Lifetime Love「なぁ、マリュー……」
「えっ?」
束の間の休息。
クルーゼに撃たれた傷が癒えてきたばかりのムウは、艦長室のベッドの上で軽くストレッチをしながら、アンダーシャツ姿でドリンクを取りに行った恋人に声を掛ける。声を掛けながら上半身を左に捻っていたムウは、最後に大きく伸びをすると床に投げ出されたままだった自分のシャツを着た。
「で、何ですか?」
自分を呼びながら何も言わないムウに首を傾げながら、マリューは手にしていたドリンクパックを一つ手渡す。そのまま彼の隣に腰掛けたマリューは、自分用に持ってきたドリンクに口を付けた。
「ん~……」
何か言いづらそうにしながら、ムウはさも当たり前かのようにその肩を抱き寄せる。
「どうしたんですか?」
がっちりとした肩口にもたれかかりながら、マリューはコチラを優しい目で見下ろしているムウを見つめ返す。
「愛してるよ、マリュー」
突然の言葉に、言われたマリューは顔から火が出そうなくらい真っ赤になる。
「な、なにを……急に?!」
あわあわとした様子のマリューに、ムウはふわりと微笑みながら「マリューは、俺の事をどう思ってる?」と問い返す。
「ど、どうって……」
「俺の事、キライ?」
言葉尻を濁すマリューに対し、ムウははっきりとした答えを望んでいるかのように、更に質問をする。
「キライじゃないです」
「じゃぁ、俺の事どう思ってるの?」
どうやら、はっきりした一言を聞くまで、ムウは私を問い詰めようとしている……そう思ったマリューは、皺の寄ったシーツに視線を落としながら答えた。
「……キライだったら……ここで、こんな関係になったり……してません」
「だから?」
執拗に自分を問い詰めるムウに、マリューは心の片隅でヘンな違和感を感じ「その先は……今は……言えません」と告げた。
ムウはその言葉に苦笑しながら、俯いたままのマリューの顎に手を伸ばす。
「俺は、マリューの事を誰よりも愛してるけど……マリューは違うのか?」
強引に顔を上げさせられたマリューは、ムウの顔を真っ直ぐ見つめる形になってしまう。
「どうしても、同じ言葉を言わせたいんでしょう?」
「ん……まぁね」
バレたか~と笑いながら頬にキスをするムウに、マリューは意を決して心に引っかかっていた部分を口にした。
「私には……貴方が戻ってこないつもりのように思えるんです」
「え?」
少し涙が滲んだ瞳で、マリューはムウの瞳を見つめる。
「だから……今は言えません」
「言えないって……」
そう言いながら、マリューはムウの首に腕を回し抱きつく。そんな彼女の言葉と行動に、ムウは言葉を詰まらせる。
「全てが終わって貴方が帰ってきたら……その時に、はっきりと言ってあげますから……」
「マリュー……」
ギュッと抱きつく腕に更に力を込めたマリューは「だから約束して。絶対に帰ってくるって」と震える声で囁く。
そんな彼女の気持ちを察したムウは「分かった。約束する」と告げると、その柔らかい身体を優しく抱き締めた。
部屋の明かりを点ける事も忘れ、マリューはひとりで暗闇の中に座り込んでいた。
絶対に帰ってくると約束した人は、今、ここにいない。その無情な現実にマリューは打ちひしがれていた。
艦長としてのマリュー・ラミアスは、彼をストライクのパイロットとして送り出さなければならなかった。
だが、ひとりの女性としてのマリュー・ラミアスは、それを望んではいなかった。それは一個人の我儘な感情だという事も分かっている。分かっているが故に、その感情の板挟みにマリューの心は砕けそうになっていた。
艦長として出撃命令を下したあの時、ひとりの女性としてマリューは心の中で叫んでいた。「何処にも行かないで……」と。
でも、その言葉は口に出来るはずもなく、ただ心の奥底に飲み込んだ。彼の「帰ってくるさ。勝利とともにな」という言葉を信じて……。
しかし約束は守られなかった。
彼はこの艦を守って、マリューの目の前で真っ白い閃光と共に散ってしまった。
自分の立場を忘れ、マリューは泣き叫びたかった。だが、ムウが与えてくれた『艦長』という役目を、彼女は投げ出すことは出来ない。
「しっかり……しなきゃ……」
自分に言い聞かせるように呟きながら力なく立ち上がったマリューは、フラフラとした足取りでベッドの手前でへたり込む。そのまま少し皺の残ったシーツに上半身を突っ伏すと、彼の残していった匂いが霞がかっていたマリューの思考をクリアにしていく。
と同時に、その両の目からは大粒の涙が溢れ出し、白いシーツを濡らし始めた。
声を出さずに小さく嗚咽しながら、マリューは全身の水分が無くなるのではないかと思うほど涙を流した。
毎日、艦長室に戻ってくる度にひとりで泣き、泣き疲れて眠る。
アラームの音で目を覚まし、現実に引き戻される……その繰り返しだった。
そして「愛している」と、ちゃんと言葉にしてムウに伝えるべきだったと後悔を繰り返していた。
そんな日々を超えて、時はゆっくりと流れる。
マリューの心に刺さっていた後悔と言う名の棘も、オーブの温かい人達と触れ合う事で少しずつ抜け落ちて行った。
自分と同じく、戦闘で恋人を失ったバルトフェルド。
スーパーコーディネィターとしての自分の存在と向き合うキラ。
歌姫の地位を捨て、愛するキラを支えるためオーブに残ったラクス。
世界の動きをこの目で確かめ、それを伝えようとカメラマンになったミリアリア。
そして父親を失ったにも関わらず、何よりも重い十字架を背負い、この国と世界を救おうと奔走するカガリ。
そんな彼女の力になるべく、影から支えるアスラン。
あの時、一緒に戦った仲間たちは、皆同じように心に傷を持っていた。
「たとえ言わなくても、アイツは分かっていたさ。君が……ムウ・ラ・フラガを心から愛している事を」
心地よい海風が吹くベランダから海を眺めていたマリューに、背後からバルトフェルドが声を掛ける。
「……隊長……」
バルトフェルドは手にしていたトレイの上からマグカップを一つ取ると、それをマリューに手渡す。
「アイツの事だ。分かっていて、君を揶揄うために聞いたんだと思うがな……僕は」
フッと鼻で笑いながら、二つのマグカップをベランダの手摺にそっと置く。そして最後の一つのマグカップを手に取ると、その香りを楽しみ始めた。
「やっぱり……そうですよね」
マリューはそう呟くと、マグカップを支えていた自身の左手首に視線を落とす。その視線の先には、グレーのリストバンドがあった。バルトフェルドも見覚えがあるそのリストバンドは、今では彼女のお守り代わりになっていた。
マリューは右手でそっとリストバンドに触れると、少し淋しそうな笑顔を浮かべながらマグカップのコーヒーに口をつけた。
「アイシャを失ったと知った時は、僕も相当落ち込んだものだ……」
水平線を見つめながら独り言のように呟いたバルトフェルドに、マリューは「皆、同じですわね」と言いつつ、手摺に並べられた二つのマグカップを見つめる。
そして「隊長が落ち込んでいる姿なんて、ちょっと想像できませんけど」と言うと、フフフと笑みを浮かべる。
「おや、結構失礼だな」
片眉を吊り上げるようにしてマリューを見たバルトフェルドだったが「まぁ確かに、ダコスタ君にはかなり迷惑を掛けたかもしれんな」と豪快に笑い始めた。
その笑い声で、ダコスタがこの上司に振り回されている様子が容易に思い浮かんだマリューも、思わずクスクスと笑い始める。
鮮やかな青空に二人の笑い声が吸い込まれてゆく。
そんな穏やかな毎日が、冷え切っていたマリューの心を溶かして行った。
戦いと無縁な平穏の日々。
それが終わりを告げる事に気付くのは、まだ先の事だった。
そして宇宙から落ちてきたユニウスセブンの残骸と共に、平穏な日々は砕かれる。
高波に飲まれるかのように拡大する争いに、マリュー達も身を投じる事になった。
自由と平和を守るため。
愛する者達を守るため。
しかし、それはひとつの奇跡の始まりでもあった。
キラから「頼まれた」人物を保護したアークエンジェル内に激震が走る。捕虜となった人物は、クルー達がよく知る人物だったのだから。
何故、彼が連合の軍服を身に纏っているのか。
何故、違う名を名乗っているのか。
何故、目の前にいる最愛の女性の事を知らないのか。
全ては謎に包まれたまま。
でも、フィジカルデータだけは『彼』だと教えてくれる。
『彼』であって『彼』でない相手に、マリューは喉元まで出かかった思慕を、再び心の奥深くに飲み込んだ。今の『彼』そのままを受け入れる為に。
日々激しくなる戦いの中で、時々『彼』が顔を出す。その事に『彼』もマリューも気付いていた。
そして突然、記憶の歯車は動き出した。あの時と同じ、真っ白な閃光の中で。
全ての艦から打ち上げられた信号弾で、この戦いは終焉を迎えた。そんな色とりどりの信号弾を感慨深く眺めていたのは、数時間前の事だ。
ようやく戦闘の緊張感から解放された安心感から熟睡していたムウは、懐かしいようで少し心が痛むような……そんな夢から、ふと目が覚める。
そしてゆっくりと首を回すと、自分の方を向いて眠っているマリューの顔が見え、小さく安堵の溜息が漏れた。
「今、ここにある幸せ……だな」
そんな事をひとりごちると、ムウは眠っているマリューの額に口付けを落とし、その肩を優しく抱きしめる。たった今見たばかりの夢を思い出しながら……。
「そう言えば……あの時の答え、まだ聞いてなかったよな……マリューさん?」
ムウの脳裏に浮かび上がったのは、あの時ベッドの上でマリューに問い掛けた言葉。
「なぁ……俺が帰って来たら言ってくれるんじゃなかったのか?」
まだ聞いてないんだけどなぁ……と囁きながら、ムウは眠ったままのマリューに口づけを落とす。ゆっくりと柔らかい唇を食み、舌を挿し入れると、眠っていて意識のないマリューの舌を絡め捕るようにして味わう。
自分が『ネオ』だった時には、こんな風にマリューに触れてはいけないと、何処かでブレーキをかけていた。『ネオ』がマリューに触れれば、彼女の心のどこかが軋むと分かっていたから。
が、あの真っ白な閃光の中で『ムウ』としての記憶を全て取り戻した今ならば……彼女は受け入れてくれるだろう……。そう思いつつ、今までの淋しさを埋めるように。
「んっ……ぅ……んふっ……」
ムウの舌の動きに、マリューの舌が反応を始め、ゆっくりとその緋色の瞳が見え始める。ぼんやりとした瞳で見つめられたムウがようやく唇を離すと、微かに開いたままのマリューの唇から、二人分の唾液がトロリと流れ落ちる。
「起こしてゴメンな」
「……ん……ムウ?」
「やっぱ、全部欲しい」
「……ぇ?」
まだぼんやりとしたまま自分を見上げるマリューに、ムウはもう一度唇を重ねる。先程よりも長く優しく、全てを喰らい尽くす程に。
「んんっ……んふっ……」
そんな艶めかしく狂おしいほど懐かしいキスに、マリューの意識が一気に覚醒し、そして陥落する。自分の全てを求められ、マリューは無意識に舌を差し出しムウを求める。
絡まり合い溶け合う思いに二人はただ身を委ね、互いを求め合った。「今、ここにアナタがいる」という事を確認するように。
「も……もぅ……」
毛布をギュッと肩口まで引き上げたマリューが、恥ずかしそうにムウに背中を向ける。が、それをムウが許す訳がなく、その柔らかい身体を背中から抱きしめて耳元にチュッとキスをする。
「ちょ……ちょっと、ムウ! 見える所に痕は付けないで!」
背面から抱きしめられたマリューは、赤くなりながら首だけで後ろを見る。
「じゃぁ、こっち向いてよ」
「で、でもっ……」
久しぶりに味わう心地良い気だるさと、触れる素肌の感触に心の奥が喜んでいる事を隠していたマリューだが、そんな事は既にムウにはバレていた。
「こっち向かなきゃ、もっと真っ赤な痕を付けようかなぁ?」
「えっ⁈」
言われた言葉にすぐさま反応したマリューは、そのままの勢いでムウと向き合う形になる。
「やっと……ムウとして、マリューと向き合えた」
「……ムウ」
優しい笑顔で見つめるムウに、マリューはほんの少しだけ鼻の奥がツンとする。待ち望んでいた状況が、今ココにある事に。
「なぁ……前に聞いたよな。俺の事、どう思ってるのか……って」
そんな突然な問い掛けに、マリューは記憶の彼方にあったあの日の会話を思い出す。
「……ぁっ……ぇ……えぇ……」
「今なら、あの時の答え……聞かせてくれるよな? こうして、帰ってきたんだし」
あの時、何度聞いても答えてもらえなかったあの言葉を、ムウはマリューに再び問い掛けた。
「待たせて悪かった。今までも、これからも……ずっと愛してるよ、マリュー。もう、何処にも行かないから」
優しい声でそう囁かれたマリューの瞳から、大粒の涙が零れ始める。
「わ、わたしも……愛してる。ムウだけを」
あの時、ムウに敢えて伝えなかった言葉をようやく口にしたマリューは、そのままムウに口付ける。「おかえりなさい」という気持ちを乗せて。