春色湯上り攻防戦「こりゃあ……。また風流だな」
桜の花びらがくるりくるりと舞い落ちて、池を淡く色づけている。花の都を象徴する大きな桜の一部が、中庭までにょっきり入り込んでいるらしい。
ほのかな甘い香りをはらんだ風が、湯で温まった肌を撫でる。縁側のつるりと冷たい木の感触が、素足で歩くとくすぐったい。
ほう。ゾロは感心しましたとばかりに大きく息を吐いて、しかし、
「酒が飲みてェ」
全く正直な感想を述べた。
「そればっかしだなァゾロは」
ルフィが呆れたように言う。言葉だけなら至極真っ当に、しかしその姿は米俵がごとくゾロに担がれ、顔は頬をカッカと赤くした満面の笑み。桜よりもずっと色濃く赤く染まっている。
「へえへえ。良いから頭冷やすぞ」
なお、その頬の赤みもだらしなく担がれているのも、先の長風呂のせいである。風呂を室内プールアトラクションとみなしている節のあるルフィが何を思ったか、今日はゾロに付き合ってやる! とのことだった。そんなこんなでのんびり風呂を楽しんでいた中、突如聞こえたぶくぶくぶく昇るあぶくの音。見れば彼らが船長は茹でだこみたいに真っ赤になって沈んでいた。さもありなん。
特段の気遣いもなく床に身体を放り投げられ、「ぐえ」と間の抜けた声を上げるルフィ。ぐんにゃりと脱力したままゾロへと這いよって、腰かけた彼の膝に頭を乗せ――いわゆる膝枕をした。
「あはは! ゾロの膝かてえ~」
「当たり前だろ」
「あっちィ~」
「じゃあ降りろ。床のが冷てェぞ」
「あはははは! やだ!!」
ゲラゲラ笑いながら腕を伸ばしてしがみつく。暑い離れろとゾロが抵抗すればするほど、押しのけられてたまるかとぎゅうぎゅうと強くくっつくものだから暖簾に腕押し。
「元気じゃねェかよ」
いつものことだ。こうしていつも、ゾロが先に折れる。はあ、ため息を零し、力を抜いた。
「ゾロはさァ」
膝上の頬をするりと撫でると、やはり、熱い。柔らかい触れ合いに、ルフィは静かに目を細めた。
「ほんッとすぐ迷子になるからなあ。だからおれが捕まえとくんだ」
――すぐどっか行くのはお前だろ。
何言ってんだと嫌味の一つも返そうとしてしかし、濡れた黒髪の隙間から覗く春の陽気を思わせる温かいまなざし。ゾロはぐうと息を飲まされるだけだった。
幾ばくか、風の音と、その向こうにウグイスの下手な鳴き声だけが聞こえてくる。揺れる心に負けず嫌いの火を灯し、頭を振って、呆れた振りして意地の悪い質問をひとつ。
「……ここ人ン家の廊下だぞ。ンな腑抜けたとこ、誰かに見られたらどうすんだ」
「別にどうもしねェよ」
「例えばこの城の家臣に見つかって噂になったらって考えてみろ」
「ええ?」
片眉を上げて、怪訝に聞き返すルフィに、にんまりとひとの悪い笑みを返す。
「モモのやつに兄貴分の情けねェ格好、伝わっちまうだろうなァ」
がばり。勢いよく起き上がって、むっ、と頬を膨らませるルフィ。
「いいだろ膝枕くらい! なんでそんなにヤなんだよ!」
「そらァ見せたくないからだ」
「おれが情けないとか今更だろ」
「バァカ」
「いて」
口を尖らせ、外聞もなく情けなく拗ねるルフィの額を裏手でゴツンと引っ叩く。
「知ってるだろ。おれが好物の酒、誰にも彼にも分け与えたりしねェの」
涙目で睨むルフィに、ゾロは鼻を鳴らした。
城の家臣には麦わらの一味がカイドウ打倒の立役者だと伝わっている。その中でも麦わら帽子の男が中心であることは。そんなルフィのこんな姿。見せてたまるかと独占欲のひとつくらい。
ふに。唐突に唇に触れる柔い感触、遅れて鳴るリップ音。
一転、今度はゾロが呆気にとられる番だった。ぱちりぱちりと目を瞬かせれば、ルフィが攻守逆転とばかりににっといたずらに歯を見せた。
「ししし! 知ってる! でもおれは、我慢する方がヤだからな!」
その言葉に、ゾロは参りましたと笑うしかなかった。