ばかなおとこ/レオいず(途中) 真夏特有の湿度のこもった熱気が、その部分にだけまとわりついているような心地。あいにく今は夏ではないんだけれど。受け入れ難い熱って、こんな感じなんだ。これはこれで新鮮なものだな……と、当事者であるはずなのに、レオは二の腕に触れてくるそれをどこか俯瞰してじっと見下ろしている。
その女の手指のさきにはきらびやかなラインストーンが散りばめられていて、おもちゃをそのまま貼り付けたみたいなその指が肌に刺さる度に、すこしだけ痛かった。声をあげるまでもないから、それをゆるしてやっている状態。
うちからあふれてくるのは霊感ではなく、もっと汚いいろをしたなにかだ。
それがはたしてなんなのか、レオは自覚できない。
「———」
今度はかおをあげてみる。レオの腕を無遠慮ににぎったままの女の分厚いくちびるから、なにやら音が出ていた。たぶん、しゃべっている。それが脳みそが処理してくれなくて、レオはぱくぱくとうごいているだけのそこを観察しているだけ。グロスをまとった艶のある赤が、生き物の体内のように思えてなんだかグロテスクだった。
月永さんの曲の。今度ぜひ。くちの動きだけで、そんなことばをなんとか読み取ってみせる。しかし依然なにを伝えられているのかが脳みそまで届いてくれなくって、「はあ……?」と、返事ともいえないどっち付かずな声を漏らしてしまった。
それを、相手はなにやら都合よく解釈したらしい。レオの二の腕掴んでいた腕が、下へ下へおりていき、かれの腰にたどりつく。
華奢な肩が、レオのからだにくっついた。体つきは自分よりもちいさいくせに、それに纏う空気感はおもたい。首元にじわりと汗がにじむ。おかしい、事務所の廊下の空調はきいているはずなのに。からだは寒くて、でも、不快な汗だけが肌からうち出てくる。
腕に落ちてきた長い髪に驚いて、思わず肩を跳ねさせた。女は気にしない。fineのあいつとか、ドラマティカで一緒になったナギサだって、おんなじ長い髪を持っていて、綺麗だなあ、だなんて思ったりもするけど。その丁寧に巻かれた髪が、なにやら意志を持ってレオのからだに絡みついてくるように思えて。
ああ、嫌悪感か。これ。
「あの、こんにちは」
レオのうしろから、ようやく意味の伴った声がきこえてきた。ゆったりとした口調、けれど美しく凛々しい響きで、レオのだいすきな声。
声の先を振り返るまえに、腰骨あたりにまとわりついていたそれに割って入るように背後から手のひらが差し込まれる。それからその細い手指でレオの腰を抱いて、泉は、レオのからだを自らのもとへ引き寄せた。
「うちの月永に、なんの話で?」
よかったら俺がききますけど。泉がそう言ってから、その指が強ばったのがわかる。
優美に口元がつりあがっているが、細めた瞳の奥にはまるでひかりがない。しかし、見上げた横顔はぞっとするほどうつくしい。ああいますぐ、紙とペンが欲しい。
ふつふつと盛り上がって紅潮していくレオの頬とは裏腹に、目の前の人間の表情からさあっと血の気が失せていく。おろおろと目が泳いで、泉と目を合わせようとしていなかった。
泉は目の前の相手と二言三言話す。なにやら諦めた顔つきをさせたその女はレオたちに背を向ける。ウェーブのかかった茶色の髪が翻り、そのすがたはあっけなく目の前から失せていった。ピンヒールが床に叩きつけられる音が、リズミカルなはずなのにいまいち何もそそられない。
ばたん、とニューディの事務所の扉が閉まった。
「……なにしてんの、セナ」
「ねえそれこっちのセリフなんだけど」
なにしてんの、ともう一度言った泉がレオの肩にあたまを乗せてきた。
「青葉も青葉でしょお……事務所にあんな人間の出入りを許していいわけ」
「今日オバちゃんいなかったよ? ユニットで地方にいく仕事があるって、ナツメが」
「あ、そう……」
そういうことではないと言いたげに泉は眉根を寄せる。
泉は深いため息をつくが、依然としてレオのからだを抱いてあたまも預けられたまま。いつも必要以上に人前でくっつくんじゃないと注意してくるのはそっちのくせに。今しがた事務所内の人間がレオたちを一瞥しながらそそくさと横を通り過ぎていったが、それでも離れてくれなかった。
泉の指が、レオの腰のうえで動いた。またレオの肩が跳ねるが、驚きと、今度はそれ以外の感情を持って。泉が、レオの輪郭を確かめるようにそこを撫でるから。布を隔ててるのも相まって、その焦れた動きに戸惑う。
「あの、セナ。もういいから」
「ん?」
くっついていたのは無意識だったようで、泉が声をあげる。
そしてそのまま離れてくれるのかと思ったが、なにか考え込むような間を経て、けれどかれはまだレオから退こうともしない。
「れおくん、もう今日なんも無いでしょ。俺ももう少ししたら帰れるからそこで待ってて。……あ、作曲はしないで。ほんとに、ちょっと打合せするだけだから」
そして、ようやく泉がレオにもたげていたからだを起こす。
「ホテルいこう。俺、このままだと安心出来ない」