Recent Search
    You can send more Emoji when you create an account.
    Sign Up, Sign In

    みゅげ

    レノフィに堕ちました…。
    大人の魔法使い同士、ほど良く気の抜けた間柄同士…いい。

    互いが互いの一番じゃないって理解していながらも、
    ハートだって舞うし、おまえと言われても文句はないし、言っていい人なのには頭抱えます。
    レノ、今何してるかなって思いながらレイタの山脈まで様子を見に行くフィガロ…かわいすぎません?

    瑠璃の空色/みゅげ

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 2

    みゅげ

    ☆quiet follow

    初のレノフィガ小説かけた!嬉しい!

    いつも通りふらふらとレイタ山脈までレノに会いに行くフィガロと、少し困った目に遭うレノとの放牧風景を書きました。
    名前のあるモブがだいぶ主張強く出てきます…。

    犬とフィガロとレノ…せめていつかは三角関係ぐらいにまでは昇格できたらいいのにな。

    #レノフィガ
    lenofiga
    #レノフィ
    renofi.
    #今日どこ5

    犬のきもち『犬のきもち』




     山の上の小屋に人が訪ねてくることは珍しい。
     ある日、馴染みの男が現われた。
     男は昔からこの夏の山にレノックスたち羊飼いと同じ時を過ごす炭焼きの男で、ここ数年はとんと見かけない懐かしい顔でもあった。
    「久しぶりだなあ、レノックス」
    「ああ……」
     煤けた太い指で色褪せた帽子の縁をちょこんと抓んで、それはいつかの日と全く変わらないにやりと人のいい笑みにゆったりと近付いてきた。
    「どうもあんたが懐かしくなって、寄ってみたんだ」
    「そうか」
     その気軽な様子にどこかほっと温かな気持ちになる。
     ぽつりぽつりと白い羊たちが草を食む山は青く、遠く空の果てまでもが瑞々しい夏の山特有の世界の色を背にして、レノックスはじっと男の様相を見つめた。
    「……ジョセフ。まさかまたおまえに会えるとは」
    「そうだな」
     これこそたしかに僥倖だ、と他人事のようにつぶやきながらも、男はちらりちらりとレノックスの様子と傍らの静かな小屋の入り口を窺って、何やらひどく物問いたげな仕草に落ち着きなく褪せた茶褐色の服の裾を握った。
     訪ねてきた男はどうやらレノックスと話がしたいようだった。
     辺りでは相も変わらずにメエメエとのどかな声に集まって鳴く羊たちが、レノックスの周りを右に左にと自由に動き回っている。本来ならばここからたっぷりと日の傾く時間まで、彼らにはただのんびりとこの緑豊かな山の草を心ゆくまで食べさせてやりたい。
     広大な緑の斜面でゆったりと遊ばせているふわふわの白い生き物の上、とろり、とろりと流れゆく高い雲の影が、さあっとやわらかな風に運ばれて遠くの稜線の向こうへと消えていく。
    「――あ」
     それは小さな人影だった。
     とにかくこの目の前の知人をどうにかもてなしてやりたいと思いつつも、いつも通りただわらわらと自分の周りで群れている羊たちの世話についても考えると、とても悩ましいな、などと思ってた矢先のことだ。
    「なあ、レノックス……俺は」
     なだらかな山影は青く、夏の濃い緑の匂いに包まれたこの山間の丘の上、ぽんと浮かんだ箒がひとつ、悠然と美しい空を泳ぐようにゆったりと飛んできているのが見えた。
    「……フィガロ先生」
     ざわざわと音もなくさざめき揺れる精霊たちの気配を感じる。
     そうしてレノックスの視線が辿る彼方に現れたその魔法使いは細い長身の体で青くまぶしい夏の空に溶け込んで、高くぽっかりと浮かんだ箒の上、実に自然に造作もなくただ真っ直ぐにこちらへと向かって飛んできている――ふ、と南の精霊たちが深く息を呑んだような気がした。
     途端に辺りの空気までもが凛と強く張り詰めて、実際、レノックス自身の周りには常々そうはっきりとも感じられない数多の精霊の気配がいっそう濃く世界にあふれた。ぐらぐらと色めき立っては一斉に押し寄せてくる有象無象の意思たちの、駆け巡る無数の喜びの匂いに目が眩む。
     そんな歓喜の震えにささやかな旋風をも巻き起こす無邪気な精霊たちのそわそわと浮ついた囁きを耳元に聞きながら、片手を高く掲げ、いつものようにそれにレノックスは合図を送った。
    「レノックス」
     影はみるみるうちに近付き、大きくなった。
     ふわりふわりとのどかな景色に揺蕩うフィガロの形をゆったりと見上げていたレノックスのもと、長く優美な尾を引いて舞う大きな鳥のように。偉大なるそれはばさりと白い上着をはためかせ、すとんと地に降りた。
    「やあ、レノ。そんなに惚けっと空なんか見上げてどうしたの」
     何か困りごとかい、と続ける口調でくるりと小さく指を動かして、さっと何事かを魔法で片付ける。キラリと瞬く光の雫が、彼の頭上のつむじから綺麗に磨かれた靴の先まですうっと伝い走った。
    「たまたま今日はこの近くで往診の予定があってね」
     ……と。これはいつも通りの彼の言説だ。
     ぱちんと合図を送ったフィガロの横、そのままふわふわと恭しく空に掲げられ、ゆったりと山の小屋へと運ばれていくバスケットからは何かとても香ばしい匂いがしている。
     同時にふよふよとそれに付き従って続く、いくつかの重厚な酒の瓶の列には少しばかり呆れた。
    「先生」
    「なんだよ。いいだろう、別に。何も今すぐに飲もうって言ってるんじゃないんだ。だっておまえ、まだこれから羊たちに草を食わせたりするところだろう」
    「俺はたぶん、レノックス。あんたにまた会って、ただ俺の話を聞いて欲しかっただけなんだ」
     緑のざわめきが聞こえた。
     丘を駆け巡る風の音は涼やかに、それでいてどこかやわく不穏な色に満ちて、この平和な夏の山の昼下がりに重く沈んだ澱のような見えない畏れを掻き立てる。
     男はいつの間にかレノックスの隣、じわりと寄り添うようにしてこちらを見上げている。
    「レノックス」
    「……レノ?」
     ふたりの声が重なった。
     そうしてレノックスの目の前でにこにこと人のいい笑みに悠然と立ったフィガロは不思議そうな顔でじっとこちらを見つめて、長命の神様みたいな彼の生には見合わぬきょとんとあどけない子供のような眼差しで、それはくいっと小さく首を傾げる。
     煌めく宝石のようにあざやかなフィガロの榛の瞳がゆらゆらと燃えているようだと思う。
    「レノックス。何か困っていることがあるんだったら、俺に言ってごらん」
    「フィガロ先生」
     メエエ、と長く嘶く羊の声にそぐわぬ山ののどかな光景が白く眩しい昼だ。
     だからどことなくこちらの様子を慎重に窺うフィガロの視線を申し訳ないと思わないでもないが、とにかく今は自分にやれることだけをやってしまおうと思う。
    「レノックス。少しだけ、あんたと話をさせてくれないか」
     分かっていると頷けば、ますます何か言いたげな色に口を噤むフィガロの瞳がゆらりと青い山の草地を見渡した。
     メエメエと甘えて鳴く小さな羊がたたっと駆け出して、お気に入りのフィガロに吸い付き、途端にそれはぐるぐると嬉しそうに彼の足下にまとわりつく。
    「はいはい。おまえは相変わらず可愛いね。本当に俺のことが大好きなんだから」
     自然と屈む仕草に思わず目を奪われた。
     白いふわもこの背中やら頭やらを撫でる優しいフィガロの手付きもいつになく上機嫌なのがなんだかとても微笑ましい。そうしてそんなフィガロの手の下、同じくらい嬉しそうに、ふすふすと興奮しきった吐息にその身いっぱいの喜びを体現している小さな羊の姿を見ていると、不意にレノックスはなんだかとても幸せな気分になった。
     だから結局この人はすべてにおいて、求めたり求められたりすることに強く喜びを感じる人なのだ、と今更ながらの深い感慨が湧いてきて不思議に思う。
    「なんだよ。おまえまた、なんでそんなに生温かい目で俺を見るんだ」
    「いいえ。別に」
     つんつんと黒い鼻先が遊んでつつくフィガロの長い指は白く美しく、そんなたおやかな指の下から顔を覗かせる羊の顔も今はひどく満足そうで、その指に絡み付いてはふんわりと陶酔したような鼻息にすんすんと甘える獣の喜びを素直に眩しいと感心する。
    「……それで、レノ。おまえはどうしたい?」
    「はい。俺はこのままちょっと用事を済ませます。なのでフィガロ先生には、俺の代わりに羊を追って飛んで欲しいです」
    「ええ? まあそれくらい、お安い御用だけど」
     こくんと頷く傍からすでにふわりと優雅な仕草で箒に跨った長身はそのまま大きく辺りを旋回し、何言かを細くつぶやいてからひと言――ポッシデオ――と辺りの空気を支配する魔法の呪文を唱えた。




    「ああ。雲の街のフィガロ先生……相変わらずとてもお元気そうだな。ラッセル湖のほとりからここレイタまで。けっこうな距離があるもんなんだがな」
     やはりあんたたち魔法使いは頼りになる、とつぶやく男の瞳がなんだかとても眩しいものを見るかのように細く眇められる。
    「……もちろん、あんたもな。レノックス」
     遠い緑の野を飛ぶ偉大なる魔法使いの箒を眺めて、ふたりはただ並び合っていた。
    「俺も、俺の親父や爺さんも――さらにはそのまた上の爺さんまでも。俺たちは本当にあんたにはとても世話になった」
    「ジョセフ……」
     こういうとき、いったいなんと言ってやったら良いのか。
     レノックスには何も思いつかなかった。
     だから時に自分はひどく鈍重で、とても気が利かぬものなのかも知れない、と――。
    「ああほら、またフィガロ先生が上手に羊を誘導したぞ。もうあんなに遠くまで飛んで。ああ見えて、あの先生も案外すごいもんだなあ。ずいぶんのんびりとした、気の優しいお医者先生にしか見えないんだけどな」
    「そういうものだろうか」
     ……それこそ。なかなかにひどく興味深い評価だと思う。
     これも彼の偉大なる北の魔法使いフィガロ様の別の顔と言ってしまえばそれまでだが、それでもたぶんきっとこの国の住民の多くは、このジョセフのように彼の本当にすごいところをまったく知らないのだから途轍もない。
     ざあっとひと際強い風が吹き抜けて、メエメエと群れ固まって山野を駆けていた羊たちの行く手をばさばさと深い草波のうねりが阻んだ。
     途端に、メエ、メエエ、とどこか不安そうな羊たちの細い鳴き声が遠い山の斜面に右往左往する。
    「……あ」
     青い海のように深く波打つなだらかな草地の上を、大きく弧を描いた彗星のように輝くまばゆいフィガロの箒が走った。
     踊る指揮者のタクトのような箒の軌跡が揺らめいて、そのまま右に左にと優雅に振れる規則的な動きにそれはすっと高くその手を掲げた。そうして、ポッシデオ、とまたひとつささやかな呪文の詠唱に、しなやかな指先をゆらりとおもむろに振るう。
    「ああ」
     どうやら何か魔法で上手く落ち着かせたらしい。
     群れて怯えて縮こまっていた羊たちの塊が、青い斜面の上、そのままくるりと緩やかに反転して、そんな真白の集まりが今度はとろとろと広がるようにしてゆっくりと穏やかに斜面を下りてくるのに感心した。
    「フィガロ先生……」
    「いやあ。なかなかのもんだな、あの先生も。これは立派な牧羊犬にもなれる」
    「犬。いぬ、フィガロ先生が……牧羊犬、に?」
     ざああっと青い草の海が深く嗤って、さやさやと祈りさざめくように鳴いた。
     飛ぶフィガロの動きはとても機敏ながらもどこか優雅で、深くやわらかな牧草がたっぷりと覆う緑の丘の上、くるりくるりと大きく巡っては風のように飛ぶ彼の、遠目に見てもなんだか楽しそうに見えるその横顔の眩しさをとても美しいと見惚れれば、急にひどく自分には難しい問題を手に入れてしまったような気がしてレノックスはどきりとした。
     遥かな青空の下、犬のフィガロの青い毛並みがふわふわとやわらかく瞬いて、そんな白い夏の光あふれる山の爽やかな風景に甘く靡く。
    「あんたたち魔法使いってやつは、いつだって楽しそうに空を飛ぶもんなんだな」
     山肌を駆け抜ける涼しい風にひらひらとはためく白衣の背は細く、ともすればどこか頼りなげな儚さにまるで消え入りそうな繊細さをも感じるのに。
     それでも犬と言われた従順な様相とは相反する強い彼の魔法使いとしての格は世界を圧倒し、辺りの空気を凛と冴え亘らせて、ざわざわとレノックスの周りでさざめく数多の南の精霊たちをも強く魅了してやまない。
    「……本当は分かっていたんだ。レノックス、あんたが俺や俺の幾代も上の先祖たちのことだって助けてくれたように。きっとあの先生もあんたと同じくらい長く、ずっとこの国で俺たち人間を見守ってくれていたんだなあってね。俺たちはみんなあんたたち魔法使いに感謝している。まあ。ああして無邪気に飛んでいるところなんかを見ていると、大先生もまるっきり可愛い犬っころみたいな若造なんだが」
     思わず目を瞠った。
     丘を走るフィガロの箒は颯爽と青い夏草の茂みを薙いで、そのままメエメエと元気を取り戻したかのように意気揚々と鳴く羊の群れを少しずつ、少しずつ、山の窪地に設えた小屋の方へと誘導している。
     ……それはもう、とても立派な牧羊犬さながらに。
    「ああほら、犬先生と羊たちが下りてきた」
    「はは。やっぱり先生は犬なのか。フィガロ先生が聞いたら、さすがに少し拗ねてしまわれそうだな」
    「まあ。あの先生もあんなにおっとりとした優しいお医者先生だが、たぶんあの人もまた、真実、あんたみたいに偉大な魔法使いなんだと俺は思っているよ」
     白い衣の上、彗星のような彼の箒の目も眩むほどのスピードに、フィガロのふわふわの青灰色の髪は風に揺らめき、キラキラと光の欠片を弾いて――まるで真白の雪の花のようでとても綺麗だ。
    「レノックス、長い間、この国の人々を助けてくれてありがとう」
     不意にジョセフの声が耳元で妙にはっきりと響く。
     気が付けば、よりいっそう深くレノックスの首元に迫りくる勢いで、いつの間にかその男は間近でじっとレノックスを見上げている。
     急にじわりと辺りの空気が冷えて、なんだかひどく不安な気持ちになった。
    「レノ。レノックス、こっちを向いて――“ポッシデオ”」
     凛と輝く声音が、さあっとその重い澱みの闇を払う。
     だから思わずはっと高く顔を上げれば、遠くの丘の上から羊を駆ってきたばかりのフィガロのきょとんとした呆れ顔が、いつの間にかひどく自分の近くにあって驚いた。
     ちょうどレノックスの頭の上、ふわふわと気まぐれな動きに飛ぶフィガロの箒が、相も変らぬ優美な仕草にふわりふわりと美しい青空を揺蕩っている。
    「フィガロ……さま……」
    「フィガロ先生、だろう。レノ。おまえさっきからひとりでいったい何をぼうっとしているんだ」
    「ああ。いえ、俺はただ……。先生、羊の誘導ありがとうございました」
    「いいよ。けどレノ。さっき、おまえ俺のことを犬とか言っていただろう」
    「え」
     フィガロがぱちんと小さく爪先を弾く。
     あ、と思う間もなく何かがレノックスの周りをキラキラと強く幾重にも取り囲んだ。そのまま彼は自身の手の中に己の箒をもすべて掌握して、ふ、とレノックスの隣に降り立った。
     途端にほこほこと深くやわらかく、この全身が胸の奥からとても温かくなってきたような不思議な感覚に包まれる。
     そのまま思わずぱくぱくと口を開いては閉じて。まるで突然陸に上がった魚のように不自然に、レノックスは急に高められた己の昂揚と荒い呼吸にひどく喘いだ。
    「せん……せい……」
    「おや。もしかして少し強かった? 大丈夫。ただの祝福と魔除けだよ」
    「フィガロ先生」
    「だっておまえ、ずっとその見えない何かと話しているんだもん」
     安易に魂と心の有り様を明け渡すな、と小さくつぶやく。
     細く美しい指先でつうっとやわらかくこちらの頬を撫でた。
     そうして“ポッシデオ”と再度それはレノックスの耳元に重く囁いて、ぬうるりとその強い不思議の力でレノックスの表も裏も――この身のすべてをその匂いと気配とで深く包み込む。
    「っ、先生……っ。ずっと聞いてらしたのですか。俺たちの会話を」
    「そうだよ。おまえがひとりでにこにこしていたり、急に不安そうな顔をしていたり。全部ちゃんと見てた――ついでに俺の牧羊犬デビューって話に、おまえがひどく神妙な顔をしているのにも」
    「は……。ええ、それ、本当に全部じゃないですか。先生」
     なるほど言われてみれば、たしかに先ほどまでの自分は妙に強くこの人の形に目を奪われてばかりで、これに心惹かれ、まるで絶え間なく続く彼への憧憬にうっとりとこの心と体のすべてで魅了されてしまったかのように。
     ひどく急激に。ただ深くこの人のすべてに惚れ込んで――。
    「ああ。ならばやはりこれはフィガロ様の魔法だったんですか」
    「ん、おまえが俺を犬って言ったこと? それともおまえがまるで犬のように俺に惚れて、俺だけに心酔するように仕向けて――ひいてはレノ、おまえの魂を掴もうとする悪鬼からおまえの心を離し、俺がおまえを守護してやったことについてかな」
    「そっちの方です……っ、フィガロ様」
    「フィガロ先生、ね。レノ」
     まるで悪びれぬ仕草にひょいと軽く肩を竦める。
     それから自身の後ろを振り返り、遠くやわらかな緑の野を点々と続いて下りてくる白い羊たちの影をひとつひとつ真面目な顔でカウントする。
    「いち、に……うん。ちゃんと全頭いるな」
     メエエ、メエエと機嫌よく近付いてくる羊たちの声もまたいつもと変わらない様子で、次第に大きくなってきた。
     それに従い何故か不思議と己の心の昂揚までもがゆったりと静かに落ち着いてくるのに気付いて、レノックスは深く息を吐く。
     そうしてぽんっとただひとつ、最後にこの背中をその優しい手に叩かれた瞬間、途端にすっとこの身がひどく軽く楽になって、自分が存分に大きく息を吸い、ただ心地良く解放されたことを知る。
    「フィガロ先生、俺は――」
    「ほら、すっきりしただろう、レノ」
    「はい。ありがとうございました、先生」
     見渡せばその変わらぬ夏の山の風景はどこまでいっても実に牧歌的で、ただ一つ違うのは、今はもうなんだかもろもろとあちらこちらが欠けた幻影のようになってしまったいつかの懐かしい知人が、少しばかり申し訳なさそうな顔をしてこちらを見ている、という今の現状だけで――。
    「すまなかったなあ、レノックス。俺はそんなつもりはなかったんだが。それでもあんたが、あんただけがまだ俺を見てくれると思うと。俺の中でもだんだん何かがおかしくなってなあ」
    「それにしてもまさかこの俺がおまえの犬だなんて。もしかしておまえの中での俺の地位が向上したのかな」
    「違います。そういうわけではありません」
    「そこはそうはっきりと否定するなよ、レノックス」
    「……レノックス。そこはそうはっきりと拒むもんじゃないだろう」
    「すみません」
     とりあえずそれなりによく喋るふたり同時に、右と左からわちゃわちゃと話しかけられているのは混乱する。
     特によく分からないのは隣のフィガロの様子だ。
     あるいはこれも今のレノックスの状況を見て必要なことだと判断してかも知れないが、とにかく今日のフィガロはやたらとよく喋るし、何故か隙あらば自分の頬やら指先やらに妙に頻繁に触れてくるな、などとどこか茫洋とした心地に思う。
    「レノ。おーい、ねえ。おまえ、俺の話ちゃんと聞いてる?」
    「はは。しかしこの先生は本当に、まったくあんたのことが大好きなんだな」
    「は……」
    「レノ。レノックス。ほら、ぼうっとしないで。ちゃんと俺の方を見て」
     ぐいと強く袖を引かれて我に返った。
     そうしてはっと隣を見やれば、再びなんとも言えない表情に顔を顰めたフィガロのどこか空恐ろしい鋭い瞳がじっとレノックスを見上げていてどきりとする。
     はっきりとは言わないものの、そのあからさまに気に食わないと表現された彼の面立ちを見るに、やはりまだ自分はとても危うい状況にあるのだと思う。……あるいは。この案外純粋で可愛らしいところのある人が……ただ従順な犬のように、ただ……今は。自分の。関心をその一身に引きたいのだと……したら……。
    「先生、すみません。俺はちゃんとあなたの献身に感謝しています」
    「……は?」
     そっと手を伸ばせば、思った以上にやわらかい子供のようなふわふわの髪がしっとりとレノックスの指先に絡んでくる。そこから、え、と驚いたように口籠る綺麗な顔立ちの白くて細い首筋に指を差し入れ、それなりに長身のフィガロの体をレノックスは自身の胸の中へとすっぽり抱き寄せて――よしよし、と。
     まるっきり愛おしい犬のあの子にしてやったのと同じ愛情を優しくそそぐ。
    「あなたはいい子です、フィガロ様。偉い、偉い」
    「レノ……おまえ、とうとう俺をおまえの犬と同位に」
     呆れたといった様子に細く呻く腕の中のフィガロが、なんとも言えない面持ちの色にただ自分を見つめてくるのをくすぐったく思う。そうして彼はとても困ったとばかりにすりりとこちらに身を寄せてくる傍ら、それでもどこか冷静にレノックスと――すでにこの身の内側に深く這入り込んでいるような気がするジョセフとの境界を見定めようと、その鋭い瞳で懸命にその厄介な何かを追う。
     やがて、そうやってただ一心にこちらの様子を窺っていたフィガロの思慮深い瞳がキラリと刹那、強く正しく瞬く。
    「“ポッシデオ”」
     かっと燃えるような熱が、突然レノックスの心に灯った。
    「っ、あ……フィガロ……せん、せい……っ」
    「ごめんね、レノ。あともう少しだけ我慢して」
    「ああ。またやっちまったなあ……先生、もしかしたら俺やあんたがこの大先生を犬呼ばわりしていたことに怒っているのかも知れないな」
    「ち、違う……ジョセフ」
     相反する体の末端は妙に凍えて震えるのに、それでもどこか激しく焼かれるような力に無理にこの心の奥が暴かれて、強く内側から矯正されていくような支配をかけられていくのがどうしようもなく恐ろしい。
    「ああ、あ……っ」
    「……ジョセフ? ああ。それはいつかの夏にこの山で亡くなった炭焼きだね。俺とおまえで看取った」
    「レノックス。あの日、俺は山であんたに見付けてもらったあと……死んで」
    「っ、フィガロ先生」
    「そうか。じゃあやっぱりそこから俺に道を示してくれたのはこのフィガロ先生だったんだな……先生は。魔法で。俺に祝福を与え、俺を天の国へと導いてくれた」
    「レノ。大丈夫だから。今はただ、俺だけを見ていて」
    「……っ」
     本当は分かっていた。
     この今のレノックスの激しく燃える心と体こそが幻想で、メエメエと穏やかで満ち足りた鳴き声にのんびりと群れる羊たちが何にも脅かされず、ただゆったりとふたりの足下まで呑気に駆けてきて戯れていられるのも。

     すべてが幻で。

     自分が見ているこの真白の炎こそが。
     今は亡き迷える魂を浄化する――神の救い、なのだから、と。

    「あ、っ……っ」
     不意に何かがぼろりと剥がれたような感触がした。
     だから思わずぎょっとして我が身をあらためれば、そこには常と変わらぬ――もっと言うなれば先ほどまでの自身とも露も変わらぬ五体満足な大きな男の体が、無様にもやわらかい草の上に転がっていて呆気にとられる。
    「フィガロ先生」
     相も変わらずレノックスの隣に立ったままであったフィガロの白衣の裾が、冷たい山の風にひらひらと白く眩しく翻っていた。
     じっと窺うようにこちらの瞳を覗き込んでくる偉大なる魔法使いの不思議な色をした虹彩が、キラキラとまるで無限の宙の色のように深く美しく、どこまでも強く透き通って輝く。
    「レノックス、調子はどう? だいぶ強引にやっちゃったから、今度こそもう大丈夫だとは思うけど。おまえも痛かっただろう、ごめんね、レノ」
    「いえ。ありがとうございました。フィガロ先生」
     うん、と鷹揚に至極当然といった様子に頷く。
     そうして今度こそほうっと深い安堵の吐息に辺りを見渡せば、メエ、メエとどこか心配そうにレノックスの傍らに寄り添い、濡れた鼻を押し付けてくる可愛い羊たちがもこもこと白い毛を揺らして執拗にすり寄ってくるのになんだか温かい気分になった。
    「よしよし。おまえたちも、少しびっくりしただろう」
    「メエ、メエエ」
    「まあ大丈夫だよ。たぶんおまえが見ていた幻ほどに強烈なものは、きっとこの子たちには見えていなかったはずさ」
    「ならいいのですが」
     こくりと小さく頷いた。
     山は青く、そろそろ日の傾きかけてきた空の青こそやんわりと穏やかな午後の色に微かに白んだ気もするが、それでも思ったよりまだ辺りも明るくとても心地良い好天の日であることに、なんだか不思議な思いになる。
     この窪地を中心に未だ点々とまばらに散らばった羊たちは呑気に草を食んで、その先のぽっかりと無防備にも開け放したままになっている小屋の軒下、よく眺めれば、その太くてまるい大きな指を所在なさげに体の前で組み合わせてうつむく馴染みの男の姿が見えて目を瞠る。
    「先生。あれは……」
    「ああ。おまえが言っていた通り、あれはジョセフだろう? 本人曰く、どうやらいわゆる“化けて出た”っていうやつらしい」
    「はあ」
    「たぶんもうそこまでの力はなさそうだけど、またおまえに取り憑きたくなるのが怖いから少し離れていたいんだってさ。そして驚くことに、今は何故か俺にもうっすらとだけ彼の姿が見える」
    「ああ」
     幽霊はもそもそと何かひたすらに恐縮だといった様子でぺこぺこと頭を下げて、その生前の最後にも着ていたであろう煤くれた炭焼きの服の裾をぎゅうと握り締めた。
    「先生……レノックス……俺は。俺はあんたにとんでもないことを」
     ふわりふわりと白い影が揺れる。
     そうしてぼうっとつぶやかれる彼の声音はそれなりに離れていても妙にはっきりとふたりの間近に響いて、だからその近くにいない男の声だけがまるでいつまでも自身の耳の隣、囁き続けているかのようで、視覚から入る情報との齟齬になんとも落ち着かない気分になる。
    「俺はただあんたにひと言、礼が言いたかっただけなんだ。あんたやフィガロ先生、この国の魔法使いたちに。俺たちはずっとたくさん助けられて、長くこの国で平和に生きている」
    「ジョセフ……」
    「レノックス、あんたが山で俺を見付けてくれたから。フィガロ先生が俺に祝福をくれたから。俺はこうしてちゃんと天の国に迎え入れられたんだ」
    「とか言っているけど、君、ここに降りて来ちゃったんだよね」
    「先生」
     さあっと丘を駆け抜ける涼しい風に、青く清々しい夏の匂いが運ばれてくる。
     男の幽霊はますます小さく恐縮し、なんとも言えない様子に困って、右往左往と落ち着きなく辺りを見渡した。
     首を掻き、鼻の頭を掻いて、なんだかしきりに自身の周りの色々にきょろりきょろりと目をやってから、最後にひとつ、それははあっと深いため息を零した。
    「山の天気が良かったからかもなあ。俺は。ふと気付いたらレノックス、あんたが今、このレイタでいったいどうしているのか恋しくなったんだ」
    「レノ。おまえ相変わらずモテモテじゃないか」
     いったいいつから里の無垢な女の子たちだけじゃなく、こんな無骨な山の男までをもおまえはひどく誑かしたりなんてするようになったんだ、などと。
     続けて妙に楽しそうに、それがひどくからかってくるのには深く呆れる。
    「……フィガロ先生」
    「なんだよ。だって本当のことだろう」
    「メエエ」
     はあと大きく脱力した。
     メエエ、メエエ、とまるでそんなレノックスの心情に賛同するかのような羊たちの声もまた、座り込んだままの自分の周りを幾重にも取り囲んで陽気に合唱する。
     そうしてじっと見つめればどうやら分が悪いと思ったらしい偉大なる魔法使いはくいっと不自然なほどにレノックスの強い視線から目を反らして、だって、だの、だいたいおまえは、だの。
     何やらもそもそとよく分からない言いがかりに、むう、と小さくむくれた。
    「たとえどんなに尽くしたところで。俺はいつまでたってもおまえの犬以下なのにさあ」
    「まだ言いますか、それ。フィガロ先生、いい加減にしつこいですよ」
     本当ならば、俺がモテるのがそんなに悔しいですか、とでも言ってやりたいところだが、きっと真にこの人が自分に言いたい事とはそういうものではないということも分かっているつもりなので、敬意をもってそれに譲って、レノックスはただ押し黙る。
     そのままそっとその美しい魔法使いの横顔を見上げて、レノックスはただ恭しく、この心の底から深く讃えるようにその手の白い指先へと静かに口付けた。
    「……少なくとも。今日は先生のお蔭で俺も羊たちもとても助かりました。すべてあなたの功績です」
    「ええー。おまえ、ここでそうやって急に俺を褒めるの。本当によく分からないな……」
     ちらりちらりと光のように瞬く青い髪の下、不意を衝いたレノックスの手に最上級の敬意をもってかしずかれて、何故か途端にらしくもなくほわんと赤くなったフィガロの瞳はまんまるで。
     だからなんだかこれはしてやったぞと思うレノックスの心は密やかに喜んで、そんなささやかな己の仕返しの趣向に小さく溜飲を下げた。
    「俺はいつだってあなたに助けられて生きています」
    「おまえ、そんな大袈裟な」
     そうして言葉を重ねれば重ねるほどに、次第にしどろもどろと挙動不審になる今日のフィガロの態様をとても面白いと感心する。
     掴んだフィガロの白い指先の肌もとてもやわらかで、さすがに大きな男の手らしくそれなりに細くがっしりと骨張ってはいるものの、やはり日々の力仕事に慣れた自分の手指とは明らかに違うこれはすべらかで美しい雪のような感触の肌だなと、また妙なところでひどく素晴らしい新しい発見をしてレノックスは感じ入った。
    「ちょ……れ、レノ。おまえ、そんな熱心に俺の指先なんて撫でて。なんか楽しい?」
    「ええ、まあ。それなりに」
    「……もしかして。おまえってけっこう俺のこと好き?」
    「ああ、はい。ただ……そうですね、やはり俺の犬よりは下ですが」
    「はあ~?」
     ざあっと大きな風が吹き抜けた。
     同時にフィガロは何かを言い返そうと口を開いてはぽかんと呆気にとられて、またどこか納得のいかない様子にじりじりと口を噤んでは、再びゆっくりとその唇を湿らせて。じっと己を見上げるレノックスの瞳を、きろりと鋭い視線に見据えた。
    「……レノ。おまえ」
    「はい」
     それでも何かを言いたい、いや、言い返すほどのことではない、という間のせめぎ合いをひたすらに自身の中で繰り返しているのであろうその大魔法使いの、いつになくひどく悔しそうな面持ちを見ていると、さすがに少し申し訳なくも思えてきて頭を垂れる。
     ……なんなら。もっと本当にちゃんと悲しそうな、寂しそうな顔をしてくれたなら。きっと自分はこのどうしようもなく尊大で、どこまでも不器用な人を抱き締めていた。
     だが――。
    「すみません、フィガロ先生。ちょっと言い過ぎました」
    「おまえまたそんな口先だけの謝罪に俺を誤魔化そうとして」
     ほわほわと群れる羊の波に揺られるレノックスの傍ら、同じくそんなふわもこの毛の塊に足をとられたフィガロがやがてすとんと諦めたようにしゃがみ込んだ。
     そうしてその自分と彼との会話のすべてをうっそりと眺めている男の幽霊の方へ、ちらりとだけ目を向ける。
    「それでレノ。おまえはあのジョセフの幽霊をいったいどうしたらいいと思っているんだ」
    「……そうですね。俺は」
    「なあ。フィガロ先生にレノックス、あんたたちは本当に仲がいいんだな。俺はこうして死ぬまで、この大先生がこんなにも無邪気で懐っこい人だとは知らなかったよ」
    「まあ。たしかにフィガロ先生にはたまに可愛いところがあるからな」
     つい、ぽんと大きな声でひどくあっけらかんと答えてしまった。
    「可愛い。そうか。あのフィガロ先生が……可愛い、か。はは、レノックス、あんたはやっぱり大物だなあ」
     途端に隣で大きく目を瞠った偉大なる魔法使いの、まったく信じられないといった様子の困惑した表情に申し訳なさを覚える。
    「ほ~ら~、レノ。おまえのせいで俺の優しくてとても頼りになる格好いい先生のイメージが台無しじゃないか……ってそうじゃない。いやおまえ、なんで俺とじゃなくてあっちと会話してるの」
    「……ああ。すみません。つい」
     ぐいと強くレノックスの腕を引いて、そのままフィガロ自身の口元へとこちらの耳を引き寄せる。
     こそこそと耳元に囁きかけるフィガロの吐息も熱く、なんだかどことなく不安そうで。どうやらまだ自分はこの人に何か今もひどく心配されているようだ、と遅ればせながら気付く。
    「フィガロ先生。俺は」
    「ついじゃないよ、レノックス。それでおまえ、さっきはまんまとあの幽霊の不安定さにつけこまれて、危うく取り憑かれるところだったんだぞ」
    「ということは。つまりまだ俺は今もあのジョセフの霊の力の影響下にあるのでしょうか……」
    「いやまさか。俺がそんな片手間の仕事に慢心するわけないだろう」
    「まあそれもそうなんですけど」
    「……たぶん、それだけあいつのおまえに対する執着が強いんだろう」
     だから本当に。
     おまえは罪な男だよ、と。
     何故かいつになく脱力した様子で囁くフィガロの、ひどく弱り切った横顔にどきりとした。




     それからレノックスがフィガロとふたり、話し合った作戦はこうだ。
     ひとつにはまず、あの憐れな幽霊のジョセフに下手な同情心を持たぬこと。
     そうしてもうひとつ――もともとは決して厄介な霊などではない炭焼きの男が、惑い、堕ちぶれて悪しき魂へと変質してしまう前に。再びレノックスの協力とフィガロの魔法とで、本来彼の心のあるべき場所へと導いてやること。
    「……まあ。そうは言っても、これも一筋縄では行かぬ荒業なんだけどね」
    「はい。それにフィガロ先生のご負担ばかりが多分に重くなってしまうことが気になります」
    「仕方ないだろう、レノックス。おまえはあのジョセフに強く執着されているし、どうもまだ少しおまえは時々ぼうっとしたりして。十分に取り込まれそうなんだから」
     もこもことふたりの傍に寄り添い集った羊たちの向こう、未だぼんやりと何をするでもなく立ち尽くす煤けた男の影にちらりと目を向けた。
    「やれやれ。しかしなんだかやっぱり、俺にはいまいち彼の姿がはっきりとは見えないんだよね……」
    「はい。なので俺があなたを誘導するんですよね」
    「そう。けど大丈夫かなあ……レノ、あのジョセフはまだそう悪いものには成り下がっていないみたいだけど、ちょっと危ういってことは、おまえももうちゃんと理解してるね」
    「はい。大丈夫です、フィガロ先生」
     こくんと力強く頷く。
     隣でメエエと鳴く幼い子羊が、すりりとそんなレノックスの胸元に甘えてすり寄った。
    「……俺が中途半端に情をかければかけるほど、ジョセフは永遠に迷って戻れなくなってしまうんですよね」
    「そういうこと」
     でもなあ、おまえは一度懐に入れた相手に対しては本当に甘いところがあるから心配だよ、などと。
     それこそつい、むしろそういう心配な気質でいらっしゃるのは、俺よりもフィガロ先生ご自身の方では、とでも口を挟みたくなるようなことを言われるから複雑だ。
     メエ、メエエと太く鳴く羊たちの声も妙な盛り上がりを見せて、まるで彼らがそんなレノックスの内心に秘めた想いに賛同してくれているみたいだ。
    「レノックス。なあ、どこに行ってしまったんだ。頼むよ、どうかまた俺と話をしておくれよ。先生とあんたの仲がいいことも分かったから、今度はちゃんとフィガロ先生も俺と一緒にここにいよう」
    「……ご指名ですね、先生」
    「馬鹿言うなよ。ますます悪いじゃないか。今はまだ、どうにか俺の魔法で目眩ましをかけているけど、このままじゃあっという間に荒野の悪霊にでも真っ逆さまだ」
     はあ、と重いため息に嘆く仕草で嘯く。
     そうしてすぐさま気を取り直し、ポッシデオ、とひと言、祝福の魔法を追加する。キラリ、キラリと瞬く温かな光がくるくるとレノックスの全身を駆け巡って、それは一瞬にして熱くやわらかな幕となって広がり、見えない光のベールでただすっぽりとそのとても大きな羊飼いの男の体を包み隠す。
    「念のため。おまえにはもう一回祝福の魔法をかけておいた。……取り込まれるなよ、レノックス。じゃあ行こうか」
    「はい」
     ぎゅっとこの手に強く握り締めた鍵が熱い。
     いつかの夏、共に駆け抜けた犬の背を夢中で追ったように。
     今はただレノックスの目を頼りに、レノックスの指示だけを信じて、そんな迷える子羊となったかつての友を導く神様みたいな魔法使いの力が、レノックスの隣、ただひとつの天の国へと向かって続く光の道標となるべく、燦然と輝いている。
    「さあ、レノ。今日の俺はおまえのための優秀な牧羊犬だよ。ちゃんとおまえの指示に応えて上手くやれたら、そのときはレノックス、俺をいっぱい褒めてたくさん労えよ――“ポッシデオ”」
    「えっ」
     まるで本当に犬のようなことを言うから目を瞠る。
     だからそんなキラキラとまばゆい光の軌跡を描いて飛び立ったフィガロの箒の、一瞬にして小さくなっていく細い背中だけをレノックスの瞳は必死に捉えて――それこそ。ならばフィガロ先生がご自身でそう仰るように、すべて終わった今宵の晩餐には、きっと自分はいっぱいこの人を撫でて甘やかして可愛がって、最大の花丸をあげなければならないな、などと。
     ひどく不遜に、ひとり想った。







    Tap to full screen .Repost is prohibited
    ☺☺☺☺☺💒☺☺☺💖💖💖😭👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏💞👏💞👏👏👏👏😭👏
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    related works

    recommended works