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    ichiru_mn

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    ichiru_mn

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    遙か2/千歳
    2022.02.12タイトル変更

    断末魔の追憶幼い頃から、其れらは当たり前に千歳の傍に在った。

    二足歩行をする兎。
    烏帽子を被った猫。
    人の言葉を流暢に操る鳥。
    動物ではなく靄のようなものだったり、小さな鬼もあった。
    ただ彼らは千歳に対して基本的には友好的で、危害を加えるようなこともなかった。
    板間のささくれを教えてくれたり、明日の天気を教えてくれたり。
    報酬変わりに厨から小さいモノたちが食べる食料をくすねる程度。
    専らたわいもない話をすることが多かった。

    「そんなモノ、視えるだなんて決して人に言ってはいけませんからね!」

    両親も、世話をしてくれている女房たちも、口を揃えて怖い顔をしてそう言った。
    「どうして」と尋ねると、返ってきた言葉は悲しくなるようなものだった。
    「恐ろしい」
    「気味が悪い」
    ―――そんな言葉を言われ、傷ついている千歳を心配そうに見上げてくる彼らのほうが、余程人間味があるように見えた。
    それが繰り返されるうちに、千歳は視えざるものが視えると言うことを辞めた。
    それまでも態々吹聴したこともないが、意識的に口を噤んだ。
    最初は苦労をした。
    千歳にとって当たり前に見えているものが、家族を含め他の人にはそうではない。
    最初はその基準がなくて、彼らと話をするときは慎重に周囲を確認した。
    両親の考え方に同意をしたつもりは無いが、やはり両親に心配をかけることは本意ではない。
    この件に関して以外は、大切に育てられた自覚はある。
    それに、千歳が気落ちしているとやはり小さな彼らも心配をするのだ。
    そう割り切ることができたのも、兄の存在もあった。
    「あの人たちはお前が可愛いんだよ。 要らない苦労させたくないんだろう」
    「でも」
    一頻り話を聞いたあと、あやすように少し乱暴に頭を撫でる。
    この手が好きだった。
    「もう、あにうえ!」
    髪が乱れてしまう、と本気ではない抗議に勝真は笑って応える。
    「勝真ー! おっ千歳もいるじゃん!」
    「ようイサト」
    布にくるんだ何かを抱えて、イサトは軽快に走りながらやってきた。
    「いいもんあるんだぜ!」
    そう言ってイサトが得意げに見せたのは木通だった。
    「お前また寺に生えてるヤツ取ってきたのかよ」
    「いーだろ別に。 勝真が食わねえなら千歳と分けるからな」
    「ばーか。 食べるに決まってるだろ」
    「ふふ」
    子供の頃の、三人でいた頃の記憶が一番幸せだったと思う。




    昼には真っ白だった太陽が茜になり西に沈みかけた頃。
    普段は余り大きく声を立てない妖が数匹、転げるように千歳の部屋へ姿を現した。
    『チトセ! たイヘんたいへン!』
    『町が燃えル』
    『カツザネも燃えル』
    『ぜーんぶハイになっちゃウ』
    口々に聞こえる不吉な科白が千歳の頭を殴った。
    「え……?」
    カツザネ。兄が。
    急いで部屋を出ると、妖たちが指す方角から黒煙が上がるのが見えた。
    さあっと全身の血が失われたように目の前が真っ暗になった。
    まさか。
    「あそこに兄上が……?」

    ―――リン

    混乱した千歳の耳に、その涼やかな音がやけに耳についた。
    チカ
    呼応するように、何かが閃いたように見えた。
    「ひ………ッ」
    鱗だ。
    そう思った瞬間、巨大な蛇かと生理的嫌悪感を感じて思わず悲鳴をあげかけた。
    ≪神子≫
    優しい重低音の声。
    単語として認識できる言葉が聞こえると思わず、混乱しかけていた感情が少し落ち着いた。
    ゆっくりと目を開く。
    気付けば墨をぶちまけたような、漆黒があたりに広がっている。
    「りゅ……う?」
    無感情に見える目も、大きな口も恐ろしい筈なのに、黒い龍だと気づくと恐怖心が霧散した。
    ≪汝が我が選んだ神子。 ―――黒龍の神子≫
    こくりゅう。
    ≪八葉を救え≫
    「はちよう」
    聞いたことのない単語だった。
    水を水瓶に注ぐが如く、何故か兄とイサトの顔が浮かんだ。
    「………っ」
    震える足で、はしたないとわかっていても走り出した。
    渡殿を走る千歳に目を丸くする女房たちを無視して、父母がいる部屋へと向かった。
    「父上! 大変です、兄上が……っ兄上とイサトが火事に巻き込まれます!」
    「勝真とイサトが?」
    尋常でない千歳の様子と科白に、さっと父の顔が強ばった。
    一瞬逡巡して、すっと視線を厳しいものにした。
    「千歳。 なぜそんなことを知っている」
    「………ッ」
    どう、答えよう。
    父母は自分のこの力を嫌っている。
    答えによっては兄の命が助からないかもしれない。
    だがすぐに答えられなかったことで、両親からの視線はより厳しくなった。
    顔を見なくてもその視線が痛い。
    どうしよう。
    どうしようどうしよう。
    「………おね、がいです。助けてください……!」
    それしか、言えなかった。
    七歳の千歳にはそれ以上どう伝えていいかわからなかった。
    未来永劫失ってしまうことだけは耐えられない。
    いやだ、死なないで。
    ガタガタと震えるばかりで、父を納得させられる言葉が思いつかない。
    代わりに精一杯父を見つめる。
    涙がたまる。ぼやける。
    一度ぎゅっと目を瞑ってみると、冷たい涙がころころと落ちた。
    は、と強い溜息が聞こえた。
    「武士団を派遣させよう」
    「!」
    その言葉にほっとした。
    これできっと大丈夫。
    手配のため部屋を出て行く父に頭をさげ、どうか間に合ってほしいと心から祈った。

    そうして兄は助けられた。
    ………兄だけ、助けられた。
    イサトが無事だと聞いたのは、夜が明けて憎いほど眩しい朝が来て、太陽が中天を過ぎてからだった。
    勝真が火傷を負いながらも「戻って他の人を助けてくれ」と声が枯れるまで叫んだが、聞き入れてくれる大人はいなかった。
    身体は大きな怪我もなく五体満足で帰ってきた兄は、そのことに負い目を感じていることはすぐに気づいた。
    けれどもやはり兄は喪えないし、生きていて良かったと心から思う。
    だがこの一件が切っ掛けで、勝真とイサトと千歳は滅多に顔をあわせなくなった。
    それでも。
    兄が生きていてよかった。
    ふたりが生きていて本当によかった。
    異形は「視えなくて」いい。
    何も「聞こえなくて」いい。
    彼らが生きていてよかったと思う心だけは、どうしても譲れなかった。


    それが千歳の、七歳の記憶。

    幸せなこどもの時間の終わりの記憶。







    例えば炎のような夕焼け。
    例えばあの日、千歳に火事を知らせた妖。
    例えば三人で食べた木通。
    そういうものを見るたび、泣いてしまいたくなるような思いに駆られる。
    感情に蓋をして、何もない振りをした。
    何度も何度も繰り返しているうちに、いつしか摩滅していってしまった。
    貴族の娘としての教育を受けながら、千歳は育った。

    京には末法思想が重く圧し掛かっている。





    ある夜。

    ―――リン

    夜中、就寝していた千歳は、極々小さなその鈴の音ですんなりと目が覚めた。
    見慣れた自室ではなく、夜着のまま真暗闇の只中に立っていた。
    ―――リン
    「! いた……っ」
    もうひと度音がなると頭痛に気付いた。
    脈打つように痛む頭を堪えてあたりを見渡すが、墨の中に落ちたように黒しか見えなかった。
    白い夜着が見えなければ、自分が目を開けているかもわからない。
    千歳が今まで見てきた異形のものたちで、こんなことができる力を持ったものはいない。
    「だれ……?」
    『黒龍の神子』
    低い、どこか甘さを感じる男の声だった。
    誰、ともう一度誰何しようとすると、黒墨から男が現れた。
    金の髪と、不思議な仮面。
    『お前に危害を加えるつもりはない。 お前を助けるために来たのだ』
    甘やかに響く。
    声も、言葉も。
    『この京は破滅へと向かっている』
    「………っ」
    息が詰まった。
    貴族が巻き込まれ死んだ暴徒の話や、千歳自身体感している地震。
    女房や、ひとりきりのときに妖から聞いた話を思い出す。
    それが「破滅」という恐ろしい言葉で色塗られた。
    けれど。
    「私は……何もできないもの」
    視るだけ、聞くだけ。
    気味悪がられておしまい。
    あの火事の日の記憶が蘇る。
    助けたかったものを沢山取り零してしまった絶望感。
    『出来るとも。お前は<黒龍の神子>なのだから』
    黒龍の神子。
    「あ―――」
    あの日視た、黒曜石を纏ったような美しい龍。
    言われて思い出した。
    何故忘れていたのだろう。
    『黒龍の力を使って、破滅への時間を留めればよいのだ』
    「………留める?」
    今この時を留めることができたなら、少なくとも破滅へは向かわない。
    滅びを止めることはできなくても―――留められる。
    気付いた瞬間肌が粟立った。
    (守りたい)
    今度こそ、兄だけじゃなく、多くの人を。
    ―――誰かの力を借りるだけではなく、自分の力で。
    「どうすればいいの?お願い、教えて」
    ≪力を貸そう。 お前にいない八葉の代わりに≫
    (八葉……?)
    聞き覚えがある単語。
    どこかはもう忘れてしまった。
    今度こそ。
    ≪京を≫
    お願い。京を救いたい。
    ≪京を―――せ≫

    ―――リン

    再び鈴の音が聞こえると、千歳は自室にいて昨晩眠った時と同じ状態だった。
    「姫様、お目覚めですか」
    御簾の向こうから女房の声が聞こえた。
    視界は茫洋としているが、思考ははっきりとしていた。
    (………出なくちゃ)
    ここから。
    この鳥籠のようなところから。
    支度をして、すぐに両親のいる母屋へと向かった。
    龍神の神子に選ばれたと伝えれば、きっとこの邸から出られる。
    そしてその思惑は正解だった。
    千歳が龍神の神子に選ばれたことはすぐに両親に伝わり、滅亡の中で一条の光として瞬く間に帝や院へと伝わった。
    可視化出来ない不安に対して、『伝承の龍神の神子』の効果は絶大だった。
    御伽噺程度には知られていて、正確な情報は少ない。
    どうせ滅びゆくのなら、少しでも不安を取り除きたい。
    人である限り、不安は長く抱えていられない。
    「ふざけるな!」
    そして勝真が知るところになるころには、院の元で昼も夜もなく祈りを捧げることが殆ど決まっていた。
    「今まで千歳が何か視えると言っても取り合って来なかっただろ!」
    それは、と小さく呟いて言い淀む。
    その話を否定することも莫迦にすることもなく、聞いてくれていたのは家族で唯一次兄だけだ。
    それが今更信じるようになった理由なんて。
    「これが切っ掛けで院か帝の側室にでもなれば、この家は……私もお前も安泰だ」
    理由なんて、わかっていた。
    彼らにとって千歳が実際に龍神の神子かどうか、真偽なんてどうでもいいのだ。
    わかってはいたが、ほんの少し胸が痛んだ。
    少しでいいから、自分が離れることを惜しんで欲しかったと思うのは、今は贅沢だったとよくわかるのに。
    ずっと信じて貰えなかった<力>が、こんなことであっさりと信じられたことにも、もう自嘲するしかなかった。
    けれど。
    「………っ」
    勝真が怒りのあまり息を呑む音が聞こえた。
    「千歳を……っ娘を何だと思ってるんだ!」
    勝真の怒号が響く。
    本気で怒っている。
    幼い頃は、怒っていても余裕があった。
    兄がここまで怒ったのは、あの大火の時以来だと思う。
    本気で怒ってくれて、いるのだ。
    泣きそうになるのを堪えて、呼吸を整える。
    今度は泣かずに済んだ。
    あの大火の日とは違う。
    決めたのは、自分だから。
    「兄上」
    「! 千歳。 お前は下がっていろ」
    「いえ。 いいえ。 父上、兄上。 私は院の御所へ参ります」
    「な」
    「おお、おおそうか、行ってくれるか」
    信じられない、と目を丸くした兄の視線から逃れるように、千歳は顔を伏せた。
    そもそも、貴族の娘に生まれたのだ。
    不自由の少ない生活と引き換えに、人生が決められている。
    親が決めるか、龍神が決めるか。
    それなら、誰が決めるか位決めてもいいのではないだろうか。
    (守りたい。 今度こそ、ちゃんと)
    自分で守ることが出来るなら、その《範囲》は自分で決められる。
    怖くないわけではない。
    視えるだけの自分が何かをすることへの恐怖は、ずっと背中にひたひたと張り付いている。
    久しぶりに兄の傍に立つと、こんなに背が高かったかと気づいた。
    最後に兄の顔を見ようと見上げたが、見慣れない位置にある勝真の顔は想像通り怒っているようだった。
    (でも、兄上)
    ゆっくりと瞼を伏せる。
    (今度こそ、必ず)
    あの火事で喪われた命はもう戻らなけれど、出来るだけすり抜けていかないように。
    この京に、ひとが、命が、心が留まりますように。

    ―――リン

    どこかが痛む。
    頭の奥か、胸の奥か。
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