泉と真
人攫い〜拾われるまで
「ごめんなさい、ごめんなさい泉。パパとママを許してね……これはあなたのためなの。離れていても、泉の幸せを願っているからね」
まだ幼かった泉を泣きながら抱きしめた両親の顔を、泉はもうあまり覚えていない。
今から十年以上も前、ある寒い冬の日のことだった。ああ、すてられちゃったんだ。幼いながらに母が去り際に言った言葉の意味はわかっていた。そして、自身の身に危険が迫っていることも。
孤児院の先生の穏やかな微笑みは、両親の姿が見えなくなると途端に下卑たものに変わった。逃げ出したい。けれど寒さと恐怖に震える足ではそれもままならず、気付けば大きな船に揺られていた。
表向きには旅客船、しかし実際は密輸船であったらしい
暗い倉庫のような部屋に放り込まれると、そこには泉と同じ境遇らしい同年代の子どもたちが何人も蹲っていた。
「……っ?」
ふいにぎゅっと服の裾が引かれ、隣を見れば金の髪の男の子が泉にしがみついているではないか。
よく手入れが施されてサラサラとした金色の髪、子供には大きすぎる懐中時計を大事に抱えて、エメラルドのような綺麗な瞳は今は涙で潤んでいる。
年は泉と同じか、少し下だろうか。
小さな声で話しかけてみる。
「おれはせないずみ。あんたの名まえは?」
「……ゆうきまこと」
「じゃあゆうくんだ。へいきだよ、おにいちゃんが守ってあげるからねぇ」
流石に、表立って人攫いぶることはしなかった
親を装って手を繋いで来ようとする男の腕を振り払って、真を連れて走り出す。
「なっ、待て!」
人の多い港で、人混みに紛れて運良く逃げきれた
街の看板の文字や、聞こえてくる言葉には馴染みが無く、異国まで連れてこられてしまったことだけはわかった。
「だいじょうぶ。おれがぜったいにゆうくんをおうちにかえしてあげる」
「う、うん……」
・マタンとニュイ
貴族に拾われて使用人になるあたり
「困りましたね、異国の子供ですか」
「まだ幼い、今から教育すればすぐに言葉も覚えるでしょう」
夜に輝く満月の色と、薄明るい朝空の色から、泉はマタン、真はニュイと名付けられた。
しかし実はこの貴族の家には裏が……
「弟の方だけで良かったのに。予定外でしたな」
「……仕方あるまい、二人共離れたがらなかったのだから。あそこで騒がれても面倒だったからな。ともかく、マタンをここに置いてやる理由は無い。適当に理由を付けて早々に追い出せ。そうだ、レオ様の世話係に任命しよう」
「はは……それは酷ですな」
「諦めたら罰としてクビにしてやろう。ニュイの方は丁重に扱えよ……
・レオ
引きこもりの坊ちゃんとの出会い
「マタン、こっちへきなさい。これからお前に重要な仕事を任せる。今日からお前はレオ坊ちゃんの世話係だ。うまくできなかったら追い出すからそのつもりで」
「はい」
ろくにこの国の言葉も話せないままに、レオ坊ちゃんとやらの前に突き出されることになった
「レオ坊ちゃん、失礼致します」
執事長が扉を開けると、オレンジ色の髪をしっぽのように束ねた泉と同年代くらいの少年が、床に寝っ転がって一心不乱に何かを書きなぐっている。
「坊ちゃん、坊ちゃん!」
「うるさいなぁ! おれは名作を書いてるんだ! ジャマするなってば!」
「そう言わずに……ほらマタン、挨拶をしなさい。自己紹介は教えただろう」
「……はい。あー、マタン、と……もうします。え……っと、」
「何をしてる、続きを言いなさい。挨拶もまともにできないなら、」
「……いまの、おまえ?」
それまで見向きもしなかったレオが、手を止めてマタンをじっとみつめている。
「ぼ、坊ちゃん……?」
「……?」
何と言われたのかが分からずに、泉は隣の使用人を見上げた。
レオに両手で頬を包まれてレオに向き直させられる。
「おまえ、すっごく綺麗だ! マタンって言ったよな? この国のやつじゃないんだな、まだ言葉がたどたどしいけど、それがまたいい感じ! おれが教えてやる! 言葉と、あと歌も! おまえの綺麗な声でおれの曲を歌ってくれ!」
「……えっ? あ、」
泉には、レオの言葉の内容がひとつも理解できなかったが、何やら気に入られたらしいことだけはわかる。
頭上で執事長が真っ青な顔をしていることなど知るよしも無かった。
・レオとマタン
レオの求愛劇
それからというもの、レオは片時もマタンの傍を離れなかった。それまで部屋に引きこもりがちだったらしいことなど嘘であるかのように、掃除や洗濯などの雑用をこなすマタンにぴったりついて回ってきた。
主人たちからしたら、体良く追い出すきっかけを作るために問題児レオの元へやったというのにとんだ誤算ではあったものの、レオが外へ出るようになったことは喜ばしかったので何とも言えなかった。
「マタン、『あいしてる』っていって」
「……? あい……?」
「あ、い、し、て、る」
「あい……してる。どういういみ、ですか?」
「んーん。そのうちわかるよ。……マタン、あいしてるよ」
それから年月が経ち、少しは言葉を使いこなせるようになったころ。
「坊ちゃん、朝食の時間ですよ」
「……」
「お坊ちゃん……レオ坊ちゃん」
「……」
マタンが声をかけても、寝起きが一番頭が冴える、と床に蹲って楽譜を撒き散らしている。
聞こえていないのかそれとも。
「……れおくん」
奥様や旦那様からは禁止されている秘密の呼び名を口にすれば、レオはにぱっと顔を輝かせて勢いよく振り向いた。
やっぱり、わざとか。
「……ん!ちょっと待って!今行く!」
「……早くしてよねぇ」
「わかったわかった!……おっと、わすれるところだった」
すくっと立ち上がって、急に距離を詰めて
ちゅっ、と軽い音を立てて唇が触れ合った。
「おはよう、マタン! 今日も綺麗だ!」
「……当然、でしょぉ」
この屋敷に拾われ、この坊ちゃんのお世話係に任命されたその日から、マタンは毎日坊ちゃんに求婚され続けていた。
「おはよう、マタン。今日も時間がかかってたね」
「ニュイ。おはよう。ほんっと困るんだよねぇ〜、毎朝毎朝」
ニュイ(真)も使用人、同じ屋根裏部屋で二人で生活している。
「……坊ちゃん。どうして私に、『愛してる』だなんて言わせたがるんですか。その言葉は……」
「……そっか、バレちゃったな。なんか本でも読んだのか〜?」
「それは、勉強くらいします。はやく言葉を完璧に使いこなせるようにならないと」
「うん、おまえのそういうところが大好きだ! おれはマタンが好きだから、マタンに好かれたい。だから言ってほしかったんだ
っ、
レオとニュイはバチバチ
「レオ坊ちゃん。あんまりマタンを困らせないであげてくださいね」
「わはは、なんだニュイ、大事なお兄ちゃんを取られて寂しいのか?だったらおまえもしっかり捕まえておけよ
・秘密
真の懐中時計、泉と真の秘密、泉とレオの秘密の夜
また数年が経ち、彼らは青年に。
「マタン。今夜、おれの部屋に来て」
「……坊ちゃ、」
ちゅ、と頬に口付けられて、体温が上がる。
とうとうレオと一線を越えた泉
一方その頃、消灯時間を過ぎても部屋に戻らない泉を心配して真がこっそり探しに出るが、そこを家主に見られてしまった
何か盗みでもしたんじゃないかと部屋に入られて、ずっと真が隠し持っていた故郷の手がかりである懐中時計が見つかってしまう
孤児のニュイが持つには高価すぎて怪しまれてしまう
「言いなさい、ニュイ! こんな高価な物、どこから盗んできたんだ!」
「ち、違います、それは……」
「……ったく、何してくれちゃってんのかなぁ、ゆうくん、」
「……マタン?」
「どうして素直にお兄ちゃんの言うことが聞けないの? お兄ちゃんの言う通りに動いていればこんなことにならなかったのに。なんにもできないお人形さん」
主犯は自分だと偽って罪を被るマタン。慌てていたのでポロっと二人の時だけに忘れないように呼ぶ故郷の言葉が出てしまった
縄で縛られてひとまず地下牢へ転がされるマタン
懐中時計は主人に没収されてしまった。
マタンとはとある理由で待遇が違うニュイは、主犯ではないこともあって部屋で謹慎処分で済む。そこにレオが忍び込んでくる。
「レオ坊ちゃん……?」
「なあニュイ、『ゆうくん』っておまえのこと?」
レオは、たった一度だけ泉の呟いたどこの国の言葉かもわからないそれを、発音からイントネーションまで完璧に記憶していた。
「おまえたち、幼すぎて名前も覚えていないっていうの、嘘だったんだろ。おまえらふたりとも自分の名前も、帰るべき場所もちゃんと覚えてる。本当ならこんなところで下働きさせられるような身分じゃないんだろ。ここにいたら、生きては帰れないぞ」
「それって……?」
「この家の使用人に、緑の目をした若い男が多いのがどうしてか知ってるか? 緑の目の男だけ他よりちょっとだけ待遇が良い理由は? 友達が陰で調べて教えてくれた、みーんな、オレの影武者にさせるためだって! オレは作曲の天才だからさ、命を狙われることもおおい。この家はおれの稼いだお金で成り立ってるから、オレが死んじゃったら困るんだろうな。
おまえが影武者にさせられたらマタンが悲しむからさ、オレがなんとかするから、おまえらは一緒にここから逃げろ
・離別 屋敷から出て真が家族の元に帰るまで
マタンがいれられている地下牢にやってきたレオ、手には東行きの船のチケット。
「な、なんで」
「わはは、路銀もあるぞ! あと、ニュイの懐中時計も。大事なものなんだろ、これ。ちょっと知り合いに調べてもらった、これに刻まれている紋章は、東の島国にある名家のものだって。行ってみたらおまえたちの家族のこと、なにかわかるかもな
「……マタン、おまえはおれとこの国に残らない?」
「……は、」
「この家、ちょっとヤバい問題抱えてるっぽくてさ~まだゴタゴタが続きそうだから、親友がしばらく外に連れ出してくれるって言うんだ。そこにおまえがついて来てくれたらおれは嬉しい」
「……でも、俺はニュイを家に帰してあげたい」
「ニュイだって子供じゃないんだ、手がかりがあるなら一人で帰れる」
「それでも、俺が送り届けなきゃ。俺が必ず家に帰してあげるって約束したの。ちっちゃい頃の、もしかしたらニュイは覚えてもいないかもしれないくらい些細な約束だったけど……それがあったから俺はここまでこられた」
「……そっか。おれもお兄ちゃんだから、わかるよ。ちょっと言ってみただけ。おまえも弟と、家族と一緒に幸せになれよ」
「……、」
「ん? どうした」
泉には、帰る場所は無い。二人が本当の兄弟ではないことをレオは知らないのだ。
泉には真と違って家族の手がかりはない。ここを出れば、一人で生きていく他にない。
まさか真の家に転がり込むわけにもいかない。優しい真は、雇うと言ってくれるかもしれないが、血は繋がっていなくとも大事な弟の手前、格好くらいつけさせてほしかった。
泉と真は無事に国へ戻り、たどたどしい母国語でなんとか真の実家に辿り着くと事の次第を説明した。
幸いなことに、後継者だけが持たされる懐中時計と、真が祖父の肖像画にそっくりだったことなどから信じてもらうことができた。
泉は、思った通り屋敷で働かないかと誘われたけれど丁重にお断りして、せめてとばかりに半ば強引に渡された御礼金だけを持って屋敷を出た。
・レオと泉
一人働き始めた泉のとこにレオがくるまで
泉は再びあの国へ渡って、生きていくために仕事を探した。
「お邪魔するよぉ」
「やぁやぁイズミさん!……発音とイントネーションはこれで合っているかなぁ? それじゃあ面接を始めさせてもらうが……形式的な物でほぼ採用は決まっているから、単なる親睦を深めるための世間話だとでも思ってくれ。イズミさんの生まれた国はここからかなり東だろう? それなのにどうしてわざわざこの国で仕事なんか探していたのかなぁ」
「生まれ故郷よりこの国で過ごした年月の方が長いんだよねぇ。正直向こうは簡単な日常会話くらいが精一杯で。だったらこっちで働いた方がマシだってだけ」
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