「や、名探偵。調子はどうだい?」
差し込んだ鍵を回せば、鍵が開く音がする。
ドアノブを回して事務所に入った途端、客用ソファに腰かけていた男がラインハルトの方に振り向いて微笑んだ。
腰に届く長い黒髪、笑みを含んだ紅い瞳、褐色の肌。身なりの良い男だ。整った顔立ちは涼し気で、切れ長のまなじりがともすれば冷たい印象を与えるが、常に浮かべられている笑みがそれらを和らげる。
「なんだ、卿か」
鍵がかかっていた事務所に人がいることは気にせず流して、ラインハルトは笑って男を歓迎した。
常連客、というにはいささか語弊があるか。
ラインハルトが開いている探偵事務所に、ちょくちょく顔を出している男である。
訪ねてくる度に、手土産といわんばかりにラインハルトの気を引きそうな依頼を持ち込んできていた。
今回もそうらしい。
ラインハルトに見えやすいように、男自身の顔の前に掲げられた招待状のようなもの。
黒い封筒に銀のインクで印字されているのは、目の前に立つ男の名前だろう。
「じゃじゃーん、ミステリートレインツアーの招待状なんだけどね」
ひょいと掲げた招待状の後ろから男が顔を出す。
「どうだろう、興味があるなら君にあげようか」
「なにかのイベントか?」
受け取った招待状の裏表を眺めつつ、ラインハルトは直近の仕事予定を脳裏に呼び出した。
もとより趣味でやっている探偵業である。仕事の都合があえば、面白そうなイベントには参加したい。
「そうだね。乗客で事件を演じる、体験型のアトラクションでね。いちおう企画の立ち上げに口を出してたものだから、関係者枠で招待状を貰ったんだ」
「ほう、事件か」
どれどれとラインハルトは封筒の中に収められている紙を取り出す。
私信のような文面だが、ようは参加条件とルールが書かれている。
「まあ、君にとっては平和すぎるかもしれないけれど……、楽しんでもらえたら嬉しいな」
そう言って男は悪戯気に、紅い瞳をきらめかせた。
ばたん、と勢いよく事務所の扉が開けられた。
机に向かっていたラインハルトが顔を上げると、友人がうつむいたまま立っていた。
夜闇のような長い髪が垂れ下がって、その顔に濃い陰影を落としている。だというのに、眼光だけは鋭くラインハルトが持っている招待状を睨みつけている。
「おかえり、カール。どうだったかな、今日の往診は」
「簡単な仕事だったよ、そもそも私がいかねばならないような重症でもない」
「卿がやるといった仕事なのだから、そこは妥協したまえよ」
つかつかと歩いてきた友人は、流れるような動作でラインハルトの手中にあった招待状を奪い取った。
別段、抵抗しようと思えば出来はするのだが、そうすると余計に長引くのをしっているラインハルトは、肩をすくめてされるがまま招待状から手を離した。
ざっと招待状の内容に目を通して、カールがふんと鼻を鳴らす。そうしてそのままゴミ箱に放り込もうとしたので、今度はラインハルトが奪い返した。
「カール、私宛ての招待状だ。卿に捨てる権利はないよ」
むす、と拗ね切った様子でそっぽを向いてしまったので、ラインハルトは苦笑を口元に浮かべた。
「これ一枚でふたりまで参加できるらしい。卿も来るか?」
問われて、カールは目を閉じて、ひとつ深呼吸した。
「ふふ、お前に誘われては仕方がない」
次にまぶたを持ち上げたときには、ぱっと纏っていた気配を切り替えて、にこりと上機嫌だ。
「そも、お前が事件を解決しにいくというのなら、私という書き手もその場にいなければな。何事も取材は大事だ」
「私がかかわった事件を小説にするといっても、そう大層な話はないだろうに。卿も物好きだな」
なんともまあ変わり身が早い。
とはいえ、慣れたことだ。あの男が依頼を持ち込んできたときは、だいたいこうなのである。