レオいず(書き途中供養) 目を開けて俺の視界に広がったのは、見慣れぬ真っ白な天井だった。
脳みそが白んでいて、酸素とか血液が行き渡ってない気がする。何故かまぶたがひどく重くて、まばたきをすることすら億劫だった。そして、眼前の天井の色にはまったく身に覚えがない。視線を右手側へ動かすと、やはり見たこともない窓。カーテンの隙間から差し込む色はふんわりとしたオレンジ色。いまは、夕方のようだった。
おかしい。俺は今朝、星奏館から出たばかりで、タクシーを呼んで、それから、信号を渡って。
「セッちゃん」
次に目に飛び込んできたのは凛月のすがただった。丸椅子に腰かけて、いつもはねむたげに細められている赤い瞳をぱっちりと見開いて。
急いで起き上がろうとしたが、腕に管がまとわりついていて思うように身動きが取れない。ぼすん、と背中にやわらかいような感触。俺はベッドに寝そべっていたようだった。少しだけかたい枕があたまにおさまると、後頭部が鈍く痛んだ。
病院だ。ここは。
凛月の背中側にあるクリーム色の開き戸はぴっちりと閉じられている。そして、この部屋の患者は俺一人だけ。というより、俺が寝ていたベッド以外にベッドがない。
そう、おかしいんだ。俺は朝に信号を渡って以降からの記憶がぷつりと途切れている。俺は、どれくらい寝ていたのか。
今日は撮影があった。そうだ、前日から肌のコンディションを整えて、いつもの通り早めにスタジオへ入って、メイクをして、髪も整えて、完璧な俺を撮ってもらうはずだった。だって、俺は仕事を休んだことがなかった。夢ノ咲で、歌いたくもなくて立つのがしんどい日も、からだがぼろぼろになっても、たった一人の友達が、隣にいなくなったときも、俺はいつだってステージに立っていた。
俺と目を合わせた凛月が、「三日」と、それだけつぶやいた。それから、凛月は泣いた。まんまるの目からぽろぽろと、雫がこぼれる。かれがうつむくと、膝のうえに水滴が落ちて紺色のスラックスが濡れる。
「三日間。ずうっと寝たまんまだったんだよ。もう俺、セッちゃんが、起きないかと思って……!」
ひ、と息を吸い込む音がして、凛月がもういちどかおをあげた。長く伸びた前髪はぐしゃぐしゃに額の上を散っていて、でも泣きじゃくり始めた凛月の顔面のほうがぐっちゃぐちゃだった。鼻を赤くして、目や鼻やくちからぼたぼたと水が流れ落ちていっている。よく見ると、目のまわりが赤く腫れていて、控えめに引かれたアイラインが黒く滲んでぼやけている。こんなの、俺たちのお姫さまには到底見せられない。なんてひどい有様なのだろう。
かれの前髪は崩れているが、後ろ髪はスプレーで固められていて、けれど首元のネクタイは緩められずにきちっと胸元に結ばったままだった。夢ノ咲時代の衣装のシャツだって、「なんかぴっちりしてて無理〜」とすぐさまボタンを外してゆるく着こなしていた凛月が。今、泣いて崩れた顔面以外の様相は完璧だった。
もしかして、何かの撮影か収録終わりに、その格好のここまですっ飛んできたのか。メイクを落とすのも、衣装か、私服に着替えるのも忘れて。
「ほんとに起きなかったらどうしよう、って、怖くて怖くて……! 俺、眠れなかったんだよっ? あったかい布団入っても、昼も夜も、ずうっとセッちゃんが死んだらどうしよう、ほんとうにどうしたらいいんだろうって、考えたらぜんっぜん、眠くなくてさあ! 気持ちはわかるけど、おまえまで倒れちゃったらやだよって、ま〜くんにも心配かけちゃうし」
「くまくん、俺、」
「なのにさあ! セッちゃん、ぜったい仕事のこと考えてたでしょ、ばかじゃないの!? ほんとにばか、ばかばかっ、俺の気持ち考えてよ。あんたが死んだら、セッちゃんの血ぃ全部吸い取って搾って飲み尽くして殺してやるから。それから俺も、死んでやる」
「いや、」
「俺、セッちゃんのことが大切だって、言ったことなかった? 言ったじゃん。ねえ、セッちゃんが死んだら俺はどうしたらいいの? 誰が俺の面倒見てくれるの? 誰に甘えればいいの? お願いだから死なないでよセッちゃん……!」
「いや生きてるでしょ!? 勝手に何度も殺さないでよねぇ!」
「! セッちゃん!」
だんだん言葉尻がめちゃくちゃになってきていた凛月が、ようやく俺が起き上がったのを自覚したのか抱きついてきた。それでも力加減はおさえてくれているのか、凛月の手つきはやさしかった。「セッちゃん」ともう一度俺を呼んだ声は、喉から絞り出したかのようなか細い音で、俺の肩にあたまを預けた凛月はまた泣いていた。かれの目頭があつくなっていく。肩がなみだや鼻水で濡れても、俺は何も言わないでやった。
やっぱり、大切な子が泣いているのを目の前にするのは心臓に悪い。二度とごめんだと、そうおもった。
窓が開いていたのか、カーテンがふわりと揺れて空の色を目の端でとらえる。夜の濃紺に入り交じる橙色。あいつを思い出した。目に染みる夕方の光のように眩しくて、なによりも愛おしいあいつ。
だいすきだの、あいしてるだの、俺に散々言っておいて、何故肝心な今、月永レオは俺の隣にいないのだろう。
太陽が沈んだら、空に浮かぶのは月だ。