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    三十年後のミスルンの誕生日を二人で過ごす話

    歳月流るる如し「またお前と年の差が開いたな」

     さり、と目元の皺をなぞられながらそんなことを言われた。ちょうど今しがた日にちが変わり、彼におめでとうございますと言ったベッドの上で。こうして彼の誕生日を祝うのも三十回目だ。最初の数年は彼とはこんな仲ではなかったので、一緒に食事をしたりちょっとした贈り物を渡したりしていたが、恋人となってからは一日を共に過ごすようになった。照明の淡い光に照らされた彼の姿は昔とこれっぽっちも変わっていないが、過ごした年月は確実にカブルーへと刻まれている。豊かな黒髪には白髪が混じるようになったし、人々を魅了してきた瞳の下には今は深い皺が浮かんでいた。カブルーとしては貫禄と愛嬌を兼ね備えた良い年の取り方をしたと満足しているのだが、この長命の恋人からみたら思うところがあるのかもしれない。

    「一月もしないうちにまた元に戻るじゃないですか」
    「ああ、そうだな」

     耳元へと顔を寄せた彼がくすくすと小さな笑い声をこぼす。この三十年で彼の感情は随分剥き出しとなった。今のこの人は結構分かりやすく拗ねるし、嫉妬だってする。そして愉快なことがあると控えめな笑みを浮かべるのだ。機嫌が良さそうだな、とカブルーは髪を悪戯にかき混ぜ始めたミスルンに身を任せた。白と黒が混ざった髪は、無造作に混ぜられたせいで人前には出れないような有様にされてしまった。すっかりくしゃくしゃに乱れてしまったその頭にミスルンが鼻を寄せてくる。

    「……そこで呼吸するのはやめてもらっていいですか。流石に匂いが気になる年頃なので」
    「別に変な匂いはしないが」
    「恥ずかしいんですよ!」

     もうカブルーはいい年した男なのだ。義母に頭を吸われていた時分のような扱いをされると照れくさい。慌てて彼から少し身を離すと、不満げに口を曲げられた。

    「誕生日なのだから私の好きにしてもいいだろう」
    「それはそうですけど……」
    「大人しく私の物になっていろ」

     この人、年を取るごとにどんどん我儘になってくな。そのことは喜ばしいが、彼の我儘に付き合わされる身としては素直に喜んでよいものか。わちゃわちゃと頭を撫でられながらそんなことを思った。
     こうして頭を撫でられていると子供の頃に戻ったようで複雑な気分になる。もう老齢に差し掛かっているというのに。この人から見たらまだ子供同然なのかもしれないが。

    「子供扱いしないでくださいよ」
    「恋人扱いをしている」

     頭を撫でていたミスルンの手がカブルーの頬へと滑り落ちた。皺の一本一本を確かめるようになぞられる。

    「……お前も年を取ったな」
    「皺のある俺は嫌ですか?」
    「馬鹿なことを聞くな」
     
     ぐいっと頬を引っ張られる。痛いと抗議するとすぐに力を緩められたが、先程の発言を咎めるように鋭い目つきで睨みつけられた。

    「怒らないでくださいよ」
    「怒っていない」

     嘘だ。あからさまに機嫌が悪くなっている。先ほどの上機嫌はどこへやら、少しムッとした顔になった彼はまたもやカブルーの髪を混ぜ始めた。そんなに触られると毛根が心配になるから控えて欲しいな、と思いつつも機嫌を取るため彼の好きにさせる。そして何分経ったのか、カブルーの巻き毛に指を絡ませて遊んでいたミスルンの手がふと止まった。

    「どうかしましたか」
    「どうもしていない。ただ、お前に出会ってから随分時が経ったのだということを噛みしめていた」

     ミスルンの黒い瞳がカブルーを映す。歳よりは若く見えるが、それでももう若いとは到底言えないトールマンの男がその瞳に浮かび上がっていた。
     三十年だ。この人と出会い、誕生日を祝った年月はそれだけ過ぎ去った。カブルーとミスルンがこうしてまた共に誕生日を祝えるのは残り何回だろうか。発展したメリニではトールマンの平均寿命はかなり延びたが、それでも八十まで生きたら長生きな方だ。カブルーももう五十を越している。
     カブルーが何か言葉を返す前に、ミスルンはこれから秘密でも打ち明けるかのように、ゆっくりと深い呼吸をした。彼の肺に空気が満ちていく音がした後、掠れた小さな呟きが部屋に零れ落ちる。
     
    「いつかお前との年の差が開く一方になる日が来るのだと思うと、胸が苦しくなる」
    「それは……」

     どうしようもないことだ。カブルーの寿命は恐らくあと三十年もなくて、彼の寿命はあと百年以上もある。種族差による寿命の問題は埋まらない。それこそ、マルシルのように全種族の寿命を統一することを求めるしかない。けれども、もうこの世界には悪魔はいない。

    「お前のこの髪も瞳も匂いも、全てが過去のものになる」

     その日が来るのが恐ろしい、とは声に出さなかった。しかし、その噛みしめた唇が、震える睫毛が、雄弁に物語っていた。ほんの少しばかり震えた手がカブルーの頬に触れる。

    「お前が満たしてしまったから、私は失うことを恐れるようになってしまった」

     酷い男だと詰られる。けれども、その言葉には確かに甘えが含まれていた。カブルーは彼の身体を抱き寄せて、自身の胸元へとしまい込んだ。きっと彼の耳には早鐘を打つ自身の心臓の音がよく聞こえているだろう。

    「少なくとも今は生きていますよ」
    「……慰めのつもりか?」
    「違います。今生きている俺に目を向けて欲しいだけです」

     ほら、少なくとも今はぴんぴんしてますよ、と彼に微笑みかける。その言葉を受けたミスルンの眉間にぐっと皺が寄った。適当な言葉で誤魔化すなと言いたいのだろう。あははと誤魔化すように笑ってから銀の髪に手を差し込んだ。

    「俺が死んだ後も三食食べて、しっかり寝てくださいね」
    「…………」
    「返事をしてください」
    「……うん」

     ぐっと胸板に頭を寄せられる。そのままぐりぐりと頭突きでもするかのように頭を押し付けられるものだから、くすぐったさと痛みに身を捩った。離れようとするカブルーの背中にミスルンが手を伸ばす。その手は、もう震えてはいなかった。

    「朝食に何か食べたいものはありますか?」
    「お前が作ったものなら何でもいい」

     そう言ってミスルンは目を閉じた。ほどなくして安らかな寝息が聞こえてくる。カブルーは、頬にかかっていた銀の髪を払いのけ、彼の未来が平穏であることへの祈りを込めて白い頬を撫でた。
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    Dk6G6

    DOODLEカブルーがミスルンにマッサージするだけの話
    未来永劫、貴方だけ目と目が合った瞬間、カブルーは自分が幻覚を見ているのではないかと真っ先に思った。だから瞬きを何度かしてみたけれども視界の景色は全く変わらない。一度視線を逸らし、もう一度焦点を合わせてから見ても無駄だった。数メートル先ではいつも通り泰然とした様子のミスルンが立っている。これが城や街中ならカブルーはいつも通りにこやかに声をかけただろう。
     しかし、今の彼の立っている場所が場所だ。視界を少し上に向けると、彼が出てきた店の看板が堂々と掲げられている。マッサージ屋と謳われているそこは、いわゆる夜のお店だった。歓楽街の中心地に健全なマッサージ屋などそうあるものではない。それにマッサージ屋とは書かれていても、その店の外観に張られているポスターや雰囲気を見れば、通常のそれでないことは一目瞭然だろう。そんな店からミスルンが出てきた。幻覚を疑ってもしょうがない。だって、彼に性欲などないはずだ。通常の男の知り合いがこんな店から出てきたのならカブルーは相手の性格によって軽く揶揄ったり、逆に見なかったふりをする。知り合いに性を発散しているところを見られたら、誰であれ多少気まずさは生じるだろう。でも相手はミスルンだ。羞恥心もないし、性欲もない。
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