ハロウィン・ナイトで踊って 10月31日。この日はハロウィンと呼ばれ、大なり小なり盛り上がる祭りの日である。
起源は古代ケルト人の風習に由来する、秋の収穫を祝い、悪霊を追い払う祭礼だったが、やがてキリスト教と結びつき、万聖節の前夜祭として行事が行われるようになり、今日に至っている。
日本においても、三十年弱の間で瞬く間にハロウィンが一般化し、十年ほど前からは「仮装」ブームも手伝い、お祭り騒ぎが広まった訳だが、それはここ、株式会社豊川も例外ではない。
「ひとまずハロウィンが過ぎれば、次はクリスマス商戦だな……よし」
ひとつの繁忙期の山が過ぎようとしている安達清は、昼休みに自分のデスクで小さく気合を入れた。
「安達さん、お疲れ様です。今いいですか?」
安達に声をかけたのは、同じ営業事務にいる藤崎希である。
「これ、よかったらどうぞ」
「え、いいの? ありがとう。あ、これ俺が好きなやつだ」
藤崎さんが安達に手渡したのは、ハロウィン仕様のパッケージに包まれた市販のお菓子である。しかもそれなりの数があった。
「もしかして、全員に配るの?」
「営業部と事務、あとは他課にいる友人に渡す分ですね」
「こんなにたくさん用意するの、大変だったんじゃない?」
「いえ、でも私もなんだかんだで、こういうイベントは楽しみにしてるんで」
(ああ〜〜、ハロウィンといえばトリックオアトリート! 今宵、安達さんは黒沢さんにどんなイタズラをされるのか。くう〜妄想が捗るう〜)
——という妄想を現在進行形でしている藤崎さんだが、
推し本人の目の前では、表面は「鋼の平常心」を装う、安達の伴侶に似た性質を持っている。
「そうなんだ。藤崎さんはハロウィン、何かするの?」
「今夜は——ここのところ買い込んだ限定のお菓子を食べて……あとは友達と電話しながら本を読んで、楽しく過ごす予定です」
「いいね。じゃあ、午後も頑張ろうね」
はい、と笑顔で返事をして、藤崎さんは他のデスクにもお菓子を配りに行った。
(ハロウィンの夜、か……)
藤崎さんの言葉を受けて、安達はぼんやりと考えを巡らせた。
かつてはリア充を僻んでいた安達も今や既婚者。とは言っても、ハロウィンの渋谷の喧騒は慣れることはないし、各地で盛り上がるリア充どもが好きになったわけでもない。
ただ、安達限定でイベント好きの黒沢は、きっと今日の夜を楽しみにしていることだろう。
しかし、黒沢優一という男は、ここぞというところで遠慮してしまう癖のようなものがある。ハロウィンと言えど、今年は平日。近くに文化の日があるとはいえ、明日が仕事なのは変わりない。
(うーん、こういう時って、俺から行ったほうがいいのか?)
今朝、今日は取引先から直帰と安達に伝えていた黒沢。
「晩ご飯、楽しみにしててね」とも言っていた。仕込み上手な黒沢のことだ、前日から準備をして、今日という日に備えているのだろう。
(ま、兎にも角にもまずは仕事だ)
真っ昼間に通り過ぎた煩悩を振り払うように、安達は頭を軽く振り、自分のデスクのパソコンに向かい直した。
仕事を定時で終え帰宅すると、すでに黒沢がキッチンに立っているようで、いい匂いが玄関まで立ち込めていた。
「おかえり」
「ただいま。玄関入ったら、すげーいい匂いしてたよ」
「ほんとに? 初めて作ったけど、成功かな」
黒沢がオーブンから取り出したのは、くり抜かれたかぼちゃに入ったグラタンだった。
「おー! うまそうだな」
「この前ネットでレシピを見かけてね、ハロウィンだし作ってみたんだ」
嬉しそうに笑う黒沢に、安達もつられて笑顔になる。
「何か手伝えることある?」
「あと少しで終わるから……じゃあ、サラダを分けてもらって、お皿やドレッシングを出してもらってもいい?」
「ん、了解」
黒沢の指示に安達は慣れたようにセッティングしていく。
その側で、黒沢が作った彩り豊かな料理が並び、いつものテーブルはあっという間に華やかになる。
準備が終わり、二人は食卓に向かい合って、いただきますと食べ始めた。
「やっぱり黒沢の作る飯は美味いわ、準備大変だっただろ? ありがとう」
「俺としては、安達が作ってくれる飯も何にも代えられないくらい美味しいけど?」
「いやいや、それは褒めすぎだよ」
とはいえ、散々心の声でポジティブな言葉を発していた黒沢に褒められるのは満更でもないと思う安達なのである。
食べながらふと安達は、ハロウィンの夜という単語を思い出した。
言うなら今か? と思った安達は思い切って黒沢に話を切り出した。
「な、黒沢。その、もし疲れてなければ今晩さ——」
すると、黒沢は最後まで聞く前に
「今日も忙しかったんでしょ?」と返した。
「ま、仕事の山は大方越えたけどな、次はクリスマス商戦だけど」
「明日も仕事だし、無理しない方がいいんじゃない?」
予想通り。安達はぐぬぬと無意識に歯軋りした。
「仕事は続くけど、今年のハロウィンは今日だけじゃん。黒沢はお菓子かイタズラか。したくないのか?」
それを言った途端に安達は顔を真っ赤にした。
しばらく黙り込んでいた黒沢だったが。
「安達は、そんなに俺にイタズラされたいの」
「……う……う、ん……」
安達の返事を聞いた黒沢は、内心、リオのカーニバルのような盛り上がりをしていたが、そんな心情を全く感じさせないポーカーフェイスで返事をした。
「食器は俺が洗っておくから、先にお風呂入っていいよ。その代わり、今日は俺より先に寝ないでね?」
「……っ! ……わ、わかった」
晩飯を食べ終え、浴室へ向かう安達を見送った黒沢は、鼻歌混じりで皿を洗い、安達は浴室でいそいそと「準備」を始めるのであった。
翌日。株式会社豊川のオフィスには、やけに眠そうにしている安達と妙にイキイキして輝いている黒沢の姿があった。
(安達さんと黒沢さん、絶対絶対に昨日何かあった!!)
一人、いつもの五倍のバリバリさで仕事をこなす藤崎さんであった。
おしまい