想いは、咲く。子供の頃、クリスマス近くに歌った「きよしこの夜」。自分の「安達清」という名前と掛けて揶揄われたことを除けば、歌を歌うことは決して嫌いじゃない。ただ、特別上手い訳ではないから、俺は断じてヒトカラ派、なんだけども。
長崎に転勤してからしばらく経った休みの日。ちょうど空き時間があるし、せっかく長崎にいるんだからと、東京じゃ見れない番組を見てみようと思って、俺はテレビをつけた。リモコンで番組表を呼び出し、スマホで関東のチャンネルに該当するものを検索しながら、今の時間帯の番組をザッピングしていく。するとーー関東でも見られるテレビ局から流れてきた音楽に俺は、チャンネルを回していた手を止めた。それは、ある有名な作曲家が作ったと話題になっていた合唱曲で、懐かしい故郷や人々、想いを歌う歌だった。
伴奏で流れるピアノの美しい旋律、そして合唱団の歌声に、俺は思わず耳をそば立てる。
(この曲……聴いてると感傷的になるな……ホームシックか?)
俺はテレビをつけたまま、床にごろんと寝転ぶと、苦笑する。そして遠く離れた地にいる愛する人ーー黒沢のことを思い浮かべた。
今では自信を持って俺の恋人だと言える黒沢。だけど最初、あいつから向けられ続けた好意に、俺は物凄く戸惑っていた。それが今ではーー
俺にとって黒沢は、唯一無二の掛け替えの無い存在になってしまった。あいつが勝ち取った、長崎有名窯元の陶器メーカーとの契約のおかげで、俺が長崎に転勤してすぐの頃よりは会えている。とは言っても、黒沢が東京、俺が長崎。俺が東京にいた頃のように、容易に会える距離じゃない。
(叶えたい夢、変わりたい自分、か……)
流れてきた歌の歌詞を、自分の中で反芻する。その歌詞になぞって、かつての自分の望みを思い返してみる。
(あんな形で魔法使いを卒業するとは、あの頃は思ってもみなかったな)
かつての俺は、自分の最大のコンプレックスであった童貞を一刻も早く捨てたかった。けれど、その目的で風俗に行ってはみたものの、童貞を拗らせ、30歳になって発動した「人の心が読める魔法」のおかげで、未遂に終わった。俺が風俗の女の子の思考に当てられ、吐いたせいでその場は悲惨な感じに……なったけども。ただ、あの時指名した女の子に悪いことしたなと、今なら素直に思う。でも、そこで脱童貞しなかったおかげで、本当の恋を知ることが出来たのだと思うと、今は失ってしまった魔法の力にグッジョブ! と言いたくなる。
(幸せ、だな)
俺の左手の薬指にある、黒沢から貰った約束のしるし。それを見つめると、自然と笑みが溢れてくる。左手を口元に近づけ、はめている指輪に口付けを落とす。黒沢からプロポーズされた日のことを思うと、心地よい気持ちになって、そのまま微睡みそうになる。だけど、何気なく時計を見た、その瞬間。俺の頭は一気に覚醒した。
「やべっ、時間!」
急いで起き上がると、俺はテレビを消し、手早く戸締りをして、家を出た。
向かった先は長崎空港。
今日は久々の「正規ルート」で黒沢に会える日だ。
「黒沢っ!」
「安達」
「ごめん、待たせて」
「安達のためならいくらでも待つよ」
過去に、デート前日に緊張しすぎて眠れなくて、寝過ごしたという失態を起こして来たけれど。最近じゃ久しくそんなこともなかったのに。待ち合わせに遅刻する度、俺の馬鹿! と何度も自分を責めるけど、黒沢は怒る素振りも一切見せず、笑みを湛えて待っていてくれる。本当、俺には勿体ないくらいの……婚約者だ。
「具合でも悪かった?」
黒沢は俺のことを心配してくれているようだった。
「いや、そうじゃないけど……」
クエスチョンマークを浮かべたような顔の黒沢に俺は、正直に白状した。
「出かける前に、故郷を思い出すような歌をテレビで聴いて、ちょっとな。感傷に浸ってるうちに……家出るのが遅くなった」
俺の返事に、黒沢は何故か笑みをこぼしていた。
「なんだよ」
「感傷に浸るほど、俺に会いたかったってこと?」
耳にした瞬間、俺は顔に熱が上がってくるのを感じた。でも、黒沢と結ばれたあの日から、自分の伝えたい気持ちは、ちゃんと言葉にしたり、触れることで伝えたりすると決意していたから。
「うん。すごく会いたかった」
俺の返事に、黒沢は「俺もだよ」と微笑んだ。
遠距離恋愛となった俺たちを繋ぐ、長崎への道のりは、黒沢が、その優秀な実力で切り拓いてくれたルートだ。とはいえ、あまり多用すると、会社に怪しまれる。その時が来るまで、黒沢と俺は、同期で気の置けない同僚、ということでいなくてはいけない。だから時々は、出張以外の正規ルートでも会っているんだ。それでも、黒沢の出張に甘えてしまうことが多々なんだけども。
「今回の飛行機代、いくらだった? 俺、出すから」
「いいって。安達に出させるほど、甲斐性がない訳じゃないから」
「それは分かってるけど……」
しゅんとした俺に黒沢は「安達に会えるだけでお釣りが来るくらいだから、気にしないで」と言った。
黒沢は時折、金銭感覚がおかしい時がある。学生の頃から長年、節約生活を送ってきた俺にとって、ある種のカルチャーショックみたいなものを覚える。
「なんか悔しい。俺だって、こっちに来てから給料上がったんだぞ」
「安達は仕事、頑張ってるんだから。自分で使いなよ」
昔なら、その余裕たっぷりに見える態度にムカついていたけれど。俺を思って言ってくれる言葉に、俺は素直に引き下がった。その代わり、さりげなく代案を投げかけることにした。
「黒沢はどこか行きたいところ、ある?」
「ん、安達と一緒なら何処に行ってもいいよ。行きたいところがあるの?」
「じゃあさ、今日は……俺が奢るからカラオケ、いかね?」
俺の提案が思いがけなかったのか、黒沢は目を丸くした。
「安達、ヒトカラ派じゃなかった? 前に言ってたよね」
社員旅行のバスの中で言ったことを覚えていたのかと、俺は苦笑いを浮かべた。
「そうだけど……黒沢の歌、聴きたくなったんだ」
「前に歌ったの、聴いてなかった?」
黒沢が言っているのはきっと、バス車内でカラオケ大会になって、後輩の六角と張り合って歌っていた時のことだ。でもあの時はーー
俺がまだ、黒沢の好意を素直に受け止められずにいた頃。ちゃんと聴いていなかった気がする。
「あー、あの時は……」
俺は気まずい顔になっていることを自覚しながら、黒沢に再び白状した。
「まだ、黒沢のこと、好きになってなかったから。イケメンで歌も上手いなんて、なんかムカつく、と思って聞き流してた。けど……」
俺はそこで言葉を切り、黒沢に真っ直ぐ向き直って言った。
「今の俺が、聴きたいんだ。黒沢の歌を」
「安達のリクエストなら、応えなきゃな」
黒沢は明らかに嬉しそうに、そして幸せそうに笑った。
黒沢が東京に帰って数日後。職場から帰宅して、コンビニで買った晩飯を食べながらテレビを見ていた俺は、あの合唱曲と再会を果たした。
あの日はやたら寂しい気持ちになったけれど、よくよく聴くと、大切な誰かを思った温かい曲だということを俺は発見した。
黒沢に恋する前は、恋愛に夢中になってるヤツのことを正直、鬱陶しいと思っていた。
だけどーー
黒沢と恋するために、あの魔法があったのだと思うと、これまで童貞で良かったと俺は心の底から思う。
だから俺は、この曲を捧げたい。
黒沢への思いを自覚した、初めて本当の恋を知ったばかりの頃の俺と、最愛の婚約者である黒沢に向けて。