〇〇しないと出られない部屋(外) ウイスキーピークを慌ただしく出港した麦わらの一味。新たに一人と一羽を乗せ旅を続ける彼らは現在……、見知らぬ海賊に襲われていた。
「有り金お宝全部寄こしな!」
「あんたらにやるモンなんて1ベリーたりともないわよ!」
メリー号にぞくぞくと乗り込んでくる典型的な恰好をした海賊たち。
ヒラ海賊らを率いているらしいひげをそこそこ蓄えた男が、剣を掲げこれまた典型的な口上をのたまうと、売り言葉に買い言葉、ナミが威勢よく叫んだ。それでなくともウチは火の車なのに、と切実な恨み言とともに鋭い視線をルフィに向ける。しかし財政難の原因たる張本人は、突然のエンカウントに顔を輝かせていた。
時刻は夜。夕食も済ませ、食後の運動にはもってこいの時間帯。腹ごなしだと聞こえたつぶやきに、サンジがひくりと頬をひきつらせる。
「うし、ヤロー共! 戦闘だ!」
「おう」
「よしきた」
肩をぐるぐる回すルフィ、刀を抜くゾロ、煙草に火をつけるサンジ。敵へと向かう怪物トリオの背中に、殴り合いには消極的な二人と一羽が物陰に隠れながら、やっちゃいなさい! 援護なら任せてくれ! クエッ! と思い思いに声をかけている。
「ちょっとみんな……」
ナミに引きずられ物陰に隠れながら、これでいいのかしら、とビビは眉を寄せていた。
「あ」
「いッ!? バカお前!!」
突如としてどんがらがっしゃん! とけたたましい音が鳴り響いた。戦闘開始からまだいくばくも経っていない時分のことである。
新たな面倒の予感がひしひしとナミを襲った。なぜならこの直前の叫び声が、島でふたりきりにすれば平穏が五分で騒動と化す迷コンビ:ルフィとゾロのものだったから……。樽を積み上げた即席バリケードから顔を出して、げんなりと様子をうかがう。するとそこには、何故か開いているキッチンの扉と、中を覗き込んでいる一般的海賊のお頭が。
「ごゆっくり、おふたりさん」
静かに閉じられる扉。ぱたん、と内と外とで空気が隔てられる音が、戦いの最中でやけに響き渡った。
何かがおかしい。多少転げたところですぐに立ち上がり反撃するはずのふたりが出てこないことに、ナミは少なからず焦りを覚えた。あのバカども、と少々口の悪いぼやきがこぼれてしまったのは大目に見てもらいたい。
「テメェ、神聖なキッチンを荒らすとは良い度胸だな!」
顔面に生卵を貼りつけた海賊Nを海へ思いっきり蹴り落としながらサンジが叫ぶ。そのままダン、と大きく床を踏み鳴らした。
敵船長はまるで気にした様子は見せない。おーこわいこわいと口では言うが、その顔に浮かぶ笑みは軽薄はなはだしい。
「部屋は無事だ。中を確かめてみたらいい。なァ、嬢ちゃん」
ギクリ。空色のポニーテールを揺らしたビビ。敵の注目が他へ向かっている隙に、そろりそろりとキッチンへ歩を進めていたのだ。余裕しゃくしゃくな様子に訝るも、しかし選択肢が他にあるわけでもない。
恐る恐るドアノブを回せば、特に抵抗もなくかちゃりと開いた。
「ルフィさん? Mr.ブシドー?」
ふたりが転がり込んだはずの部屋をのぞきこむ。しかし、人の気配ひとつない。あれだけ派手な音を立てていて、さぞ盛大に家具を巻き込み散らかしていてもおかしくないというのに、中は整然とテーブルが鎮座しているだけだった。
「ふたりがいない!!」
さあっと血の気の引く音がした。一方敵は勝ちを確信しているのか、雑魚までもがあちらこちらで笑っている。品性を疑うような、下卑た笑い方だ。
「おれはヘヤヘヤの実の能力者!」
能力者だったの!? ざわりと空気が揺れた。
しかも、ただのバカならいざ知らず、ウイスキーピークにてバロックワークスのオフィサーエージェントを片手間に吹っ飛ばしてきた戦闘バカ二名の足を一瞬ですくった……そんな得体の知れない能力者。船に残された文化的な面々で対抗できるだろうか。
「ガキしかいねェこの船じゃ戦いはあの伸びる……得体の知れない能力者と、剣士がいいとこ。他はからきしだろう?」
「……アァ?」
サンジが低く低く呻いた。地の底から絞り出したようなその低さに、あんまりな怒気を察知したカルーがビビの背後でぞわぞわと身を縮ませている。
「おれの作った部屋はちょっとやそっとじゃ出られねェ!
敵の分断にゃあこの上ない能力よ。
あ~言っておくが外からじゃ誰も干渉できねェ。中の人間自身がミッションをクリアする必要がある!
金目のモンだけもらったらずらかるからよ、痛い目見ないうちに――」
「ベラベラベラベラうるせェな」カツカツカツ。サンジは足音を隠しもせず、ニヤニヤと気分よくしゃべり続ける敵ボスに近づき……「誰が雑魚だコラァ!!」怒りのまま敵を蹴っ飛ばした。彼は自他共に認める戦うコックさんである。空のかなたにキラリと星が輝いた。
ボスがまさか強制退場させられるとは、雑兵どもは大慌てで引き上げていった。そうしてメリー号にはふたたび穏やかなプライベートタイムが戻ってきたのだった。二名ばかり頭数が足りないが。
「ど~おナミさんビビちゃん! 惚れ直しちゃった?」
そうやってすぐ目をハートにして軟体に溶けなければあるいは。常識的な物差しを持つウソップはそう思うのだが、言ったところでどうにもならないことは想像に難くない。心優しい彼は胸の内にそっと仕舞い込んだ。
「つーかルフィとゾロはどうすんだよ!?」
「細かいことは気にすんな」ハン、と鼻を鳴らしたサンジは、脳みそまで筋肉でできていそうなやつらへの呆れを隠す気もないようだ。「だいたいおれたちにはどうしようもねェだろうが」
朝日がこうこうと輝いている。男部屋のハッチを開けたサンジは、その眩しさに目を細めた。
ぐ、と背を反らすと縮こまっていた筋肉が気持ちよさに震えた。ふだんのいびきに満ちたそこと大違いの、貸し切り状態の部屋でたいへん質の良い睡眠を取ったからだろうか。いつもより体が軽い気さえする。
「しっかし、あいつらまだ出てきてねェのか」
「まっっったく変わりなし!」
ため息交じりのつぶやきに、ウソップが元気よく返す。しかし、その様子は声の調子とは大違いで、暇にやられてぐでんぐでんに溶けている。見張り台の縁から両手と頭をだらりと投げ出していた。
「……旗、描き直すかァ」
「いいねェ。オールブルーを目指すイカしたコックが船長の海賊団……どうよ?」
クソジジイを真似するつもりはねェけどよ。にっと笑って見せると、ウソップはまばゆい金髪をを指で囲った四角の中に収めてうんうん言った。
「お前ならやっぱりコックらしく帽子とぐるぐる眉毛かな」
「眉毛はどうでもいいだろが!」
「いやいやコック帽だけじゃごまんといるだろ~よ」
ウソップももはや見張り台から下りてきて、スケッチブックにさらさらと改訂案を描いている。
ナミならやっぱり守銭奴を前面に押し出して、オイコラ蹴っ飛ばすぞ! ビビちゃんならやっぱカルーか、それじゃむしろカルー船長だな。などなど。
だんだん本筋から離れてきて、ほとんど雑談を楽しんでいるふたりである。寝るだけ寝て体内時計ならぬ腹時計にしたがって起き、朝食の準備を急かすはずの我らが船長が不在であるからして、それも仕方のないことだ。
毎日こうだと気は楽だがちょっとばかし張り合いはねェかもな、なんてサンジが紫煙を吐いたそのとき。
「うおおおヘヤの奴!! どこだァ!!」
「ぶった斬る!」
バターン! と大きな音を立てて開いた扉に、我先にと転がり出てきた脳筋コンビ。怒りからか顔をほんのり赤くし、ぜえはあと、肩で息をしている。しかし、大声での啖呵に反応がなく、というかメリーのあまりの静けさにきょろきょろと辺りを見渡した。あいつらは? ぽかんと首をかしげ、困惑気味のルフィにサンジは苦笑し、ウソップはにっぱーと輝かしく笑顔を浮かべた。
「おせーよバカ」
「なんだ、もう終わってんのか」
ため息をついて、ん~~~と大きく伸びをしたゾロ。彼が一瞬顔をしかめたのを、サンジはおや、と視界の端に捉らえた。喧嘩を売ってもさらりとかわされることはままあるが、これは怪我でもしたのだろうか。……あんな雑魚ども相手に? ろくに戦ってもいないのに?
「せっかく旗変えるチャンスだったのによ! このキャプテ~ンウソップのすばらしい画力を、」
「おいウソップ! それはおれ怒るぞ!!」
瞬発的に跳んだルフィを身をひるがえして避けるウソップ。ぎゃいぎゃいと甲板を駆けまわり始めた彼らに、メリーは日常の騒がしさを一瞬で取り戻した。
「うるっさい!」枕を抱え部屋から出てきたナミの、何時だと思ってんの!とのお叱りはごもっともである。
「それで、どんな能力だったの?」
せっかく起きてしまったのだから。一味きっての戦闘タイプが(だからこそ、かもしれないが)どうこうされてしまう能力なんて、忘れないうちに対策を立てないと! 寝間着から着替えたナミとビビ、寝ぼけたカルーもやってきて甲板に勢ぞろい、顔を突き合わせた。
「それがよ、見たことない部屋で壁ぶん殴っても斬っても全然手ごたえねェんだ!」ルフィは身振り手振り、パンチにキックを繰り出した。「んでよ、仕方ねェから……あ。なんでもねェ」
ノリノリで喋っている途中で、突然目を逸らしたルフィ。不自然に口をつぐみ、下手な口笛を吹く始末。
「なんでもあるわ! また襲ってこないとも限らないのよ!!」
「でもゾロの名誉のために秘密に~い~い~い~い」
すぱこーん! と、後頭部を刀で思いっきりひっぱたかれたルフィの様相はえらく面妖な早足のハトさながら。よく伸びる首が前後に伸び縮みしている。そのゴム特有の弾性運動に合わせて、これまたよく伸びた声がゆらゆらと高さを変えている。
ドップラー効果だ。ものすごい勢いで音源が近づいたり離れたりすることで、声の波長が長くなったり短くなったりする。波長の変化は音程の変化である。
「疲れた。寝る」
きっぱりと言い放ったゾロのその声は、ふだんと比べ掠れていてやはり疲れているのだろう。そのまま赤いベストの首根っこをひっつかんで、男部屋へと姿を消した。ぐえ、とつぶれたカエルのように鳴いたルフィを引きずったまま。有無を言わさぬ剣幕に、"魔獣"などと称される男の物騒さを思い出した面々だった。
「なに、あれ?」
パタン、とハッチが閉じるのを見送って、ナミは肩をすくめた。
ツッコミどころはままあるが、ルフィの異様なまでに不自然な誤魔化し方。うちの船長、嘘がつけないとは思ってたけどあんな下手なんて。あれでは部屋の中で言い難い何かがあったと語っているようなものだ。
「あの……」
「なあに?」
「Mr.ブシドーの肩のところ……赤くなってるのが見えちゃって。手当しなくて大丈夫かしら」
立ち位置の都合により、先ほどゾロがビビの横を通過したとき。その肩に、服の襟ぐりギリギリのところになにかの赤いあとが見えたのだ。彼らの強さはその目で見たけれど注意力散漫な戦い方だったと記憶に新しいビビは、先の戦闘での怪我ではと心配している。もしかしたら、他にも隠れて見えないところにあるかもしれない。
「そーいやアホ剣士のやつ、体痛めてそうだったな」
「……やたら声掠れてるし?」
あの戦闘特化の体力バカどもが雑兵と数分たわむれただけで疲れるわけもないが、少なくともゾロはやたら疲れているようだ。
というか、戦いで声を掠れるほど酷使するシチュエーションなんてあるだろうか。ゾロは元々多弁ではない。
――明らかに異様なピースが集まる中、導き出された答えは。
「…………」
彼らの間に降りしきる沈黙が、物語っていた。
推理から完全に置いて行かれているカルーの「クエー」と間延びした鳴き声を上げ、ハッと一同の意識が戻る。
「さっ、そろそろ朝メシの準備しねェと」
「え?」
「サンジくん! おれサマも手伝ってしんぜよう……ほんとは寝たいんだけど!!」
「えっ?」
「ミカンに水あげなきゃ!」
「あ、あたしは……」
「ビビ、あいつらほっときなさい」
動き出したクルーたちにぐるぐると目を回しながら、手当でも……と動き出した彼女に、ナミはくすりと笑った。いたずらめいた輝きに、犬も食わないんだから、と付け加えられ、ビビの動きがぴたりと止まる。
ベテランクルー(ただし、最古でも数か月ほどである)が解散し、その場に残された新入りクルーであるビビとカルー。
「クエ?」
未だ動こうとしないご主人様の顔をカルーがのぞきこむ。
「そういう、ことなの……?」
その顔は、涼やかな髪色とは反対に、真っ赤に染まり、ほかほかと湯気を出さんばかりだった。