覚悟があるのなら(リハ) 無性に、寂しかった。
虚しいと言った方が正しいだろうか。
あるいは悲しいのかもしれない。
分隊長時代に集めに集めた巨人に関する物品。未練がましく手元に置いていたそれらを、私は今日、物置部屋に仕舞い込むことに決めた。
団長に就任し、分隊長の執務室から団長室に引っ越しをする時、大方の物は片付けた。しかし、どうしても手元に置きたい物品が、大きな木箱二つ分、残った。
何かと来客の多い団長室に置くのは憚られたので、私はそれを寝室の片隅に置いた。
寝る前に少しくらい、眺める時間が取れるだろう。
そう思っていた。
しかし、それが希望的観測だったことを思い知るのに、時間はかからなかった。
近頃は、一向に開けられることのない木箱が視界に入る度、悲しみとも怒りとも焦りともつかない、えもいわれぬ気持ちになるようになった。
だから、奇跡的にまる一日の休みが取れた今日、私はそれらを、目に触れない所へと追いやることにしたのだった。
大きな台車にどうにかこうにか木箱を乗せて、物置部屋まで運んだ。
階段を下りるのに、酷く骨が折れた。
物置部屋の据わりのいい位置まで、木箱を引きずって置いた。
数々の物品に紛れて、私の木箱が鎮座する。
寂しく埃っぽい物置部屋の中で、この子は物に紛れて埋もれていくのか。
そう思うと、溜め息が少し震えた。
木箱の蓋を、そっと撫でる。
また、迎えに来てやれる日が、来るだろうか。
きっと来ないだろう。
そんなことを思う。
──駄目だ。去ろう。去らねば。
そう思った。
私は頭を振ると木箱に背を向け、のろのろと扉まで歩を進めた。
そしてドアノブに手をかけようと、右手を持ち上げたところで、動けなくなった。
ノブを回して、扉を開けて、部屋を出る。
部屋に戻って、酒でも飲もう。
まだ昼日中だが、今日は休みだ。許されるだろう。
そう思っても、動けない。
背後から、私を引き止める気配を感じた。
重く、強く、寂しい気配だ。
「ああ、もう、畜生」
私はそう呟くと振り返り、木箱に歩み寄った。
「最後だ。これで最後」
自分に言い聞かせるように声に出してそう言ってから、どかりと腰を下ろして蓋を開ける。
一番上には、分厚くボロボロのノートが入っていた。
壁外調査の度に巨人の情報を収集し、手帳にまとめ、それを清書したノートだ。
手に取り、捲る。
『ツガイの巨人』『歌う巨人』『片足飛びをする巨人』『木に体当たりする巨人』
全ての巨人を、鮮明に覚えている。
彼らに出会った日が、まるで昨日のことのようだ。
この巨人は、ミケが討伐した。
この子は、ゲルガーとリーネが。
この子はスケッチに気を取られたモブリットを食べかけたんだ。あれは危なかった。
そんなことを、一つ一つ思い出す。
皆がまだ、生きていた。
涙が一粒ノートに落ちて、じわじわとインクが滲んだ。
ああ、不味い。
慌てて袖で拭き取ると、滲みは更に広がって酷いことになった。
「──何だよ、もう」
そう一人ごちて、私は溜め息をついた。
その時、がちゃりと扉が開く音がした。
驚いて振り返ると、そこには何冊かの本を抱えたリヴァイの姿があった。
「何してる」
そう言いながら、リヴァイは奥にあった箱に歩み寄り、蓋を開けて本を仕舞った。
「......その箱は、エルヴィンのだね」
ここは主に、幹部が集めた資料や本が置かれている。エルヴィンの物も、ここにある。
「本を借りてた」
「そう」
泣き濡れた私の顔を見て何を思ったのか、リヴァイが目を細める。
ふつふつと羞恥心が込み上げて、私は顔を伏せた。
「......その箱はお前のか」
リヴァイが顎をしゃくって、私の箱を示す。
「ずっと、寝室に置いてたやつさ。巨人の資料とか、色々入ってる」
「......仕舞うのか」
「うん。見る時間、もう無いしね」
私は手に持ったノートの文字列を、人差し指でなぞった。
「最近は、この箱が目に入ると、辛くなってきてしまった。だから」
リヴァイは少し俯いて、小さな声で「そうか」と言った。
そして、私に歩み寄ると、私の手からひょいとノートを取り上げて捲った。
「懐かしいな」
「だろう?忘れられない子ばかりだ。今思えば、巨人にされる前の、人だった頃の習慣や癖が、巨人の個性を形作っていたんだろうね。いわば人だった頃の残り香だ。そう思うと興味深いのが、そのツガイの巨人だ。覚えてるかい?君と一緒に──」
リヴァイは私の頭に手をぽんと乗せると、ノートを閉じて箱に仕舞った。そして蓋を閉じると、ひょいと箱を抱え上げた。私は数センチ持ち上げるのでいっぱいいっぱいだった箱が、まるで空箱である。
リヴァイはそれを台車に乗せると、「こっちもか」と聞きながら、もう一箱も持ち上げた。
「待てリヴァイ。一体何を」
「俺の部屋に置く」
リヴァイの言葉に、私は思わず、目を見開いた。
そんな私をよそに、リヴァイはもう一箱を台車に置くと、台車の押し手を持って「行くぞ」と言った。
「いや、でも、邪魔になるよ」
「俺の部屋はお前の部屋ほど物がねえ。角に置いときゃ、邪魔にならねえ」
「埃っぽいよ」
「掃除する」
また涙が、じわじわと溢れてくる。
「......入り浸ってしまうかもしれないよ、君の部屋に」
「別にいい」
「夜だって泊まり込むかもしれないよ」
リヴァイは部屋の扉を開けると、台車を押して私に背を向けた。
「......別にいい。覚悟があるならな」
そう言ったリヴァイの頬は、いつもより少し柔らかく緩んでいるような気がした。
「......何の覚悟だよ。リヴァイのエッチ」
そう呟くと、私はリヴァイの背中を追って、物置部屋を後にした。