十代目黒龍の日常「ボス、ココ。今日の昼飯はあそこがいい」
イヌピーが自分の食いたいもんを言うのは珍しかった。
食にあまり頓着がなく、なにが食いたいか聞けば高確率で「なんでもいい」と返ってくるのが常だ。そのくせ好き嫌いは多くて自分の好きなもんだけ好きなだけ食うから残りを毎回オレが……いや今それはいい。なんにせよ、イヌピーが自分の食いたいもんを言うのは珍しかった。
だからオレは物珍しさにおっと声を上げ、それはきっと大寿も同じだったろう。でもイヌピーが指差したその先にある店を見て、興味深そうな顔をする大寿の横で、オレはぎょっと目を見開いた。
ラーメンだと!?
「へえ。乾、オマエがラーメン食いたがるなんて珍しいじゃねえか」
「そうか? まあ……確かにそうか」
「だがあそこはやめとけ。前に食ったがクソ不味かったからな。ラーメンならほかにいいとこがある」
「わかった」
いや待て!
オレは心の中で叫んだ。和気あいあい(そうか?)と話す大寿とイヌピーをなんとかして引き止めたくて、オレは必死に頭を回転させた。ラーメンが問題なんじゃない。ラーメンは美味い。
問題なのは、オレとイヌピーが着ているこの服。
不良が見た目から憧れるようにデザインやシルエットを作った、裾袖から襟元まで『真っ白』な特攻服だ。
(イヌピーはぜっっっっっ……てぇスープをはねさす!)
間違いない。長い付き合いだからわかる。普段のイヌピーは表情の変化も口数も少ないせいか下っ端のやつらはクールでどっしりしてるなんて勘違いしてるのも多いが、ほとんどは単にぼーっとしてるだけだ。飯を食う時も同じ……手に持って食べるカップヌードルですら白い服着てシミ作ってんのに、普段食べ慣れない店のラーメン?
そんなのフラグでしかねえ!
(だがどうする……? 「スープはねさすからやめとけ」なんて言ったらイヌピーはむっとして意地でもラーメン食いたがるからな……)
普段はぼーっとしてるくせに、イヌピーは案外カッとなりやすくて喧嘩っ早い。それはつまり負けず嫌いってことで、ガキ扱いすれば面倒なことになるのは確実だ。このままラーメン食って解散なら最悪シミをつけたっていいが……午後は集会がある。大寿の横に立つ特攻隊長の特服に、返り血らしかぬラーメンのシミがついてるなんてサマにならねえ。
しかもスペアはクリーニング中。……仕方ない。
「ボス。イヌピー」
「あ?」
「どうしたココ」
「ラーメンより定食じゃダメか? 下のやつらが美味いとこ見つけたってこの前言っててさ……場所もこのすぐ近くだ」
大寿とイヌピーが顔を見合わせる。0.2秒ほどの間があって二人はすぐ、
「ダメだな。もうラーメンの口になっちまった」
「ああ。今日はラーメンを食うって朝から決めてた」
と口を揃えた。あーもうだめだ。この様子じゃオレがなにを言っても無駄。つーかイヌピー、朝から食いたかったんならその時オレに言えよ。そしたら対策もできたのに。つーかその急すぎるラーメン欲はなんなんだよ。
「……了解」
とりあえずニコッと笑っとく。オレの気苦労なんて知らないでこの二人。
「ボス。そのラーメン屋ってのはなにが美味いんだ」
「醤油豚骨が看板だが美味ぇのはネギ味噌だな。焼豚味玉ねぎ増しにしろ」
「ネギは好きじゃねえんだが……」
「いいから食え。犬みてえなこと言いやがって」
「じゃあネギはココに食ってもらう」
「それじゃただの味噌だろうが」
普段必要以上に喋ったりしねえくせに、ラーメン談議に花を咲かせている。つーか当然のようにオレにネギを押しつけんなよイヌピー。
ああ本当に、オレの気苦労も知らないで。
*
イヌピーの単車のケツに乗せてもらってラーメン屋に向かっている途中、オレはあることに気がついた。紙エプロンの存在だ。今の時代女が一人でラーメン屋に入ることも多い。紙エプロンを常備している店も増えてきた。それをイヌピーにつけさせれば、万が一スープがはねても問題ない。
そう思って店に入って注文してすぐイヌピーに紙エプロンのことを言ったのに、
「ンなみっともねえもんつけさせんな!」
と大寿にキレられた。は?
いやわかる。確かに特服着て紙エプロン。サマにならねえ。ダセェのは理解できる。だが大寿、イヌピーとラーメン食ったことねえオマエは知らないだろうが、イヌピーは本当に食うのが下手なんだよ!!!!!
「ココ。オレはそんなもんいらねえ」
いやいるだろ。どの口がそんな自信満々に言えるんだよ。さては自分が食べるの下手って記憶が飛んでるのか? イヌピーとラーメン食うと面倒だし気が散るから、なるべく避けて通ってきたことがここにきて仇になるなんて……。
「……わかった。でもイヌピー、気をつけろよ。れんげに乗せて食えばそうそうはねねえから……」
「……いや、めんどくせえ」
はい言うと思った。
「ハハハハッ! ココ、オマエそんな心配してんのか? ラーメン食うのに女みてえなやつだな」
「うるせえよ……」
はあああ、と額に手を当ててうなだれる。なんでラーメンひとつで普段の交渉より疲れなきゃならねえんだ。バカじゃねえのか。
案の定イヌピーはラーメンが出てきてひと口目で汁を特服にはねさせて、オレの「あ”ーーっ」という声が店に響いた。その横で大寿もはねさせてガンギレしていた。ああだから言っただろ。だから言っただろ! つーかなんでオマエもはねさせてんだよ大寿。
*
「あーもうスープねえな。おっさん新しいのおかわり。次は豚骨で」
「……ココ。オマエまだ食うのか?」
「疲れたら腹減ったんだよ」
「喧嘩もしてねえのになにに疲れてんだ」
「いいだろ別に」
「なにキレてんだよ。つーかその細い体のどこに入ってんのか毎回謎だな」
「オレは食っても太らない体質なんだよ。つーかボスだっておかわりしてるだろ」
「オレとオマエじゃ体格が違うだろうが」
「暇だ……」
「イヌピーはメンマつまんで待ってろ」
特服は急いでシミ抜きしたらなんとかなった。
(十代目黒龍の日常)