髪紐の行方 モニカ・エヴァレットは真剣な面持ちで露店を見つめていた。大きな声を張り上げ、商品を見せびらかす背の高い店主はまさにモニカが苦手としている人間だ。それでも、モニカはおそるおそるお店に近付いて、なんとか話しかけようとする。指をこねる小さな少女に店主は目をぱちくりさせて声をかけてきた。
「どうした?嬢ちゃん。なんか欲しいもんがあるのか?」
「あ、あのっ……その………」
息を整えて、モニカはぎゅうと顔をしかめて、お腹から声を出す。
「かっ、髪紐を見せてください!」
思わぬ大声にぽかんと口を開けた店主の露店には煌びやかなアクセサリーが並んでいた。
眉を顰めながらモニカは髪紐を見つめている。その真剣さたるや、まるで魔術式に向き合う時のようだ。髪紐を穴が開くくらい見つめたモニカはうんうん悩み出す。
これが、自分用のものならばモニカもこんなに悩まない。ラナが言ってくれたように可愛いものを選ぶ練習だと思えばいいのだから。
けれど、今回モニカが選ばなければならない髪紐は自分のものではない。――シリルに渡すためのものだった。
もうすぐ、シリルの誕生日がくる。アイクがプレゼントの準備をしていたので誰宛か問いかけたモニカはシリルの誕生日を知ってしまったのだ。
モニカはあまり記念日に頓着しない。引きこもっていた頃は日付の感覚もなく、誕生日のことも義母からの誕生日カードが届くまですっかり忘れてしまう始末。
けれど、ラナから誕生日プレゼントをもらった時、モニカは飛び上がりそうになるくらい嬉しかった。今でも、引き出しの中には彼女からもらった巾着を大事にしまい込んでいる。
シリルには学園時代も、共同研究でもたくさんお世話になっている。日頃の感謝を込めて、何かを送りたい。そう決心したものの、モニカはシリルに何を渡せばいいかわからなくて愕然とした。
シリルが好きなもの、と考えて真っ先に思いつくのは殿下――すなわち、アイクのことだった。さすがに彼をプレゼントにはできない。他には何かあっただろうかと頭を捻っても何も思い浮かばなくて、モニカは落ち込んでしまった。
一緒にいても、モニカはシリルの好きなもの一つ思いつかない。彼が喜ぶプレゼントもわからない。それはなんだかとても、寂しい事だと思ってしまった。
泣く泣くモニカはラナに相談することにした。ラナが選んだものならきっと素敵なプレゼントになるはず。モニカがそう言うとラナは少し困った顔をしてモニカに言い聞かせた。
「アシュリー様はモニカが選んだものの方が喜ぶと思うわよ?」
モニカはそんなことないとブンブン首を横に振った。ラナが選ぶものはいつもキラキラしてて、素敵なものばかり。きっとモニカが選ぶよりずっといいものだし、シリルも喜んでくれる。
「モニカはアシュリー様からもらったプレゼントを私が選んでたらどう思う?」
はた、とモニカの動きが止まった。ラナが選んでくれたものなら、きっとなんでも素敵で、センスが良くて、綺麗で。
それでも、シリルがくれるものならば、モニカは彼に選んで欲しいと思った。シリルが、モニカに相応しいと思うものはなんだろう。あの花飾りのようにモニカの心を震わせる、すごいものかもしれない。モニカにはよくわからないものかもしれない。何を送られてもきっとモニカはそれを宝物にして、そっと引き出しにしまうのだ。
モニカはようやく気がついた。大事なのは素敵なものを送ることじゃない。モニカがシリルのために送ることなのだ。彼のことを考えて、選んで、渡して、それが彼にとってささやかなものだとしても、彼は受け取ってくれる。ダメダメなモニカの姿をずっと見守ってくれたように。否定なんかきっとしない。
ラナはやっぱりすごい。モニカの知らないことをたくさん教えてくれる。
モニカはラナに謝って、アドバイスだけ貰うことにした。
「そうねえ、アシュリー様が身につけてるものなら間違い無いんじゃないかしら」
シリルが身につけているもの。青いブローチが真っ先に浮かんだが、あれは特殊な魔道具だ。彼にとって大切なものであるそれは換えが効かないだろう。次に浮かんだのは、艶やかな銀髪を束ねている髪紐だった。髪紐はモニカも選んだことがあるし、使っていると擦り切れてくるからいくらあっても損はないだろう。
物が決まれば後は選ぶだけだ。モニカはラナに礼を言うとふんすと拳を握りしめて、サザンドールの露店を歩き回り始めたのだった。
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ひとつ、ふたつとモニカは髪紐を手に取った。長さ、装飾、模様一つとっても種類がありすぎてどれを選べばいいのかまるで見当もつかない。モニカは線の入った模様が気に入って赤いリボンを選んだが、モニカはシリルの好きな模様はわからない。
悩んだ時はラナのことを思い出す。こういう時、ラナは最初色に言及する。あの色にはこの色が合う、とか明るすぎるとか暗すぎるとか、色の組み合わせはラナに言わせれば無限大だ。それでも、モニカの耳に残っていることがある。
モニカの新しい服を選んだ時、白いブラウスをもってラナは言っていた。
「白はどんな色でも合うのよ」
白にどんな色でも合うのなら、彼の銀髪もどんな色の髪紐でもきっと似合うのだろう。だから、色はモニカが彼に似合うと思うものを自由に選んでいいのだ。
モニカが手に取ったのは、やっぱり青い髪紐だった。深い深い青い色は彼にぴったりだ。
手に取った青い髪紐は細い糸で編まれており、銀の糸で綺麗に模様が編み込まれていた。ふと、モニカはセレンディア学園にあった絨毯の模様を思い出す。そういえば、シリルは綺麗な織物を見るのが好きだとアイクが言っていた。モニカも数学的に美しい模様は大好きだ。あの時はただ驚くだけだったが、憧れの先輩と好きな物が同じだなんて、なんだか嬉しくて、くふくふモニカは笑ってしまった。
モニカは青い髪紐を店主に見せると、綺麗にラッピングしてもらい、硬貨を支払った。
シリルは喜んでくれるだろうか、この髪紐を身につけてくれるだろうか。プレゼントを送る側なのにモニカの心はワクワクでいっぱいだった。
贈り物の入った袋を大事に抱きしめると、モニカは下手なスキップで家路についた。
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「お誕生日おめでとうございます!」
「え!?シリル誕生日今日だったのか!?」
大声で慌てるラウルをよそに、小さな後輩はぺこりと頭を下げた
何で教えてくれなかったんだよう!、と騒ぐラウルの言葉が聞こえないほどに、シリルは驚いた。確かに今日はシリルの誕生日だったが、モニカに伝えたことがあっただろうかと首をかしげる。おそらく弟子である彼が気を利かせてくれたのだろう。さすがは殿下、と思いながらシリルは小さく笑って礼を伝える。すると、モニカは懐から小さな袋を取り出した。
「これ、プレゼント、です」
「私に?」
「はい!」
まさか贈り物まで用意してくれるとは。なんだか胸がじんと熱くなってシリルは再度お礼を言って贈り物を受け取った。
透明な袋に赤いりぼんでラッピングしてある袋の中には綺麗な青い髪紐が入れられていた。シリルが常につけているものとそっくりなそれは、青い糸のほかに銀の糸で綺麗な模様が編み込まれている。
彼女が自分のためにと用意してくれたプレゼントになんだかむず痒い気持ちになる。
常に厳しく接しているというのに、モニカはシリルのことを慕っていてくれる。彼女の尊敬に値するような立派な先輩でいなくてはと気持ちが引き締まる思いだ。
「シリル!俺からもプレゼント!」
「ローズバーグ卿、人参は結構。作業を始めるぞ」
眩しい笑顔で人参をポケットから取り出したラウルを軽く受け流してシリルは共同研究の作業を開始した。
髪紐は大事に使おうと心に決めながら。
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シリルに髪紐を贈ってからというもの、モニカはついシリルに会う度に髪紐が使われてないか確認してしまった。
来る日も来る日もちらちら確認するが、シリルがモニカの髪紐を使う日はとうとう来なかった。
やはり、気に入らなかったのだろうか。モニカはしょんぼりと肩を落とす。
けれども、モニカはめげなかった。次はきっとシリルが喜んでくれるものを用意しようとかたく決意して、髪紐の件をすっかり忘れた頃、それはモニカの目の前に現れたのだ。
その日、珍しくシリルは共同研究に遅れてきたのだ。資料の確認のため、ローズバーグ家に集まる予定だったのだ、時間には厳しいシリルがなかなかこない。
道中何かあったのではとモニカとラウルが青ざめていると、ようやく呼び鈴が鳴って肩で息をするシリルが戸口に現れたのだ。
「遅れてすまない」
二人は目をぱちくりさせて驚いた。いつもはきちんと束ねられている銀色の髪がさらりと肩に落ちている。よっぽど急いで馬車から走ってきたのだろう。息の上がった彼にモニカとラウルは安堵して冷たい水を差し出したのだ。
午前中行われていた図書館学会の方でトラブルがあったことで遅れてしまったとシリルは二人に頭を下げて謝罪した。
「家に戻って身支度を整えたら今度は靴紐が切れ、髪紐が切れ……」
「シリル、すごく慌ててた」
「慌てすぎてこけてた」
「余計なことは言わんでいい!」
呑気ないたちがぴょこんとシリルの肩に乗る。
「これ、髪紐取ってきたよ」
「ありがとう」
もらった髪紐でシリルが髪を括ろうとすると、ぴたりと手が止まった。
シリルが凝視しているのはモニカが贈った髪紐だった。ドキリとモニカの心臓が跳ねる。ついに、彼が髪紐をつけたところを見られる。モニカはむずむずと上がりそうになる口の端を必死に抑えた。
「言われた通り、シリルの引き出しから取ってきたよ」
「一番綺麗なやつ選んだ」
「いや、これは…」
シリルは困ったように眉を下げた。モニカは贈り物が彼の引き出しに入れられたことに胸のドキドキが抑えられそうになかった。あの髪紐が、シリルの引き出しに!モニカは大切な宝物の入った自分の引き出しを思い出す。嬉しすぎて、飛行魔術を使ってもないのに飛び上がりそうだ。
「俺が結ぼうか?」
シリルが自分で結べないと勘違いしたラウルがとんでもないことを告げた。シリルの髪を結ぶ!なんて羨ましい!あのキラキラでさらさらな髪を自由に触ることができるなんて!
「わわわわたし、結びます!結べます!」
「このくらい自分でできる」
モニカの力強い宣言はバッサリと断ち切られてしまった。残念無念、モニカの気持ちはしおしおと萎んでしまった。
シリルはしゅるりとあっという間にいつも通り髪を束ねてしまった。キラキラと銀色の髪が照明の灯りで光る。モニカが選んだものをシリルが身につけてくれている。それだけでのぼせあがりそうだった。
「キラキラしてて綺麗」
「いつもつければいいのに」
「だめだ」
つんつんと髪紐をいじるいたちをむんずと掴み上げてシリルははっきり告げた。
「ああ!もったいなくてつけられないんだな!」
ようやく腑に落ちた、と言ったふうにラウルは明るく言った。シリルとモニカの頬がりんごのように赤く染まる。
結局、その後シリルがその髪紐を使うところをモニカは見ることができなかった。それでも、モニカの心は大いに満たされて、来年のプレゼントの算段を密やかに立て始めるのだった。