覚悟があるのなら(ハンリ) 月明かりが眩しい夜だった。
私とリヴァイは二人して、酒場から兵舎に帰る道を歩いていた。
年末の慰労会である。104期をはじめとする部下達は、まだ店で騒いでいるだろう。兵士たちは明日から皆、年末年始の休暇に入る。
「リヴァイ、大丈夫かい?」
隣を歩くリヴァイの顔を覗き込むようにして、私はそう声をかけた。
「あ?何が」
「インクで擦ったんじゃないかってレベルの隈だよ、目の下」
そう言うと、リヴァイは黙ってそっぽを向いた。
その日、リヴァイはいつにも増して悄然としていた。
と言っても、リヴァイなりに取り繕ってはいたし、リヴァイは平素からどことなく悄然としているので、誰も気付きはしなかっただろう。
この男のこういった微細な変化に気がつくのは、エルヴィン亡き今、もはや私だけだ。
夜の町並みに人気はなかった。
月光に照らされた石畳の道を、リヴァイと二人とぼとぼと歩く。
少し行くと、十字路の中心に噴水があって、その道の脇にいくつかのベンチが並んでいる場所に出た。
「ちょっと休んでいかないか。少し飲み過ぎた」
リヴァイは私を横目で見て舌打ちをすると、ベンチの一つに近寄ってどかりと腰を降ろした。
私もその隣に座る。
やたらと装飾的な意匠の噴水の上に、真円の月がぽかりと浮かんでいた。
「綺麗な月だねえ」
私がそう言うと、リヴァイは空を見上げて目を細め、「ああ」と答えた。
月を眺めるリヴァイの横顔を見る。
そもそも白いリヴァイの肌が、月明かりの下では更に青白く見える。
漆黒の艶やかな睫の先が、月光を受けて青白く輝いていた。
視線にはいつものような覇気が無く、やけに弱々しく、儚ささえ感じられる。
小さくて形の良い唇は薄く開いている。その濡れた唇の間から、白い歯が少しだけ覗いている様が、やたらと艶かしく感じられた。
私は息を飲んで、慌ててリヴァイから目を逸らした。
三十代も半ばを過ぎたおじさんに対して、儚いだの艶かしいだの、我ながらどうかしている。本当に飲み過ぎただろうか。
「疲れてる」
私が煩悶している横で、リヴァイが気の抜けたような声でぽつりとそう言った。
「あ?ああ...、忙しかったもんね、最近」
「ああ」
リヴァイが弱音のような言葉を吐くのは、ひどく珍しい。
「どうも近頃、無理が利かねえ」
リヴァイは静かにそう言って、軽く俯いた。その拍子に、リヴァイの耳の辺りの髪が一房、さらりと目の横に落ちた。
目が髪で隠されたことで、リヴァイが下唇を噛む様子が、やけに強調されて見えた。
見てはいけないリヴァイの姿を見ているような気がして、背徳感に近い奇妙な感覚に襲われる。
歪んだ喜びを含んだその感覚を払拭しようと、私は小さく咳払いをして、極力明るい声で言う。
「流石の君でも、寄る年波には勝てないか」
「それもある」
「他に何か理由があるのかい?」
「......あいつが死んでから、特に無理が利かなくなった気がする」
──エルヴィン・スミス。
私は空を見上げた。
リヴァイにとってエルヴィンは、絶対的な信頼の対象であり、無二の盟友でもあった。支柱を失ったようなものなのだろう。
私にとっても、それは同じなのだが。
私が細く溜め息をつくと、リヴァイの力無い視線が、ゆっくりと私を捉えた。
「目は」
「ん?」
「左目は、もう痛まねえのか」
少し上目遣いに、リヴァイが私を見ている。その目の縁の粘膜の赤さが、やけに目を引いた。
リヴァイの両手がゆっくりと、私の顔に向かって伸びてくる。
丁寧に眼鏡が外されて、そしてリヴァイの指先が、眼帯の上からやんわりと左目を触った。
ほとんど本能的に、私はそのリヴァイの手を握った。
視線が絡む。
弱々しく頼りないリヴァイの目は、まるで傷つき疲れた少年のそれのように見えた。
庇護欲と加虐心が、同時に刺激される。
ぞくぞくと背筋が粟立った。
この男をこんな風に扇情的だと感じたことは、これまで一度たりともなかったのに。
そして、ふと奇妙な直感に囚われる。
リヴァイはきっと、今まではこの顔を、エルヴィンに見せていたのだろうと。
私は手を伸ばして、リヴァイの頬に手の甲で触れた。
リヴァイが私から視線を外し、俯く。
「帰る気がしねえな」
そして、囁くようにそう言った。
だから私は、リヴァイの頬に添えた手を滑らせて、その艶やかな黒髪を、ゆっくりと梳くように撫でた。
そして少しだけリヴァイに顔を近づけて、極力優しい声で訊く。
「どうしたい?」
再び視線を上げて私を見たリヴァイは、ひどく幼く、そしてどこか陰のある顔をしていた。
「私は構わないよ。君に......」
私はリヴァイの耳に唇を寄せると、吐息混じりの小さな声で言った。
「覚悟があるのなら」