ゆりかもめの行き交う街でまえがき
私事ですが、別ジャンルのコラボイベントで存在を知ってから、東京に滞在する際、大江戸温泉物語を鬼のように利用していました。が、その大江戸温泉が土地契約の更新の関係で、今年の9月5日をもって営業終了してしまいました。本当、大変お世話になりました……。
最後に行きたかったけど、このご時世、県を跨がないと行けない場所には……ね、ということでそこは泣く泣く諦めたのですが。だったら、私の妄想を滾らせて、くろあだに大江戸温泉でデートしてもらえばいいんじゃね? と思ったので書いてみました(安直)。
ほら、ドラまほ(チェリまほドラマ版)のくろあだ、EDでお台場周辺のデッキ歩いてるでしょ……叫びそうになったよね……付近一帯、前述の別ジャンルの聖地だから……。
原作8巻〜予測される設定の一部は敢えてログアウトしてます(読めるまで待ち遠しい)。安達は長崎から戻ってきていて、くろあだは東京・黒沢の家で同棲生活しています。
と、いう具合の話ですが、大丈夫な方は続きをどうぞ! この話は基本、安達視点で進みます。
―― ―― ―― ―― ――
朝起きたら、顔を洗って、スーツに着替えて。適当な朝食を胃に詰め込みながら、身支度を整える。
満員電車に揺られながら、憂鬱な気持ちで会社に行って、その気持ちを引きずったまま仕事をして。残業をすることもままあるけれど、その日のノルマをなんとか終わらせ、疲れた身体を引きずりながら、帰りの電車に飛び乗り、コンビニで晩飯を買って帰宅する。
買った飯を食べて風呂に入り、録り溜めたドラマを見たり、スマホに入れた音楽を聴いたり、積読になっている本を読みながら眠りにつく。
これが、俺にとってのありふれた、なんて事のない日常だった。しかし……半年前、いや、もっと正確に言うなら一年半前から、その日常に大きな変化が起きた。
キッカケは、嘘みたいな本当の話が、自分の身に降りかかったことに始まる。
『30歳まで童貞でいると、魔法使いになってしまう』
そんな都市伝説めいた話を、俺は身をもって体験してしまったのだ。
だけど、それにより手にした魔法……「触れた人の考えていることが読める力」のお陰で、俺は他の何にも代え難い「大切な人」を得ることが出来た。今の俺は魔法使いではなくなったけれど、魔法を通して互いの心に触れ合えた、その「大切な人」と共に暮らしている。
*
「お疲れ様でした」
定時が過ぎ、デスクの上を片付けた俺は、通勤鞄を持って帰宅の途についた。
一人暮らしをしていた頃、俺は電車で30分以上かかる、郊外にあるアパートで暮らしていた。現在は、会社にほど近いマンションに住んでいる。
これまで使ってきた鍵とは、少々勝手の違うものにもようやく慣れて、玄関のロックを解除する。
ドアを開けて直ぐ、俺は「ただいまー」と声をかける。
ところが、家の中を見ると明かりは付いておらず、人の気配もない。当然、中からは誰の声も返ってこない。
玄関のドアをバタンと閉め、暗がりの中で俺は、はたと気がついた。
「そうだ。今日はあいつ、帰り遅いって言ってたもんな」
「ただいま」と言うと「おかえり」と返してくれる存在が嬉しくて、つい当たり前のように声に出していた。
実家にいた時は何も感じなかったけど、長い間一人暮らしをしてきたのと、俺は友達も少ないし、幼少期の経験から、寂しさには慣れていた。ある意味、慣れすぎて感覚が麻痺しているところがあったように思う。だから、ちょっとの寂しさぐらい平気、なはずだったのに。
(やっぱ、一人は寂しいもんなんだな)
すっかり弱くなってしまった自分に対して、俺は自嘲の笑みを浮かべる。けれどその分、いや、それ以上に俺は、今ある幸せを噛み締めてもいる。
かつての俺は、愛するその人のために頑張りたい、とか、その人がいるから頑張れるとか、そんな話を耳にする度「そんなドラマや漫画みたいな話、本当かよ」と、斜めに構えていた。
だけど今、それは本当だったと、ひしひしと感じている。とにかく、一人で生活していた時には、僅かにも考えもしなかった活力が、ふつふつと湧いてくるんだ。
確かに俺は、弱くなったと思う。けど、そういう意味でならきっと、俺も少しは強くなれたんじゃないかな。
「あ、LINE来てた。……帰宅は20時半過ぎか」
玄関の鍵を閉め、廊下の明かりのスイッチを入れてから、その場でメッセージアプリの通知を確認する。メッセージをくれた相手――黒沢は、俺とは正反対のタイプの人間で、常に前向きで仕事は出来るし、背が高くてガタイもいい上にイケメンだし、性格もいいし、イケボだし……という、一見すると絵に描いたような完璧人間だ。けど実は、好きな漫画や食べ物の趣味が合ったり、俺と同じように悩んだり嫉妬したり、格好悪いところもあったりして、可愛いなと思える、俺の大切な伴侶だ。
俺が長崎から戻って、黒沢と一緒に暮らし始めてから半年が経つけれど、未だに新たな発見もあるし、毎日が楽しい。
去年の春、魔法使いになってしまったばかりの俺が、初めて黒沢の家に泊まった日には、俺たちの関係がこんなことになるなんて、微塵も想像出来なかった。
むしろ俺は、心の声で伝わってくる黒沢の好意や妄想に、無茶苦茶ビビりまくっていたからな。
本社に戻ってからも、仕事は相変わらず忙しくて、今日みたいにすれ違う日も当然ある。でも、黒沢と寝食を共にして、時には愛を確かめ合って。互いの存在が、精神的にもプラスになっているのは間違いないと思う。
靴を脱いでリビングに入ると、明かりを付けて、エアコンのスイッチを入れる。8月中旬に差し掛かっても、暑さは衰えを知らない、東京という街。昼間の外気温の影響から、上がってしまっていた室温を下げるために、勢いよく吹き出し口から冷風が吐き出された。
「ううむ……晩飯は何にするか」
エアコンの風に当たり、涼みながら頭を悩ませる。ネクタイを緩めて外すと、洗面台の隣にある洗濯機に放り込む。手を洗って、うがいをして、キッチンに入る。冷蔵庫のドアや冷凍庫の引き出しを開けて、中身を検分してみる。
(あ、麺つゆ……。ん? 冷凍のかき揚げもあるじゃん。今日は暑いし、これは「アレ」に決まりだな)
晩飯のメニューを決めた俺は、意気揚々と冷蔵庫のドアと冷凍庫の引き出しを閉めた。
(そういや、冷凍のたこ焼きや餃子も残ってたな。黒沢が帰ってきたら、食べるか聞いてみよう。場合によっては土日で……)
先週の休みの日に、黒沢とスーパーへ買い物に行って、冷凍食品コーナーで珍しい品物を、それなりに買い込んで来たんだ。昨今の冷凍食品は良く出来ていて、美味いものが多いし、休みの日に黒沢と冷凍食品や珍しいインスタント系の食品でパーティーをしてみることもある。
前回、パーティーをした時、俺の食べるところをずっと黒沢に眺められていた。慣れてはいるけど、何となく居所が悪くて、お前は食わないのと聞いたら、こんな言葉を返されたんだ。
「安達がなんでも美味しそうに食べるのが、嬉しくて……つい。ほんとありがたいと思うよ」
黒沢はあまり話したがらないけど、俺が気になって、黒沢の歴代彼女について聞いてみたことがある。
すると、滅多なことで人の悪口を言わない黒沢が、ためらいながらも俺に、こんな本音を漏らした。
「一度いいレストランに連れてくと、次に食事に行く時、下手にランクを下げられなくて……」
つまりはこうだ。黒沢がミシュランに載るような、星がいくつも付くレストランに彼女を連れて行ったら最後、その彼女とファーストフードの店に行くことは、絶対に叶わなくなる。もちろん、黒沢の懐やプライドの問題ではなく、彼女側の理想が高くなってしまう問題からだ。無論、冷凍食品やインスタント食品で自宅パーティーをするなぞ、もっての外だ。
俺はずっと、外見や容姿が良い、というのは得しかしないのだとばかり思っていた。だけど、黒沢から告白された時に聞いたあいつの心の声や、社員旅行やバレンタインの時に、女の子たちに群がられて大変そうな黒沢を見ているから、モテるのも、ある意味面倒なんだなと謎に同情した。
それを分かっているから、黒沢に感謝されたら素直に受け取っておくことにしている。
ただ、人が食べてる時に、じっと見つめないで欲しいとは常々思っているけれど。
(うし。黒沢が帰ってくる30分前くらいにかき揚げをオーブンであっためて、和也から送りつけられた「あれ」を茹でるか)
調理の打算をつけた俺は、一旦キッチンから離れた。時計を見ると19時半を指している。黒沢が帰って来るまでには、あと1時間ほどある。
(ちょっと調べ物をしよう)
リビングにあるキャビネットにしまっていたiPad Proを手に持ち、ソファーに座った。
それから、通勤用の鞄から定型の封筒に入れた、とある施設の優待券を取り出し、昼間の出来事を思い返しつつ、俺はiPadで検索サイトを開いた。