えのある感覚に表情を歪めてから「認めるのは難しそうか?」と、エンジェル曰く真っ赤な苺ちゃんにド直球に聞き直した。こういうのは誤魔化すと余計に拗れるとなんとなく知っていたからだ。

     今重要なのは、アラスターが漸く自覚してしまったその想いを何処に、どう据えるのか? ということである。
     嫌われていないのだ、と解り心底安堵したルシファーからすれば、彼が自身に向けてくれる感情が好意的なものなのであれば、なんだって良かったのだ。
     恋慕だって良い、親愛だって構わない。ただアラスターが抱えた情の行く末が気になって、無事に落ち着くところが見たいが故に問うている。

    『…………一億歩譲って認めたとしましょう』
    「譲りすぎだろ……」
    『此処は譲歩させなさい。……とはいえ譲っても、私は貴方を抱きたい、と思えないのですが。愛だの恋だのというのは、そういった欲が付随するものなのでしょう?』
     
     ア、一応抱く気で居るんだな。地獄の王は思った。
     そういった欲は持てないぞ、と言い切りながらもちゃっかり抱かれる気は微塵もないぞと要求を捩じ込んでくる辺り流石だな、と感心なんてのもしてしまったが。
     ルシファーはそれだってどっちでも良かったし、何でも良かった。トップもボトムもどうでも良い。ンなモン、ヤりたい奴が好きな方を選びゃあ良いのだから。
     それでもルシファーは、今日この日から変わっていくであろう関係の行先を考えてくれていることに喜びを覚えていた。嬉しや嬉し、とすっかり上機嫌になった男はふんわり柔く笑みを見せつつ、「今すぐ決めることじゃないさ」と気負わず口にする。ゆるゆるになった唇から放たれたのは、疑うことすら馬鹿馬鹿しいと思ってしまうくらいの真っ直な本心だった。

    「別にそういう関係……パートナーになったからって、すぐセックスする訳じゃない。地獄らしくはないだろうがね。キスやハグから段階を踏んでいくのは悪いことじゃないし、何なら手を繋ぐところから始めたって良い。徐々に擦り合わせて、当事者で答えを出して行けば良いんだよ」
    『ですが、その……シたいでしょう?』
    「私? ヤ、別に。出来るならそれに越したことはないが、もう年も年だしな。今更お前にかくあれかしAmen、なんて言わないとも」
    『…………さようで』

     何処となく安心したような雰囲気を醸し出しながらアラスターは、腕の中で飄々と話している純白を何気なしに抱き締めてみる。
     小さく、仄かに温かくて、林檎を思わせるような、瑞々しく甘い香りが立ち昇る身体。力を込めれば、忽ちぽきりと折れてしまいそうな彼はその実、この地獄の誰よりも頑丈で汚されない──そんな男だった。
     今だって、アラスターがぎゅうと力を込めてその身を掻き抱いたところで、擽ったそうに呵呵と笑うだけ。その様が少しだけ忌々しいと、そう思ってしまう。

     堕ちた身でありながら、その身体に流れる血潮は未だに天使と同じ黄金色をして。背にある翼は、今は亡きアダムが持っていたものと比べるのが烏滸がましいほど美しく、欠けなど存在しない素晴らしき六翼である。何者にも損なわれない、最も美しいとされた大天使。光を掲げる者、明けの明星──この地獄に於いては、我らが掲げる導きの星。
     ルシファー・モーニングスターという男の最愛になれないのならば、せめて。傷をつけることまでは出来ずとも、彼の生の中で最も色濃い汚点になれたなら。
     何時いつまでも色褪せないような、粘ついてしつこくへばり付く染みのような、そんな存在になれれば、と。
     そんな邪な考えを持ちながら、アラスターはじっと白い肌に視線をやって、ぽしょぽしょ音量を絞ったとても小さい声を下方へ落とす。

    『ルシファー』
    「ン、なんだ」
    『私は貴方への想いを見事に暴かれ弄ばれましたが、貴方からの想いはどうなっているんですか? 先程から“友情”とやらに拘っている気がしますが、私がこんな感情を貴方に向けるのを許して下さると?』
    「ああ、今更気になったのか?」

     ──構わないとも。
     聞き分けの悪い幼児を見るような目で、ルシファーはアラスターの顔を見上げた。
     キラキラ煌めく瞳は、一点の翳りも見せずにその形の良い眼窩に収められている。アラスターは眩しそうに目を細め、しぱしぱと数度瞬きした。じゃないと、彼の瞳の輝きに当てられて目が潰れそうだったのだ。

    「私が勝手にそう思っていただけで、お前から向けられるソレが好意的なものなら、その……なにであっても嬉しいんだ。名前を付けていなかった我々の関係性が、暫定友人からパートナーに変わるのだって、吝かではない」
    『私が好き、ということで宜しいので? 私も地獄に来てそれなりになるので、言質を取っておかないと、とーっても不安になるんです。ほら、どっかの誰かさんは直ぐこの腕からスルリと逃げてしまうのでね!』
    「うぐ……わかった、わかったよ! ちゃんと好きだ! 好いてなきゃ、お前に嫌われたと思った時あんなに落ち込んでない! そりゃあ、リリスに向ける感情とは違っているが……お前を慕う気持ちがあるのに間違いはないさ」
    『……ちがう?』

     アラスターは、何だそれは、という顔をした。
     恋愛感情とやらには好き、愛している以外にそんな多数の種類があるのか、みたいな顔である。
     ルシファーの方もそんなアラスターを見てむぎゅ、と変な顔をしてから、同じだと思ってたのか嘘だろ此奴という胡乱気な眼差しを送った。

    「違うに決まってるだろ……。お前には悪いと思うが、私の最愛……その枠は既にリリス、それからチャーリーで満たされている。それが揺らぐということは、私の根幹が揺らぐに等しいと言っても過言ではないんだ。恐らく、この愛は永劫変わらないだろうな」
    『…………』
    「しかし、だな? 既に知られている気もするんだが、私は二人の前では結構格好つけたがりで。弱ってるところなんて彼女たちには見せられないと思ったし、見せたくなかった。ほら、悲しませたくはなかったしね。マア、結局はそんな私の独りよがりの所為で、チャーリーに苦労をかけてしまったのだけれども。……しかし、しかしだ」
    『私になら、見せられる?』
    「そう! お前は私のダメなところも、参って弱りきったところも嫌というほど見てるだろう? 当初は癪だった気もするが、お前になら見せても良いと思えたんだよ、バンビ。ハハ、私にしては中々の進歩、心境の変化だ──なっ?!」

     意気揚々と話すルシファーを、アラスターはなんの前触れもなく持ち上げた。
     急に脇の下に手を突っ込まれ宙に浮いたルシファーは、ぷらぷら手足を揺らしながらとても驚いたように目を見開いている。
     そんな彼の様子なんて何のその、アラスターは持ち上げた身体をお気に入りのテディベアよろしくそのまま腕の中へと閉じ込めて、薄い肩口に額を押し付けてからすっかり乾いて掠れてしまった声で、ずっとして欲しいことがあったのだ、とぐずる子供みたいにルシファーに強請った。
     だって、堪らなくなってしまったのだからしょうがないだろう。これだけベラベラと想いを語る癖に、一番ではないけれど、と愛を謳う癖に。何故、どうして──未だに俺の名を呼ばないんだ。

    『私の名を呼んで下さい』
    「……アラスター?」
    『もう一度──いえ、繰り返して。ずっと、ずっとです』
    「アラスター。……アル。どうしたんだ? そんなに抱え込まなくたって、今の私は逃げやしないさ。理由もない。ほらアル、アラスター。良い子だから離しておくれ……急になんだ、寂しくなってしまったのか? ン?」

     ぽんぽんと大きく骨張った赤い背中を、ルシファーはそれはもう優しく撫ぜた。
     緊張からか固くなっていた筋肉が少しだけでも緩んだその後に、忙しなく動いているふわふわの耳を柔く梳いて、掌を頬の位置まで下げて寄せてみる。
     すると、瞼を閉じていたアラスターが肩口からスルリと離れその手に擦り寄ったかと思えば、軽く頬骨に触れている指や手に自身の唇を押し当てていた。
     ちゅ、と可愛らしい音を立てながら偶に指を甘噛みして、手首、首筋、頬に額と口付けの位置がゆっくりと移り変わっていく。
     ルシファーは、戯れる鹿の愛らしさと随分優しく触れるが故のこそばゆさで破顔しつつも、甘やかすみたいに綺麗に刈られ整えられているアラスターの襟足をモチャモチャ撫でまわした。
     初恋? に踊らされる姿はとてもかわゆいなあ。とルシファーが傲慢にアハアハ笑っていれば、またモチモチの頬にちう、と吸い付いたアラスターがニンマリ口の端を吊り上げて──がば、と流れるように大きく開いたその口で真っ白のモチモチに噛み付いた。次いで響く絶叫と笑い声。

    「ィギャーーーーッッ?!!?」
    『ーーッハッハッハァ!!!』
    「なん、なんで!? 何故噛み付いたんだ千切られるかと思ったんだが?!?! アッ跡! 跡ついてるだろアホ!!」
    『いえ、いえね? 愛しさと忌々しさが混ざってしまいまして。アレですよほらアレ、キュートアグレッション? とかいうやつです。最近エンジェルが言ってました』
    「いや、理屈はわか、わか……解るなこれ……気持ちは解るけど! どうして今! あと忌々しいてなんだ貴様愛しさを溢れさせろ其処は」
    『ア引っかかったのはそっちなんですね』

     アラスター曰く。
     自分が知らぬ感情でいっぱいいっぱい、なにかを求めることすら手探りの状態でぎこちないのに。
     なにをしようと余裕そうな表情を崩さずにざぶざぶと沢山の感情を寄越しては、此方の反応をじっと眺めているのが面白くない。
     貴方は与えるばかりで私に要望を伝えないのが気に食わん。もっとアダムみたいになれば良い。
     セックスだって求めることなく(現時点で求められても困るが)かといって他の行為も要求しない。ずるい。少し得意気なのが可愛くてムカつく。
     愛しさと幼さと面白くないのが混ざり合って、大変遺憾だったので──衝動に任せて噛みつきました。鹿肉より柔らかかったです。
     とのことで。

    「なあアダムのようになれ、は悪口じゃないか?」
    『このままずっと貴方優位なのは面白くないので。もう、ちまちま考えて貴方の尺度に合わせながら、求めるような真似はやめようと思います』
    「聞けよ人の話を。私と会話をしてくれ寂しいから」
    『与えたいなら好きなだけ寄越しなさい。其れ等全てを喰らい尽くし、与えられるものに飽きが来た頃に……貴方自ら、その身を差し出したくなるようにしてやりますよ』

    『私が態々言葉にせずともね!』

     何故いちいちアダムの話題を出すんだ、とぐちぐち口の中だけで呟いていたルシファーは、アラスターのとびきりに自分本位な告白が耳に入ってから、呆然と立ち尽くしている。なんてこと言うんだ、という具合に口をパカリと開いて硬直していた。
     まじでなんなんだコイツは。面白くないって可笑しいだろうが、恋愛童貞のお前の為にこっちが滅茶苦茶に歩み寄ってることを光栄に思え、こちとら地獄の王ぞ。そうは見えなくてもテンパってるお前が大層可愛いからニコニコしていることを理解しろ、クソガキめ。
     などなど、言いたいことは星の数ほどあれど。ルシファーはそれを御首にも出さずにニッコリと顔を綻ばせた。だてに創世記から生きていない。取り繕うなんて所作はお茶の子It‘s a pieceさいさいof cakeなのだ。
     ラジオデーモンである彼がよく回る舌を、口を使わずに私の方から強請るようにしてやる、だなんて言うのだから、此方も相応の返礼をせねばなるまい。アラスターの告白喧嘩を受け取ったルシファーは笑ったまま、ゆっくりと口を開け返事を口にした。

    「お前がその気なら、受けてたってやるとも。勝負だな、アル? 私は……そうだ、お前に懇願させてやろう」
    『HA、懇願? 地獄の王の返事買い言葉にしては生温いのでは?』
    「生温いィ? おいおい、堕ちたとはいえ私は元天使だ。愛しいパートナーに向かって汚い言葉なぞ使わんよ、ただお前に言ってもらうだけだ」

    「嗚呼、王よ! 卑しい私めにどうか、御身をお恵み下さい──とな!」

     なるほど、とOKを返されたアラスターはクツクツ喉を鳴らして、それだけに収まらず声を上げて笑い、なんならゴホゴホと咳き込んでいる。そのような返しが来るとは想像していなかったのだ。てっきりプリプリ怒って受け止めるだけだと思っていたから、予想だにしていなかった返答の所為で、気管支に空気が入り勢い良く咽せる羽目になっていた。
     確かにスラングなどは使っていない、あくまでも主に祈るようにその身を求めさせようとしているだけだ。それが良い、それで良い。遅かれ早かれ、彼は己のものになるのだから。彼の身体、そして心を得るまで精々上に立った気で居ると宜しいだろう。

     在り方がどこまでも似ていない二人は、それでも似たような表情で笑い続けている。その表情はどちらも凶悪なのに、どこか幸せそうなのは気の所為か。
     部屋で輝く二つ星、彼らは互いを覆って隠しあった。一人は長い両腕で、もう一人は六翼を使ってその姿を囲っている。
     どうせ地獄は永遠Hell is foreverだ、ゆっくり関係が深まっていく過程を楽しむのも恋愛の醍醐味というやつなのだろう。
     一頻り笑いあった二人は、互いの顔を歯形まみれにした後、仕切り直しだ!とでもいうように触れ合うだけのキスをした。


     
     かくして、双方の仲直りどころか地獄のビックすぎるカップルが成立してしまったこの数日後。
     全ての問題が解決して、調子が上がりに上がったラジオスターが『そういえば、私にもパートナーが出来たのですよ。欲しいものが書いたリストを、当ホテルのホームページとやらに記載しておこうと思いますので、暇な方はどうぞヨロシク!』なんてほざいたお陰で電話回線から何から全てが混雑する事態に陥るのだが、それはまだ天上に居る神しか知らぬ未来であった。


      
     然れども酒を浴びるべし
      
    「という訳で一応恋人になったことを伝えておくよ」

    「嘘でしょパパ」
    「つまりこの世の終わりってこと?」
    「誰も其処まで行けなんて言ってない」
    「エ今すんごい楽しいマジで、ねえどこまでヤった? ちょっとヴァル呼んで良い? ダメ?」
    「エンジェル」
    「ごめん」
    「原稿はかどるからとっても助かる! 後でボスにも聞くね!」
    「ニフ、やめとけニフ。俺がとばっちり喰らうんだそれ、多分きっとな」
     
     一応娘とその従業員には言っとかなければならないだろう、といの一番朝のロビーで報告してみれば。
     二名を除き全員が全員、信じられない眼差しでルシファーを見つめている。さもありなん、私もこんなつもりじゃなかったことだけは伝えておきたかった。特にチャーリーには。
     冷や汗をかきながら、実の娘をチラチラ見上げているルシファーをチャーリーはジッと静かに見つめてから──ニッコリ可愛らしく、そしてとても暖かく微笑んだ。

    「素敵ね、パパ! 最初は二人とも何事かと思ったけど仲直りと、新たな関係に進めたのはとっても素敵なことだと思うわ!」
    「い、良いのかいチャーリー」
    「だってパパは私とヴァギーのことを認めてくれたじゃない! 私も同じことをしているだけよ。確かに相手がアラスターなのはちょっぴり、いえ大分複雑だけれど……パパが元気で居られるなら私は応援するわ」
    「ッチャーリー!!」

     感極まった父親は、飛び上がってニコニコする愛しい娘に抱き付いた。
     なんて優しい子なんだ。こんなに最高な娘を持って、私はこの地獄で最も幸福な者なのだろうな。チャーリーと同じニコニコ顔になったルシファーは名残惜しくもゆっくりと愛娘から離れて、手を振りながら次は彼方へ、とハスクとエンジェルの元へと向かう。
     バーで駄弁っている二人、ハスクはカウンターの向こうに居るのでエンジェルの横へ座って酒を頼み、愛想のないバーテンダーに感謝を述べた。この関係に落ち着いたのは、アラスターの部下である彼の力が大きいと思っていたので、ちゃっかり上等な酒を贈っているのだが、流石に対面でも礼を言わねばと取った行動である。

    「改めて、ありがとうバーテンダーくん。君のおかげだ」
    「ン、いや元はといえば此処で話を聞いてた俺が悪いだろ。勿論アイツが殆ど悪いがな。美味い酒も貰ったし、感謝なんて要らねえよ」
    「なーに? ハスクなんか言ったの?」
    「なんでも。なにを飲みますか、お客様」
    「甘いのちょーだい♡ ──それで、王様。アラスターとはどこまでヤったの? そもそもどっちが上?」

     無遠慮に下世話な話を聞きたがるエンジェルにげんなりしながら、ハスクはバーテンダーらしく二人に酒を渡してやった。
     二人でカラコロ氷を揺らしつつ乾杯して、所謂恋バナとやらを話し出す。勘弁してくれと思ったのはハスクだけのようだった。

    「トップは一応アラスターらしい。でもまだキスしかしてない、それもお子ちゃまがするようなやつ」
    「はー、マジ? なんで?」
    「うん? 単純にそういう欲が薄いか、ないんだろう。シないなら私もそれで構わないし……そも、居るのか? 地獄の王に勃つ奴」
    「居るだろ」
    「居るよ」
    「居るのか……」

     それは別に知りたくなかった……と表情を歪めながらグラスに入った酒をルシファーは舐めるように口に含んだ。とても美味しい。
     地獄が誇るポルノスターは、ルシファーのその返答が面白くなかったのかムムッ……と考えるみたいに眉間に指を当てて目を瞑り──良いことを思いついた、と指を弾いて格好つけた顔をした。

    「任せな、王様」
    「なにを?」
    「此処に居るのを誰だと思ってる? この俺が、あの真っ赤な苺ちゃんが更に真っ赤になっちまうようなドエロい下着を用意してやるよ」
    『要りません』
    「うおっ、戻って来てたのかボス」
    「登場の仕方キモいな」

     ぬるりと影から現れたアラスターをエンジェルとハスクは気持ち悪いと言いそうな顔(エンジェルは反射で言ってしまったが)をして睨む。
     突然現れた本人は、どこ吹く風でエンジェルの助言を切って捨てている。が、それに納得するエンジェル・ダストではない。再びムッと顔を顰めて、アラスターにずいっと近づいたかと思えば「恋人の最高の姿見たくないの?」と詰め寄っている。

    『要りません』
    「だからさ、かっわいいアンタのパートナーがエッロい下着着てベッドに居んの想像してみ? グッとくるだろ?」
    『必要ありません』
    「おい不能デーモン一回ヴァルのところ行ってこいよ、一発だぜ?」
    『殺しますね』
    「決定事項かよ。もうやめとけエンジェル死にたくないだろ」
    「でもさあー……」

     勿体ないじゃん、とエンジェルは不貞腐れたみたいに唇を突き出している。
     性行為が全てではないが、それから得るものだってあるのだと。それが、パートナーとのものであれば尚更だ、と。そしてなによりも──。

    「こんな、俺の次にかわゆい真っ白なふわふわちゃんに興奮しないとかイカれてんだろ! なに?! 最高に可愛いお前だけの姿見たくないのって言ってんだけど!!」
    「真っ白なふわふわちゃん……」
    「そんな風に呼ばれたのは初めてだな流石に」

     エンジェルの怒号にも等しい叫びを、アラスターはいつも通りの澄ました表情で受け止めた。
     一理あるとは思っているようだが、それでもその首を縦に振っていないということは、エンジェルのは必要ない、と言いたいのだろう。そして、お前の言いたいことが終わったのなら今度は自分の番だというように口を開いた。

    『話は終わりました? 何度も言うように、そんなものは必要ありません。ただ彼の美しさを損なうだけですから』
    「は? 喧嘩売ってる?」
    『着飾らないのが良い、というつもりは毛頭ないがそんなことをせずとも彼はいつだって愛らしく、麗しい。……解りませんか?』

     本当に理解していないのか? みたいな顔をしてアラスターはルシファー含めた全員の表情を見渡した。
     本人含め、誰も理解していないのだとしっかり顔に書いてあった為、嘆かわしいと溜息を吐いてこの会話の結論を出してやる。何でもないような口調で、いとも簡単に言ってのけた。

    『彼は普段通りで宜しいのです。ただ在るだけで。気負わず気にせず思うがままに、地獄に在る姿が一等美しいに決まっているでしょう。──そうあれかし、と望まれたのだから』

     では、私たちはこれで!
     唖然としながらエンジェルとアラスターの顔を交互に見ているルシファーを立ち上がらせ、その腰に手を回しエスコートするようにロビーを離れるとんでも発言野郎を見送って、エンジェルとハスクは顔を見合わせる。

    「……エグくね?」
    「俺もあんなアイツは初めて見た。……凄えなアレ」

     二度と首を突っ込まない方が良いと判断した負け犬Loser達は、二人だけで再度乾杯をして今見た光景を忘れ去るように一気にグラスの中身を飲み干した。




    地獄で過ごし幾星霜、変わらず彼らは寂しん坊と天邪鬼
    「ハスクおかわり!」
    「はいよ。ああそうだ、ルシファーから貰ったやつ注いでやるよ」
    「アラどーも♡ アラスターからのも開けちゃおうぜ」
    「馬鹿みたいに飲まねえと忘らんねえからな、しょうがねえよな」

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    Replies from the creator

    白い桃

    PASTTwitterにあげていた生存Sc博になります
    貴方がどうしたって隣に居てよ「勝っ…………た……?」

     ロドスアイランド製薬、その本艦で定期的に開催されるスツール滑走大会にて。
     優勝常連者であり、私物のスツールを持ち出して参加したlogosを僅差で抜いて、今大会で優勝をおさめたのは──未だに信じられないと大会で吹き飛んでいったサングラスはそのままに、珍しくも目元を露わにしてスカーフの中で息を切らしているScoutであった。
     わああ! と観戦者、それから感染者が一気に湧き立って、男も女も関係なくとんでもない盛り上がりを見せている。カジミエーシュの騎士競技でも見ていたかのような盛況さだった。
     今回もlogosが優勝するに違いないと賭けて大損をした者は龍門幣を床へと叩きつけ、勝利した者は「Scout! 愛してるぞ!!」とその叩きつけられた紙幣を天井へぶち上げてひらひらと空気中に舞わせている。こんな有様をケルシーが目撃したのなら、全員が説教と粛清を喰らうだろうが、生憎と我らが優秀なる医師殿はCEOの手によって強制的に仮眠を取らされている最中だ。そして可愛らしいCEOは優勝したScoutに向かって満面の笑みで惜しみない拍手を贈っている。最後の頼みの綱であるクロージャは、残念ながら賭けの胴元なので、誰もこのトンチキ祭りを止める者は居ない。そう、ロドスの作戦部門、その長であるドクターもこの騒ぎを止めるなんて野暮な真似をしなかった。だって、この大会の勝利はScoutの悲願でもあった──らしいので。去年の彼は大層悔しそうな様子でした、と記憶を失ったドクターに教えてくれたのは、目覚めた時に女の子らしい小さな手を差し伸べてくれたアーミヤだった。
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